勝つためには勝たなければならない
【豪胆な暗殺者】カムイは久しぶりの焦りを感じていた。そのせいで知恵も身体も足りなかった餓鬼の時代を思い出さずにはいられない。
スラムでただ生き繋ぐためだけの飯を充てがわれながら、ぎりぎりで生きていたチンピラの下っ端の時代。
命なんてものに道徳的価値はなく、無謀な注文に何度も死にかけた。空腹と仕事の倦怠感に呑まれそうになりながらも時には、棘を身体に打ってまで耐え忍んで学び、カムイは鍛え続けた。
過去には必要とあらば正面切っての暗殺さえ成功させ、大貴族や上位の冒険者が恐れるほどその実力を伸ばしている。
──それが今、この有様だ。
裏稼業も表稼業も、武術も魔術も、選り抜きの実力を持っているはずの彼は、その全てをたやすく打ち破られ、どれほど集中しても針の穴一本さえ抜け道が感じられない。
(策も駄目、力押しも駄目、ちったあマシになれたつもりだったが……。俺はこんなに弱かったのかね? 逃亡も──ああ畜生! 参ったね!)
逃亡を考えたところで、その僅かな気配の変化に眼の前の老爺はカムイの後ろから殺気をぶつけてみせた。
「よぉよぉ、若いの。遊びはもう終わりかね?」
そう言いながら老爺は、当たれば必死の光線をふざけたリズムで放つ。
(クソじじい!! 俺は死なないだけでイッパイイッパイ! ──だってのに!)
「焦りから渇望が消え始めたぞ、若いの」
「ぐっ!!」
光線がカムイの肩を焦がす。
「レベル40と言ったところだな。まだまだ行けそうだが持ち前の貪欲さが諦念に負けたようだ」
(いや、ほんとに遊びかよ。このジジイ!)
「慎重め。まだ喋らんか、しかし態度とは裏腹に眼は早くも敗北者だなあ」
ひっひと笑いながら耳たぶを触る老爺がそう言って、指先の動き一つで虚空より放つ光線がカムイのかかとを撃った。
「ほれ、逃げなきゃ当たらなかった」
(やっぱり負けか? なすすべもなく俺が?)
「ほれほれ、何だその目は負けたいのか負けたくないのか。そなたの声紋を見せてみい」
(喋れない、喋ればきっと封じられる、それ程の実力差! 魔法は使えない。 しかしこんなところで負けるわけにはいかない……!)
カムイのかかとは火傷を負ったが、かすっただけで傷は浅い。まだ行けるのだと、カムイは信じるしかなかった。
(とにかく生き延びねば明日はない、死んだら終わり。ならば一秒でも長く生きて乗り越えなければ!!)
「おお良い良い。目に渇望の色が戻ったな。ならばせいぜい生き延びよ。儚いじじいの儚い余興じゃ」
威力も速度も数も増してゆく数多の光線の中をカムイは必死に生き延びる。瞬きは許されない。幾つか急所を外して射抜かれることに甘んじても止まってはならない。
(ああ! まったく! じじいの手の平の上、そんな嫌なところで終われるかよ!)
息も絶え絶え、満身創痍、それでもカムイは絶対に今ここで老爺をぶっ殺してやると考えていた。殺意をむき出しにして、射殺さんばかりに鋭くしたその瞳で、細い針の穴が見える瞬間を伺う。
(今までそうしてきたように、今もそうするだけだ。生き延びれば明日がある。明日があるやつは死んだやつよりずっと強え。だから活路、活路、活路は──今だ!)
魔術の行使における声紋を拡散させない独自の術式、人前では絶対に見せなかった消音魔術を応用した切り札の一つ。
(声は初めから使えるんだよ。威力はずっと下がるがな)
「ほお、面白い。来たまえ──なにっ!!」
突然の魔術の発動に老爺は一瞬身構え、直後驚愕した。
カムイの放った刺突の魔術はカムイ自身に向けられ、まるで矢の如くカムイを飛ばす。そしてカムイは瞬く間に戦場から離脱してみせたのである。
「命を脅かされて尚、使えた魔術を使わず、その上強烈な殺気も布石だったか。もしや魔法が使えたのに諦めたのも? いやあれは本当だ。ならば土壇場でそれさえも布石にしたか。ひっひ、手抜きだったとはいえしてやられたわ。心と頭、勘と知恵、巧く使い分けておる。それにあの底知れない貪欲さと来た。あの若さなら、とんだ化物の子じゃなあ」
老爺は満足そうに笑い、カムイを追うことなくローブを深く被ると、まるでただの老爺のように背を曲げてよぼよぼとその場を立ち去った。