第20話「熱があっても宇宙は待たない」
ギルドに戻ると、リアムが申し訳なさそうな顔で待ち構えていた。その表情だけで、碌な話じゃないとわかった。
「マツオカさん、その……」
「言いな」
「依頼が入ってまして。ビショップさんが、できれば今日中に、と」
「今日中」
「は、はい……」
チャックは天井を仰いだ。D-12の一件が片付いたばかりだというのに、ギルドというのは容赦がない。宇宙は広いが、休暇は狭い。
「内容は」
「ヘイブン方面への小型医療物資の輸送です。緊急性が高くて、他に手が空いている航宙士が……」
「わかった」
「本当に大丈夫ですか? 顔色が」
「お前もか」
リアムはおずおずと体温計を差し出した。
「一応……ビショップさんが、確認してから出発するようにって」
チャックはため息をついてから、体温計を受け取った。数値は三十八度二分だった。
「……これ、熱があるな」
「あります」
「言うな」
「す、すみません」
『チャック船長、現在の状態での出発は推奨しません』
コクピットに乗り込んだ途端、アイリーンがそう言った。
「わかってる」
『体温が三十八度を超えています。判断力と反応速度が、通常時比でおよそ十五パーセント低下すると推測されます』
「十五パーセントか。まだ八十五パーセントある」
『……チャック船長らしい解釈ですね』
「褒め言葉として受け取っておく。ルート出してくれ」
セカンドライフのエンジンが静かに唸り始めた。アイリーンは一瞬の間を置いてから、ヘイブン方面への最短ルートを計算し始めた。反論はしなかった。してもどうせ聞かないことを、長い付き合いで学んでいるのだろう。
『最短ルートを出しました。ただし、途中の中継点でGゾーンを通過します。現在、そのエリアに軽微なデブリ警報が出ています』
「避けられるか?」
『迂回した場合、二時間ほど余計にかかります』
「……迂回しろ」
熱があるときに、デブリ帯を抜ける判断力が自分にあるとは思えなかった。それくらいの分別は、まだある。
『了解しました。……コーヒーのポッドに、解熱剤を入れておきます』
「薬をコーヒーに混ぜるな」
『お薬単体では飲まれないと思いまして』
「……一緒に出してくれ」
航行中、チャックはシートを倒して横になった。正式には「待機状態」だが、実態はほぼ仮眠だ。アイリーンが自動操縦をしているあいだ、やることもない。
夢とも微睡みともつかない時間の中で、D-12の記憶がぼんやり浮かんだ。クラインの冷たい目。レックスの「お人好し」という言葉。ビショップの穏やかな笑み。
それから、アイリーンのことを考えた。
彼女の出自について、まだ何もわかっていない。サイノシュア社が開発した、時代を先取りしすぎたAI。なぜ中古市場に流れたのか。なぜ自分のような男が買えたのか。
何かが、引っかかっている。
「アイリーン」
『はい』
「お前って、自分のことを調べてるんだろ」
しばらくの沈黙があった。アイリーンにしては珍しい、少し長い沈黙だった。
『……そうですね。少しずつ』
「何かわかったか?」
『まだ断片的なものです。チャック船長にお話しできる段階ではありません』
「そうか」
『……ご心配をおかけしたいわけではないのです。ただ、確信のないことをお伝えするのは、誠実ではないと思っていて』
「わかった。わかったから、わかったときに教えてくれ」
『はい』
また沈黙。今度は、悪くない沈黙だった。
「熱があると、妙に眠くなるな」
『それが熱の本来の働きです。免疫が活性化しているサインですので、眠れるときに眠ってください』
「お前が起こしてくれるか?」
『もちろんです。到着三十分前に』
「頼む」
チャックは目を閉じた。エンジンの低い振動が、揺りかごのように体を包んでいた。宇宙は静かで、广大で、ひどく寒い場所だが、このシップの中だけは、妙に温かかった。
ヘイブンへの到着は、予定通りだった。
医療物資の引き渡しはスムーズで、担当者は「助かりました」と深々と頭を下げた。その物資が何に使われるのか、チャックには聞かなかった。聞かなくても、人の命に関わるものだということはわかる。
帰路についたとき、体温は三十七度台に下がっていた。
「解熱剤、効いたな」
『ええ。コーヒーに混ぜておいてよかったです』
「……混ぜてたのか」
『先ほど正直に申し上げました』
「正直に言うタイミングが遅い」
『飲んだ後に言うのが最も効率的と判断しました』
チャックは文句を言おうとして、やめた。確かに効率的だし、結果として熱も下がっている。文句の言いようがない。
「ありがとな、アイリーン」
『……お礼を言われると、少し困ります』
「なんで」
『嬉しくて、返答に詰まってしまうので』
チャックは思わず笑った。三十八度の熱がある夜に、宇宙の真ん中で、AIに笑わされるとは思っていなかった。
「悪くない一日だったな」
『熱がありながら輸送を完遂されましたので、私個人としては複雑な評価ですが』
「合格点はやるだろ」
『……ぎりぎり、でしょうか』
セカンドライフはタルタロスへの帰路を進んだ。チャックはもう一度シートを倒し、今度は本物の眠りに落ちた。
アイリーンはそれを見届けて、静かに船内の照明を落とした。




