まさか恋愛方面をサボってきたツケが、こんな形で回ってくるとは思わなかった
おかしい。
二ページくらいでサクッと終わるはずだったシーンが終わりません。
何が「心が伴っていないのは嫌」だ。たった今心が伴わない状態の相手に手を出してきたのは自分じゃないか。それに成り立たない賭けなら意味はない。
「期間が曖昧すぎる。それに王太子を辞めるなんて実現できると思えない」
いくらナサニエル本人が辞めると言っても、そんなことで降りられる立場ではないはず。番とやらの性質を考えても、すでに出会ってしまった以上離れて暮らすことは不可能だろう。茉莉花が逃げても権力人脈ありとあらゆるものを使って探し出し、追いかけて口説き続けるに違いない。しかしナサニエルが市井に下る事自体があり得ないのだから、この賭けは前提条件から破綻してしまっている。
「大丈夫。シルヴェストに適当な神託を告げさせて、父上に私を廃してもらえばいい。彼からしたら誰が王になろうとどうでもいいんだ。彼の力を使いこなせる人間が、彼の代わりにこの国を守護していればそれでいい。加護が王の条件っていうのは、人間側の都合なんだよ。私が国外に移住しない限り、彼に文句はない」
相変わらず隅で様子を窺っているシルヴェストを見れば、無言のまま肯首された。つまりナサニエルの言っていることは最終手段として可能ということ。
となれば問題は一つだけだ。
「私が勝った場合、その賭けがきちんと履行される保証は?」
どんな条件を揃えようと、どれだけ魅力的な対価があろうと、履行されなければ意味がない。これだけのことをした相手の口約束を簡単に信じるなどありえないと告げれば、予想外のところから返答が来た。
「我が証人となろう。娘、お前が王太子と婚姻を結ぶ際、その時になっても真実元の世界への帰還を望むならば、お前が異界から消えた日消えた時間に我が帰してやる。それならいいだろう」
まさか茉莉花を攫った張本人がそんな事を言い出すとは思わなかった。それが出来るならこれ以上ない条件になるが、その目的は一体何だ。
「……何考えてるの。それに帰せないって言ったのはあなたの方だわ」
帰りたいという茉莉花を一刀両断したのは、この神の方ではないのか。
「今は無理だな。しかし王族の婚姻など少なくとも一年以上先。それだけの期間眠れば力も戻る。お前を連れ帰ったのは王太子と番わせる為だ。お前が王太子と心を通わせる努力をした上で不可能だというのなら、帰してやらないこともない」
シルヴェストの言葉の意味を考える。何か重要な意味が隠されている気がするが、それが何なのかがわからない。
番わせる為――この場合は結婚させる為という事だろうが、今更賭けなどせずともそれはほぼ確定路線だ。このまま大人しく覚悟を決めるか、最後まで足掻いてあわよくば市井で自由に暮らす権利を得るかしかない。市民として暮らしたところでナサニエルはついてくるだろうし、こんな熱烈なストーカー紛いがついている女では、他の相手も見つからなくなるだろう。シルヴェストの協力がなければこの賭けは生活の場をどちらに合わせるかというものでしかなく、妥協だろうがそのうち希望通り茉莉花はナサニエルと結婚することになるというのに。
茉莉花にとっては願ってもない申し出だが、それをするメリットがシルヴェスト側にはない。一体なぜ――。
「マリー、いくらシルヴェストでもあまり見つめていたら嫉妬してしまうよ?」
そう言いながら柔らかく抱き寄せられ、一気に思考が散らばっていく。神との会話中ずっと髪を弄っていたのは気づいていたが、無視し続ける茉莉花に我慢の限界が来たらしい。額に、耳に、そして頬に流れるように口付ける仕草はとにかく甘いの一言で、その甘さたるや口から砂糖が吐けそうなほどだ。
「マリー、私を見て。私だけを見て。他の者なんか見ては駄目だよ。私の妖精。私の唯一。可愛い可愛い私のマリー」
そんな陶酔したような目で見つめないでほしい。理由も分からず、初対面から口説かれることに不気味がっていた時はよかった。何を企んでいるのか、どんな意図があるのか、それだけを考えていられたからだ。
それが全くの裏もなく、ただ愛しいのだと言われて嬉しくない女などいない。それも容姿財力共に極上の男が自分の愛を乞い願い、縋るように愛を囁いてくるなんて、一部の女子には垂涎もののシチュエーションだろう。番などというシステムの恩恵でなければ、――そして口説き文句のチョイスがもう少し控えめだったなら、きっと茉莉花も前向きに考えることも出来ていたはずだ。
「やめてってば! それで!? あなたはそれでいいわけ!?」
無理矢理引き剥がして確認すれば、あからさまに傷ついた様子のナサニエルにこちらの方の心まで痛んでくる。しかし傷ついてるのはこちらも同じだ。血にプログラミングされているシステムで愛を囁かれても、それは洗脳されているのと何が違うのだろう。茉莉花の何がそんなにいいのかと問うても、ナサニエルはきっと答えられない。答えられるだけのものが二人にはない。それなのに溺れそうなほど愛され、それを拒絶し続けなければならないのは正直辛い。
「本当は嫌だって言いたいけれど、そのくらいは妥協しなければ本格的に嫌われそうだしね。いいよ。ただし一つ条件を追加させてもらう。マリーも私を知る努力をしてくれること。期間中会わないように逃げ回ってやり過ごすのは無しだ。いい?」
当然の要求だろう。最悪市井で暮らすのならある種の延長戦が可能だが、シルヴェストの介入で期間が完全に限られたのだから。
茉莉花が黙って頷けば、「ありがとう」とキラキラしい笑顔と共に唇に掠めるようなキスを落とされて、落ち着いたはずの顔に一気に熱が集まった。
「――っ!! こっちからも条件! 無闇矢鱈にキスとかしないこと! いちいち抱き寄せたりもそういうのも無し!」
いくら受けるしかないとはいえ、そのくらいの要求は許されるはずだ。でなければこちらの心臓が持たない。まさか恋愛方面をサボってきたツケが、こんな形で回ってくるとは思わなかった。
「それは困るな。私のマリーへの愛は、言葉では言い表せないくらいなんだよ? ――ねぇマリー、いっそ二人で寝所に篭ってしまおうか。キスなんか気にならなくなるくらい、ゆっくりお互いのことを知り合おう?」
「そういうのをやめろって言ってんのよ馬鹿ぁぁぁぁ!!!」
性懲りも無く口付けようとするナサニエルに、茉莉花の平手打ちが炸裂したのは言うまでもない。




