後日譚(承前)
「そのあと相手が安全の為に着けることまで拒否はしないが、と続けたけど」
「でしょうね」
「何か嫌な感じだね。俺が言ったのは飽くまでそれだけだ。奴に脱ぐことは強制していないし、臆病者と思われるのが嫌で、防具を外したのは奴の意思だ。それに奴は気付かなかったが、この決闘にルールは無いと、この時点で俺は宣告したよ」
「しかしド汚いわね、あんた。よく師範が認めたと思うわよ」
「人柄を信じてくれたんじゃないかな。うわっ、なにその目。そこまで露骨に呆れて、子供が傷つくと思わないの?」
「あんたに傷つく部分は無い」
…今のは正直、傷ついたぞ。
「それに防具無しの奴に、決闘は戦闘続行不可能まで続けると師範は告げたぜ?」
「…まあ、それはそうなんでしょうけど。でもあんたの行動を予測できたら、それは人間かどうか疑わしいレベルの代物よ」
母の言う事は正しいだろう。何せ対峙した俺は、いきなり竹刀を投げ捨てたのだ。
ただでさえ頭に来ていた相手は、当然だが俺を怒鳴りつけた。馬鹿にしているのか、正々堂々と勝負する気はないのか、恥を知れ、と。それは周囲の人間の思いでもあったのだろうが。しかし俺も負けずに怒鳴り返したのだ。不戯けるな、何が正々堂々だ。
声量には自信がある俺の声を聞いて、相手のみならず周囲全てが押し黙った。その空白に続けたのだ。喧嘩の恨みを晴らすために、素人を無理矢理誘うのは卑怯ではないのか。
己が得意とするもので闘うのは正々堂々とした行為なのか、と。表向きは指導を受ける為だが、実際は復讐する為に行うものだと皆、承知していたのだから効果的だった。
更に、こんな馬鹿げた事は真っ平だ、この前の続きがしたいなら一人でやれ、俺は無抵抗で居てやる。
その代わり、貴様を軽蔑する。武道を学ぶ者としての誇りを少しも持たぬ、傲慢で低劣な奴だと。あれだけの騒ぎを起こしながら何一つ学ばぬ愚か者だと、と弾劾したのだ。
言い終えた時、ほとんどの剣道部員は俯いていた。少なくとも、幾分のプライドを持っていたらしい。
自分達の行いが決して誉められたものではない事、むしろ武道を行う者として恥ずべき振舞いではないかという意識を、他ならぬ復讐相手に指摘されたのが辛かったのだろう。
「あそこで止めときゃ良かったのかなぁ……」
「そうね、あんたの発言は剣道部員にとって痛烈だったけど、同時に目を覚ます契機でもあった。そこで終われば美談になったでしょうね」
「でも、それだけで終わってはこの先、色々と拙いじゃないかと考えたんだよ」
「そこはあんたの考え違い。気持ちは判るけど、最良の手段ではなかった」
諭すようにその目が問い掛けてくる。確かにそうだったのだろう、俺がしたことは。
その時の俺は、俯く事まで予想していたのではなかったが、動揺することは見越していた。そして生まれた隙を、効果的に使うための手段を用意していた。
相手が俯き、俺を視界から外した時、俺は懐から口を大きく切り取ったペットボトルを取り出し、中身を相手に向かってぶちまけた。
その中身とは、血液。医者の息子から退院祝いとして貰った、本物の血液を使ったのだ。量が足りなかったので、少々水を入れたが。
相手、だけではなく後ろに居た他の生徒や床の上に血液が飛び散り、忽ち血臭が空気を染め上げていった。
そして突然の出来事に呆然としていた一年生にすかさず近づき、両手で頭を挟み込みながら告げたのだ。だからお前は甘い、覚悟が徹底していない。今は許すが、次は―――
そして俺は口をがぱりと開き、
嗤いながら、
「喰らう」
そう言い放ったのだ。
それで、俺は満足した。俺が望んだことは、奴らに自身の立つ位置を自覚させることなのだ。奴らは決して『正義の味方』ではないということ、そして俺はそもそも同じ地平に立っていないこと。この二つが理解できたなら、この決闘の意義は充分に尽くしたと考えていた。
頭を挟んでいた手を離し、後ろに向き直った俺が師範に負けを告げようとしたら
「ドサリ。漫画とかで見るけど、失神すると本当にあんな音を立てながら倒れるんだな」
「無責任な発言ね」
「それが悪いとでも? 俺の有ったかもしれない責任は、師範と、俺自身によって解消されている」
自失している数瞬の後、まず姉が弟に駆け寄って無事を確認した。そして卑怯者と俺を罵ったのだ。
その声を切欠として他の連中も次々と罵りだしたが、それを師範が押し留め、俺に帰るように促したのだ。それを受けて素直に帰った。俺が居ても状況が悪化するだけだからだ。
後に師範に伺ったところ、詳しい話はしてくれなかったが、やはり武道を学ぶ者と武術的思考をする者の違いと、覚悟の程度が違うことを諭してくれたようだ。
全員が全員、納得した訳ではないようだが、とりあえずは終わったと判断して構わないと俺は考えた。が、現実は違った。
俺の行為、即ち事件での噛み付き、血液の摂取、剣道場での決闘に血液を浴びせかけた事、の三つは全校に知れ渡っていた。
決闘の前から予兆は有ったが、一部の生徒が俺の行為にショックを受け、精神性の体調不良を訴えだしたのだ。
特に剣道場での衝撃は相当なものだったらしく、観客の中から貧血や嘔吐を起こした生徒が続発し、先日の事件程ではないが、やはり騒動となったらしい。
その後、血だらけの一年生と俺の写真や俺の『吸血』行為の噂が広まるにつれ、パニックに近い状況と化したそうだ。俺自身は全く知らなかったが。
翌日、普通に登校した俺の姿を見て、それが顕在化。特に俺のクラスを中心に、体調不良や早退、更には登校拒否までする生徒が現われた。これ以上は揉め事を起こしたくない学校は、迅速な対応を目指した。
当初は体調不良を訴えた生徒へのメンタルケアを施すと共に原因である生徒(俺のことだ)の出席を停止して事態の解決を試みた。
ところが治療は難航し、完治する頃には俺が卒業する可能性が高い為、方針を換えて俺の卒業までの不登校を要請(実際は強制)したのだ。
「結果、俺は延々と愚痴りながら家で腐っている訳だ」
「自業自得の具体例として辞書に載せたいくらい見事な事例ね。そんな事より、あんた高校はどうするの? 近隣の学校には行けないでしょう」
「それが問題だよなぁ…。っと、誰か帰って来たみたいだ」
玄関のドアが動く音がすると共に、重たい物を降ろす音が伝わり、ぽっちゃり型の体型が見えてくる。
「ただいまあっと」
「お帰りなさい、あなた」
「よう、父さん。早いお帰りで」
「予定していた電車よりも一本早く乗れたんだ」
そう言うと、コートを掛けて、ソファに座った。
「あなたが帰って来たから、晩御飯にしちゃいましょう」
母さんは台所に行き、皿を並べ始めた。
「出張の帰りに叔父さんと会って来るって聞いたけど」
「あいつも急な仕事が入ったらしく、時間が余り無かったんだよ。それよりも…」
俺の方へと向き直り、
「お前の高校進学について心配していたぞ」
「それは申し訳ないと思うけど、選択肢そのものが無い状態なんだよね、これが」
「そうだろう。俺もそう言ったらな、あいつの家に下宿しないかって言い出したぞ」
「叔父さんの家に? どうしてまた」
「何でも知り合いから格安で一軒家を買ったらしい。……疑わしそうな目だな。何でも前の住人に不幸が有ったらしく、ほとぼりが冷めるまで人手に渡して置きたいんだと。不都合が有れば買ったのと同じ値段で買取りしてくれるらしい」
「そのお化け屋敷に一人で住みたくないから、俺を呼ぶと?」
「そんなことは無いだろう。実際、暮らしてみて何も起こっていないと言っていたぞ」
「じゃあ、何故?」
「あいつの仕事は知ってるよな」
いきなり父が話を変える。えーと、確か…。
「カメラマンだっけ」
「そう。それも報道の、な。だから海外に行くことも多いが、その間に家の管理をする人間が必要なんだと」
「成程。タダで管理人をするのが条件なのか」
「まあ、そういうことだ。決して悪い条件じゃないぞ。家賃はタダの上に、必要経費として少しだけ金を振り込むと言っているし。高校もすぐ近くにあるそうだ」
「むう。確かに悪い」
「そうしなさい」
返答しようとした俺の声に被せる様に託宣が下った。下した神は絶対的な権力者であり、財政並びに食卓において逆らうことなど、出来はしない。
「こんな良い条件、他では絶対に無いから、是非とも受けなさい」
建前ですら忠告の形を採ろうとしないところが、スゴいね。とはいえこれ以上有利な選択肢がこの先、出てくるとは考えられないし。
「よしっ、叔父さんの家に厄介になるとしますか」
「その前に、受験があることを忘れんじゃないわよ」
母の言葉に頷きながら、この選択が吉と出るようにと俺は思っていた。




