16話
「ごめんなさいね」
彼女はそう言って、今度ははっきりと微笑った。
「いえ」とまどう眞幌に、
「別に私が来たからって、今までと代わりはないのよ。今日は瑛のスタッフにあなたの曲を聴いて貰えないかと言われただけなの」
「ぁ、はい……」とにかく人見知りの激しい眞幌は、うまく話すことができない。しかも相手は大スターだ。ただでさえ人とうまく話せない眞幌はたちまち困った。そんな眞幌をロビーに誘った怜はコーヒーを差し出すと、ふわりと柔らかく笑った。
テレビで時々目にする笑顔だった。そういえば彼女はあまり笑った印象がない。女性にしては珍しいタレントかも知れなかった。
「あなたに会ってみたかったんだ」
一息ついたところで彼女は唐突に言った。
「はぁ……」
訳がわからないのでとりあえず曖昧な返事をした眞幌だったが、次の彼女の言葉で飛び上がるほど驚いてしまった。
「あの瑛がね。本気になる相手ってどんな子かと思って」
「あ、いぇ僕はそんな」
どう答えていいかわからない。どこまで瑛が彼女に話しているのかもわからない。そんな眞幌を察したのか、
「あ、気にしなくていいわよ。私はよけいなことは言わない主義だし。少なくとも今このスタジオにいる人間は大丈夫。あなた達のことをとやかく言う人間はいないから」
「は、い」
そうは言われてもやっぱり困る。なんでここに瑛がいないのかと、眞幌は途方に暮れた。そんな眞幌に
「どうやらあなたも人と話すのが苦手な人みたいね」
怜は尋ねた。
「あなたも?」
「わたしもね……苦手なのよね。瑛とだって仕事以外じゃほとんど話したことないし」
「そうなんですか?」
眞幌は意外に思って小柄な彼女を見た。彼女はいくつだったか?確か見た目よりも年齢は上だったはずだ。眞幌の母親とそういくつもは違わなかった記憶がある。それにしても、同じ芸能界にいながら、ずいぶんタイプが違う。
眞幌の母親はいかにも芸能人風な華やかな人だが、彼女はむしろ歌っている姿とは違い、地味な印象すら受ける。眞幌は彼女に好感を持った。
「あの瑛がとことん悩むなんて、あなたいいパートナーになるわね」
「そうでしょうか?」
「もちろん、いろいろあるでしょうけどね。知り合ってどのくらい?」
「まだ半年くらい……あ、でも瑛はその前に通ってくれてたみたいだけど」
「あぁそうか。瑛が無茶やって、社長が頭抱えてたときね。梶も手ぇ焼いてたわね」
「すみません」
「あなたが謝ることないわ、あなたも迷惑したんじゃないの」
「まぁ、最初は……でも結局そのおかげで今こうしているわけですし、瑛があれほど強引じゃなかったら仕事も……」
「プライベートも」
「えぇまぁ」
眞幌は赤くなった顔を見られないように俯いた。
「どちらにしてもお互いにプラスになる関係ならいいじゃないの」
「なってますか?」
「え?」
「俺、瑛の迷惑になってないかと思って。心配なんです。何もわからないし」
「不安よねぇ」
彼女は遠くを見るようにそうつぶやいた。眞幌のことと言うよりは独り言のようだった。
「そうなんです」
眞幌の言葉に現実に帰ったように彼女は言った。
「まぁ、私が思うところでは、瑛は変わったわ。いい方向に変わった。あなたのおかげだと思うけど?瑛にもそう言っておいたわ」
「本当ですか」
「えぇ」
お世辞だとか気休めだとか、彼女の言葉はそんな感じはしなかった。素直にそうなんだと受け止められた。
「瑛のために、いい曲書いてあげてね」
「はい、がんばります」
眞幌は素直にそう答えた。
「それでね、テレビで見るよりもすごく感じがいいんだよ」
映画のロケに出ていた瑛が三日ぶりに帰った日。眞幌も今日スタジオでの出会いを興奮した面持ちで瑛に告げた。
「ふ~ん、彼女と会ったんだ」
「なんか、わざわざ来てくれたらしいんだよね」
「珍しいな」
「そうらしいね。いい人だよね。いろいろ話しちゃった」
「おまえ人見知り激しいのに」
なんだか瑛は不満そうだ。
「そうなんだけどさ、なんか彼女は特別って感じで……」
「特別ってなんだよっ! 特別って、まさか彼女おまえに気がある訳じゃないよな。いや、彼女にはあの人がいるんだし」
瑛は独り言を言いながら百面相になっている。一人で何かを想定しては否定しているようだった。
「何考えてるんだよっ! 変な想像するなよ」
「だっておかしいだろっ。おまえだって人見知りなのに初対面でそんなに盛り上がるなんて」
「変な言い方するなよ。 盛り上がるってなんだよ」
気色ばんだ眞幌に拙いと思ったのか、瑛は話題を変えることにした。
「そういえばさぁ、明日映画の記者会見なんだよ」
その言葉に眞幌も機嫌を直した。
「そうか、いよいよかぁ。大変だよな。俺には縁のない仕事だけど、瑛はいろいろやってるから大変だよな」
「撮影はまだ残ってるんだけどさ。早めに会見して、宣伝効果あげたいんだろ」
「ふ~んそういうもんなんだ」
眞幌にはよくわからない世界だった。
普段眞幌はテレビなど見ない。元々施設で育ったために、自分で自由にテレビを見る習慣がなかったせいか、大人になって高埜と二人でいたときも、それほど見たいとも思わなかったし、また働く時間に追われて見る余裕もあまりなかった。
二人の部屋には最初テレビはなかったくらいだ。眞幌がテレビを嫌うもう一つの理由は突然母親の顔が映し出されたりするのが嫌だったのだ。同じ意味で、雑誌なども敬遠した。眞幌の記憶のある限りでは、直接自分は母親に会った覚えはない。
だから弁護士から名前を聞いたあとに、テレビで見た顔を知っているだけだ。他人同然で、体温も愛情も感じられないその姿に愛着などわかなかった。むしろ、知らなかった方がよかったと思ったくらいだ。
その後数度、偶然と言うよりは突然画面から現れる母親の顔に、拒否反応が起きてしまったくらいだった。それには原因もある。眞幌の母親は、施設の園長にも弁護士にも、いつでも真実は本人に話してくれてかまわないと言ったそうだ。だが、本人が会いに来ても絶対に逢わないし、他人からこのことを聞かれても否定するのでそのつもりで、と伝えてきた。
つまり息子に真実を隠すつもりはないが、世間に公表する気はないのでそのつもりで、ということだ。その言葉を聞いたときに眞幌は表情を変えなかったが、心の中で何かがひび割れたような感じがした。隠したいなら、名乗ってなど欲しくはなかった。
捨てるならちゃんと捨てればいいのに、と不快感しか感じなかった。母親の存在が迷惑だとさえ思った。向こうもこちらが迷惑なのだろうが、それならなぜ生んだのか。その疑問は残った。
瑛とつきあいだして、瑛の出ている番組は眞幌も見るようにしていた。歌番組なら大丈夫だろうと思ったのだ。仕事関係で母親のことを知っているのは桜井だけだ。瑛にもそろそろちゃんと話さないといけないと思う。どこで眞幌の母親と出会うかわからない。そう思いながら時計を見て、テレビをつけた。
ワイドショーの時間だ。ほとんど見たことのない番組だった。だが今日は瑛の映画の記者発表が生放送であるという。今日くらいは見てもいいんじゃないかと思ったのだ。きのう瑛が言い出したと言うことは、見て欲しいからだろう。けれど、テレビを見ることが好きじゃない眞幌のために、見てくれとはいえなかったのだ。
(けっこうかわいいとこあるよな)
図体はでかいが瑛はかわいいと、最近の眞幌は思っている。
生放送の番組より、会見は少し前に始まっていたらしい。会場にカメラが移ったときは、なんだか騒然としていた 。記者が何か質問している。
『有紗さんと高柳くんがつきあっているというのは本当ですか?』
『明日発売の写真誌に、ホテルから出てくるところが載ってますよね』
『いつからですか? だいぶ前からだと言われていますが』
『結婚されるんですか?』
映画の話はそっちのけで会場は大変な騒ぎになっていた。スタジオにカメラが移って司会者が説明する。
「かねてから噂があったようですが、高祭有紗さんと高柳瑛さんの交際が発覚したようです。お二人は今回の映画で共演されていて、その出演も主役の有紗さんが高柳さんを是非、相手役にと申し出があって実現したようで…………」
司会者の説明は続くが、生で中継しようとした会見が収拾がつかなくなっていて、困っているらしい。けれど眞幌にはどうでもよかった。
「嘘……だろう…………」
テレビの前に佇んだまま画面を睨んでしまった。
「ひと言も、言わなかったじゃないか。 今までどうして…………」
まさかと思った。予想もしていなかったからだ。天地がひっくり返るとはこういう事だ。
そのとき、部屋に電話の音が響いた。携帯だ。眞幌の携帯が鳴っていた。
「もしもし……」
見たくないのにテレビの画面から目が離せずに、そのままの姿勢で眞幌は電話に出た。
「………………見ました……どうして……」
電話の相手は桜井だった。会見の騒ぎを見て電話してきたのだろう。桜井は瑛と眞幌の関係を知っている、数少ない相手だ。反対もされていない。それがどうしてなのかは聞いたこともなかったが。
『大丈夫か?』と桜井に聞かれ、眞幌は答えていた。
「社長……もうここには居られない」
『わかった……とにかく私のところへ今から来なさい』
桜井の声がかろうじて眞幌の耳に届いた。




