第十四章「今さら謝っても実況されますわよ?」
ラーゼン結社の壊滅から十日が経った。
ハインの身柄確保と結社構成員の一斉拘束は、王国内外に大きな波紋を呼んだ。
古代能力を巡る違法な人体実験の記録が押収され、背後にいた貴族の関与も明らかになった。
貴族院は緊急の調査委員会を設置し、王都では久しぶりに真っ当な意味での大きなニュースが紙面を賑わせた。
私は一連の事態の当事者として、いくつかの公式な聴取に呼ばれ、その度に実況が何かを暴き、その度にクロード卿がこめかみを押さえた。
いつも通りだった。
それがもう、日常だった。
そんなある日の朝、王宮から使者が来た。
「アルベルト王太子殿下より、ローゼン嬢へ面会の申し入れがございます」
私は紅茶のカップを、静かにソーサーに戻した。
◆
リナが心配そうな顔をした。
父が腕を組んだ。
クロード卿が、無言のまま使者を見た。
「目的は何ですか」
クロード卿の問いに、使者は少し困った顔で答えた。
「その……殿下から、謝罪がしたいと」
「謝罪」
「はい。ローゼン嬢への婚約破棄の件について、改めて誠意をもってお詫びしたいとのことで」
誠意をもって、という言葉が、空中に漂った。
父が眉を上げた。
クロード卿の目が、わずかに細くなった。
私は少し考えてから、口を開いた。
「……場所と日程を教えてください」
「よろしいのですか」
「構いません。ただ」
私はクロード卿を見た。
「同行していただけますか」
「もちろんです」
迷いなかった。
◆
面会の場所は、王宮の小広間だった。
公式な謁見室ではなく、比較的こぢんまりとした部屋だ。
それでも調度品は立派で、窓から見える庭には手入れの行き届いた薔薇が咲いていた。
アルベルト殿下は、すでに部屋にいた。
金の髪は相変わらず完璧に整えられていたが、顔の色が悪かった。
目の下に隈があった。
この一ヶ月で、随分と削れたように見えた。
殿下の横には、侍従が一名いた。
私の横には、クロード卿がいた。
互いに礼をした。
殿下が先に口を開いた。
「……ミレイユ・ローゼン嬢。本日は来てくれてありがとう」
声が、少しだけかすれていた。
「お招きいただきましたので」
「そうだな……その」
殿下は少し間を置いた。
何かを言おうとして、言葉を探しているようだった。
そのまま、ゆっくりと——片膝を、ついた。
小広間に、静けさが満ちた。
「卒業舞踏会の場で、公衆の前で、証拠も理由も告げずに婚約を破棄した。あれは、許されない行いだった」
殿下の声は、低く、平坦だった。
感情を抑えているというより——絞り出しているような声だった。
「三年間、誠実に婚約者としての務めを果たしてくれていたことも、今は理解している。その誠意に、私は応えなかった。……本当に、申し訳なかった」
頭を下げた。
部屋が静かだった。
私は殿下の頭を見た。
怒りがないかと言えば、嘘になる。
あの夜のことは、まだ胸の奥に残っている。
でも、それよりもっと大きいのは——もうずっと昔の話のように感じる、という感覚だった。
さて、どう答えようか、と考えた。
その前に、実況が来た。
『おっとここで元王太子、涙の土下座謝罪シーンが到来しました! 一ヶ月越しの反省が形になっています! 誠意は伝わります! ただし社交界での好感度は現在もマイナス圏内にあり、この謝罪で回復できるかは未知数です! なお三股疑惑については現在も調査中とのことで、そちらの決着が先決という意見も根強い!』
殿下の頭が、ぴくりと動いた。
「……この状況でも、止まらないのか」
「止まりません」
私は静かに答えた。
「今さら謝っても実況されますわよ、とは申しませんが——止める方法が、わたくしにもないもので」
殿下が顔を上げた。
目が、少し赤かった。
「……お前は、怒っていないのか」
「怒っていないとは言いません。ただ」
「ただ?」
「あの夜のことは、もう随分遠くなりました。良い意味でも、悪い意味でも」
殿下が少し黙った。
「……実況令嬢の名が、国中に広まった」
「おかげさまで」
「国際問題まで解決した」
「巡り合わせで」
「ラーゼン結社の壊滅にも関わったと聞いた」
「皆さんのおかげで」
殿下がまた黙った。
それから、静かに言った。
「私が婚約を破棄していなければ、何もそうはならなかった」
「……そうかもしれません」
「皮肉なことだな」
「そうですね」
私は少し、息を吐いた。
「殿下の謝罪は、受け取ります。あの夜のことは——傷つきました。傷ついたことは本当です。でも、今のわたくしには、殿下を恨み続ける理由があまりありません」
殿下の目が、少し揺れた。
「それは——」
『おっと主人公、大人の対応を見せました! 恨まない理由の一つには、現在非常に良好な関係にある近衛騎士団長の存在も含まれていると実況は見ています! 本人は言いませんが!』
「言いませんわ!!」
私の声が、小広間に響いた。
殿下が目を丸くした。
クロード卿の耳が、赤くなった。
「……何の話だ」
「なんでもありません! 実況が余計なことを——」
『なお騎士団長の耳が現在非常に赤いことも、ご報告申し上げます!』
「もういいですわ!!」
殿下がぽかんとした顔をしていた。
侍従も、ぽかんとしていた。
クロード卿は前を向いたまま、完全に沈黙していた。
しばらく間があって、殿下が——笑った。
ぷっと、力が抜けたような笑いだった。
「……そうか。そういうことか」
「そういうことでも、ありません」
「そういうことだろう」
殿下は立ち上がり、制服の膝を払った。
それから、私に向かってもう一度、短く頭を下げた。
「幸せになれ、ミレイユ・ローゼン」
今度は、礼儀ではなく——本当に、そう思って言っている声だった。
私は少し驚いた。
それから、静かに礼を返した。
「殿下も」
◆
帰り道の馬車の中、クロード卿はずっと窓の外を向いていた。
耳の赤みが、まだ少し残っていた。
しばらく走ってから、私は口を開いた。
「ヴァルナー卿」
「……はい」
「先ほどの実況は、当たっていましたか」
「……」
長い沈黙があった。
「当たっていました」
小さく、でもはっきりと言った。
私は窓の外を見た。
王都の街並みが流れていった。
秋の光が、通りの石畳を金色に染めていた。
『おっと馬車内、甘い空気が漂っています! 実況令嬢、窓の外を見ながらにやけているのを自覚しています!』
「自覚してますわ、黙ってくださいませ」
「……私も、自覚しています」
クロード卿が、窓の外を向いたまま言った。
馬車が石畳の上を進んだ。
秋の光の中、王都が穏やかに流れていった。




