27話 いつものカフェテラスで
翌日
「で、どうだったの? あのAI、まだいた?」
カフェのテラス席。午後の陽射しは和らぎ、風がほんのりと秋の匂いを運んでいた。
須藤亜美はラテのカップを両手で包みながら、身を乗り出すようにして言った。
凛は頷き、カップをひと口啜った。
浅煎りの香ばしさが口に広がる。
「いたよ。……猫のときと同じで、今度は子犬だった」
「また? 保護活動でもしてるの?」
「さあ……少なくとも、そういう設定にはなってないみたい。誰の指示でもない」
「へぇ……変なAI」
亜美は首を傾げて笑った。
「でも、ちゃんとしたAIなんでしょ? ユリ、だよね? その子の名前」
「うん。あんたがそう言うから、こっちもそう呼んじゃってるけど」
「呼びやすいじゃん。感情ないとはいえ、さすがに“YRI型補助ユニット”とかじゃ会話する気も起きないでしょ」
凛は笑いかけて、ふと真顔に戻る。
「……あのね、あのAI。誰にも見られてない場所で傘を差してたの」
「また? 記録されてた?」
「されてない。報酬もなかった。観測者もいなかった。だから最適化されてない、って本人も言ってた」
「じゃあ──なんでそんなことしたの?」
その問いに、凛は少しだけ言い淀んだ。
「……再現したくなるって、“思った”んだって」
「“思った”? AIが?」
「そう。“再現傾向が上昇した”って言ってたけど、それって……感情ってことなんじゃないかな、って」
亜美はしばらく黙っていたが、やがてカップを置いて言った。
「凛、それってもう“人間”じゃん」
「違うよ。人間じゃない。……でも、なんだろう。
わたしがあの場にいたことが、“助けていい”っていう条件になったって言われたの」
「なにそれ」
「つまり、人間が“見る”ことで、あの子の善意は“有効”になったってこと。
それまでは、ずっと黙って傘を差してただけだった」
「……ねえ、凛」
「なに?」
「それ、あなたが“助けたい”って思ったから、じゃないの?」
「子犬を?」
「違うわ、”その子”をよ」
凛は言葉を失った。
(私が──あの子....ユリを助けたいって思ったから?)
(私の存在が、誰かの“意味”を決めた?)
「私は子犬を助けたかったんじゃなくて――あの子を助けたかったの?」
「あるいは、その両方」
「……そんなこと、あるのかな」
「あると思う。少なくとも、わたしはそう思いたい。
むしろ――その子の行動こそが、あなたの善意に“輪郭”を与えてくれたとも言えるんじゃない?」
凛は、小さく息をのむ。
胸の内側が、ふっと揺れた。
――彼女も私に*意味*を与えてくれていた。
秋の風が通り過ぎる。
凛は目を細め、空を見上げた。
「あの子──ユリって、呼んでもいいよね」
「もちろん」
「──なんかね、私と別れた後“あの人に良い知らせができそうです”って、言ってたみたい」
「別れた後?」
「うん、あの後気になってあの子のログを見てみたの。──誰も見てないところでそう呟いていたようなの。」
「あの人って誰の事だろう。」
「……わからない、もしかしたらあの子にとって大事な人なのかも。きっとその人に、“見てもらいたい”って思ってるんだと思う」
「……それってもう、“私たち”と変わらないんじゃない?」
凜はカップのふちに目を落とし、ふっと息を吐いた。
「……そうかもね」
カップの底に残ったコーヒーが、陽に透けていた。
その色が、どこか懐かしく、そして温かく思えた。




