21話
悪夢を見た後は、眠れなかったらしい。気づけば、ベッドの上に座っていて夜は明けていた。部屋が明るくなったのにも気づかなかった。どうやらまた一日が始まるらしい。
(このままこうしていれば、時が流してくれるだろうか。何もなかったように過ぎてくれるだろうか?)
でもそれは都合の良い願望でしかない。この部屋の外では、眞幌に関係なく今日も時間が過ぎていく。過ぎては行くが、あったことをなかったことには出来ない。瑛と有紗の関係も、眞幌と瑛の関係も。眞幌は眠れないベッドに倒れ込んだ。うつぶせに枕を抱え、ぼんやり思う。
(このまま眠って、二度と目覚めなければいいのに)
嫌なことから逃れたかった。もう考えたくなかった。
(死んだら楽になるかな)
ふと、崇埜の面影がよぎった。崇埜も死の直前まで、自分の気持ちに苦しんだのだろうか。自殺だったとしても事故だったとしても、その直前まで考えていたのは眞幌のことだったはずだ。自分はどんなにか、崇埜に酷いことをしたんだろうと思う。今更ながら眞幌は悔やんだ。
(崇埜、俺が側に行ったらまた友達になってくれるかな)
ぼんやりと眞幌は考えた。
「社長、どうするんです?」
そのころ社長室では瑛のマネージャーの梶が桜井に問いかけていた。瑛をマスコミが押しかけているマンションに返すことが出来なくて、眞幌とはフロアが違う部屋に押し込んだのは明け方だった。姿が見えない瑛を捜せば、眞幌が居る部屋の前で座り込んだまま、身動きもしなかった。
今の状況を説明してもひと言も声を出さないし、表情も動かない。もっと言えば、心ここにあらず。瑛の心はどこかへ行ってしまったようだった。
桜井から事情を聞けば、梶も頭が痛かった。出会ってからの二人を知っているだけに、梶もドライには割り切れない。だがこれは二人の心の問題で、周りがどうにかしてやれないし、眞幌達親子の関係もまた、他人が口出しできることではない。
「様子を見る……という消極的な行動しか取れないな」
桜井も苦い顔で呟いた。
「人間て言うのは一人で生きていくもんじゃない、どういう関係であれ、生まれたときには親という者が居て、生きていくうちに誰かと関わりを持たずには居られない。そこには何かしらの感情も生まれる。全てのものに対して無関心ではいられない。好意であれ、憎しみであれ、そこには何か存在するんだ。そして、ずっと同じ感情で居られるのもまた難しい。感情は変化するからな。憎しみから好意へ。好意から憎しみへも……一瞬で変わることだってある」
桜井も今まで、やっかいな人間の感情に振り回されてきた自覚がある。
「あの二人……大丈夫でしょうか」
梶が心配そうに尋ねた。梶にとっては瑛のことをもっとも優先に考えなければならないが、梶は眞幌も気に入っている。眞幌はあまり感情を表に出さない性格だが、内面はとても優しいし、何よりもあの瑛が初めて好きになって大切にしてきた人間だ。こんな事で二人とも駄目になって欲しくはない。
それは梶の個人的な感情。そして、梶は現在二人のマネージャーだ。このまま放ってはおけなかった。そろそろ仕事にも影響が出る頃だし、こんな事を間違ってもマスコミには嗅ぎつけられたくない。もっとも、有紗だって同じはずだが。
「どうしますか?」
全ての意味を込めて梶が尋ねると、
「高祭有紗の方は私が何とかしよう。彼女だって事を荒立てたくはないだろう。ひょっとしたら彼女にとっても不可抗力だったかも知れないしな」
「二人は……」
「瑛には仕事をさせろ。時期が時期だから休んでる暇なんてないはずだ。ただし……映画関係の仕事はしばらく様子を見る。取材は全部キャンセル。撮影は少し延期にして貰おう。現場だって収集付かないだろうし、広報にも責任はある。下手な小細工しやがって」
桜井は映画関係者がわざと瑛と有紗の噂を流したのを知っている。この世界ではよくあることだが、それがとんでもない事実だったのだ。噂ではなく、事実だったこと。
「よく調べもしないで、こっちに相談もなくやるからこんな事になるんだ」
こちらに事前に相談があったら、桜井は絶対に止めていた。噂にするつもりが写真まで実在し、しかも誰にも言えない裏の事情まである。
(せめてあの証拠写真さえなければ)
眞幌に取り繕うことくらい出来たかも知れないのに。そう思って桜井は気づく。
(まさか、あの写真……)
彼女ならワザと撮らせることも出来る。何が目的だったかなど、今更知りたくもないが。
「瑛には歌の仕事の再開を……眞幌は、しばらく無理だろうな」
梶にそう言って、桜井は深く息を吐いた。
瑛の仕事はさっぱりだった。とりあえず、映画の残りの撮影は延期したものの、スケジュールに入っていた歌番組の収録に連れて行けばずっと上の空で、司会者やスタッフとはかみ合わないやりとり。歌わせれば、今までにないほど不調で、とてもプロとは言えない歌だった。現場も今回の騒動のことを知っており、もちろん裏にどれだけの事情があるのかは知らないが、瑛のショックはそのせいだと思われたようだ。
「梶さんも大変ですよね」
年上の共演女優との醜聞でかなり搾られたと思われたらしい。そんなことくらいでどうにかなるような瑛ではないのだが、梶もここでは勝手に想像させておく。
「それともあれかな」
無責任な部外者は勝手な想像をする。
「けっこう本気で……だから悩んじゃったりしてるんでしょうかねぇ」
どちらにしろ梶は同情された。一筋縄ではいかない瑛のことは誰でも知っている。その瑛がこれほど落ち込んでいるということは、相当大変なことになっていると思われているらしい。それでもまさか、その噂の相手の息子が瑛の相手で、親子の複雑な事情に巻き込まれているとは誰も思わない。
有紗も眞幌のことを隠しておきたいのは当然だし、第一本人が認めない限りあの二人が親子などと言われても誰も信じないはずだ。
「たった15歳と10ヶ月しか違わない親子……」
そこにどんな事情があったのか知らないが、世間の常識では計り知れない事実だ。
「堕ろしてしまったほうが簡単だったはずだ」
不謹慎だが梶は不思議に思っていた。有紗はなぜ眞幌を産んだのだろう。色々な意味で危険だったはずだ。しかも自分で育てる気ははじめからなかったらしい。
(なぜ産んだんだ)
眞幌でなくとも疑問に思う。
「当事者の眞幌さんなら」
なおさら疑問は大きく、心の傷も大きいはずだ。
「酷い話だ」
梶は当然、眞幌と瑛の側に立って二人の気持ちを考えている。二人にとっては最悪で、特に眞幌にとっては耐え難い話だと言うことは梶にもわかる。
「瑛くんは本気なんですよ。 眞幌さんにもそれだけはわかって欲しいけど」
今の眞幌には何を言っても無駄かも知れないと、梶はため息を吐いた。
このままでいいはずがない。仕事にも身が入らなくて、歌えなくて初めて音に合わせる、などという屈辱を演じた。いわゆる『口パク』と言うやつである。風邪を引いたってそんな真似はしたことなかったのに、なにしろ声が出なかったのだ。風邪を引いたときより酷い。
睡眠不足と、精神的なものだろう。なにしろ参っている上に、曲は眞幌が作ったものだ。平静で歌えない。出来れば仕事自体をキャンセルしたかったのだが、梶が……と言うより桜井が許してくれなかった。
瑛は三日ぶりにシャワーを浴びて、髭を剃って部屋の外へ出た。人間らしい行動を取ったのが三日ぶりと言うことだ。たぶん桜井はこのまま仕事を休んでも、瑛にとっていいことはないと踏んだのかも知れない。梶に聞いたら眞幌はまだ部屋に閉じこもったままらしい。
「あいつ、メシとか……喰ってるのかな」
ぽつりと言った瑛の言葉に、
「大丈夫ですよ、社長がちゃんと見張ってますから」
梶が励ますように言った。
「そうか」
そこでまたおとなしくなってしまう瑛が梶には不憫だった。
(こんな瑛くんは初めてですね)
誰に対しても、もちろん梶や社長の桜井に対してさえ弱腰で出たことのない瑛だ。現場でも瑛の意気消沈ぶりは奇異に映って変な注目を浴びていたし、事実を知る梶にとっては痛々しいことこの上ない。当の瑛に至っては周りのそんな態度さえ気づけない状態で、眞幌の心配をしつつも自分で確かめられないほど弱気になっている。
前代未聞の珍事だが、もちろん当事者達は笑うどころではない。取材は全部キャンセル。持ち上がりかけていたライブの企画もとりあえず先延ばしした。やっとの思いで出た、生の歌番組は酷い有様だったもののどうにかこなし、翌々日最後のひとつだった収録も、あり得ないほどNGを出しながら終わらせた。
りあえず入っていたスケジュールでキャンセルできないものは全て終わらせて、瑛はつかの間のオフに入った。だが後四日でまた撮影に戻らなければならない。ロケが全部済んでいたのが幸いだが、スタジオで後三日は残りの撮影が必要だろう。もちろん有紗との絡みだ。せめてもの救いはベッドシーンだとか、キスシーンが残っていない事で、
「今更やれっていっても無理だし」
ベッドに横になって天井を睨んだまま『嘯いても虚しい』とはこのことで、それでも瑛には撮影に戻ることを考えると、胃が痛くなる思いだった。さすがに食欲もない。
「眞幌、どーしてっかな」
自分が居るのは三階だが、五階の部屋に眞幌は居るはずだった。眞幌の部屋の前で蹲っているところを梶に引きずられてこの部屋に放り込まれて以来、仕事以外では外へも出ないし、眞幌の部屋にも行ってない。
「少し気分でも変えるか」
ここへ来て初めて、瑛は自分の意志で部屋を出た。




