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第五章 解(こたえ)は式の外側に

 心臓の鼓動が、かつてないほどのリズムで僕の胸をたたいている。

 階段の踊り場。夕焼けの赤が一層濃くなり、僕と澪の影を1つに繋げようとしていた。


「……ずっと、アンタの隣でいるために、私がどれだけ計算を間違え続けてきたと思ってるのよ……!」


 澪のその言葉は、僕が積み上げてきた全ての理論を、一瞬で瓦解(がかい)させた。

 計算を間違え続けてきたのは、僕だけではなかったのだ。


「……一ノ瀬」

「もういいわよ。アンタの言う通り、私の態度は論理的じゃないわよ。嫌いなはずのアンタを追いかけて、泣きながらこんなこと言うなんて、非効率の極みだもんね……っ」


 彼女が腕で涙を拭い、僕の横を通り過ぎようとする。その瞬間、僕の体は思考より先に動いていた。

 僕は彼女の細い手首を、もう一度、今度は壊れ物を扱うような優しさで掴んだ。


「……離して」

「離さない。……いや、離したくないんだ。僕の計算機が、さっきからエラーしか出さないから」

「なによ、それ……」


 僕は深く息を吸い、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。



「僕は、君に嫌われているという結論を導き出した。それが一番、自分を傷つけずに済む『安全な解』だったからだ。でも、今の君の涙を見て、ようやく理解した。僕は、自分の臆病さを隠すために、君の本当の気持ちを、ずっと見ないふりをしていたんだ。」


 僕ばポケットから、あの紺色のハンドタオルを取り出した。


「一ノ瀬、三年前のあの日、君が『何でもいい』と言った理由。……それは、僕が何を選んでも、僕が選んだということ自体に価値があると思ってくれていたから、なんだね?」


 澪は目を見開き、溢れそうになる涙を堪えるように唇を噛んだ。



「……バカ蓮。気づくのが、三年も遅いのよ」


 彼女は僕の胸に頭を預け、震える声で続けた。


「効率が悪くたっていい、バカに見えたっていい。私は、アンタが計算式を解くのを隣で見てる時間が、一番好きだったんだから」


 その瞬間、僕の頭の中で鳴り響いていた警告音は消え、()()()()()()が流れた。



【事象:相互の感情の開示】

【変数:蓄積された三年間、および現在の涙】

【結論:測定不能――ただし……極めて『幸福』に近い状態であると推測される】


 僕は空いた方の手で、彼女の頭をそっと撫でた。


「一ノ瀬。……いや、澪。これからは、もうシミュレーターはいらない。君の気持ちは、僕が直接()()()()()()()()()()()ことにするよ」

「……当たり前でしょ。1回でも聞き逃したら、また『絶対零度』に戻してあげるから」


 澪は涙で潤んだ瞳のまま、いたずらっぽく笑った。その顔は、三年前の夏祭りの夜よりも、ずっと綺麗に見えた。


 僕たちは並んで、夕暮れの校庭へと歩き出した。

 二人の歩幅はまだぎこちないけれど、重なり合う影の形は、どんな複雑な数式よりも、美しく正しい答えを示していた。


 ――恋の解法はきっと計算ミスの先にしかない。

 そして僕たちは、これからもたくさんの間違いを繰り返しながら、二人だけの「(こたえ)」を()()()()()()()のだ。


(完)

蓮くんと澪ちゃんの物語を、最後まで見届けてくださってありがとうございます。


最初はバラバラだった二人の歩幅が、最後には一つの形になる。そんな「いいな」と思える瞬間を目指して書き進めてきました。


理屈で自分を守ってしまう蓮くんも、素直になれなくてツンツンしてしまう澪ちゃんも、僕にとってはどこか自分の一部のように感じられる、愛おしい存在でした。

この物語が、読んでくださったあなたの心に、ほんの少しでも温かい灯をともせたなら、作者としてこれほど嬉しいことはありません。


またどこかで、二人の「その後」を描ける日が来るかもしれません。その時まで、しばしの休憩です。


本当にありがとうございました。


ーーなお

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