さっさと帰ろう。そうしよう
長い……
どこにも切れる場所がなく、サクッと読むには少し長い仕上がりに。
このくらいあってもいいよって方はご意見いただけると普段からこのくらいになるかもしれません。
養女――養子縁組により親子となった女性のこと。
茉莉花の知る養女とはそれ。この国独自の、何か別の意味があるのだろうか。あまりの衝撃に言葉の意味を反芻してみても、文脈的にそんなことはなさそうで眩暈がする。全く意味がわからない。
「えーっと、メリィカ嬢? ……マルィカ嬢。……ごめんなー、俺他言語苦手で。そのうちちゃんと呼べるようになるからさー」
「……マリーでいいわ。それでも呼びづらいならジャシーかミニーで」
「ん、ありがとな。んで、マリー嬢なんだけどうちの養女――ってもまだ書類交わしてないから内々で決まってるだけなんだけど、そうなることになったから。これからよろしく、マリー」
爽やかな笑顔で言い直してもらっても、やっぱり意味がわからない。どう考えても目の前で二人のやりとりを見守っている男のせいなのだが、このまま聞かなかったことには出来ないだろうか。
ナサニエルとの会話はひどく疲れるし、何よりどんどん後戻りできない状況に追い込まれている気がしてならない。
「君の命を守る為の措置だよ」
なんだかとても物騒な話が飛び出してきた。
「龍神の後ろ盾以上に強いものはないって言ったわ」
先程のナサニエルの言葉を信じるならば、茉莉花を害すると言うことは、この国の神を否定する行為になる。ただ宰相の態度を思い出してみても、そこまで茉莉花に敬意を払っているとは思えないのも事実。信心深い人間相手でなければ、神の威光も通用しないということだろうか。しかしその程度の信仰で、身元不詳の不審者が王太子妃になどなれるわけが――。
「この国では、ね。マリー、君の髪と瞳の色が少し厄介なんだ。――ここから東に東藍って国があるのだけれど、そこが君を引き渡せと言ってくる可能性がある」
思考の海に沈んでいきそうな茉莉花を引き戻す声は真剣で。
あまりこういう話は聞かせたくないのだけれど、そう前置きし語られた話は、あまりに残虐で血生臭い。
『神聖皇国 東藍』。大陸の東の地に位置する大国。大陸最大派閥の宗教ジョヌア教を国教とし、自分たちこそが神の使徒であり、最初の神ジョヌアの教えを広めることこそが使命と言って憚らない宗教国家。
「あそこは国民全体で信心深い人が多いんだけど、現在の皇帝は一際なんだよね」
そう言いながら語るナサニエルの顔はどこまでも痛ましげだ。
六代目皇帝、セリム・ウォン。十五年前に即位した際、『毎日の祈りと週一度の礼拝を義務とし、それらを怠ったものは問答無用で打首』という恐ろしい初勅を出した皇帝。
しかしセリムの暴挙はそれだけに収まらなかった。即位した翌年、大陸全土に向け宣戦布告をしたのだ。
曰く、『ジョヌアの教えを蔑ろにし、あまつさえ邪神に心を寄せるなど言語道断。これは神の嘆きを拭う為の聖戦であり、ジョヌアの敬虔なる信徒は恐れることはない。』と。要は『他の信仰なんか認めねーから!』である。
各国の対応は様々だった。争うことを決め早々に国交を絶った国、静観しながらも裏で対応に追われる国、他教徒を国から追い出し恭順を示す国。
「そんな中で、見せしめに目をつけられた国があったんだ。森の民の国リーフェミア。……マリーと同じ黒髪黒い瞳の巫女姫が治める、美しい国だったんだけどね」
リーフェミアは森の女神ミレーネを信仰し、森の恵みに感謝し、森とともに生きる人たちの国だったと言う。太古の昔、まだ妖精や亜人という存在がいた時代のエルフ族の末裔とも言われる彼らには、巫女姫と呼ばれる存在がいた。
女神ミレーネと会話し、感謝を捧げ、時に恵みを請い、民を導く。そんな巫女姫が王家に嫁ぐことでリーフェミアは繁栄してきた。
「待ってよ。王家に嫁ぐって……そういうのって王家の姫の役目じゃないの?」
「普通はそうだね。でもあの国では違った。巫女姫の条件はひとつだけ。『黒髪に黒い瞳を持つこと』、これだけなんだ。不思議なことに、同じ年代で黒髪黒目を持つ女性は一人だけしか生まれないらしい。これは国ではなく世界規模でそうらしいんだよね。でも何故か、毎回リーフェミア国内でその女性は見つかってきた。うちの国にも、片側だけの人間なら珍しいけどいないわけじゃない。でも両方を持つ人はいないんだよ」
「私の国では、私の色は珍しいわけじゃないわ。それに、そんな都合よく世界でたった一人の人が同じ国に現れ続けるなんて……」
実際には日本人だって陽の光の下では焦げ茶の人間がほとんどで、茉莉花ほど黒い人間は稀だろう。しかし、いないわけじゃない。
「マリーにとってはそうだろうね。それにリーフェミアだって、巫女姫の条件は別にあったのかもしれない。世界で唯一の人間というのは、巫女姫の神聖性をさらに高めてくれる。人心掌握の為の後付けの染色――そういう可能性もないわけではないけれど、セリムにとってはどうでもいいことだよ。ジョヌア教以外の信仰そのものが許せない、それだけだ。……リーフェミアはね、今はもうないんだ。生き残りがいるかどうかも怪しい。それ程の、一方的な蹂躙だった。王族は全員公開処刑の上朽ちるまで城壁に晒されたと聞くし、巫女姫も……とても辛い最期だったと聞いている」
ナサニエルの顔が嫌悪に歪む。言葉を濁したのは、茉莉花への配慮なのだろう。
敗戦国の王族が悲惨な死を遂げるのはいつの時代、どこの世界だって変わらない。せめて女性としての尊厳だけは守られていて欲しいと、心から思う。
「だからマリーには正式にうちの国民になってもらう。リーフェミアの生き残り、次代の巫女姫として担ぎ上げられないように、東藍の引き渡し要請を断れるように。それも移民や難民では国が動く理由としては弱い。貴族の子女である必要があるんだよ。異界から来た龍神の愛し子って言っても、あの狂信者には関係ないからね。うちは邪神信仰って言われて嫌われてるから、匿う為の方便扱いされるに決まっている。だけど貴族の子なら、向こうも強引なことは出来ない。しかも君の養子を受け入れてくれたのは辺境伯家だ。養女とはいえ、辺境伯令嬢を思い込みで攫ったりしたら戦争になる。今あの国にそんなリスクを犯して、無理やりどうこうする余裕はないはずだよ。勝手に決めたことは申し訳ないけれど、君の為だと理解して欲しい」
ナサニエルの瞳は真剣で、きっと茉莉花が思っているより事態は深刻なんだろうことが伺える。事情はわかったけれど、あまりにさっさと決まりすぎてはないだろうか。茉莉花が日本に帰る選択肢はどこへ行った。
「てか私帰りたいんだけど。そんな物騒な話があるなら特にね。それに養女って言うけど、そんな昨日今日で話決まるとか早すぎない?」
心からの本心。生まれつきの色程度のことで命を狙われるなんてやってられない。それに恐らくだが、これはこの国側にも相当なリスクがある話だ。茉莉花を手元に置くことで即開戦でもおかしくはない。国内からも、戦争になるくらいなら引き渡せという声が上がる可能性だってある。だからこその辺境伯家への養子縁組。茉莉花を守れるだけの発言力がある家に入る必要があった。
やっぱりさっさと帰ろう。そうしよう。帰れなかったら仕方ないから髪は染めて、あまり人前に出ずに暮らしていけばなんとかなるだろう。
「マリーは一週間眠ってたから。根回しには少し足りなかったけれど、辺境伯と話をつけるだけなら十分な時間があったんだ。と言っても、瞳の色はわからなかったから打診だけね。でも準備しておいてよかった。マリーが着替えている間に正式に依頼する書簡を出したら快く引き受けてくれたよ」
「一週間!?」
主観ではついさっきまで日本にいた気がしているのに、いつの間にかかなりの時間が経っていたことに驚く。人間がそんな長時間眠り続けていたら脱水で死ぬのではなかろうか。見たところ極端に痩せ細ったりもしていないが、目覚めた時に点滴等もなかった。栄養はどうしていたのだろう?排泄は?
「一週間って言っても、今朝までは龍神――シルヴェストの加護の光に包まれていて。たぶん仮死状態に近かったんじゃないかな。異界からきて体が馴染むまで少し時間がかかったんだと思うよ」
つまりコールドスリープのような状態だったと。
時計がないので正確な時間がわからないが、目覚めた時の日の高さからして正午に近かったと思う。眠っていたのが実質3時間くらいなら、確かに生きる為のあれこれは必要ないだろう。
「少し長くなっちゃったね。ここから先、マリーがここに来た理由は場所を移して話そうか。君を連れてきた龍神本人にも、直接会って言いたいこともあるんじゃない?」
会えるの!?!?!?!?




