第七話 魂 ―ponytail―
男「あれ、一体ここどこだ?」
女「初めまして」
男「わ、凄い美少女だ。乳無し娘だけど。あの済みません、ここってどこなんですか」
女「ここは異世界です。あなたはこの世界を守る勇者として召喚されたのです」
男「なんだってー!?」
女「この世界は滅亡の危機に瀕しているのです。お願いします。どうか力を貸して貰えませんか?」
男「世界の危機!? それは見過ごせないな! よーし、俺がこの世界を救ってやるぜー!」
テンプレだった。
十把一絡げのお話。本屋の漫画・ラノベコーナー、レンタルビデオ屋のアニメの棚、ゲームショップの中古RPG。適当に手を伸ばせば当たる程にテンプレートな現実が目の前に振ってきて、きっと俺はハシャいでいたんだろう。
退屈な高校生活が一気に色付いた。可愛い女の子と知り合って、特別な剣を手に入れて、敵を倒し英雄と持て囃されて。
だから気付けなかった。物語のテンプレートと現実のテンプレートは違う。
本当の戦いにおいては、命を失うことが当然だなんて、想像することさえ出来ていなかった。
◆
降りしきる雨に体が凍えていた。
違う、本当に凍えていたのは心だったのかもしれない。
『いや、いやぁ……逝かないでくださいロジェ。お願い、ですから』
リヴィが泣いている。
目の前で、なのに遠く聞こえる。
ロジェが赤い血を流している。
なのに、目の前が黒く染まる。
『嘘だろ……』
ロジェはもう動かない。なんでだ。昨日まで笑ってた筈だ。
俺達、同じ勇者だろ? 勇者が途中で死ぬなんておかしいじゃないか。
きっ、と鋭い視線でリヴィは俺を射抜く。
『なんで、なんで、ですか……なんで貴方が生き残って』
分かってる。ロジェは俺の代わりに死んだ。こんなところで死ぬべき男じゃなかったのに。
いつまでもゲーム気分だった。これはテンプレな異世界召喚物で、ハーレムで……最後にはハッピーエンドが待ってるって信じてた。
だから本当の仇はあの虫みたいなネクスじゃなくて、俺。
俺が、ロジェを殺したんだ。
今もふと思い出す景色がある。
未熟な俺の、拭いきれぬ罪過。
俺は、何一つ守れない勇者だった。
◆
「かなた、りのちゃん。すまんが、ちっと下がっといてくれ」
俺達をかばうように鉄平さんが前へ出る。
「でも鉄平さん」
「言っとくが、加勢しようなんて思うなよ? 今のお前とフィールじゃリヴィにゃ太刀打ちできない。なんせこいつは四霊剣の一振りだからな」
見た目は普通に可愛らしい女の子だけど、相手は遥か高みに立つ強者であると。
背中から感じる気迫が、それが冗談ではないと伝えている。
「四霊剣?」
「魔剣には俗に“数持ち”と呼ばれるものがあってな。八つ太刀や六奇刃、四霊剣。通常の魔剣より更に強力な、アガベアスールの傑作だ。更に言えば、四霊剣は火水風土、四属性の魔剣の頂点。つまりリヴィは、水属性の魔剣の最高位に位置している」
リヴィエールちゃんをもう一度見る。
幼げな容姿、可憐な立ち振る舞い、エロ過ぎる腋。とてもじゃないが戦える女の子には見えない。でもそれを言うならベネディクトちゃんやフレイムだってそうだ。あの娘はあくまで魔剣。俺の理外の存在なのだ。
「フレイムは、いないのですか?」
ゆったりとした語り口。穏やかな気性が声にも表れているようだ。
「ああ。カルディアと買い物に行ってる。向こうにはない店も多いからな。ちょっと楽しんできてもらおうと思ってよ」
四霊剣と名乗った魔剣の少女、リヴィエール。鉄平さんは笑っているようで、何処か苦々しく目を細めていた。二人の間に何があったのかは分からない。でもきっと、無関係な奴が立ち入っちゃいけない何かがある。それくらいのことは俺にも感じとれた。
「つまり今、貴方は丸腰……幸いですね」
「ああ、全く幸いだな」
魔剣のない状態で襲われて、なのにそれを有難いとでも言わんばかりの態度。
鉄平さんの返しに、幼げな女の子は不思議そうに目を見開いた。すっごい可愛いかった。あと腋がエロかった。
「お前さんと戦うなんて、フレイムたんにゃちと酷だろう。だから幸いだった」
辛い思いをするのが俺だけで十分だ。
言葉にはしなかったけど、多分鉄平さんはそう言いたかったんだろう。苦渋の中、それでも不敵に笑って見せる。強いと思った。オグドと戦っていた時よりも、痛みを堪えて笑う今の方が遥かに強く見えた。
「甘いところは、変わっていないのですね」
「そうでもないさ。多分俺はあの頃より甘くなったぜ。なんせ、今はフレイムたんを前以上に愛おしく思えるんだ。俺はあの娘には、何処までも甘くなっちまうよ」
一瞬だけ零れる優しい表情。この人は本当にフレイムを大切に想っているのだと分かる。
そして何故かリヴィエールちゃんは、その想いを不快だと切って捨てるように睨み付けた。
「さ、やろうかリヴィ。召喚されてから二十年、俺だって何もしてこなかった訳じゃない。剣が無くても結構手強いぜ」
拳を握り、腰を落し、右足を半歩前に出す。
仰々しい構えではなく、自然な仕種にしか見えない。だというのに、隙が無い。何気なくとった構えが、鉄平さんの言葉がはったりではないのだと告げている。
「そうですか。なら、キザキ様の相手は彼等に任せましょう。今はマスターがいないことですし」
リヴィエールちゃんもそれが分かっているのだろう。
可愛らしい容姿、反して目は冷たく鋭い。
すっと手を掲げれば、ぐおん、という奇妙な音を響かせて空間が歪む。そして歪身が元に戻る時、其処には緑色の異形の姿があった。
「ネクス……!」
しかし違う。現れた二匹のネクスは、見たことのある個体とは明らかに違っていた。
昨夜見た奴らはどちらかと言えば人に近い形をしていた。だけど今回は、なんというか、根本的に別種だ。
「オ、オォォォォォォ」
不気味な鳴き声。
四肢を持つ人型であるのは間違いないけど、動く度にぎちぎちと気色の悪い音がする。二メートルを超える巨体。全身が鎧……じゃない。甲皮に覆われている。背中には薄い羽根。顔は人からかけ離れており、ぎょろりと大きな複眼が目立つ。
人に近い虫なのか、虫に近い人なのか。人と昆虫が混じり合ったモザイク体。目の前にいるネクスはそんな印象だった。
「こいつは……!」
鉄平さんが強張ったのが分かった。
警戒心をむき出しにし、足に力を込めて、いつでも動けるように臨戦態勢を取っている。
「トランミュート……虫型、しかも二体か。おいおい、またかよ? 初っ端からこんなもんつれてくるか普通。はじまりの村出た瞬間ボス戦とかどんな糞ゲーだ」
口調は強くないが余裕もない。つまり、あのネクスはそれだけの難敵ということ。
リヴィちゃんは相変わらず静かな湖面のように無表情。紡ぐ言葉もどこか平坦で、感情が乗り切らない。
「私は貴方を侮りません。使える手駒の中から最強の戦力を連れてくるのは当然のことです。懐かしいでしょう? 貴方を打ち倒したネクスです」
「ああ、本当にな……懐かし過ぎて、涙が出てくるぜ」
鉄平さんを、倒した?
知らされた事実に背筋が凍る。昨夜の戦いを見ただけでも、鉄平さんがかなりの実力者だって分かる。つまりそれを倒したという目の前の化け物は、比喩表現ではなく、真実心底かけねないくらいに化け物なのだ。
「フィールちゃん」
「う?」
俺は咄嗟に美月を庇える位置へと移動し、俺はフィールちゃんに喋りかける。名前を呼んだだけで、腕の中の赤ん坊は淡い光を放つ。可愛い娘は、次の瞬間にはナイフの姿へと変わっていた。
ありがとう、と小さく呟き、ぐっと魔剣フィールを握り締める。
「吾妻……」
「美月は、離れてろ」
俺の服の袖口をきゅっと掴んで、でも止めることはせず、美月が後ろへ下がる。口にしなかったが、美月が俺を心配してくれたのが分かった。
だから一歩前へ。戦う意思を見せつけるように、鉄平さんの隣へ立つ。
「かなた、お前も退がれ」
「嫌だ。俺はまだ全然戦えないけど、鉄平さんだって今はフレイムがいないじゃないか」
リヴィエールちゃんには太刀打ちできないと言われた。トランミュートとかいうやつも、鉄平さんがあれだけ警戒している相手、今の俺じゃ足元にも及ばないだろう。
だけど、昨日の感覚は覚えている。あのよく分からない攻撃が出来れば、援護くらいは出来る。
俺はフィールちゃんの柄を強く握り、二匹の異形を睨み付けた。
「オォ!」
間髪入れず、巨体が消えた。
違う、消えたんじゃない。そう思えるほどの速度だっただけの話。昨夜のオグドと比較しても劣らない、それどころか勝っているのではないかと思えるほどのスピード。
影を捉えることが出来た理由は、自分でも分からない。いや、オグドのことを考えれば、魔剣を持つことで俺自身の身体能力が底上げされているのか。
ともかく視界の端、霞む程度ではあるが、虫型のネクス……トランミュートとやらを見つけた。
今はフレイムがいない。つまり鉄平さんは、全力で戦えない。
戦いを殆ど経験していない俺があいつらに勝てるなんて思うほど自惚れてはいない。でも、隙を作るくらいなら俺にだって出来る筈だ。
「頼む、フィールちゃん。また力を貸してくれ……!」
かざす短剣。意識を研ぎ澄ます。熱を持った何かが刀身へ集まるのを感じた。
大丈夫だ、出来る。この娘は俺に力を貸してくれている。
そして、集まった熱を一気に解き放つ。
昨夜は分からなかったけれど、今度はちゃんと見た。
それは炎でも風でもない、光の奔流とでもいうべきもの。
圧倒的な、一瞬であらゆるものを掻き消す白い輝き。
フレイムが炎の魔剣、リヴィエールちゃんが水の魔剣なら、フィールちゃんは光の魔剣。
決壊した大河のように、迫り来るトランミュートを一瞬で呑み込む光の奔流、それは疑いようもなく致死の一撃であり。
「え……?」
だからこそ、平然と光を突っ切って走る異形に、俺は思考を止められた。
トランミュートは虫に近い体躯を有している。全身を包むのは皮膚でなく外骨格。特性もまた虫であるならば、その強度は推して知るべしだ。
だが、これは予想外だった。
じじっ、じじっ、と外骨格を光に焼かれながらも立ち止まることなく異形は襲い掛かる。
何故か、川を上る鮭が想起された。圧倒的な流れに逆らい、トランミュートは直ぐ傍まで接近して。
「あ」
だめだ、死んだ。
俺は一瞬でそれを理解した。繰り出した攻撃はなんてことのない、ただ手を伸ばすだけの動作。でも防げない。避けれない。防御回避反撃どころか身じろぎさえ間に合わない。
何もできない。何もできないまま、俺はここで死ぬ。
その未来が一瞬で脳裏に浮かぶほど、俺とトランミュートには絶対的な格差があった。
だから俺はここで死ぬ。
めきぃ、と鈍い音が響いた。
しかし確定された想像の死は訪れない。
致死の未来よりも早く、鉄平さんの上段蹴りがトランミュートの顔面に叩き込まれたからだ。
吹き飛ばすには足らない、それでも怯ませるには十分。
蹴りで体勢が崩れた瞬間、ぐっと腰を落し、右足を滑らせるように踏み込み、同時に肘打。
どんっ、という音が響くと共に、異形は今度こそ吹き飛ばされた。
俺は、心底驚いている。トランミュートを吹き飛ばしたことにじゃない。鉄平さんの動きそのものに驚愕した。
一部の乱れもない滑らかな体の連動。素人目にも分かる、あれは一朝一夕で身に付くような代物じゃない。あれだけの動きを習得する為に、あの人はどれほどの修練を積んだのか。
「まあ、負けん気が強いってのは買うし、俺を心配してくれるのもありがたいがな。ちと相手が悪すぎる。正直、二度目の襲撃でこんなやつらが来るなんて俺も予想外だった」
鉄平さんは、しゃしゃり出ておいて何の役にも立たなかった俺を責めない。
それどころか慰めるように、穏やかな声で語り掛けてくれる。その気遣いが今は痛かった。
心底、情けない。
援護するつもりが庇われた。
その上、二匹の異形は距離を取って、鉄平さんを警戒しながらも俺の方を眺めている。
どんな戦いでも、相手の穴、弱点を突くのは当然の戦略。
つまり俺は、アガベアスールの最高傑作たる魔剣フィールを持ちながら、魔剣を持たない鉄平さん以下と判断された。
戦力ではなく、鉄平さんの弱点だと見做されたんだ。
「しかしこいつを……ロジェの仇をお前が使うとはな」
思わず零れた呟きだったのだろう。
疲れたようなため息交じりの言葉は、リヴィエールちゃんへ語り掛けるというよりも独白に近い。
しかしその独白が心の中の大切な部分に触れたのか、リヴィエールちゃんは感情を露わにして鉄平さんを睨み付ける。
「今の私はゲインの一員。私情は捨て去って当然でしょう。それに……」
鋭く冷たい氷の視線。俺に向けられた訳でもないのに背筋が凍えた。
「間違えないでください。ロジェの仇はあなたです。あなたが、ロジェを」
しかし言葉は途中で中断される。
邪魔をするように火球が彼女を襲ったからだ。
燃え盛る炎がリヴィエールちゃんに迫る。それに合わせて、彼女はすっと手を振りかざした。あの服装だと当然腋丸出し。すると大量の水がいきなり現れ、火球を包み込むようにうねりを上げる。
響いた音は、小さな爆発のようだ。
火は掻き消え、水は蒸発して消えてしまう。まさに一瞬。瞬きの間のことだった。
「すご……」
俺は思わず声を出してしまう。
成程、水属性の最高位というのは伊達じゃない。まさか手を振るうだけであんなことが出来るなんて。
でも火球の方も相当のものだった。
「これは」
火は防いだけれど、リヴィエールちゃんは随分と驚いている。
そうして彼女は火球が放たれた方を睨み付けた。
「悪いけど、言わせないわ」
現れたのは、腰まで届く髪をポニーテールに纏めた褐色の少女だった。
アーモンド形のぱっちりとした瞳は、今は細められ、射抜くようにリヴィエールちゃんを見詰めている。
「フレイムたん……なんでここに」
「買い物途中で帰ってきたの。父さんが心配だったから」
答えながらも視線は鉄平さんではなくリヴィエールちゃんに向けられたまま。悲しそうな、寂しそうな。得も言われぬ感情に瞳は揺れていた。
「どうやら間に合ったようですね」
いつの間にか俺の隣には雪原の少女がいた。真面目そうな顔してるけど口の端にケチャップと赤いライスが数粒ついている。オムライス食べてきたなこいつ。でも指摘はしなかった。だってその方が面白そうだから。
「あの、カルディアさん。口の」
「ありがと、カルディア。来てくれたんだな」
「貴方はフィールの父。私達の希望なのです。この身に代えても守りたいと思っていますよ」
何気ない口調、真摯な態度。嘘ではないと思う。なのに、彼女の笑顔はどこか信用しきれない暗さがある。
でも今はそれを追及するよりも二人の魔剣の方が気になる。俺は再度フレイム達に視線を戻した。
「久しぶり、リヴィ。元気してた?」
「はい。フレイムも元気そうでなによりです」
沈黙が横たわる。見た目には二人とも可愛らしい少女なのに、間に流れる空気に柔らかさはなかった。
「譲れない、わよね?」
「勿論。貴女は?」
「ごめん、無理そう」
「でしょうね」
くすりと小さく笑い合う。
力のない、落ちる線香花火のような、零れ落ちる水滴のような、ひどく弱々しい笑みだった。
「お互い不器用ね」
「ええ。ですが、少しだけ安心しました。貴女が変わっていなくて」
「それはあたしも。リヴィが相変わらずで嬉しい」
旧知の仲なのだろう。そこには隠しきれない親愛があって、でも同時に諦観もある。
フレイムとリヴィエールちゃんは友人同士なのか。ああいや、フレイムも前回「四霊剣が一つ、紅焔の魔剣」と名乗っていた。
つまり彼女達は姉妹に当たる筈だ。なのにお決まりの「なんでアンタがそっち側に!」とか「戻ってきて!」とか「貴女とは闘いたくないです」みたいな遣り取りはなかった。
二人とも知っているんだ、そんなことに意味がないって。
二人の立場は明確。お互いに譲る気はない。千の言葉を交わしても二人の立ち位置は変わらず、変えられない。
闘う以外に、道は残されていなかった。
「父さん、あいつを倒すんでしょ」
もう語ることはないのか、フレイムは鉄平さんの方へ向き直る。
「ああ、まあな」
「なら、ささっと片付けよう」
「……いいのか」
姉妹と敵対しても。
言外に匂わせた意味。しかしフレイムは鼻で笑った。
「当たり前でしょ? あたしは父さんの剣。貴方の行く先に立ち塞がる一切のものを焼き尽くす業炎。四霊剣が一つ、紅焔の魔剣フレイムよ」
あまりにも力強い言葉。動揺は微塵もない。
信頼か、愛情か。燃え盛るような想いに焼かれてしまいそうだ。
なるほど、紅焔の魔剣とは言い得て妙だ。
炎と見紛うほどの心で、使い手の道を切り開く。彼女は確かに炎の剣だった。
「はぁ、なんだよ。いろいろ考えてた俺が馬鹿みたいだ」
鉄平さんはやれやれと溜息を吐いた。
といっても表情はにやけている。二人の間にある空気は、まさしく親娘の気安さだ。
「ほんと、馬鹿なんだから。気遣ってくれるのは嬉しいけど、そのせいで父さんが傷付くならあたしにはそっちの方が痛いよ」
「お前、いい娘だなぁ」
言いながら優しく頭を撫でる。気持ちよさそうに大きなアーモンド形の瞳を細めるフレイム。和やかな空気、しかし一転、周囲を焼き尽くす程の闘志が鉄平さんの目に宿った。
「かなた、まだお前は経験が浅いんだ。まずは俺の戦いを見ておいてくれ。俺だって、結構やるからよ」
「鉄平さん……」
気遣うような言葉。背中からは絶対の自信。
リヴィエールちゃんは言った。「貴方を打ち倒したネクス」だと。
その言葉が事実ならば、過去に鉄平さんはトランミュートに敗北している。
それでも気配が揺らぐことはない。
怯えも躊躇いもなく、何の気負いもなく、鉄平さんは一歩を踏み出す。
「行くぞ、フレイムたん」
「ええ」
燃え盛る炎がフレイムの体を包み、彼女は炎を模った剣へと姿を変える。
そして二人は強大な敵へと一直線に駆け出した。
◆
生きとし生けるものは全て たおやかである
硬直したものは砕けやすく、力強いものは転げ落ちる。
昔本で読んだ言葉だ。誰のものだったかは忘れたけど、そんなことはどうでもいい。だって目の前の光景が、その言葉が事実だって教えてくれている
「オォォォ!」
二メートルを超えるトランミュートが放つ拳は、唸りが聞こえる程。掠っただけでも肉を裂くだろうと思わせる剛撃だ。
でも当たらない。
踏み込み、体を捌き、目測を狂わせる。
右足を軸に小さく体を回し透かす。
動作としてはゆっくりで、柔らかく、なのに当たらない。風に揺られる柳のように、たおやかな所作で異形の攻撃をやり過ごしてしまっている。
「まさか、こんな」
それはリヴィエールちゃんにとっても意外だったのか、呆然と眺めている。
その間にも苛烈な戦闘は続く。
二匹のトランミュートを相手取りながら、鉄平さんは相手に掠らせもしない。
俺に退がれって言う筈だ。素人の援護なんて必要ない、邪魔になるだけ。そもそも、こんな尋常ではない戦闘に俺が入り込む余地なんてどこにもなかった。
「らぁっ!」
裂帛の気合と共に振るわれる剣。一匹目の異形の懐に入り、横薙ぎ一閃。ぎしり、と嫌な音が鳴った。
しかし止まらない。既に意識は迫り来る二匹目へと向けられている。振り返りざまに切り上げて炎の斬撃を飛ばし、更に踏み込んで袈裟掛け。
鉄平さんの剣は確実にネクスの甲皮を切り裂いていく。
それでも、優勢とは言い難い。
「硬ぇ……」
一方的な戦いにはならない。
強い弱いは分からないけど、技術なら鉄平さんの方が上だ。
だけど、技術で勝っていても、他が圧倒的に劣っている。基本的に相手の方が速く、パワーがあり、何より硬い。
フィールちゃんの放った光の奔流を耐え切るような相手だ、その頑強さは折り紙つき。何度も斬り付けているのに、断ち切れない。つまりは実力差ではなく生物としての格差である。
そういう相手と、剣技と炎を駆使して鉄平さんは渡り合っている。異世界の勇者というのは伊達じゃないらしい。この人は本当に、非現実的な、ファンタジーな勇者様だ。
「ォアッ」
短い奇妙な鳴き声と共に、トランミュートの口からなにやら黄土色の液体が吐き出される。
寸での所で鉄平さんが躱せば、地面に落ちた液体からはジュゥと蒸気が立ち昇る。
粘性の高い酸。そういえば、ワンクとかいう外国の虫は酸を吐くと聞いたことがある。勇者様だけじゃなく、虫に似た外見も伊達じゃない。こいつにも似たような機能があるらしい。
「っと、やべっ」
回避し、若干体勢を崩したところにもう一匹が接近し、繰り出される爪撃。鉤爪を思わせるトランミュートの一撃が鉄平さんを切り裂こうと繰り出される。
咄嗟にフレイムを盾にするも、相手の方が膂力は上。防いだはずなのに鉄平さんの体は宙に浮き、吹き飛ばされる。
その隙は逃さない。更にトランミュートは追撃、宙に浮き身動きの取れない鉄平さんへ向かい爪を振り下した。
「ん、なろっ!」
二撃目を受けるようなことはしない。
体をねじり、敵の体を蹴り、その反動で大きく後ろへ飛んで距離を取る。
当然、蹴り程度ではダメージはない。トランミュートはあまりに頑丈で、既に何度も斬り付けているというのに問題なく動き続けている。
痛みさえ感じていないのか、その動きは最初から全然鈍っていない。逃げられはしたが、命に至る決定的な打撃は与えられず、戦闘は千日手に似た状況へと陥っていた。
「あー、やっぱ強え。……だが、こっちも結構強くなったつもりだぜ?」
視線はトランミュートから逸らさないまま、鉄平さんが呟く。
それを冷めた様子でリヴィエールちゃんは眺めていた。違う、あれは見定めようとしているのか。細まった目は値踏みするように鉄平さんを捉えている。
「かなたっ!」
何もできず立ち止まっている俺へ呼びかけ、鉄平さんは魔剣フレイムの切っ先をトランミュートへと突き付けた。
「目を逸らすなよ。これが魔剣の力、その一端だ」
力強い言葉にフレイムの刀身が燃え盛る。
炎は次第に大きくなり、あまりの熱に空気は揺らめき。
その中で、にやりと鉄平さんが口の端を釣り上げる。
そして手にした炎の剣とは対照的に、余りにも静かな調子で言ってのけた。
「見せてやろう、“ポニーテール”の力をな」
* * *
『ポニーテール』
フレイムの髪型であるポニーテールは今でこそ女性のヘアスタイルとして確立されている。しかし古来日本では男、それも武士階級にのみ許された髪型だった。
古い時代、ポニーテールは一つ結い髪と呼称されていた。
後頭部の上で結われる一つ結い髪は自然と首の辺りを曝け出すことになる。その為戦場で打ち倒され首を斬り落とされる際、髪が邪魔にならない分切り口は綺麗になる。
つまりポニーテールは元々武士が己の死に様を汚さないために考案されたものだった。
そこに在るのはたとえ死しても無様は晒すまいという武士の心意気と常在戦場の覚悟。
即ちポニーテールとは死を前にして尚も猛る戦人の心そのものだった。
全部嘘である。
「魔剣の力は外見に左右される。可愛いは正義。可愛いは力。可愛いはあらゆる存在を凌駕する。可愛ければ可愛いほど、魔剣の力は強くなる。そして魔剣の形状やスキルも同じく外見に左右されるんだ」
呆然とする吾妻かなたへ、木崎鉄平は抑揚なく淡々と語る。
魔剣を扱う者、その先達として無様な姿は見せない。
先を往くものは、続くものの確固たる規範とならねばならない。
故に怯まず、ただ己の背中を見せる。
「そしてこれがポニーテールの力」
ポニーテール。
フレイムは幼い頃からポニーテールだった。ポニーテールに助けられ、ポニーテールと共に生きてきた。
彼女がポニーテールを選んだのか。
それともポニーテールが彼女を選んだのか。
本当の所は誰も知らず、そして知る必要もない。
大事なのは偶然か必然かではない。
彼女が生きてきた長く短い時間、ポニーテールを貫いたことこそが肝要。
ただの髪型だった筈のポニーテールは次第にトレードマークとなり、長い時間をかけ彼女の半身に、そしていつしか彼女そのものになった。
ならばこそ、フレイムのポニーテールは美しい。
積み重ねた確かな想いがあるこそ、それは見る者の心を打つ。
そうだ、ポニーテールはただの髪型ではない。
揺らがず、退かず。
其処から食み出ることなく守り続け、貫くもの。
───即ちポニーテールとは魂の在り方だ。
「猛り狂えポニィィィィィィィィィィティィィィィィルっ!!」
咆哮と共に振るわれる剣戟は縦横無尽に駆け回る。
紅焔の魔剣フレイム。
馬の尻尾のように長く美しい、鞭のような刀身。フレイムは蛇腹剣と呼ばれる形状へと変化した。
否。
彼女はポニーテールになったのだ。
「おぉぉぉぉぉぉぉ!」
雄叫びと共に暴れ狂う、燃え盛る刃。
女は魔力を帯びやすい存在。
ならば女性としての要素が顕著であればある程、魔力が高まるのは当然の真理。
故におっぱいが大きければ大きいほど、魔力もまた大きくなる。
しかし勘違いしてはいけない。
女性の魅力はおっぱいの大きさで計るものではない。
同じように、戦闘は魔力の大きさでやるものではない。
おっぱいがジェネレーターならポニーテールはブースター。
魔力に指向性を与え加速させるのがポニーテール。縦横無尽に空間を切り裂く刀身はそれこそ蛇のようだ。不規則に、しかし確実にトランミュートへと牙をむく。
二匹の異形は視認するのも難しいほどの速度で回避に移るが、それも無意味。
既に逃げ道は刀身によって阻まれている。
ポニーテールが揺れる。翻る。
そして燃え盛る刃は、最初からそうなることが決定されていたかのように、彼の敵を捉えた。
* * *
「猛り狂えポニィィィィィィィィィィティィィィィィルっ!!」
燃え盛る蛇腹剣が異形を襲う。
炎の鞭は甲皮に食い込み、肉を焦がし、骨を断つ。その一振りは丸太のように太いトランミュートの腕を簡単に斬り落としていた。
それでも、異形は止まらない。痛覚が無いのが、一瞬たりとも動揺を見せず反撃のを繰り出す。
翻る刀身。
進撃を予測していたかのように、切っ先は再び敵の硬皮を貫き、炎が内側から燃やす。
これが魔剣の力。
俺とは全く違う、魔剣の使い方。
「鉄平さん……凄え。こんなの滅多に見られないぞ」
「そうだね。日曜日の公園でポニーテールとか叫びながら暴れ回る三十代後半の男の人なんて滅多に見られないね」
美月も圧倒的な迫力に動揺しているのか、何処か疲れたような表情で頬をひきつらせている。それだけ鉄平さんの、ポニーテールの力は尋常じゃなかった。
「カナタ」
鉄平さんの優勢を確認したカルディアが、俺達二人に声を掛ける。
そこで俺はようやく、止まっていた再度思考を動かし始める。
鉄平さんなら大丈夫。俺達も、そろそろ動き始めないといけない。
「ああ」
「では、ここはテッペイに任せて行きましょうか」
「……そうだな。これ以上の足手まといはごめんだ」
カルディアの言葉に、顔を合わせてこくりと頷き合う。会ってからあんまり時間は経ってないけど、こういう時にカルディアの存在は有難い。俺の心情を分かってはくれないけれど、俺の考えは一瞬で悟ってくれる。
「あの化け物達は木崎さんが何とかしてくれそうだけど?」
不思議そうな顔をする美月。ふぅ、と溜息を吐いたカルディアの目は凄く冷たい。完全に馬鹿にしている目だった。
「美月、行きながら説明するよ。まずはここを出よう。カルディア」
「ええ。此処から何処へ?」
「近くに戻川がある、その土手へ行こう。あそこなら開けてるから視界もいい」
「分かりました」
俺達はネクスの相手を鉄平さんに任せ、こそこそと逃げ出す。リヴィエールちゃんがそれを見ていたけど、追ってくる様子はない。
だから俺は小さく呟いた。
「やばいな、これ……」
何とか切り抜けられればいいんだけど。不安を隠し、俺達はみさき公園を後にした。
◆
「で、何で逃げる必要があるの?」
走りながら美月が問い掛けてくる。俺は前を見たまま早口で答えた。
「昨日オグドは俺達からフィールちゃんを奪えず逃げた。鉄平さんとカルディアがいたからだ。その情報を持ち帰ってるから、今回のネクスは昨日のより強い奴になってた。だけど」
俺の言葉を継いで、今度はカルディアが話し始める。
「それでもテッペイを倒せる程ではなかった。もっとも、リヴィエールにとっても予想外だったのでしょうが」
「ああ、あの反応を見るに間違いない。そんで、ヤバいのはそれでも問題ないってところだ」
だって彼女は、援護も何もしなかった。
その上俺達が逃げるのを見逃した。
つまりトランミュートはフィールちゃんを奪う為の戦力じゃない。あれは最初から鉄平さんを抑える為のものだ。
「リヴィエールちゃん自体が最初から囮だったんだと思う。昔の知り合いみたいだし、鉄平さんに当てて動揺を誘えれば儲けもんてところだろうな」
それにしたって、囮に今使える最大戦力をぶつけてくる辺り、リヴィエールちゃんは案外思い切りのいい性格をしている。
鉄平さんを高く評価しているのか、或いは怨みが強いせいなのかは、俺には分からないが。
「それが正しいでしょう。だとすれば」
「鉄平さんを抑えている間に俺を襲いフィールを奪い取る。その為の『次の手』が絶対にある」
そして次の一手は、間違いなく鉄平さんが身動きの取れない状況に陥った瞬間投入される。
俺とカルディアを一気に仕留め、フィールちゃんを奪い、動揺した鉄平さんの隙を突く。
そういうタイミングを相手は狙ってくる。
「ならば、私達はテッペイの傍にいない方がいいのです。彼に隙を作らない為にも、今後の為にも」
「そうだな。ゲインの次の手を俺達だけで切り抜ければ、『鉄平さんがいなくてもフィールちゃんを奪うのは困難だ』って強く印象付けることが出来る。ちょっとしたことだけど、こういうのは後々響いてくる」
勿論それは勝てればの話。
美月には言えないけど、もしもトランミュートレベルのネクスが襲ってくるなら、俺達には止められない。
だから俺とカルディアの選択は、無謀と言えば無謀だろう。
だけど鉄平さんから離れたのは、博打でもなんでもない。
どっちにしてもあのレベルが来たら殺される。ならば、せめて離れた所で殺されて、鉄平さんを動揺させない方がいい。
おそらくカルディアも同じ思惑であの場を離れた。
彼女は、それだけの覚悟を持って此処に居るのだ。
「だから此処は俺達だけで切り抜ける」
「今後の為にも絶対に、ですね」
なんというか、不覚にもカルディアと俺は息がぴったりだった。こんな胡散臭い女なのに。
まあいい。今は取り敢えず走り抜ける。
走って走って、とにかく走って。
辿り着いた俺の高校の近くを流れる戻川。その土手で俺達は足を止める。
「来ますよ」
「分かってる」
カルディアと背中合わせになり、俺はフィールちゃんを構えた。
一度深呼吸、襲撃に備え周囲を警戒する。
「カルディア、お前も戦えるんだよな」
「勿論です」
「じゃ、フォローしてくれよ。俺、素人なんだから」
ぐおん、また空間が歪む。
そうして俺達の前に姿を現したのはネクス。
犬のような姿をした、数匹の緑色の異形だった
何の経験もない高校生が、殺されることを当たり前のように受け入れる。
その思考が異常だということに、最後まで気付けなかった。




