9. 震える縒り紐 3
グスタフは、無言で第一皇女ヴァネサの様子を伺っていた。
自らの権力を信じて疑わない皇女は、それでも大禍の一族の力を寄越せとは言わなかった。グスタフにその権力がないと思っているだけなのか、それとも自身にその権限がないと正確に把握しているのかは分からない。
いずれにせよ、ヴァネサはグスタフに直接依頼をしているわけではなかった。彼女は、グスタフを通じて一族の長に皇族としての権能を要求しているのだ。
案の定、第一皇女はグスタフに対して言葉を重ねた。
「無論、お前が彼の一族をどうこうするだけの権限を持たないとは知っている。単なる顔繋ぎ役に過ぎないのだろう? だが、だからこそお前は一族の長を知っているはずだ。私とその長を繋げば良い。それだけでお前の仕事は終わりだ。あとはこちらでやる。ただそれだけのことでお前は十二分の金を得られるのだ。悪い話ではないだろう」
ヴァネサの言葉は自信に満ちていた。まさかグスタフが断るとは露ほども思っていない。
だが、彼女の知識はあまりにも偏っていた。恐らく、派閥の貴族から話を聞き、多少の調査をしただけで満足したのだろう。だが、表面的な調査だけでその全てを把握できるほど、大禍の一族は単純な組織ではなかった。
建国以来と言っては大仰に過ぎるが、ユナティアン皇国の裏の歴史を担ってきた一族である。皇族だからといって、易々と一族を動かす権限を与えられるようなものではない。
そもそも、グスタフに話をつけに来ている時点で、ヴァネサの要求は見当違いも甚だしかった。
グスタフは暗殺や間諜の依頼を貴族や豪族から受ける窓口、そして本家と分家のやり取りを仲介する役目を担っているだけであって、一族の運用は別人が担当している。皇族として話をしたいのであれば、そちらの担当者を自力で見つけなければならなかったのだ。
「なるほど。お話は承知いたしました」
グスタフは丁寧に答えた。ヴァネサはニヤリと笑う。
彼女の頭の中では、大陸の勢力図を容易く操れる強大な一族を手にし、第一位の皇位継承者として皇都に凱旋する自身の勇姿が思い描かれていた。
だからこそ、グスタフはヴァネサを適当にいなすことにした。
断ることも不可能ではない。ヴァネサは皇族だが、今や皇位継承権争いからは脱落している。皇帝にとって、ヴェルクが皇女を害したとしても彼女を守る動機はない。グスタフの代わりは幾らでもいるが、ヴェルクを作り上げるのには相当の時間がかかった。その一角を担うグスタフを簡単に切り捨てられるはずもない。
「私も、その実、彼の一族については詳しくは存じ上げないのです。そのため、私自身では殿下のご希望に沿うことは難しく」
グスタフは切実な表情を浮かべてみせた。これでもグスタフは腕利きの商人だ。気難しい顧客の機嫌を損ねないように断ることも数多かった。
今回もグスタフには多少の勝算があった。殊勝に言えば、第一皇女ヴァネサの機嫌は多少下向すれど急降下はしない。完全に皇女が不機嫌になる前に、グスタフはすかさず次の言葉を口にした。
「しかしながら、殿下のご要望に沿える可能性のある者はご紹介できるでしょう。とはいえ、私も会ったことはありません。ここでお渡しできる情報で本当に会えるのかはお約束できかねますが──」
「構わん。会えなければ会えないで、お前に礼金を渡さぬだけだ」
横柄にヴァネサは言い放つ。
これまで彼女が相手にして来た商人は、金を渡さないと言えば慌ててどうにか機嫌を取ろうとしたに違いない。だが、今は相手が悪かった。ヴェルクどころかユナティアン皇国内でも一、二を争う商人で、裏社会にも顔の利く男だ。その程度の脅しで動じはしない。
彼は綺麗に苦笑を隠し、情けない表情を取り繕った。
「そうは仰いましても、こちらも商売でございますから。無論、殿下のご要望全てを叶えるに必要な額とは申しませんが、情報料に当たる分はいただけませんと」
商売あがったりでございます、とグスタフは眉を八の字にして首を振る。
ヴァネサは鼻を鳴らした。目を眇めて、半ば脅すようにグスタフを睨み付ける。
「幾ら欲しいというのだ」
「そうですね。そこらの貴族にはお渡しできない情報でございますから──ざっとこれほどでございましょうか」
これ、と言ってグスタフは片手指を全て立てた。五本だ。なんだ、とヴァネサは笑う。
「金貨五枚か。それならば──」
「いえいえ、まさかそのような」
グスタフは失笑した。金貨五枚など、高位貴族であれば端た金だ。
天下の商人は、うっそりと嗤う。
「その程度、ユナティアン皇国の貴人ならば子爵程度でも金策に走ればすぐに用立てられましょう。五千にございます、殿下」
「──なんだと?」
ヴァネサは目を瞠る。皇族の彼女にとっても、その金額は途方もなかった。
「そんな馬鹿な話があるか! たかが人を紹介する、その程度のものだぞ!?」
「たかが情報一つで戦況が大きく変わり歴史が塗り替わるというのも、殿下ならばよくご存じでございましょう」
だが、グスタフは全く動じない。下手に出ながらも、朝日は東から上るものだと言うような態度で淡々と述べる。
「金貨五千枚。これ以上はびた一文も負けられませぬ故、どうぞご寛恕を」
その態度に、さすがのヴァネサも彼が本気だと悟る他なかった。
ぎり、と彼女は下唇を噛み締める。本当ならば席を蹴って立ち去りたいほどだが、今の彼女には他の選択肢が残されていなかった。第一皇女を支持する派閥はかなり少ない。法外な金額を請求されても、大禍の一族という一大勢力を手に入れられなければ、ヴァネサの未来は風前の灯火だ。
そして、グスタフは間違いなくヴァネサの現状を正確に把握していた。足元を見られていると薄々察しながらも、ヴァネサは交渉を諦めた。
金貨五千枚を支払っても偽の情報を掴まされる可能性はあるが、値切り交渉を失敗して第三皇子マティアスが大禍の一族を傘下に入れるようなことになれば一巻の終わりだ。
「分かった。だが、すぐには用意できない。前金として金貨千枚を渡す。残りは情報と交換だ」
思わずグスタフは笑った。金貨千枚も確かに大金だが、五千枚のうちの一千枚と考えればかなりの少額である。
「よもやまさか、この国で最も高貴なお方がそのようなことを仰るとは」
しみじみとグスタフは首を振ってみせた。そして、ヴァネサが次の言葉を発するより先に続ける。
「本来であれば金貨五千枚を一括で前払いいただきたいところ、分割にせよとの思し召しでございますから、譲歩はいたしましょう。されど、前払いと後払いは半々が定石にございます。故に、二千五百はご用意いただけませんと、こちらとしても諾とは申し上げることもできかねます」
言外に、皇族が用意できない金額ではないだろうとグスタフはヴァネサを挑発していた。
そもそも、分割払いを要求すること自体が皇族としての矜持を傷つけている。ユナティアン皇国を支配する一族として、商人が要求する金銭を支払う能力がないと告げているようなものだ。
だが、今の第一皇女に金銭的な余裕がないことも事実である。以前の皇女であれば、派閥の貴族や有力商人の伝手を使って簡単に金貨五千枚を準備できただろう。今や当時の権勢は過去の遺物である。
グスタフも十二分に承知していたから、無茶を言うつもりはなかった。ただ、ヴァネサが辛うじて飲める限界の条件を突きつけた。
「──良いだろう。少し待て。数日以内には用意する。お前も、それまでに用意を整えておけ。私がお前に連絡をした時に準備ができていないと言ってみろ、すぐさまその胴から首を切り離してやる」
「無論、全ての手筈を整えておきましょう」
第一皇女の恫喝は、苦し紛れだった。グスタフは恐怖に震えることなく、余裕綽々の態度で請け負う。
気に入らぬとでも言いたげにヴァネサは舌打ちをすると、片手を振った。もうこれ以上話すことはないという合図だ。グスタフは丁寧に一礼し、部屋を辞する。扉を閉める直前、ヴァネサが侍従に何事かを耳打ちしているのが見えた。
*****
高級宿を出たグスタフは、自分を待ち構えていた部下と合流した。ずっと部下と話し込んでいた宿の主人に片手を挙げて挨拶すると、預けていた馬に乗る。
「頭取、どうでしたか?」
「良い商売になりそうだぜ。とはいえ、大人しく金策に走るのか、力尽くで俺に言うことを聞かせようと考えてるのかまでは読めねえがな」
グスタフは小さく口角を笑みの形に歪めて答える。彼の答えを聞いた部下は、わざとらしく目を見張って見せた。
「力尽くで? 頭取を? もしそうだとしたら、奴さん、本気で頭がヤられてるとしか考えられないですね。ここはヴェルクですよ」
ここ、と言いながら部下は自分の頭を指差す。その表情は真剣で、むしろ相手を気の毒がっているようにも見えた。
グスタフは無言で笑みを深める。部下はやれやれと肩を竦めた。
「お偉方になると、たまに自分が太陽を動かしてるんだって勘違いするお人もいますからね。そういうお方ほど、自分で自分の寿命を縮めてるってもんです」
皇都ならば、まだ良い。皇族の権威が強いからだ。
だが、ここはヴェルクである。歴史的にも独立心旺盛で血気盛んな土地柄である。そして、皇女が相手にしていたのはヴェルクで最も有名な有力商人だった。
グスタフがヴェルクを離れている時ならいざ知らず、ヴェルクに居ながらにしてグスタフを恐喝する計画を立てているのだとすれば、それこそ笑止千万である。
だが、グスタフは小さく首を傾げてみせた。
「さあな。あの御仁がどういうつもりかは分からねえが──本気で血気に逸ったんじゃなければ、俺を襲いに来ることはねえだろうよ」
「あの第一皇女が、ですか。もし本当にそうなら、多少は知恵が付いたってことですね」
ヴェルクでも、第一皇女ヴァネサが直情型で好戦的、かつ血気盛んであることは知られている。だからこそ、隣国スリべグランディア王国に戦を仕掛け、良いようにやられたのだと実しやかに囁かれていた。
にわかには信じられないと言いたそうな部下に、グスタフは目を細める。
「多少は学習能力もあるだろうよ。じゃねえと、第一皇子と鎬を削ってここまで生き残れた道理がねえ。頭の切れる配下が数人はいたんだとしても、そいつらの忠言には耳を貸してたってことだ」
「なるほど、そういうもんですかねえ」
部下はどこか納得できなさそうだ。自分の言い分を疑われても、グスタフは怒らなかった。むしろ楽しげに笑みを深める。
「いずれにせよ、時間が経てばわかることさ。俺としては、あの皇女殿下がどこまで一族を揺さぶってくれるのかが楽しみだ」
それもそうですね、と部下は頷く。
グスタフは配下の者たちを引き連れ、悠々と自身の屋敷へと向かった。









