120:避難
王都から届けられたカスペルさんの手紙には、私の身を案じる言葉が綴られていた。どうやらリーンハルトさんがカスペルさんの許を訪れ、私にルストゥの民の村で身を隠すよう勧めていることを聞かされたらしい。その意見に賛同すること、また、仕事のことは気にしなくていいとの優しすぎる言葉の数々が手紙には書かれていた。
ただでさえ人手不足なのに、更にトラブルを持ち込んでしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだ。カスペルさんも知らせを聞いたときはきっと頭を抱えただろうに、そんなことは露ほども見せない思いやり溢れる手紙を送ってきてくれた。
心から感謝しつつ、落ち着いたら王属調合師助手としてしっかり仕事に励もう、と心に決める。
カスペルさんの手紙が届いてから、私はルストゥの民の村に身を隠す準備を始めた。といってもただ荷物をまとめ、フラリア支部でちょっとばかりの引継ぎ作業を行っただけだ。
準備する中で、てっきり王都に戻るとばかり思っていた後輩二人から驚きの言葉を告げられた。
「ラウラさん、僕たちはフラリアに残ります」
「えっ」
「ラウラさんの分も、調合してますから」
「そうそう、だから安心してラウラは休んでてー!」
力強く頷くバジリオさんと、ニコニコ笑顔のアイリス。彼らの意思は固いようだった。
私がこんなことになってしまったばっかりに、先輩のフォローを後輩にさせてしまうなんて。情けないことこの上ない。しかしそれと同時に、後輩二人が今まで以上に頼もしく見えて。
私は謝罪とお願いの意を込めて頭を下げた。
「不甲斐ない先輩でごめんなさい。どうかよろしくお願いします」
ぽん、と両肩に大きさの異なる二つの手が添えられる。顔を上げれば、そこには微笑むアイリスとバジリオさんの顔があった。
「任せてください。僕たちはラウラさんに調合を教わったんですから、大丈夫です」
「また落ち着いたら、いろいろ教えてねー!」
例年より多く採用された今年の新入りたちは、一年目にして魔王復活というとんでもない出来事に遭遇している。きっとアイリスとバジリオさんの同期たちもみんな、忙しくしているに違いない。
採用前には思いもしなかったであろう出来事の連続なのに、それでも前を向く後輩たちに励まされる。
「ラウラさんは今までずーっと忙しかったんですから、たまにはゆっくり休むことも必要ですよ」
バジリオさんの言葉に苦笑した。
自分で言うことでもないが、確かにここ最近はイベント盛り沢山でゆっくりする時間はなかったかもしれない。小さく頷けば、バジリオさんは優しく微笑んだ。
ふと、アイリスが私の耳に口を寄せてきた。そして小さな声で囁く。
「ラウラ、みんなによろしくね」
アイリスの言葉にも頷く。ジークさんたちが育った村だと言っていたが、アイリスにとってもそうなのだろうか。もしかすると彼女の馴染みの人もいるのかもしれない。
――その後、アイリスとバジリオさんにフラリア支部の設備等の説明を一通りして、私は一度宿屋に戻った。明日にはフラリアを出て村へと向かうから、忘れ物がないようにしっかり準備をしなくてはならない。
宿屋に入り自分の部屋へ向かう途中、廊下を歩いていると向こう側から見慣れた人影が歩いてきた。動きやすそうな服装に短い茶髪。マルタだ。
彼女は小さな荷物を肩に担いで宿屋のフロントに向かっているようだった。もう旅立つのだろうか。
私に気が付いたマルタに手を振ると、彼女は笑顔で駆け寄ってきた。
「やっほー、ラウラ。どこかに身を隠すんだって?」
「えぇ、まぁ……。マルタさんはもう行かれるんですか?」
「うん。ここら辺にはもう目ぼしいものなさそうだしね〜」
あはー、と口を開けて笑うマルタ。彼女のおかげで私は助かったのだから、こうして出会えて本当に良かった。
それにしても、なぜこのフラリアにマルタが来ていたのだろう。彼女が好みそうなお宝話はこの街にあっただろうか。
「そもそもどうしてマルタさんはフラリアに?」
「ん? なんか噂でなんでも治せる魔法みたいな水があるって聞いたからさ」
――なるほど。マルタは精霊の飲み水に誘われてフラリアへとやってきたらしい。ある意味、私は自分で自分を救ってくれる助っ人を呼び寄せたということか。
思わぬ偶然に誰にか分からないが感謝しながら、再び問いかける。
「次はどこへ行かれるんですか?」
「う〜ん、どうしよっかな。いっそ勇者サマを追っかけてみるとか? なんか勇者サマの旅に着いてったら、珍しいもの見れそうじゃない?」
その言葉は「ラストブレイブ」でも聞いた覚えがあった。ゲームのマルタは似たようなことを主人公に言って、半ば強引に旅に同行するようになるのだ。もしかすると彼女はこれからルカーシュたちと合流するのかもしれない。
今世でもパーティーメンバーにマルタが加わってくれるといいな、とひっそり願いつつ、彼女に同意する。
「それはいいかもしれませんね」
「でしょでしょ。よーっし、ラウラのお墨付きももらったし、ちょっと勇者サマの後追っかけてみようかな」
マルタの言葉にそっと微笑む。追いかけるとして合流できる確証はないが、もし今世の勇者一行にマルタが加わったらどうなるのだろう。アルノルトとは最初は相性が悪そうだな、などと一人で想像する。
どうなるにせよ、仲間が増えるとしたらそれは勇者たちにとても心強いことだろう。
「勇者様に会ったら、よろしく伝えてください」
「りょーかい。またね、ラウラ。これはありがたくもらってくよ」
マルタは腰につけていたポーチから私が渡した試作品を取り出した。数本しかないが、旅の中で彼女の役に立てばいい。
「はい、また」
また出会えたら、と願いつつ微笑んだ。
マルタは最後に満面の笑みで私の肩を数度叩くと、振り返ることなく廊下を歩いていく。その背中はなんだかとっても頼もしく見えて。
マルタと出会えた偶然に感謝しながら、私は自分の部屋で荷物をまとめた。
***
リーンハルトさんはフラリアまで馬車を寄こしてくれた。レオンさんが御者を務め、ジークさんが護衛として同席してくれるようだった。
「ラウラちゃん、どうか気を付けて」
「後は任せて!」
「ゆっくり休まれてくださいね」
見送りにきてくれたオリヴェルさん、アイリス、バジリオさんと別れの挨拶をかわしてから、私は馬車へと乗り込んだ。――瞬間、何かがどん! と抱き着いてきて私は思わずよろける。ぐ、と足に力をいれてなんとか踏ん張り、
「ラウラ!」
名前を呼ばれた声にはっと抱き着いてきた“何か”の正体を悟った。
抱き着いてきた“その子”を落とさないように体勢を安定させてから顔を覗き込む。すると予想通り、黒い瞳と目が合った。やっぱり、と思ったその瞬間に「ふふふ」と優し気な笑い声が聞こえてきて、ぱっと顔を上げた先にいたのは、優雅に座るエルフの女性。
「エルヴィーラちゃん、それにメルツェーデスさん!」
名前を呼べば、二人とも笑って応えてくれた。そうだろうと思っていたが、エルヴィーラも私と同じようにルストゥの民の村に身を隠すようだ。メルツェーデスさんは付き添いだろう。
ジークさんに勧められてとりあえず席に座る。すると馬車が出発した。
「ラウラちゃん、大丈夫だった?」
「はい、ご心配おかけしました」
メルツェーデスさんは私の答えにほっと息をつくと、傍らに持っていた鞄からおもむろに封筒を取り出した。そして向かいの席に座る私に差し出してくる。
飾りどころか封もされていない、シンプルすぎる封筒だ。こうして渡してきた以上は私宛の手紙なのだろうが、一体誰からだろう、と首を傾げて、
「これ、お師匠様から預かってきたわ」
お師匠の手紙だと聞かされ、一瞬息を飲む。
エルヴィーラの自壊病を治してから、まだお師匠ときちんと話せていない。私が忙しかったというのもあるが、それ以上に彼女が捕まらなかったのだ。まだ王都に滞在しているようで宿屋の部屋はとっていたが、いつ訪ねてもお師匠の姿はなかった。しかし女将さん曰く一日に一度はフロントに顔を見せているようだったから、何かあったのではなくただ私のタイミングが悪いのだ、と思っていたのだが――
私はメルツェーデスさんから封筒を受け取る。そしてゆっくりと中から手紙を取り出した。
――まず、謝らねばならん。お主が何度も宿屋を訪ねてくれるのは知っていて、会わないように避けていた。どんな顔をして、何を話せばいいのか、まだ分からんかったんじゃ。
ゆっくりと字を辿る。
エルヴィーラの話はメルツェーデスから聞いた。おめでとう。
お主を気まぐれに弟子にとったわしの目は確かじゃったということじゃ。よくやってくれた。
脳裏にお師匠の顔が浮かぶ。あぁ、会いたいな、と思った。会って、ゆっくりと話がしたい。私にこの道を与えてくれた恩人に。
全て終わったら、アネットの墓参りに一緒に行ってくれんか。
自慢の弟子だと紹介させてくれ。
お師匠は目の前にいないのに、私は返事をするように何度も頷いていた。
アネットさんのお墓参りに行って、私もお礼を言いたい。あなたと、あなたのおばあ様のおかげで私は今、ここにいるのだと。
くれぐれも体には気を付けるように。
では、また。
その文章で手紙は締めくくられていた。
短い手紙だ。お師匠らしい、簡素な手紙だ。しかしこれ以上なく、嬉しい手紙だ。
涙が出るのではなく、じんわりと胸の奥があたたかくなった。一人でお師匠からの手紙噛み締めていると、不思議そうにこちらを見つめてくるエルヴィーラの黒い瞳と目が合った。
「いいこと、書かれてたの?」
「うん」
頷けば、エルヴィーラは「よかったね」と嬉しそうに笑ってくれた。
――エルヴィーラの自壊病は治った。しかしそれで全てが終わったわけではない。ルカーシュたちが魔王を倒してくれてはじめて、この世界に、私たちに真の平和が訪れるのだ。
やがて訪れる平和を信じて、お師匠と一緒にアネットさんの墓参りに行く日を夢見て、今は身を守る術を模索しよう。




