18話
「大変な騒ぎだったな」
「冗談じゃありませんよ、知ってたんですか?久しぶりに俺、ブチギレちゃいましたよっ!」
冷静になったつもりが、思い出すとまた煮えくりかえってくる。
「私も驚いて、さっき抗議したよ。あれはやり過ぎだ」
冷静な桜井に少し苛ついてきた瑛は本題に入った。
「それで眞幌は?」
「下の階にいる」
「下?」
「寮だよ。空きがあったんでね」
ホテル代わりに泊まれる部屋は通称『寮』と呼ばれていた。新人で、教育もかねてしばらくそこで暮らす人間もいたし、徹夜で一日、もしくは数日泊まり込むスタッフもいた。作りはウィークリーマンションのような感じで、十部屋ほど下の階に並んでいる。
瑛も以前、今のセキュリティーがしっかりしているマンションに越す前、ストーカーのようにしつこいファンに追いかけ回され、ここへ逃げ込んだことがある。あのときは三週間ほど暮らした。キッチン、家具付きで生活に困らないし、けっこう居心地のいい部屋だ。
「なんでまた……」
「しばらくマスコミがうるさいようだから、呼ぶつもりではいたんだ。いま眞幌のことで騒がれたくはないからね」
それはもちろんそうだ。この上眞幌のことまで突っつかれたら、たまったもんじゃない。
「だが、困ったことがおきてね」
「なんですか」
瑛が聞き返す。この上困ったこととはなんだ。瑛は自分の蒔いた種も忘れて尋ねた。
「瑛とは会いたくないと言っている」
「ちょっと待ってくださいっ、あれには訳が……」
「わかってるよ」
桜井がちょっと考えるように言った。
「私がきちんと説明しなかったのが悪かったのか……だが、まぁここから先はおまえたちの問題だ。まずは話してみることだ。眞幌にその気があれば……だが」
「ちょっと、どういう事ですか」
「すぐには無理かもしれん」
「なんだかわからない」
言いながら早くも部屋を出て行こうとする瑛を桜井が引き留めた。
「事を急ぐなよ。おまえにも責任はあるんだ」
「だから、なんなんです。謝りますよ。でもあれは眞幌とこうなる前の話で……」
「問題はそんな単純じゃない」
謎のような桜井の言葉を背に聞きながら、瑛は歩き出していた。
『問題はそんな単純じゃない』
そう言った桜井の言葉が重くのしかかってきたのは、そのすぐ後だった。眞幌が居る部屋の前に立ち、何度呼びかけても眞幌は出てこなかった。部屋には鍵がかかっている。それでも根気よく呼びかけているとひと言、
「会いたくない」と言われてしまった。
「眞幌、誤解だって。彼女と関係があったのは、おまえとこうなる前なんだよ。おまえと付き合ってからは、絶対に何もしてない」
必死になってドアのこちら側から瑛は訴えた。再び沈黙してしまう眞幌にさらに不安は募る。
「とにかく開けてくれよ。ちゃんと説明するから」
その言葉に、すぐにドアの向こう側に眞幌が立った気配がした。
「眞幌、開けて……」
「寝たんだな」
「え……」
「彼女と寝たんだよな」
「だからそれは……」
「いつだったかなんて問題じゃないんだっ。寝たんだろうっ!」
眞幌の剣幕にドアを挟んで瑛は固まった。
「言えよっ、はっきり言えよっ!」
「ドア……開けてくれよ」
瑛はそれだけを言った。なんで部屋の外と中で、ドアを挟んで会話しなければならないのか。
「いくらでも謝るから、ここ、開けてくれよ」
瑛は訳のわからない不安に襲われてそう繰り返した。
「言えよ」
けれど眞幌も同じ言葉を要求した。瑛は一瞬呼吸を止めた後、思い切って吐き出すように答えた。
「寝た」
「…………」
そのあと、怖いくらいの沈黙があった。
「まほ……」
「おまえは最低な奴だ」
その言葉を最後に、眞幌は沈黙した。
眞幌は部屋から出ずに過ごしていた。何もする気は起きない。正直、頭の中も空っぽだった。昨日の騒動がすでに遠いことのようだ。自分の頭が考えることを拒否しているからかも知れない。食事も水もほとんど喉を通らなくて、眠っても居ない。自分でもどうなっているのかわからなかった。昨日の夜、瑛が来たときも追い返したことはわかったが、どんな会話をしたのかよく覚えていなかった。
今朝、桜井が食事を買ってきてくれた。
「食べなさい」
そう言ってコンビニでそろえたらしい、簡単食は、眞幌の状態を思っていろいろな種類があった。
「ご迷惑かけてすみません」
眞幌は桜井に素直にそう言った。自分のわがままでしかない。
「いや、私にも責任がない訳じゃない。瑛に好き勝ってさせていたのは本当だからな」
「本当は……俺に怒る権利なんてないんです」
「まぁいい」
そう言って出て行った桜井が再び戻ってきたのはまだ昼前だった。
「眞幌、君にお客さんだ」
「誰です」
「君に了承をとってからと言ったのだが、会わせろと聞かなくてね。 私には断る権利がないものだから」
困ったようにそう告げた桜井の後ろから強引に現れたのは、眞幌がもっとも会いたくない人物だった。
「あんた……」
眞幌は絶句した。
「今の瑛の相手がどんな人間なのか、会いたいと思っていたんだけど、まさか……ね」
笑いながらそう言ったのは、瑛の噂の相手の有紗だった。
「瑛に聞いたのか」
眞幌は睨み付けながら聞いた。
「いいえ、調べたのよ」
「まさか、あんた」
有紗は綺麗だった。ぞっとするくらい綺麗で、眞幌には悪魔のように思えた。
「私から瑛を奪うなんてね。瑛は今まで誰かに本気になる事なんてなかったのよ。私もそれで安心していたのかしら?瑛が誰かのものになるなんて思ってなかった。いままではどうしても瑛が欲しいわけじゃなかった。なのに離れていこうとするから惜しくなっちゃったわ。それにしても……まさか男に走るとは思わなかった」
「うるさい」
眞幌は有紗の言葉を遮った。聞きたくない。こんな女の言葉なんか。有紗はしげしげと眞幌を見た。品定めをするように頭の先から足の先まで。
(見るな)眞幌は思った。こんな女。見られたくない、話したくない。
(汚い女だ)眞幌の有紗への思いはそれだった。眞幌のそんな思いを敏感にかぎ取ったのか、背が高く、しかもハイヒールを履いている有紗はまるで見下ろすように眞幌を一瞥して何か言った。けれど眞幌は気分が悪くなって、何も聞こえない。
(気持ち悪っ)いきなりこみ上げてきた吐き気と目眩で、立っていられなかった。
「眞幌?」
入り口の方まで下がって、二人の様子を見ていた桜井が眞幌の側に寄ってきた。
「どうした?」
「気分が…………」
やっとそれだけ言うと、眞幌の視界は真っ白になった。




