Ⅶ:すっとびボールの眼差し
ゼロシキが、目を丸くした。
「おおっ、よくこれがすっとびボールだって知ってたな、さすがはマイ・スウィートエンジェル」
「知りたくて知ったわけじゃないよ…」
ガトールークは、ため息をついた。
「うちにいるフェニックスがこれに追いかけられてさ、…
こいつらのせいで、俺もう死にかけたんだぞ」
「そりゃあ愉快だ、要するに、エンジェルはすっとびボールにひどい目にあわされっぱなしってワケだな」
「ああそうだよゼロシキ、もう見たくもないよ。
頼むから、すっとびボールって言うな」
ゼロシキは、腰に手を当てて、続けた。
「いやあ、すっとびボールもついに五代目だな。
初代はかなり大型だったんだが、第五期のすっとびボールはこんなに薄くてちっこくなるんだぜ。
オレ様的には三期のすっとびボールが好みだったが、こいつを見ちゃあ、やっぱり最新のすっとびボールが…」
「ちょっ、だからすっとびボールって言うなってば!」
ガトールークが、耳をふさぐ。
「はっはっは、すまんすまん。 つい、遊んじまった」
ゼロシキは頭をかき、
「…でもエンジェル、
お前、自分でも今何度か言ったよな、すっとびボールって」
…得意げな笑みを浮かべた。
「い、言ったよ!
言ったけど!
ああもう、なんだよっ」
普段、ガトールークの周囲に、こんな他愛もない意地悪をしてくる人物はいない。
彼は、完全に手玉にとられていた。
「とにかくだ」
ゼロシキのいかつい手が、ガトールークの頭に乗せられた。
「今日は、変に魔法屋なんか開けねえで、うちで大人しくしてろよ?
わかったな、マイ・スウィートエンジェル」
「…そんなにうちにいなきゃだめかなあ」
「ったりめーだろ、お前の魔力は人間の中じゃ群を抜いてるはずだ。
ガルシア様のお散歩中に発見されて、ヤツのおやつになっちまうなんて、情けねえ話じゃねえか」
ゼロシキは、口角を上げる。
「まあ見てな、今日はすっとびボールの独壇場だぜ?」
「ああっ、だから!」
「はいはい、わかったわかった。
ったく今日もすこぶる可愛いじゃねえの、マイ・スウィートエンジェル」
「うるせー、ほっとけ!」
朝食がすんで片づいた机上に並べられた、五枚のプラスチック板が、みるみる偵察機に変形する。
その様を見て、
「プキャー!」
…ロコが、テーブルの上で笑い転げる。
「すっとび、すっとび!
きゃははは、ガトールーク、すっとびー!」
それを見てため息をつくガトールーク。
フェニックスは、顔面を蒼白にしている。
「…まさか再び、これを目にする日が来ようとはな…」
「いやー、どうもこのうちはすっとびボールに深ーい因縁があるみてえだなあ」
ゼロシキは笑う。
「あー、愉快愉快」
「すっとびボール!
すっとび!きゃはー!」
「おっ、ロコは嬉しいか」
「すっとびボール!
なまえ、へんなノー!」
ロコは、プロペラを回しはじめたすっとびボールを、瞳を輝かせて、見つめる。
黒い球体は、次々に離陸する。
ゼロシキの手元にある薄いガラス板のような機械に、五つの映像が、映し出された。
「何、それ?」
ガトールークは、その画面をのぞく。
「すっとびボードさ」
「…あのさあゼロシキ」
「おう」
「お前、ふざけて言ってんだろ」
「なワケあるかよ、ちゃんと商品名だっつーの」
ロコは息がつまるほど爆笑している。
それに対してフェニックスは、机にひじをついて、うつむくばかりだ。
「いいかエンジェル、すっとびボールを複数使うのに際して開発されたのが、このすっとびボードだ」
ゼロシキは、画面をいじりながら言う。
「今までは、すっとびボール一機につき、一台の『すっとびリモコン』が必要だったんだが、第五世代からはまとめて30台までのすっとびボールが、この『すっとびボード』で管制できるようになったんだぜ。
どうだ、すげーだろ」
「…もういいよ」
ガトールークが机に頭を突っ伏したのを見て、ゼロシキはにやりと笑い、
「さあて、始めようか!」
────画面を、さっとなぞる。
すっとびボールたちは、それに導かれ、勢いよく窓の外に飛び出していった。
「すっとび、ばいばーい」
にこにこしながら手を振って見送るロコ。
彼に、ゼロシキが、ボードを見せた。
「ほうら、すっとびボールが見てる世界だ」
「わあ!」
ロコが目をきらきらさせる。
興奮したロコは、うつぶせるガトールークの頭をさすった。
「ねー、ガトールーク、ガトールーク!
すっとび、おもしろいヨー!」
「うん」
「みてー!」
「うん」
「…みてー」
「うん」
…空返事をする彼にロコはむくれ、
「いいもん、ぼく、のこりのかさまんじう、ぜんぶたべちゃうもーん」
「…えっ
…それはやだ」
…起き上がったガトールークに、満面の笑みを見せる。
ガトールークは、しぶしぶすっとびボードに視線をやり──────
「…わあ」
思わず、ため息をつく。
「すごいなあ、もうみんな別々のとこにあるんだ。
機械じゃないみたいに器用だなあ」
「そうさ、オレ様の管制力のなせる技ってとこだな」
ゼロシキが、一機めの映像が映る範囲に触れた。
「エンジェル、昨日、ガルシアが兵士を食った部屋ってどこだ」
「四階の角っこだったかな…
階段を上がって、右に曲がった突き当たりだと思うんだけど」
「何か、わかりやすい目印とかねえのか」
「…うーん…
部屋のすぐ前の天井に、通気ダクトがあるんだけど…
昨日俺が入ったから、もしかしたらまだふたが開きっぱなしかもしれない」
「開きっぱなしのダクトのふたのある四階の角部屋な」
ゼロシキは、画面を操作する。
すっとびボールは、人の足元や、城の高い天井すれすれ、とにかく壁寄りのすみを駆けていく。
確かに普段視線をそんな場所に向けることはあまりないから、そうやって飛んでいけば見つかりづらいだろう。
すっとびボールは、あっというまに四階のすみについたらしい。
ゼロシキがすっとびボードをタップする。
「こうするとカメラが切り替わる」
第一機の映像に、コンクリート打ちっぱなしの暗がりが映る。
「あ、これだ。
ダクト、これだよ」
ガトールークは、声をあげた。
ゼロシキはうなずき、ライトをつけたすっとびボールをその中へ進める。
「えーと、部屋の方向はだいたいこっちだから…
おっ、出口見っけ」
「…あ
昨日俺がいたとこだ」
「おう、そうか…
結構お前も危なかったんじゃねえの、至近距離だぜ」
「いや、至近ってほどじゃ…」
そんなことを話しているうちに、
すっとびボールの視野は、下方に移る。
通気ダクトの、網状のふた。
そこに、
…何やら、細い、金属製のかぎのようなものが引っかかる。
「えっ?
ちょ、周りに何か…」
怪訝な顔のガトールーク。
「いいや」
ゼロシキが、その肩を抱き寄せた。
「このカギ爪は、すっとびボールから出てんだ」
「…えっ?
だってすっとびボールって、偵察機じゃ…」
「そう、偵察機だ。
第四世代までは映像しか撮れなかったんだが、第五世代からは音声も入るようになった。
ついでにオプション用のアームもついてな、改造の幅が大いに広がったぜ」
「…じゃ、これ…」
「ああ。
公式のオプションじゃねえが、ゼロシキ様特製のロボットアームだ。
性能は折り紙つきさ」
画面の中で、すっとびボールの腕が、ひょいとふたを脇にずらした。
たやすく室内に入りこみ、
…天井に、はりついたようだ。
カメラを室内に向ける。
「監視カメラ1な」
ガトールークに笑いかけるゼロシキは、得意そうだ。
同じ要領で、彼は、他の場所にもすっとびボールを飛ばしていく。
二階の応接間と、階段のそばの花瓶の近くの天井に、それを設置した。
「あとはやっぱ姫の部屋だよな。
エンジェル、場所わかるか?」
ゼロシキが尋ねる。
「…五階ってことしか知らないけど…」
ガトールークは少しつまり、
… 訊き返した。
「…いる?それ」
「そりゃそうだろ、だってガルシアのターゲットなんだから」
「…そうだよな…」
「ははあん」
ゼロシキは、画面をなぞりながら、目を細める。
「姫の部屋にカメラ設置すんのイヤか?
そりゃさぞかし可愛い姫サンなんだろうな、お前が女だって認識するくらいだから」
「…な、なんだよ…
俺だって、相手が男か女かくらいわかるよ」
「おおそうとも。
あー、いいねえ、青春ってのは」
「はあ…?」
眉を寄せるガトールークを見て、フェニックスが微笑する。
「何笑ってんだよフェニックスー、俺だって雌雄の区別ぐらいつくって言ってくれよ」
「お前の青春は今だけだぞ、存分に楽しめ」
「あのなあ、俺もう23だぞ?
青春なんか気づかないまに終わったよ」
「せいしゅん、なにー?」
首をかしげるロコに、フェニックスは片目をつむって見せる。
ロコがますます、首をひねった。
そうこうしているうちにゼロシキは、姫の部屋を探し当てて、またダクトを通り抜け、室内の監視を始める。
「さあて、あとひとつは…」
ゼロシキが、五つめのパネルに触れようとした、
そのとき。
「うおっ!」
彼は、目を見開いた。
その瞬間の映像は、ロコとガトールークも見ていた。
「いま、びゅんってしたネ…」
「ああ…
何かにぶつかったのかな」
あまりにも速く、視界が横切っていったのだ。
カメラが切り替わったわけでもないし、すっとびボールの動きによるものではないだろう。
二人と一匹は、食い入るように画面を見つめる。
…
しばらく画像は真っ暗のまま止まり────────
…
───────ようやく明るくなったとき、
…見慣れた顔が、そこに現れた。
白い肌、青い瞳──────
「セレスティーナ!」
ロコとガトールークが、一緒に声をあげた。
四角い映像の中で、セレスティーナはしかめっ面をカメラに向け、
あっかんべーをして、
…その手で、カメラを覆ったらしい。
画像が黒一色になる。
次の瞬間。
突然画面が2、3度瞬き、
そこに、
《No Signal》
…と、赤い文字が点滅を繰り返す。
ゼロシキが頭をかく。
「そういやあ、セレスティーナには、すっとびボール飛ばすって言ってなかったな…」
おそらく、すっとびボールは、握りつぶされてしまったのだろう。
無理もない。
セレスティーナが、これがアデリーのものでなくゼロシキの機械だということを認識できる要素は、どこにもないのだから。
何かしらの目印をつけておくべきだった───────
というよりは、昨夜セレスティーナにしゃべっておかなかったのが一番の失敗だ。
ゼロシキは、ポケットから、小さく折りたたまれているすっとびボールを取り出し、ふたたび飛ばして、城に向かわせた。
「いやー、さすがだな。
オレ様でも、すっとびボールを一発でぶっ壊すなんてムリだ」
「そりゃあ、セレスティーナは魔族だから…
しかもオーガ種だし」
「おおっ、あいつ鬼か!
そいつぁすげえ、バカ力も納得だ」
しゃべっているあいだに、ゼロシキは器用にすっとびボールを進める。
それを三階の、王族たちが集まって正餐をとり行う、ダイニングルームに設置した。
そしてゼロシキは、
──────画面をスリープモードに切り替えた。
「あれ、見ないの?」
ガトールークは首をかしげる。
「録画してるから、心配すんな。
いっぺんに五つも見れねえだろ?」
「ああ、そうだよな」
「それに、エンジェルにひっくり返られちゃ困るしな」
「…ひっくり返る?」
「… ちょっと、ガルシア、トラウマになっただろ」
ガトールークは、一瞬言葉につまり──────
…低く、くぐもった声で、返す。
「…そんなこと」
ゼロシキが、
…にっ、と、笑った。
「それにほら、姫サンがうっかり着替えはじめでもしたら、お前どうすんだ?
血がのぼって、ぶっ倒れちまうに決まってる」
「なっ!
そんなこと、ねえよ!」
「いーや、違えねえ。
お前はまだまだうぶだからなあ、マイ・スウィートエンジェル」
顔を真っ赤にしたガトールークを見て、ロコが必死に笑いをこらえている。
向かいに腰かけたフェニックスが、唇の端に微笑をたたえていた。
この、一人と一匹の裏切り者たちに何か言ってやろうと考える彼の思考、
それは、ゼロシキの抱擁に、遮られた。
ゼロシキは、場をにごすのがうまい。
空気を読むことに関して非常に器用な反面、雰囲気を気にしすぎて自分の考えをストレートに言えない部分も持ち合わせている。
とってつけた、からかうような言い訳。
まだまだ経験の浅い自分を傷つけないための、彼の気遣いなのだ。
ガトールークは、ゼロシキの腕の中をすり抜けた。
台所へ走っていき、
酒饅頭のいっぱい入った包みを抱えて、戻ってくる。
それをテーブルに下ろしてほどき、白い饅頭を取り出した。
「あー、かさまんじう!
ぼくも、ぼくも!」
「ロコも?
ほら、おいで」
ロコが机の上を駆けてきて、その体には少し大きいような饅頭を、ガトールークの手から受け取った。
ためらいなくかじりはじめる。
「おっ、すっかり酒まんのとりこだな」
ゼロシキは満足げに微笑み、
「…あ」
はっと、目を見開いた。
「どうした、ゼロシキ?」
「忘れてた。
エンジェルにはもうひとつ土産があったんだよな」
彼は、テーブルの下からトランクを引きずり出し、それを開けて、中に腕を突っ込んだ。
その手が出てきたとき、
それは、ひとつの木箱をつかんでいた。
ゼロシキはかばんを閉め、机上に箱を置く。
「短剣だ、オレ様も扱えねえってアレさ」
「ああ、言ってたな。
どれどれ…
危ないかもしれないから、ロコは離れてな」
ロコが少し距離をおいたのを確認して、
ガトールークは、ふたを開けた。
臙脂色の布に、くるまれている。
そっと、それをめくる。
その瞬間、
突然、まばゆいばかりの光を放ち、炎のような輝きがあがった!
「…すごい魔力だ」
炎は絶え間なく形を変え、色を改める。
まるで、見るものを挑発するかのように。
彼は、炎の発生源に、手を伸ばす。
その閃光に指先が触れ──────
彼は、少しばかり、頭をもたげた。
炎は、驚くほど穏やかに、彼の通行を許したのだ。
ガトールークの手が、柄を握る。
炎は、瞬き、
…
収束した。
「おおっ、さすがマイ・スウィートエンジェル。
そいつを抑えこめちまうとは、さすがだな」
違う、と、ガトールークは感じた。
自分がこれを支配したのではない。
自分は、この短剣に、受け入れてもらったのだ。
むしろ、自分が振るっているという意識がなければ、こっちの方が持っていかれてしまいそうだった。
彼は、短剣を見つめる。
黄金の装飾がきらびやかな柄や刃に、紅の宝石が、はまっている。
宝剣のようだが、その両刃のきらめきは、すさまじい切れ味を思わせた。
「なあ」
ゼロシキが、腰から、太く重厚な短剣を抜き、刃に布を巻きはじめる。
「ひとつ手合わせしねえか、マイ・スウィートエンジェル」
「手合わせ…
まあ、いいけど、ゼロシキにはきっと物足りないぞ」
短剣、まして両刃のものなど、兵役を解かれて以後、ほとんど触っていない。
しかし、腕に覚えがないわけではない。
兵士だったとき、他の武器はからきしだめだったが、軽い短剣なら、人並み程度には扱えた。
彼は、箱の中から、臙脂の布を出して、それで刃を覆った。
「ここでやるのか?」
「それもそうだな。
外に出るか」
「うーん…
魔法屋に地下室あるから、そっちでどうだ?
魔法の試し撃ちに使う部屋なんだけど」
「おっ、そいつぁいい」
「みにいく!」
ロコが、酒饅頭をかじったまま、ガトールークの首元に飛びついた。
「まったく、ロコは」
フェニックスが、ため息をついて立ち上がる。
「お前は私が連れていく。
割って入ると怪我をしかねないからな」
「ん、わかったヨ」
ゼロシキがガトールークと肩を組む。
「行くぜエンジェル、善は急げ、だ」
「善かよ」
「おう、善だ」
ゼロシキは、短剣を構えて石の床に立った。
「さあ、いいぜ、マイ・スウィートエンジェル」
「念のために言っとくけど、そんなに本気になるなよな」
ガトールークは、彼に向かい合う。
装飾をきらめかせ、右手に柄を握り直す。
「俺の骨がどっかへし折れるよ」
…ふと、高い天井に、冷たい沈黙が張りつめる。
ゼロシキの声が、それを破った。
「いくぜ!」
懐に飛びこんできたゼロシキ、
振り下ろされた縦の一撃。
ガトールークは、ひらりとそれをかわす。
彼はゼロシキの右手を狙った。
そしてゼロシキもまた、同じ。
互いに相手の短剣を払い落とそうとする。
刃と刃がかち合った。
それはせめぎあう。
「なかなかやるじゃねえの、エンジェル」
「…っ」
ゼロシキはまだ余裕そうだ。
しかしはっきりいって、ガトールークは、ともすればその剛腕に押しつぶされそうである。
──────いや。
普通ならとうに押しつぶされているだろう。
ゼロシキをはねのける彼の脳裏に、はっきりとした感覚が渦を巻く。
──────ひとりでに、体が動く。
この大男の猛攻を残らず受け止め、突き放していく。
身を守るだけにとどまらない。
短剣は、勝利に飢えている─────
自分は、この剣に導かれているのだ。
でも、なぜ?
まるで、自分のかたわれともいうべき何かに再会したような、
興奮と、
安堵と、
───────共鳴───────
青年におさまる刃の切っ先、
描く軌跡は、寸分の違いなく、ゼロシキの手元をさらった。