遠い砂への旅立ち
湾岸戦争の傷痕が残る頃、東亜電機の若き技師としてサウジアラビア東部のクラヤ発電所に赴任した「ぼく」は、果てしなく広がる砂漠の中で半年間を過ごした。
灼熱の太陽、夜の冷たい風、地平線を覆う砂嵐。そこには、国籍も言葉も信仰も異なる人々が集まり、それぞれの故郷を思いながら働いていた。
荷物の紛失、ひと月遅れで届く手紙、戦争の影、夜空に響く軍用機の轟音。機械と祈りが共存する異国の日常の中で、「ぼく」は人が生きることの意味を静かに見つめていく。
そして、遠く離れた日本との隔たりを感じる日々、一冊の日記が心の拠り所となっていった。書き留めたのは、何気ない風景や人々の言葉、そして誰にも語ることのなかった思いだった。
三十四年の時を経て、棚の奥に残された「砂漠のバラ」が、忘れかけていた記憶を呼び覚ます。
これは、遠い砂の国で出会った人々と、過ぎ去った時間の中に今も息づく光と影を描いた、追憶の物語である。
万博がサウジアラビアで開かれるというニュースを見た。
画面の中では、砂漠にそびえる未来都市の塔が、
まるで蜃気楼のように揺れていた。
ふと、ぼくは思った。
「そういえば、あの国にいたことがあったな」
棚の奥に、ひとつだけ残っていた“砂漠のバラ”を見つけた。
指先でそっと撫でると、
細かな砂粒がこぼれ落ち、
それが光の中で一瞬だけきらめいた。
あの時の風の匂い、祈りの声、
夜の闇に浮かぶ街の灯り――。
三十余年前の記憶が、
ゆっくりと時間の底から浮かび上がってくる。
あれは戦の影と、祈りの光が交錯していた時代だった。
そして、その中でぼくは、
“人が生きる”ということの原型に触れたのかもしれない。
——これは、遠い砂の記憶の記録である。
ぼくがサウジアラビアに赴任することになったのは、
ほんの軽い冗談のような会話がきっかけだった。
上司が言った。
「次のプロジェクトは、熱い場所と寒い場所、どっちがいい?」
ぼくは迷わず「熱い方です」と答えた。
寒さが苦手だったし、そのときは“熱い国”の現実など想像もできなかった。
後になって聞くと、もう一つの候補地はフィンランドの製鉄所だったという。
極寒と灼熱の二択。
どちらにしても、運命の冗談のような選択だった。
ぼくはサウジを選び、友人たちは口を揃えて言った。
「いや、フィンランドの方がよかったんじゃないか?」
いま思えば、あの一言がすべてを決めたのだ。
熱い方を選んだ――ただそれだけの理由で、
ぼくは砂漠の国に立つことになった。
成田のロビーには、出張者特有の静かな緊張が漂っていた。
大きなガラス窓の向こうで、桜が風に揺れていた。
花びらが舞い、アスファルトの上で一瞬だけ光を受ける。
それは春の終わりを告げるようでもあり、
これから始まる長い季節の予感のようでもあった。
出国ゲートをくぐるとき、ぼくは何かを置き忘れてきたような気がした。
飛行機が雲を抜けると、海が銀色に光った。
この三時間の距離が、やがて半年の隔たりになるとは、まだ想像もできなかった。
フィリピン経由で、ぼくは砂漠の国へ向かった。
成田を発っておよそ三時間、昼過ぎにマニラに着いた。
湿った空気が体にまとわりつき、空港の窓は薄く曇っていた。
入国ゲートの前で、自分の名前が呼ばれた。
「ダブルブッキングです」――職員は淡々と言った。
信じられなかった。
乗るはずのサウジ行きの便はすでに満席で、ぼくの席はどこにも存在しなかった。
急に足もとが浮いたような気がした。
荷物は預けたまま、行き先のない時間だけが残った。
空港内は人と声と湿気で濁っていて、アナウンスの英語も意味をなさない。
職員が言った。「ホテルを用意します」。
ぼくは言われるまま、裏口のような通路を抜けて外に出た。
外の光は白く、空気は鉛のように重かった。
異国の混沌の中で、初めて「この旅は思っていたものと違う」と感じた。
職員は笑いながら言った。
「この国では何でもありですよ」
その笑いには、冗談とも諦めともつかない響きがあった。
ぼくは曖昧に笑い返したが、胸の奥では何かが軋んだ。
異国の陽光は白く、空気は重く、時間だけがゆっくりと進んでいく。
この軽い一言が、あとで幾度も頭をよぎることになるとは、その時のぼくには分からなかった。
——その言葉の軽さが、これから向かう場所の重さを予告していたのかもしれない。
季節は四月だった。
夕暮れのマニラ市内を、迎えの車が無秩序な流れの中を進んでいく。
クラクションが絶えず鳴り、車と人と犬が同じ道を共有していた。
信号で停まると、少年たちが窓に近づく。
手のひらいっぱいのバナナを差し出して「買わないか」と言う。
裸足の足がアスファルトの上で光っていた。
空の色がゆっくりと紫に変わっていく。
夕暮れが宵闇に溶けるころ、車はホテルの玄関に滑り込んだ。
ロビーの空気は冷たく、蛍光灯が白くまぶしい。
チェックインの間にも、外のざわめきが遠くで続いている。
部屋に入ると、テーブルの上にパイナップルが置かれていた。
甘い香りが立ちのぼっている。
その香りだけで、疲れた体の奥がほどけていく気がした。
窓の外では、スコールが始まっていた。
雷鳴の間を縫うように雨が落ち、ガラス越しに光が滲んでいた。
部屋の照明はどこか黄ばんでいて、天井のファンがゆっくり回っていた。
スコールの音が壁を叩き、雨の匂いが室内にまで漂ってくる。
ぼくは靴を脱ぎ、ベッドの上に座った。
外では喧噪が続いているのに、部屋の中は奇妙なほど静かだった。
異国とは、音と匂いの境界なのかもしれないと思った。
雨季が終わりを告げているようだった。
スコールの音が遠ざかると、夜の空気が急に澄んだ。
その静けさの中に、南の国の季節の転換を感じた。
ホテルの電話から日本に連絡を入れた。
受話器の向こうで、聞き慣れた日本語が返ってくる。
その瞬間、ぼくはようやく自分が現実の世界とつながっていると感じた。
ここに来て以来、初めて「存在」というものの輪郭を確かめた気がした。
異国では、予想もしないことが当たり前のように起こる。
それをいちいち驚いていては日が暮れる。
世界は、ぼくの想像よりもずっと自由で、そして不確かだった。
翌朝、再び空港へ向かった。
サウジアラビア行きの便を探してほしいと職員に頼む。
だが、通常の航空会社には席がなかった。
観光客が使うような便ではなく、東南アジアの労働者が出稼ぎに向かうための“ワーカー専用機”だけが、かろうじて空いているという。
「どうしますか?」と尋ねられた。
ここで逃せば、次にいつ現地へ行けるか分からない。
ぼくは一瞬ためらったが、迷っている時間のほうが惜しいと感じた。
その飛行機に乗ることを決めた。
スーパーバイザーという立場の人間が乗るような便ではなかった。
それでも構わなかった。
職務の肩書よりも、早く砂漠の地に辿り着くことのほうが重要だった。
あのときの自分は、ただ“行かなければならない”という衝動に突き動かされていたのだと思う。
その夜、飛行機はタイ、インド、ドバイと次々に立ち寄った。
離陸と着陸のたびに、機内の灯がぼんやりと揺れ、時差も方向も曖昧になっていく。
ハッチが開くと、東南アジアの湿り気を含んだ熱気が流れ込み、瞬く間に座席の間を満たした。
夜の空気の匂いが国ごとに違うことを、ぼくはそのとき初めて知った。
機内の照明は常に薄暗く、眠る者と起きている者の区別が曖昧だった。
ぼくの隣には、バングラデシュから来た青年が座っていた。
英語は通じなかったが、彼は笑いながら家族の写真を見せてくれた。
小さな子どもが写っていた。
彼の指がその写真を撫でるのを見て、ぼくは“働く”という言葉の意味を、初めて身体で感じた。
タイやインドでは、中東に出稼ぎへ向かうワーカーたちが乗り込んできた。
手にした小さな荷物の中に、きっと彼らの家族と日常が詰まっているのだろう。
飛行機は満席になり、誰もが疲れた表情のまま眠りに落ちていった。
機体の振動と人いきれの中で、ぼくはそれがもはや旅客機ではなく、
砂漠へ向かう一本の“空のバス”のように思えた。
ドバイの夜は、幻想的だった。
滑走路の向こうに見える街の灯が、漆黒のアラビア海に滲んでいる。
黄色い電灯の列が波に揺れ、遠くの空には丸い月が浮かんでいた。
その光は、どこか儀式の炎のようにも見えた。
夜気の奥に、砂の匂いが混じりはじめる。
――ようやく次が、サウジアラビアのダーラン空港だった。
空はもう白み始めていた。
ダーラン空港の入国審査は長蛇の列で、汗の匂いと夜の名残が混じり合っていた。
ほとんどがワーカーたちで、ぼくのようなスーツ姿の男はほとんどいなかった。
係員がその中にひとりの日本人を見つけ、手招きした。
「こちらへどうぞ」
ぼくは空いている列に案内され、簡単な質問のあと、
無機質なスタンプ音とともに入国を許された。
ロビーに出ると、外の光はもう白く滲んでいた。
“アリ”という名のパキスタン人ドライバーが迎えに来ていた。
彼はぼくの顔を見るなり、腕時計を指さして言った。
「遅かったじゃないか」
ぼくは笑って答えた。
「仕方ないさ。ここでは、これが普通なんだろう?」
荷物はどこにもなかった。
すべてロンドンに行ってしまったと聞かされた。
アリは苦笑して肩をすくめ、「ロンドンも悪くない」と言いながら車のドアを開けた。
乾いた空気が流れ込み、ぼくの旅の第二章が始まった。
第一話をお読みいただき、ありがとうございます。
遠い砂漠への旅は、思いがけない出来事の連続から始まりました。
マニラの湿った空気、夜のスコール、出稼ぎ労働者たちを乗せた飛行機。そして、ようやくたどり着いたサウジアラビアの乾いた大地。
旅の途中で出会った人々の表情や、何気なく交わした言葉は、長い年月を経ても不思議と記憶に残っているものです。
あの飛行機で家族の写真を見せてくれた青年は、その後、どのような人生を歩んだのでしょうか。今となっては知るすべもありませんが、彼の姿は今も心に残っています。
次回からは、クラヤ発電所での暮らしが始まります。
砂漠の風景と、そこで生きる人々の姿を、ゆっくりとたどっていきたいと思います。
鶴見 遙




