13話 後藤凛という女
後藤凛という女は、ひとことで言えば──人間主義者だった。
ただし、古臭い理想論者でもなければ、旧世代の感傷主義者でもない。
むしろ逆。理屈で戦うタイプのリアリストだ。
「AIに魂はない」
「模倣された感情に意味はない」
「間違える権利こそが、人間の証明」
──そう明言して、口にするたびに、それを確信し続けてきた。
けれど凛は、その信念を語るとき、決して無表情ではなかった。
彼女は風を楽しむ。
朝、オフィス街の隙間から吹き込む微かな風に、髪をなびかせる。
カレンダーも気圧計も教えてくれない、“今この瞬間だけの体感”に身を任せる。
彼女は食事を楽しむ。
AIが自動最適化した栄養プレートではなく、自分で選んだ食材を、自分で炒め、焼き、煮る。
手間がかかる。効率も悪い。けれど、それでこそ「美味しい」と思えるのだと、凛は信じている。
彼女は服を楽しむ。
今の社会では、ほとんどの衣服が「社会的意味」によって選ばれる。
AIが推奨する最適コーディネートに従えば、見た目で失敗することはない。
でも彼女は、わざわざ流行に逆らった色を合わせ、少し丈の長いコートを羽織る。
「自分にしかわからないバランス」を鏡の前で確認しながら。
──非合理的だ、と笑う人もいる。
だが、凛にとって**“感情で選ぶ”ことが、なにより人間的な行為**だった。
効率や快適さを否定しているわけじゃない。
自動運転の電車には乗るし、冷蔵庫の在庫管理にもAIを使っている。
でも、それらはあくまで「道具」であって、「自分の代わり」ではない。
選び、間違え、納得する。
そのプロセスこそが、自分という存在の証拠であり、誇りだと信じている。




