さあ本番ニ、三時間ぐらい前? の幕間
登校後にまずは一回。例の木の下で真壁動太へ呪禁を掛ける。そして、昼にも呪禁を掛ける。男二人が恋愛成就の木の下にいるのは何とも気持ち悪いが、誰も立ちることはないのでよしとした。それに、呪術的にもここは一時的とはいえ清められた場所になっていて都合もよい。
「真壁動太の弱気を禁ず」
肺助は昨日と朝に続き、動太の背に向け刀印でもって九字を切り、呪禁を使った。
「これで最後です」
一呼吸、そして肺助は声を掛けた。
「これで、大丈夫なのか……?」
当の動太にそういわれると、急に肺助も不安になった。弱気を禁じる、そういう禁歌を使ったのだが。
「なんてな! 大丈夫だ。今のおれは、この地球上で一番モテている。なんかお前が、小さく貧弱で、可哀想に見えるな!」
振り向いて笑いかけてくる動太の口から、腹立たしい言葉を浴びせられ、肺助は複雑な心境であった。
(禁歌は完璧に作用しているだろうが、なんかむかつくな)
「はっはっは、まあそう拗ねるな!」
次いで、動太は肺助の肩を掴んで元気に揺すってくる。肺助はもう帰ろうかと視線を遠く向けていた。
「じゃあ、放課後もよろしく頼んだぞ」
ところが突然そう言って、び、と親指を立てる動太に、肺助は首を傾げた。
「放課後にできることはもうないので、あとは結界の入り口真壁さんが待つだけですよ」
「違う。折角だから見ていけ。おれの一世一代の晴れ舞台を」
「え? いいんですか」
二つの意味がある。まず、動太はこの図体の癖に、告白を随分と恥ずかしがっていたため。そしてもう一つ、そもそも肺助は『部外者』だからして。
ところが、そんな肺助の思惑の外から、実に嬉しそうに動太は言う。
「ほかの奴らに見られるのはやっぱり困る。特に、阿賀谷戸先輩だって、ギャラリーがいれば、緊張するものだろう。でも、お前は別だ。前三回と違って、なんだかおれは今、凄い無敵な感じがする。これは絶対にお前のおかげだ」
動太は肺助の眼を見て、はっきりとそう言った。
「あ、うん、ありがとう……」こうもはっきり言われると、嬉しいやら恥ずかしいやらで肺助は顔を逸らした。
「お前抜きに、おれの人生はもう語れない。だから、お前には最後まで見ていてほしい。結婚式のスピーチも、今のうちに考えておいてくれ」
「気が早い」肺助はびっくりして相手を見上げた。
「遠慮はいらん。だっておれとお前は友達……否、親友を超えた、相棒というべきか!」
「え、相棒までいく……?」
肺助の頬が引きつった。二階級特進どころではなかったからだ。
「わかったな。ぜひ来てくれ」
そういう動太の顔には、自信が溢れている。何はともあれ、これなら大丈夫だ、と肺助も確信した。
「じゃあ、こっそり観客として、見届けさせてもらいます」
なんだかんだ言って、結果は気になる。
(バックレ三回は気になるけど、真壁さんは見た目ほど怖くないし、そんな真壁さんが好きになる先輩なら、彼の人格はわかってくれるに違いない)
肺助はそう思い直した。
「じゃあ、必ず見届けてくれ……ところでなんだが」
今まで自信たっぷり、生気に溢れていた真壁動太が、急に声を潜めた。
「何かあったのか? どうも顔が暗いぞ」その言葉に、肺助は内心驚いた。
「いえ、別に……」肺助は慌てて顔を逸らした。だが、動太はその太い指で肺助の両肩を掴んでとどめる。
「なんだ、何かあったのか? お前はおれの相棒だ。困ったことがあったのなら言ってくれ」
そういわれると、肺助は悩んだ。自分の顔が暗いと言われる由縁は、何となく自覚があった――悩んでいるのだ。
「真壁さんに言うのも変かもしれないんですが、今回呪術を使ったこと、実は少し後悔しているというか、やるべきじゃなかったんじゃないかって、そう思うんです」
「なんだって?」
動太は眉間に皺を寄せた。
「軽々しく、呪いを使いすぎたんじゃないかって……母さんは、真壁さんの知っている通り呪術を仕事にしていて、おれはそれがずっと人を騙しているみたいで気になっていたんです。でも昨日、母さんは母さんなりに考えて呪術を仕事にしていたことがわかって」
「それは、おれにはさっぱりわからない悩みだな」
動太ははっきりとそう切り捨てた。肺助は思わず俯いた。一瞬でも、この明朗闊達な真壁動太が何かの答えを知っているのではないかと思った自分を恥じる。
「だって、お前は今、おれからの仕事を受け持って、やり遂げただろ」
「え?」
肺助は思わず顔を上げた。
「呪術師だのと言われるとインチキ臭いが、おれはお前がいなかったら今頃四回目のばっくれを覚悟してトイレに籠っていたはずだ。だけど、実際はこうして勇気と自信にあふれている。負ける気もしない。こういうとお前は気を悪くするかもしれないが、おれにはお前もおばさんも一緒に見えるぞ」
その言葉に、肺助は目を丸くした。
「おれと、母さんが一緒……?」
「それに、やるべきじゃないとか思いつつ、お前は結局最後までやり遂げただろう。多分それは『仕事』だ」
「た、確かに、そうなの……か……?」
肺助は狼狽えた。
「多分、お前は難しく考えすぎだ。まあ、これから先呪術を使うかどうかはお前次第だが、おれはお前を頼ってよかったと思っている。迷っているなら、まあゆっくり休めよ」
「真壁さん……」肺助は急に目頭が熱くなるのを感じた。
「馬鹿、相棒だろ! そんな顔はやめろ」肺助の言葉を吹き飛ばすように、動太は大声で言う。
「やっぱり、『相棒』はおれのハネムーンにも招待する! 絶対楽しくなる! お前も高校生なんだから、難しいことは忘れて恋に生きろ! いい女を探せ!」
動太はそんな無責任なことを言って、今度こそ去って行った。肺助はその背中を黙ってみることしかできなかった。
――母さんとおれが、結局同じ……
動太の意見はあまりにも肺助を揺るがしていた。呪術を勘定し、金ととらえ、仕事としてこなす。だけど相手は仕事としてきちんと選んでいるらしいし、目立ったトラブルも引き起こしてはいない。
(駄目だ、考えがまとまらない!)
肺助は頭を抱えて天を仰ぎ、やがて力なく両手を垂らした。
「とりあえず、しばらく呪術はお休みかな……」
なんとなく、肺助はそんな言葉を独り言つ。休め、とは動太も言っていたし。思えば、ずっと昔、何も考えずに誰かに呪術を使っていたことが懐かしくなった。
とはいえ、それが彼の予定を変えることはなかった。
(おれが結局ここに来たのは、ただの野次馬だからか、相棒に頼まれたからなのか、それともやっぱり『仕事』だからだろうか……)
種々の悩みを抱え、放課後。
――合儀肺助は駆け足で校舎の三階に至り、その窓からこっそり顔を出した。




