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語る脳子と、綴るは我子  作者: 木ノ倉ラ
四節 熱部霊魂
34/43

4-2 劇奏遊言/ラクト

Δ



 ラツィオ=メインの声で、ローレンは素早く動いた。


 融解寸前の術式板を操って、ロンティエルとの間に障壁を形成。注ぎうる魔力の大半を費やして、強固な結界を作り上げる。最も得意とする魔法の一つ、∫雷殻《ブロンティア/クラティステス》だ。周囲の空間ごと歪め壊していく界撃魔法から自らを守る自界。


 ラツィオが奇妙なものを見るようにそれを見ていた。無理もない。彼は自分が魔法を『限定的に』使えることを知らない。そう、ローレンは思って、片手の術式板を見せた。


「前に言っただろ、『副脳』だ。アレから構造を拝借して、ある程度の『識』が使えるように調整した。言式法化の必要もなく、限定魔術士並みの魔法を行使できる。敵対者を半自動的に攻撃し、細かな魔法制御を代行してくれる術式機械だが、もう、限界が近い」

 

 ラツィオは呆れ顔で金属の術式板、小型機械を眺めやった。既に銀色の薄板からは暗色の煙が漏れ出ている。


「これさえあれば、誰でも、限定魔術士になれそうだな」


 驚いたことに、その問いに答えたのはロンティエルだった

 

「魔法技師ドエリグルと『リアスの意思』が造り上げた人造脳たる『副脳』。強力な兵器だけど『飛浮機』のように用途を限定しなければ、到底使い物にならないわよ。ローレン=ノーランが良い例ね。見事な小型化技術ではあるけれど、過剰な術式圧縮に魔法金属が耐えられていない。そもそも、『副脳』の使い方からして、貴方は強引すぎるのだわ」


「なんだあの女、お前の同類だったのか?」ラツィオが言った。

「愉快な性格をしてるだろ、俺と同じで、鬱屈型の人間らしい」


 滑らかな語りは、彼女が術式士であるという肩書を裏付けた。彼女は表のロンティエルと同等か、あるいはそれ以上に魔法狂いだ。その意味では、上と下、二人のロンティエルはよく似ている。というよりも、その区別は極めて曖昧なのだろう。趣味や嗜好までもまるきり変化させるのは、大変だから。


 つまり、この女は、二重位格保持の乖離型人格である癖に、来歴を持つ。真なるラベストリであるという来歴しか持たぬはずだというのに、その有り様は極めて不自然に、ロンティエルという人格を反映している。演じているという自覚を完全に持たない役者。それはどこか、『演義者』という自己欺瞞の塊と重なって映る。


 結局のところ、彼女とて、本質的には古の『たましい』ではない。少なくとも、ノーランの高度文化膜の下では。


 ふざけた会話をするローレンとラツィオを見て、女が言った。


「貴方たちと違って、私は暇じゃないのよ。ローレン、貴方にはこれ以上の邪魔はさせないし、ラツィオ=メイン、貴方には使用用途が無い。役者が揃う前に片をつけたいところだけど、どうかしら。心意気や十分、煮えたぎる脳髄の扉は容易く開くのかしら、∬許されざる行いが言葉となるの。記さるる文字列は俯瞰される眼によって齎され、須らく罪は浄化されるものではなく、千歳に及び、責め続けられるべきもの。その故は、死によって想起され、浮揚する魂の語りだけが咎人への罰となる。輪転する罪への、贖罪として」


 ロンティエルの言葉の後半は、既に意味を隠匿した呪文と化していた。古い時代の魔術の形式、もはや使い手のおらぬ呪いを彼女は使用した。それはラベストリに伝わるフォルド人の魔術形式にして、文式呪化魔術。空洞内に朗々と声が響き渡れば、呪文は世界に干渉し、見る物を一変させてしまう。


 故に、ローレンとラツィオは同時に自らの呪を用いた。


 空間を引き裂くようにして生まれた雷撃は∫雷放《ブロンティア/ティフォ》。重なるようにして輝く、鋭い軌跡は、魔剣十剣《飛刃》。合わさる力が、呪界を僅かに歪めながら、女の肉体を裂こうとするが、即座にロンティエルの放った骨盾と、動き出した骸たちによって阻まれた。彼女の全身を守るように、骨と腐肉がずるずると繭をつくりだす。よくよく見れば、その創造行為を行っているのは小さな人形。小指ほどの身の丈しかない彼らが、邪悪な眼をぎらつかせて、骨を組んでいた。


「させんっ」ラツィオが叫び、剣を振るが、届かない。

 乱れた呪界が攻撃そのものを逸らし、歪め、無へと変えてしまう。


「始まりは今際! 刹那の嬌声と断末魔が生を喚起する! ∬眼を開け、ランツ=デルフォイ、其は我が罪の似姿にして、『たましい』を持たぬ木偶人形、模倣の人である」



 ロンティエルによる二重の呪文。その形式が完遂された時、呪術が発動した。


 深淵から盛り上がるようにして、人間の頭が沸き起こる。泥と腐肉に塗れた彼の姿は、幾数もの骨を内包した人型兵器。無数の術式の刻まれた肉体はところどころが腐り落ちてしまっていた。されど、眼光は鋭く、邪気の籠った赤眼はまるで魔獣。いや、事実、それは魔獣であるのかもしれなかった。もはや隠そうともしない呪界での姿は、触手を持つ胎毛獣。パーンリアと変わらぬ異形の呪体は、彼の実体よりも遥かに大きい。


 厄介なのは、この呪的空間ではそれが実体の力となることだ。見る見るうちに半透明の呪腕は実体化し、ぶすりぶすりと音を立てる。空気をも腐らせて、この場所をまさしく地獄へと変えようとしているのだ。


 男が、人間である身体に備わった二本の腕を不思議そうに振り、それから、顔を覆い尽くす粘ついた泥を拭った。


 現れた端正な顔は、確かにランツ=デルフォイ。


 されど、残忍なその表情は、人間と呼ぶのを躊躇わせる。彼が口を開き、言葉を発した。


「姉さん、僕は、どこだ、イルファン、どこまでの、僕」

「ランツ、思い出して、貴方の目的を」


 ロンティエルが優しげな表情で語り掛けた。


 泥まみれの頭をゆっくりと撫で、その頬に手を滑らせる。宍色の肌が、どす黒く腐り、ぼとぼとと落ちていく。女はそれを気にしている様子ではない。いかれている、とローレンは思った。尋常ではない。まともな精神を彼女は持ち合わせていない。あんな泥人形を弟代わりに愛せるなど信じられなかった。身構えようとしたその時、気の抜けた声でラツィオが言った。


「あいつは俺が殺した筈なんだがな」


 調子を狂わされたローレンが、少し不機嫌そうに答える。


「模倣による再生だ。ボダットの文化膜に存在を刻まれているランツ=デルフォイの身体構造を模倣することで人間を創りだしたわけだが、まぁ、どちらかと言えば、ランツというよりは、俺が処刑したラクト=デルフォイの似姿なのかもしれん」


「人間をそんなに簡単に作り出せるものなのか?」

「無理だ。だからあれは人間と同構造の人形と呼ぶべきだろう」


 その言葉を耳にして、ロンティエルがさっ、とローレンを睨んだ。瞳に宿る感情は狂気を孕んだ怒りであって、ラベストリらしさは薄い。端的に表現すれば、彼女はまさしく人間、それも女の眼をしていた。


「貴方にだけは人形などと呼ばせないわ。私の、ラベストリの最後を飾るべき愛弟を処刑した上、熱部の覇権を奪い、呪術の根絶を目指すノーランのお前には」


 違う、とローレンは言おうとした。熱部の覇権を奪ったのは自分ではなく、過去の皇王であるし、呪術の根絶などを画策した王は今までに一人も存在しない。在り方そのものが呪術である王が、呪から逃れることなどあり得ないのだから。


 だが、ロンティエルは恨みがましい眼でローレンを睨み、その眼は『狂眼』として、呪界への影響を及ぼした。突如として、回転する空間は見当識を失わせ、ラツィオに膝をつかせる。なるほど、この空間は彼女の支配圏内なのだ。勝つのは難しい。強大な術式士であるローレンと言えども、ここを制圧するのは出来なかった。何故なら、この場所はデルフォイの歴史を根拠としているからだ。


「その木偶人形で何をするつもりだ、ロンティエル」


「黙りなさい、ノーランの末裔。私をロンティエルと規定する呪術はラベストリたる私には通じない。その種類の呪術影響圏内にある位格は既に分離していると言った筈よ」


 そう言うと、女は腕を振り上げて、骨片を飛ばす。まるで時間稼ぎのようなその一撃をラツィオが切り伏せる、熱部の地下深くで、異常な膠着状態が続いていた。ローレンはその隙に立ち尽くしているランツ=デルフォイを覗き見る。男の周囲には泥。肉体のあちらこちらから飛び出る棘は骨。体中から血が流れ出ており、その色は驚くほどに鮮やかな赤だった。


 赤い。それはつまり、人間の血だ。


「僕の目的、目的は、」

「ランツ、貴方の自己は私が規定した、貴方は人形。ラベストリに仇為すものを殺す殺人者。決して死ぬことのない記憶の中の剣技を、模倣して、叛逆者を殺しなさい」

 

 記憶の中の剣技。その言葉に引っかかりを覚えたのは、ラツィオだった。そもそも、ランツは真交流の中級剣術士だったはずである。虚妄のような言われ方をされる理由など何一つない。だがそう言えば、一度、ランツと戦った際には剣の匂いなど微塵も感じなかった。ロンティエルはまるでランツが剣術士であるかのように言うが、その前提が奇妙だ。


 あの人間兵器が仮に剣術までも用いることが出来るとしたら、それは今の弱ったラツィオにとっては脅威以外の何物でもないのだが。故に男は屋敷で拾った剣を抜き、構える。この剣は魔鋼で作られた、無論上質ではあるが、軟らかな剣だ。敵が神鋼級の剣を用いた場合は少々、心もとない。


 ただでさえ、連戦に次ぐ連戦で疲労困憊だというのに。敵の本拠地に自ら突入するローレンはまさに疫病神だ。疫病という観念は神というよりも、むしろ、獣に近かったが、長い間、熱部ボダットにいた所為か、ラツィオは思わずそう思った。この地域では、疫病は悪神、あるいは悪霊の仕業だ。


 そう考えると同時に、悪霊染みた不吉な声でランツが零した。


「あぁ、姉さん、ラクト兄さん、アルト兄さん。そう。僕は、人形だ」青年が言った。


 人形とは即ち、意思なき器物。操り糸を持たぬ彼を動かすのは、言葉という名の御手。


「ランツ、先ずはローレン=ノーランよ。最優先で彼を殺して」


 ロンティエルの言葉を受けて、ランツが何処かから剣を抜いた。刃渡りは短く、青年の片腕ほどしかない。それはバルニュスだった。ノーランが真交流の聖地であるとはいえ、熱部では真交流使いは少ない。大抵の剣士が、バルニア式剣術や不許流を用いる、皇国の果ての領地。されど、バルニュスを操るランツの手つきは至極滑らかだった。


「あの手つき、レアーツの手ほどきを受けているな」


 彼の動きを見て、ラツィオが感想を漏らす。上級剣術士にして、本道場出身である彼はそれを即座に見抜いていた。現剣王レアーツ=ルーミンに限らず、剣術士の動きは一様に違う。同じ流派に属していても、指導者の違いによって、動きは大きく変わるのだ。そして、ランツ=デルフォイの動きは、レアーツと同様に緩慢なものだった。緩やかな、それでいて隙を生じない、大蛇のような剣。


 だがそれでもラツィオの眼には、はっきりと剣技の繋ぎ目にある穴が映った。大目に見ても、これは中級剣術士の中堅といった処だろうか。万が一にも自らが敗れることなどあり得ない、脆弱な剣である。ローレンもそれを見て取ったらしく、疑問の声を上げた。


「あれが、彼女の切り札か? それにしてはぎこちないようだが」

「人形という表現は納得だな。あの男の剣技には命が宿っていない」ラツィオが言う。


 それに応じて、ロンティエルが言った。


「もう少し見ていなさい、ノーラン家の若芽。この子はただの駒じゃない」


 真意をローレンが量るよりも速く、ランツが動いた。主を殺させまいと剣を構えるラツィオの魔鋼剣にぶつけるようにして一撃。それを紙一重の駆け引きで流した傍付は、すぐさま、青年の腹へと剣を振った。一閃。されどそれは、致命傷にはならない。溢れる血と臓物は、硬いゴムのように凝固して、身体から毀れるのを拒否した。

 

 赤い血肉をまき散らしながら、ランツの両腕から幾本もの刃が飛び出る。ラツィオは上体を逸らして、なんとかそれを躱していく。しかし、飛び出た刃の狙いは、傍付ではなく主であるローレン。皇太子は反射的に、垂らしていた剣を振り、その刃を弾いた。飛刃の絡繰り。ふざけた人形細工だが、その威力は本物。ローレンはランツへの認識を改めつつ、されど、余裕の表情で迎え撃つ。何故なら、彼の前には最も信頼する剣術士が構えているからだ。


「手こずりそうか?」ローレンが言う。

「幾ら斬り付けても死なんこと以外はそうでもない」


 ラツィオは刃を飛ばしてしまったことを悔やみつつも剣を振るった。即座に青年の肉体が無数の断片に分かれ、同時に傷の内側から肉塊がもこもこと生き物のように溢れ出てくる。イルファンとはまた異なる種類の再生能力。これでは何度致命傷を与えても死なないわけである。


 だがラツィオの目的はランツを殺すことではなかった。所詮、これはただの人形だった。先程、殺したというのに再生したところから考えて、こいつもまた不死の剣士だ。ならば術者を殺さなければ、埒が明かないのは明らか。青年の背中から伸びる呪腕を躱しながら、ラツィオは一歩ずつ前へと進んでいった。


 ローレンとラツィオは闘う振りをしつつ、じりじりと近づいていく。そう、ロンティエルに接近することこそが、状況の打開策だった。位置取り次第では彼女を封殺できる、とローレンは思いつつ、術式板を手にして女へと近づいていく。だが、不思議なことに彼女はそんな争いの方へと眼を向けていなかった。


 ロンティエルが見るのは、歪みの端、闇の向こう。瓦礫にうずもれるようにして、何かが動いている。洞窟の壁際に倒れる人影と、それを揺さぶるもう一つの影だった。倒れている人間、その姿にローレンは見覚えがあった。


「あれは」思わず声が出る。


 女と、冴えるような青の髪。


 それが示すのは、ただ一人。女を叩き起こそうとする影は、少女。頭部には流れるような長髪。色はくすんだ琥珀色。イルファンは必至の形相で、師匠を起こそうとしていた。


「起きて、師匠! 意識だして!」小さく甲高い声だった。


 少女の呼びかけを聞いて、ローレンは状況に予想がついた。恐らく、リアトはまたしても《速気》を用いたのだ。屋敷の崩壊からあの少女を守る為に、やむをえなかったに違いない。だとすれば、リアトはもう暫くは目覚めないだろう。


 と、思った瞬間、イルファンは驚くべき行動に出た。

 

「起きて! 起きないと絶対やばい気がするって! もう! でいっ!」


 靈力を込めた右こぶしで、リアトの胸部を強烈に殴りつけたのである。信じられない、とローレンは思ったが、声を上げる程の余裕はない。女が殴られるのを見ている事しか出来なかった。何度目かの弟子の殴打の後、彼女はゆっくりと目覚めて、そして、強烈な靈気を発しながら立ち上がる。


 彼女は静かに、この場にそぐわない台詞をぼそりと言った。


「イルファン、皇都の本道場に着いたら、稽古をつけてやる」

「そ、そういう脅し、本当怖いんで」


 なんとも気の抜けた二人だが、この状況下では有力な戦力だった。弱っているとはいえ、リアトは特級剣術士であるし、弟子のイルファンもあの歳で上級剣術奥義を会得しようとしていた筈だ。ローレンは意識をランツに向けつつ、リアトの方へと走った。だがそれに気付いたリアトが先に剣呑な声で彼に話しかけた。


「ローレン=ノーラン、これは貴様が引き起こしたのか?」

「馬鹿が。あの女がロンティエルで、男がランツ、あれが敵だ」


 指を指した方角には周囲に人形を侍らせた女と、両腕から骨剣を突き出した、奇妙な姿の青年がいた。青年は傍付ラツィオ=メインと熾烈な斬り合いを繰り広げている。女が戦いに加勢しているのかと言えば、そういう訳でもなく。ロンティエルは悠然と、守られた骨の盾の後ろで剣戦を眺めていた。


「あれが、ロンティエル」リアトが思案気に呟く。


 一方、琥珀髪の少女イルファンは、眉間に大きな皺を寄せて、女を見ている。彼女は何か言いたげに口をもごもごと動かしていたが、ロンティエルが、優し気な表情でにこりと笑いかけたのを見て、あるいは、ランツの無感情な顔と虚ろな眼差しが切っ掛けだったのかもしれないが、とにかく、少女は遂にその感情を爆発させて、甲高い声を響かせた。


「あのさ、ロンティとランツって、あの人に殺されてたよね」


 視線の方向にはラツィオ=メイン。


 彼はイルファンの存在に気付いたようだが、知らぬ存ぜぬを通した。少女の、答えるのに窮する問いを解消する気力と余裕が無かったのだ。暫しの沈黙の後、ローレン=ノーランが答える。


「彼らは肉体を幾つも所有しているのだ。熱部人にとっては、肉体は魂を納める箱にすぎない。身体がどれだけ損傷したところで、魂が死なない限りは不滅、だそうだ」


 それを聞いてイルファンはいよいよ苛立ちを露わにした。単純な怒りや不満と言うよりも、ある種の恥ずかしさがそこには込められている。リアトにはなんとなく分かったが、つまり、彼女の苦悶は上階での出来事にある。


「イルファン、あの死体は偽装だったようだ」


 リアトが慰めるように言うが、少女は聞いちゃいない。


「私さ、二人が死んだと思ってさ。私の所為じゃんとか色々思ったわけ。だけど、そもそも死んでないって、もう。悔やみ損! 私の喪失感とか! 全部、返しなさいよ!」


 それを聞いて、ロンティエルが吐き捨てるように言った。


「貴方を怒らせる為には、繋がりある人間の理不尽な死が必要だったの。残念ながら、それじゃ最後までは行けなかったけれど。やっぱり、付け焼刃の繋がりじゃ駄目ね。あの娘、ロンティエルはそれに気付いていたけれど、有効な手立てを打てなかった」


「どういう意味よ」イルファンが言った。


 彼女は未だに自らに秘められた力を知らない。それ故に、少女と、大人たちの反応は大きく食い違う。ロンティエル、あるいはラベストリの言葉はローレンの興味を引き、実際に戦ったラツィオを怯えさせ、そして、リアトを激怒させた。


「下らん目的の為に、私の弟子を徒に傷つけたのは貴様だったか」

「貴方にそれが分かるとは思えないけれど」飄々とロンティエルが返す。


 リアトは軽く息を吸ってから、それに答えた。彼女の言葉には、彼女にしか分からない思いが込められていた。


「いや、分かる。イルファンを傷つける人間の思惑はいつも同じだったからな」


 リアトとロンティエルの間で、激しい火花が散り、女剣術士が蒼剣を背から引き抜こうとした瞬間、しかし、少女が叫んだ。


「だから! 私抜きで話を進めるのは止めてって、言ってんじゃん!」


 顔を真っ赤にしたイルファンが見ているのは、ロンティエルではなく、リアト。そして、何故かは分からないが、ランツ=デルフォイだった。青年は相変わらず表情のない顔でラツィオと斬り結んでいた。


「先ずさ、師匠はちょっと下がってて」

「おい」不満そうにリアトが言うが、イルファンはそれを黙殺した。


「あのさ、結構前から起きてたからさ、あんたの言葉が私の耳にはちょいちょい入ってたんだけどさ。ランツが人形っていうのはどういうことなの?」


 洞窟内のひりりとした空気が凍り付く。ランツは、その言葉で弾かれたように動きを止めた。ラツィオはそれを感じて間合いの外に下がる。


「ランツ」


 少女の強い眼差しは、しっかりとランツを捉えていた。リアトでさえも、迂闊な言葉を発せない。ローレンが問いに答えようとしたが、ラツィオが空気を読んで、彼を制した。この場の流れを掴んでいるのは、彼ではなくて琥珀の少女だった。


「答えてよ」

「このランツは私が創りだした人形よ。今の彼に自我は無いし、彼の思いや記憶というものは全て、模倣に過ぎない。私が、愛しい弟の記憶の残滓を植え付けて、成長させたの」


 ロンティエルが薄笑いを浮かべながら言う。ローレンだけが、極めて正確に彼女の言葉を理解していた。つまり、あの人形の模倣元が誰であるのか、そして、それが何を意味するかを。


「そうやって作られた人形は、あんたの思い通りに使われなきゃいけないの?」

「あの子には自我も欲望もない、使われないと動かないの」


 イルファンが鋭い眼でロンティエルを見つめ、それからランツに視線を戻す。彼女はまるで、青年の、ある筈のない意識を確信しているかのようだった。ローレンは少女のその行動を見て、脳裏に一つの考えが浮かんだことを感じた。男は《視鏡》を発動して、盗み見るようにランツの様子をうかがう。ローレンが思いついたのは、端的に言えば木偶人形の正体に関することであった。


 と、その時、圧倒的な靈力を放ちながら、女が動いた。その姿はまるで弱っていた人間のようには見えない。『速気』を何度も発動させながら何故彼女はこれほどの靈力を未だに発動できるのか。ローレンは不思議に思いながらも、彼女の行動を見つめた。


「話が通じないのは貴様だ。お前には常識が欠如している」


 リアトがイルファンの斜め前方に立ち、言い放つ。その手には抜身の剣。彼女は有無を言わせぬ威圧感でじりじりとロンティエルへと近づいていく。未だ動かぬランツと、沈黙する人形群を警戒する彼女はまるで獣。周囲十剣長に張り巡らされた意識は、完全に気配を捕えつくしている。何者かが動いた瞬間にそれを斬るという、常剣の構えだった。


「ランツ=デルフォイが人形だと? それはあり得ない。妙に面影を残す弟だったから、無碍には扱えず、ローレッドに立ち入るのを許可していたが、まさか、貴様の操り人形となっていたとはな。実の弟によくもそんな真似が出来たものだ」


「師匠、どういうことです?」


 リアトは少し躊躇いながらも、イルファンの問いに答えた。今の彼女は、弟子に対する隠し事を拒んでいた。


「私の知る限り、ランツ=デルフォイはラクトの死の以前から存在していた。彼が今まさに、あるいは十年前に作られた人形である筈がない。そもそも、そんな昔にはロンティエルというこの女はまだ餓鬼に過ぎない。『人形』とやらを創れるわけがないだろう」


 リアトの言葉に返答したのは、ローレン=ノーランだった。


「どれほど優れた術式士であろうとも、人間の脳を模倣することは出来ない。ましてや、全身の構造を完全に作り上げるなど魔導科学では不可能。だから、この女は素体を模倣するという呪術的行為によって、一人の人間の存在情報をまるまる手に入れたのだよ」


 イルファンが息を呑んだ。剣術士の彼女にも、男が言わんとしたことが分かった。それは、目の前のランツ=デルフォイという名の人形が、彼そのものであるという事実。すなわち、ランツという青年は自らの自由意思を奪われ、姉の操り人形と化したのだ。沈黙するロンティエルを眺めつつ、ローレンが続きを語った。


「才無き者がより大きな力を手に入れる方法は限られている。特に修練の積み重ねでは超えられん絶対的な力量の差を埋めようとする場合にはな。どうしてもそれが欲しいと願った場合、時に人は、人であることを失わなければならぬ。人であるままに、その身の内に魔獣を飼うことは喰われることと紙一重なのだ。ランツの場合は、彼は自らを『人形』の身に自ら落とすことで、疑似的な不死を得たのだろう」


「でも、そんなのもう、ランツじゃないじゃん」イルファンが言った。

「いいえ、これは私の弟であり、息子よ」


 ロンティエルが沈黙を破り、少女に答えた。両者は敵対している、だというのに会話が成立する矛盾。呪術士の女と琥珀の少女の間には、奇妙な繋がりが築かれていた。ロンティエルは狂ったように首を小刻みに動かしながら、言葉を継いでいく。ぽつりぽつりと零れる言葉は、誰に聞かせるともなく流れていった。


「ランツとラクト、私の大事な二人の弟。ラクトが死んだ時、『上』の私は震えたわ。可愛がっていた弟を憎きノーランの皇太子に殺された。その事実は彼女が演じるべき『グレオン=ラベストリ』にとっては、熱部の滅び『アディアラの夜宴』の再来であり、ノーランの宣戦布告にも近しいものだった。私は、狼狽するロンティエルをずっと見ていた。グレオン=ラベストリそのものである私は、時に彼女に演じられ、また、彼女を操ることで、徐々にあの娘と一体になっていった。ローレン=ノーラン、貴方には二重位格存在者としか思えないのでしょうけど、私はある意味では疑いなく、ラベストリの魂なのよ。何故ならここは、熱部ボダットなのだから」


 熱部ボダット。彼女の語るそれは何かの呪いの言葉のようにも聞こえた。まるで解けない糸、逃げられない牢獄、運命づけられた地獄、この古い密林の中でどれだけの忌まわしきものが封じられずに残ってきたのだろう。


「そう、だから彼がラクトの死への復讐として、術式研究に没頭した時も、私は『呪氏』として、ラベストリそのものとして、あらゆる技術を教え込んだわ。だけどそれは失敗だった。ランツは私に手ほどきを受けたことで、『雲指』のローレンとの埋めがたい差に気が付いてしまった。それから彼は、ラベストリの深淵呪術にのめり込むようになっていったの。屍を人形として操る術や肉塊に命を与える技、挙句の果てには、生きた人間から自動人形を生成する禍忌魔術までね。私はそれでランツが満足するのなら、それで良かった。けれど、彼の意志はいつしか、ノーランの打倒と熱部の復興に変わっていった。そしてそれは、私たち『グレオン=ラベストリ』とアランド=デルフォイの悲願でもあった。だから、ロンティエルは本当に、熱部にかけられた縛めのすべてを解くことにした」


 長い語りの後、最初に口を開いたのはリアトだった。彼女は手に握られた剣を、所在なさげに見つめていたが、不意にそれを握りなおした。その眼には迷いがない。


「その為ならば、実の弟を人形に変えても良いというのか」

「ランツ自身が望んだことよ」ロンティエルが答えた。


 何とはなく、言葉に熱が籠っており、隠し切れない狂気が滲み出ている。女の言葉がどこまで真実かは分からない、されど、リアトのするべきことは一つだった。それは、イルファンと共にここから出ること。その妨害をするというならば、たとえ、ラクトの弟の意志だろうと自分はデルフォイの家を殺さなければならない、とリアトは思った。


「メイン、剣を構えろ。こいつらを殺す」女が言った。

「分かった」ラツィオが呟いた。


 その傍らで、イルファンが泣きそうな顔で立ち尽くしていた。少女は思う。何故、ランツを殺さなければならないのか。彼が人形だというのならば、なんとかして、それを元に戻せないのか。


 彼女には、大人たちが、強引に物事を終わらせようとしているようにしか思えなかった。この一連の争いは、ロンティエルとランツを殺して終わるものではない。もっともっと、解決しなければならないことがあるのではないか。


「なんで皆、直ぐに剣とか抜くわけ」と、イルファン。

「剣が抜けないなら下がっていろ。足手まといになる」師匠が言った。


 そして、その言葉を開戦の合図として、リアトとランツが同時に動いた。すぐ後方を、頼りない剣を片手にラツィオ=メインが駆ける。剣を持たないイルファンはそれを見ていることしか出来ない。だがしかし、だからこそ彼女は気付いた。この黒煙、不自然な闇の中をもう一つの影が動いていることに。


「リアト、煙のなかに、」


 しかし、その警告は届かない。『泥人形』ランツとリアトの激しい剣戟の音で、少女の声はかき消される。耳を直接叩くような、鋼の衝突音の中でリアトとランツは殺しあっていた。


「ふむ、あの女、万全じゃないのか」ローレンがぼそりと呟く。


 不思議なことに、リアトとランツは互角の勝負を繰り広げていた。蒼剣の動きは精彩を欠き、逆にランツの動きはみるみるうちに速くなる。異常だ、とイルファンは思い、二人の戦いを注視する。先ほどの黒い影はいつの間にか消えており、今では気配すらない。


「万全じゃないけど、ランツに押し負けるなんてあり得ない」


 イルファンが零す。


 その視線の先では、リアトがランツに吹き飛ばされていた。窮地だ。イルファンは周囲の瓦礫から剣を探すも、どこにも見当たらない。だが、このままでは、リアトは負けてしまうかもしれない。あの激しい争いに入る余地は無さそうだが、傍観しているのは辛かった。先ほどの影は見失ってしまって、どこにも見当たらない。あれが敵の策でなければ良いのだが、と少女は焦燥する。


 後方では、ラツィオも二人の戦いに入ろうとするものの、傍から飛ばされる大量の骨棘と人形群の対処で手一杯であるようだった。しかし、言い換えればそれは、入りそうな邪魔を完全に防いでいるということ。二人だけの戦闘空間の維持、という意味で言えば、ラツィオ=メインは、その役割を完璧に果たしていた。


「あはははは! リアト、貴方は勝てないわ!」ロンティエルが笑う。


 見ていれば、少しずつリアトの皮膚に裂傷が入っていく。それは大きな傷ではないが、徐々に彼女の動きを鈍くしていた。実体毒。少女はその正体を瞬間的に看破する。ランツは剣に、剣術士殺しの毒を仕込んでいるのだ。これでは、リアトは一撃も貰えないということになる。


 だがしかし、その前提はそもそも奇妙なのだ。特級剣術士であるリアトに、ランツの攻撃が当たる筈がない。イルファンはその疑問を口に出した。


「なんで師匠は《速気》とか《瞬避》を使わないの?」

「特質後遺症だ」と答えたのはローレンだが、その答えは不十分だった。


「だとしても、《瞬避》まで使わないのはおかしいと思わない?」


 ローレッドに居た頃から、師匠は《速気》は殆ど見せてくれなかった。だから、本当は師匠が特質後遺症を持っていたという話は理解出来る。しかし、ランツに対してならば、《速気》ではなく《瞬避》で十分だ。リアトはあの歩法を五段階の速度で発動することが可能な筈だった。


 現状、リアトは最低速である《一速瞬避》すら使っていなかった。彼女の口は堅く結ばれ、されど何かを確かめるように、その青い眼はランツと自身の生みだす剣筋をじっと睨んでいる。師匠はきっと何かを確かめているんだ。イルファンはそう確信した。


「剣のことは私には分からん」ローレンが言う。


 彼はもうすっかり観戦者の立ち位置に甘んじており、術式板を出す気配もない。まるで既に勝利したかのように、争いの気配を消していた。されど、イルファンは知る由もないが、男の冷たい眼は少女を見ていた。リアトと同じく、その内側にあるものを探ろうとするかのように。


 と、その時、防戦一方であったリアトが言った。


「やはり間違いない。ロンティエル、貴様はどこまで死を弄ぶ」


 何が起こったのだとばかりに、誰もが女の方を向いた。それを悠然と見るは、ロンティエル。彼女はひらひらと手を振り、リアトに答えた。


「気付くのが遅いじゃない」


 リアトは剣を打ち鳴らしながら、女を睨む。宍色の肌の女は、その強烈な視線を物ともせずに受け止めた。ロンティエルの赤い瞳がいよいよ妖しく輝いた。仕込んでいた種がようやく開花する、そんな顔をして。


「人形は剣すらも模倣する。この子には貴方と戦わせる為だけに特別な調整を行ったわ。ただの中級剣術士ランツの剣じゃないって気づいたんでしょ?」


「死んだ人間の剣術を模倣して、私を動揺させることが楽しいか」

「勿論。正攻法で『捨剣』のリアトを仕留められるわけがないもの」


 どういうことか。誰もが二人の言葉に耳を傾けたがそれだけでは分かるはずもない。この中では、リアト、それにロンティエルだけが気付いていたことだが、人形であるランツ=デルフォイの使用する剣術は紛れもなく死者のものだった。リアトが気付いたのはそのことだったのだ。


 あぁ、これはラクトの剣だ。


 それはアルト=デルフォイの双子の弟にして、剣に関して天賦の才を持つ者。かつて、ラクト、と呼ばれた少年の剣が眼前に蘇っていたという事実はリアトを苦しめる。何故なら彼は、リアトが自分の行いによって殺してしまった人間だったからだ。つまり、罪悪感と後悔からリアトは剣を振るえない。


「楽しみなさい」ロンティエルが笑う。


 意味が分からないながらもイルファンは場の空気が変わったことに気付いて恐怖した。これは駄目だ。これは駄目な流れだ。だがそう気付いたからと言って、自分に出来ることは何一つとしてない。


 ラクトの剣は拙いながらも、苛烈にして鋭利だった。リアトの迷いが浮かぶ長短剣を跳ね上げ、捌き、強引に押し崩す。かと思えば、攻撃の僅かな隙間を通すかのような一撃。それは女の皮膚を薄く裂き、剣に塗られた猛毒を流し込もうとする。この段に至って、ようやく、リアトは理解した。悠々と争いを眺めるロンティエルの目的がどこにあるのかを。そう、この女の目的は自分を殺すことなのだ。


 その微細な心の動きを感じ取ったように、ロンティエルが言った。


「特級剣術士の貴方を殺すことは、不可能に近かった。貴方を殺すことが出来るとすれば、その柔な心の傷を突くことだけ。卑怯に思えるでしょうけど、私にはそれしかなかった。ランツの肉体は構成情報から存在情報に至るまで、ラクトと一致する点を数多く持っていたわ。驚いたことに、兄であるアルトよりも多く。だから、私はランツをラクトへと『着せ替えられる』ようにしたの」


 一度、自分の所為で死んだ人間であるラクト。


 彼への思いは、深くリアトの脳中に沈殿して、彼女の行動を縛った。決して負けるはずのない脆弱な剣術士に対して、リアトは動けない。彼女を責めるのは、記憶の中の、たくさんの死者であり、そして、彼女自身が切り捨ててきた、されど、大事な人間たちだった。


 頭の中では、ラクトは何も言わない。琥珀髪のヴォファンと同様に、彼の眼には貫かれた決意のみ。その蒼い目はリアトと異なり澄んでいるように思えた。青年の、人形の、あるいは少年の、剣が伸びる。


「死ね! リアト!」ロンティエルが叫んだ。


 剣が、深々と突き刺さった。


 リアトの剣がラクトの胸を貫いていた。

 彼女は亡霊を殺し、イルファンを救うことを選択したのだ。


「リアト、様、よくぞ、僕を」ランツが言った。

「お前を斬ったつもりはない。私は、ただ選んだだけだ」リアトが答えた。


 ランツが悲しげな眼をして、リアトを見た。その瞳の奥にはどこまでも深く、どこまでも明るい光のような何かがあった。しかし、その光は今にも消えそうに明滅していた。苦悶とも歓喜ともつかない壮絶な顔をした青年は、その時、口から一筋の血を流しながら、リアトと彼だけしか知らない言葉をぽつりと零した。


「俺を、助けなく、て、いい。生きるのは、お前、でいい」

「駄目だ、それは止めろ、」


「なんだ?」


 ローレンが問うたが答えられるものはいない。


 リアトの唇がにわかに震えた。その言葉はかつて聞いたことのある言葉だった。リアトを生かした少年の別れの言葉。奥義を用いて、ランツの肉体を完全に破壊しようとしていたリアトの手が止まった。貫いたその肉に無防備に剣を突き刺したまま、女は驚いた表情で青年の瞳を見つめた。


「それは、駄目だ」リアトが言った。


 彼女の瞳は何処か遠いところへと向けられたように虚ろであった。決して失いたくはないものが失われていくときのような、絶望と諦めの入り交じった瞳で、女の腕から力が抜けた。だから彼女は、先程まで輝いていた青年の瞳から急速に意志と光が消えていくことに、一瞬だけ気付かなかった。


「駄目じゃないわよ」女が言う。


 瞬間、ランツの手に握られていた剣が伸びる。

 交差するように、鋼が肉に突き刺さった。


「ぬぅっ」リアトの口から声が漏れた。


「あぁ!!」


 それを聞いて、一人の少女が悲鳴に近い声を上げる。リアトは克服したはずの過去に、やはり呑まれる。肩を貫く鋼の刃は噴煙のような白い熱を吐き出しながら肉を焼いた。血がどくどくと溢れ、女は冷たい深淵の底へと崩れ落ちる。そのことはレアーツによって、予期されていた未来。十界法則を見通す剣王は『捨剣』のリアトの脆弱性を見抜いていた。


「呪界での流れは作られたのだから覆せるわけがないじゃない。それに、貴方にラクトが殺せるわけがないもの」

「師匠!!」


 師匠が死ぬ、と反射的にイルファンは飛び出しそうとした。その手には一本の剣も握ってはいない。それに気付いたのか、「待て」とローレン=ノーランが言った。彼の手には精巧な細工が施された長剣が握られている。その表面は泥と粉塵で汚れているものの、琥珀色に見えた。


「これを」ローレンが言う。


 この剣には見覚えがある。あの時は使われている鋼は見えなかったけど。確か出立時にリアトが隠すようにして持っていた筈だ。剣持ってるなら早く渡してよ、という気持ちを抑えて、イルファンはローレンから琥珀の剣を奪い取った。


 師匠はまだ死んでいないし、あの程度の男なら自分でも勝てる。そう思いながら、少女は駆けるように剣技を放ち、青年を斬る。滑らかな一太刀は、上級剣術士にも匹敵する精度。受け止めようとしたランツのバルニュスもろとも、腕を落とす。迷いのない剣だった。


「イルファン? どうかしたのかい?」

「ごめん」短く零して、イルファンはランツを蹴り飛ばした。


 まだ楽しかった、何も知らなかったあの頃のように青年が吹き飛ぶ。勢いを落とすことなく、少女は次にロンティエルを狙った。ランツが複製可能な『人形』であるというのならば、彼女を抑えるしかない。リアトは肩を貫かれたくらいで死にはしない、という奇妙な信頼。それに基づいて、イルファンは師匠を放置する。


 振り下ろされた剣は真交流秘技《破砕剣》。


 咄嗟に身を守ろうと、ロンティエルが放った骨棘を砕き、彼女に直撃する。どうせ死なないんでしょ、と思いながら、返し剣でもう一発。今度の技は、見様見真似の似非奥義《砕》であった。巨大な棍棒のような質量を有したまま、剣先が女を打ち据える。これには流石のロンティエルも吹き飛ばされた。ラベストリの力を持ってしても制御できない暴力。


 それこそが、彼女の求めていたものだった。そして、その暴力に潜在する、破魔の力が鍵となる。師匠に駆け寄る少女を横目で見ながら、ロンティエルは笑った。ラクトの策が失敗してもまだ手は残っている。殺すのは一人で良い。リアトさえ殺せれば、あとは坂を転がるように自然に流れていくのだから。



「師匠、生きてますか?」おずおずとイルファンが問う。


 その手はリアトの肩口に、優しく添えられている。溢れる血を塞ぎ、流し込まれた毒を除去しようとしているのだ。眩い霊力がイルファンの両手に集中し、癒しの光を放っていた。ロンティエルが倒れたことで、人形と骨棘から解放されたラツィオが傍へ来る。彼もまた、複雑な表情で、リアトとその脇のイルファンを見ていた。


「あ、あぁ、まだ死なないらしい」弱弱しい声が女の口から漏れた。


 幸いにも、リアトの傷は致命傷ではなかったようである。未だ、血は溢れているが、致死性の毒の大半は解毒されていた。


「不思議なことに、この場所では傷の治りが早くてな」

「そんなの良いから、寝ててください」


 二人のやり取りを眺めつつ、ラツィオは床から琥珀の剣を拾い上げる。自分とリアトしか知らないが、この剣には力が込められているのだ。と、その瞬間、ラツィオの手を誰かが握った。


 驚いて振り返れば、そこにはローレンの姿があった。


「どうしたんだ、血相変えて」ラツィオが言う。

「その剣は俺が預かっておく」


 どうしたのか、と思う間もなく、ローレンは剣を取り上げる。彼らしくもない仕草だ。とラツィオは不思議に思った。恐らくは剣の力に気付いたのだろうが、それにしては妙な反応だった。好奇心と恐怖が鬩ぎ合っているかのように、眉は顰められつつも、口元は緩んでいる。


「それは危険な魔道具だぞ?」

「いや、それだけじゃないな」


 ローレンが意味深に呟いたその時、


「ちょっと、二人とも! リアトを助けなさいよ」と少女が叫んだ。


 微妙な緊張感を崩して、少女は大声でさらに叫ぶ。次に声が向けられたのは、洞窟の端、土煙の舞う方向である。そこには、吹き飛ばされたデルフォイの子らがいるはずだった。


「ロンティエルとランツも、これ以上何かするなら許さないからね」


 その瞬間、ラツィオは何故だか不思議に思った。十界法則を重視する剣術士は、通常こんな言い回しをしない。何故ならば、このような『セリフ』は破局を招くからだ。これ以上、を暗に提示し、それを拒否する言い回しは意味を生み出す。意味とは、十界法則においては事象の流れと同義でさえある。


 仰向けに倒れていたロンティエルが笑った。


「これ以上? これ以上ですって!! 馬鹿な子!!」

「何が馬鹿ですって?」

「不用意に流れを作ってしまうなんて!!」


 つまり、意味の潜在性だ。


 物語において沈降していた意味は、必ず事象を伴って開示される。それは十界法則的な流れの歪み、あるいは綻び。その綻びが生まれることを、彼女は待っていた。はだけた薄い衣を直すこともしないで、ロンティエルはぬるりと立ち上がった。その唇はぴくりとも動かない。


「意味が存在するのならば、それは開示されなくてはならない」


 あぁ、ぞっとするほどに低い声で誰かが呟いた。その声は小さなものだったが、洞窟中に響き渡る。何重にも、重複し、その言葉の力を増すように。増すように。増すように。


 直後、イルファンら四人を魔法の黒煙が襲う。ラツィオ=メイン以外は、それが何であるかを理解していた。これは煙。『骸』による闇属魔法だ。イルファンは敵の確かな正体を知らずとも、煙を知覚するやいなや地面の剣を握ろうとした。されど、少女の白い手は空を掴む。


 何故、と考えた瞬間に思い出した。そういえば、琥珀の剣はローレンが持っている。ならば、と周囲の人間を探そうとするも僅かな先も見えない。どこまでも深く暗い闇が深淵を覆い、そして、鳥肌が立つような殺気が揺らめいた。


 イルファンは反射的にそちらへと拳を振るった。纏った靈力が闇を霧散させ、その先にいたのは、骸。虚ろな赤い目を光らせながら、男が近付く。その手に握られているのは不許流の薄短剣。少女は彼の腕を掴もうとして、しかし体勢を大きく崩した。男の腕が霧のように掻き消えたからだ。


「こいっ、つっ!」


 『空化使い』と気付いたが、時既に遅し。


 闇属の限定魔術士『骸』は、瞬時にラツィオを倒し、リアトも無視して、イルファンの心臓に短剣を放った。動けぬまま、少女の体に剣が吸い込まれ、致死の一撃がその形を成す。と、剣先に一人の肉体が滑り込んだ。彼女が蒼い髪を靡かせてイルファンを庇うように前に出ると、『骸』の短剣はその心臓に伸びた。正確無比な攻撃が鼓動を止める。それは咄嗟の判断だった。彼女はゆっくりと崩れ落ちると、湿った地面の上で僅かに跳ねた。一つ、二つ。そして動かなくなった。


 リアトは心臓を貫かれたのだ。


 そこからの事態はもはや説明するまでもない。師匠の靈気が消滅すると同時に、琥珀の剣は振動を始め、周囲の闇を、瞬時に霧散消滅させていた。ローレンは意識を失ったラツィオを引きづりながら、この事態が破局へと向かっていることを知った。


 彼の眼前には、琥珀の髪の少女。

 その目に、理性の色は見られない。

 ローレンが言った。


「イルファン、俺は敵じゃない」


 そして、同時にロンティエルは叫んだ。


「レアーツ=ルーミン! 貴方、見ているんでしょう?」


 その声に答えるように、視認不能な速度で投げられた剣が、女の身を貫いた。堅い深淵の土に張り付けるかのように、バルニュスが女を封じる。その剣は至極一般的な、皇神鋼の剣であったが、ローレンには所有者が分かった。魔獣パーンリアとの戦いの際に、それを見ていたからだ。


 同時に、深淵の遥か上方から、一人の男が落ちてくる。彼は空気を制御しているかのように、ゆったりと着地する。一体いつからこの事象を観察していたのか、分からぬまま、呆気に取られたまま、ローレンは馬鹿のように動きを止めた。レアーツは男に注意を払うことなく、ゆっくりと周囲の状況を確認する。そして、剣王の眼が琥珀の剣を発動させたイルファンを捉えた。


「勿論見ていたとも。悪くない流れだ」剣王レアーツが言った。

「忌々しい。予言者気取りね」

「思い通りにならぬことは俺にもあるがな」


 そう言うと男は、倒れたリアトを興味深げに見つめた。

 

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