16
俺は、追っ手の存在も加味して迂回するように合流してきたミースと2型に、あっさりと落ち合うことができた。
海にさえ入れば、なんとかなる。
漠然とそう考えてはいたが、正直なところ、肝心の潜水艦をどう取り戻すかまでは詰めきれていなかった。
状況を見て対処しようと思っていたのだが、その懸念は実にあっけなく解決してしまった。
まさか、潜水艦の方からこちらへ来るとは。
「何もないの?」
ミースはそう言うと、俺の体をくまなく調べ始めた。
腕を取り、背中を覗き込み、まるで医者のような手つきで全身を検める。
「何も……とは?」
俺はされるがままになりながら、ミースに問い返した。
「色々と言いたいことはあるけれど――川に流されていた時、見えていたわ。自覚がないようなら、はっきり言うけれど」
ミースは一度言葉を切り、俺の目をまっすぐに見た。
「アレは、海の呪いよ」
「海の呪い……」
その言葉に、俺の思考が一瞬止まった。
王国にまつわる、海の呪い。
ヴィソンで聞いた話では、呪いは三つあるとされ、そのうちの一つは先代の王が患い、命を落としたという。
しかし、ここは帝国領だ。
ミースも帝国の人間のはず。王国と帝国は陸続きではないと聞いている。
なら、ミースが「海の呪い」を知っているのは、かつて王国から漂着した人間がもたらした情報なのだろうか。
王国は海を恐れて水軍を持たないという話だったが、それも古い情報なのか?
「あなたの国には、ないの?」
考え込んでいる俺に、ミースが問いかけてきた。
「え? いや、え? それは……王国から伝わった情報じゃないのか?」
「王国? それが、あなたの国? その乗り物に乗って来たの?」
お互いの言葉が、明らかに噛み合っていなかった。
持っている前提が、根本的に食い違っている。
「海の呪いとは、なんだ?」
俺は情報を整理するために、改めて問い直した。
ミースは、近くに漂着していた大木に腰を下ろした。
「この世に三つあるとされる呪い。人の手では決して解けないとされていて――そのうちの一つが、さっきあなたを引き込んだ、あの黒い手よ」
ミースは漂流木に座ったまま、淡々と語り続けた。
「三つあるとは言われているけど、私が知っているのはその黒い手だけ。海に入ると現れて、海の底へと引きずり込むと言われてる。私たちの国の王が患っているから、これを知らない人間なんていないわ」
「そうなのか――」
ここにきて、王国よりも帝国の方が、呪いについて遥かに正確な情報を持っていた。
「でも、それにしては、誰も海を怖がっていないように見えるな」
ヴィソンの人間も海を怖がっていなかったが、あれは王国の中では極めて稀有な例だと聞いている。
しかし、この帝国の港町では、人々が当たり前のように海と関わっているように思える。
「怖がる必要なんて、何もないもの」
ミースは肩をすくめた。
「海水に触れたからってすぐに現れるわけじゃないし、呪いが人から人へうつったりもしない。日常生活に支障なんてないわ」
帝国の王は、呪いを患ってもなお現役で、六十歳を超えているのだという。
なるほど、と俺は思った。
人は、得体の知れないものを怖がる。
帝国は、その呪いの特質を既に正確に把握しているからこそ、誰も過剰に恐れていない。
逆に王国で語られる呪いの情報がどこかふわふわしていたのが、王国の海嫌いに繋がっているだろう。
「で、どうするの?」
ミースが、こちらを見て言った。
「乗せてってくれるんでしょう? 最低でも当分の間は、匿ってもらわないとね」
そう言うなり、ミースは砂浜をずんずんと潜水艦の方へ歩き出した。
「ちょっと待って、乗れることには乗れるんだけど……!」
俺はそう言って、慌ててその後を追った。
* * *
ミースには事情を説明して、搬送用結合コンテナに乗り込んでもらった。
潜水艦本体には主人以外が乗れないという仕様を伝えると、ミースは「変な乗り物ね」と一言だけ漏らして、素直にコンテナへ収まってくれた。
操縦席に戻った俺は、強化項目に追加されたものと、ポイントで購入可能になったものを確認した。
【強化可能】
・簡易型魚雷 2,000ポイント 【NEW】
【購入可能】
・真水浄化槽 3,000ポイント 【NEW】
・小船 10,000ポイント 【NEW】
追加されたのは、以上の三つだった。
簡易型魚雷。
ついに、潜水艦に攻撃手段が追加される段階に来たらしい。
潜水艦の内部を見回したが、特に荒らされた様子はなかった。
ババ・ロウの兵士が押収したとはいえ、内部を徹底的に調べ尽くしたわけではないらしい。
床下収納の扉が開けられなかったのかは分からないが、収納部分には何一つ手をつけられた痕跡がなかった。
宝飾品も、食料も、全て無事だ。
不幸中の幸い、という言葉がぴたりと当てはまる状況だった。
俺はとりあえず強化も購入も保留にして、ミースを乗せたまま、コウの待つ無人島へと潜水艦を向けた。
* * *
無人島に到着し、上部ハッチを開けて外へ出る。
コウは、既に砂浜の近くまで来て俺を待っていてくれた。
「ハルさん! おかえりなさい!」
大きく手を振るコウの姿を見て、俺は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
地下牢に放り込まれ、川に流され、得体の知れない黒い影に引きずり回された。
その全部を経て戻ってきた先に、こうして無事に出迎えてくれる相手がいる。それだけのことが、思っていた以上に心を和ませた。
ただ、コウの視線はすぐに俺の背後へと移った。
搬送用結合コンテナのハッチから、銀色の髪の少女が顔を出していたからだ。
「えっと……その人は?」
コウが、わずかに警戒した様子で尋ねてくる。
無理もない。コウにとっては、見知らぬ人間が突然増えたわけだ。
「あー、紹介する。こいつはミース。商人だ」
俺がそう言うと、コンテナから降り立ったミースが、砂浜を歩きながら片手を上げた。
「ミースよ。よろしくね、ちびっ子」
「ちびっ……コウです! この島の、第一村人です!」
コウが胸を張って名乗ると、ミースは少しだけ目を見開いて、それから愉快そうに笑った。
「第一村人。へえ、いい肩書きじゃない。なら私は、何になるのかしらね」
その軽口に、コウの警戒が少しだけ緩んだのが分かった。
「とりあえず、ミースもしばらくこの島で暮らすことになる。コウ、仲良くしてやってくれ」
「わかりました! ハルさんの紹介なら、信用します!」
コウの素直さに、ミースが「ちょろいわね」と小声で呟いたのを、俺は聞かなかったことにした。
俺は潜水艦の収納から、簡易拠点キットをもう一つ取り出した。
黒く四角い、見慣れた一塊の物体。
ポイントを消費して先ほど購入したものだ。コウの家を建てた時と、全く同じキットだった。
雑木林の手前、コウの小屋から少し離れた開けた場所に、それを下ろす。
右手首のディスプレイに、見慣れた表示が浮かんだ。
【簡易拠点をこの場所で作成しますか?】
▶ はい ▷ いいえ
黒い物体が、カタカタと小刻みに振動を始める。
表面が分割され、パネルが伸び、柱が立ち上がり、屋根が組み上がっていく。
折り畳まれた構造体が、見えない手によって広げられていくような、あの不思議な光景。
「……は? なに、これ。家が、勝手に建つの?」
あれほど飄々としていたミースが、初めて素の驚きを露わにしていた。
商人として様々なものを見てきたであろう彼女でも、これは想定の外だったらしい。
「な、何これ……どういう仕組み……? ねえ、これいくらするの? 売れるの? ねえってば!」
建ち上がっていく小屋を前に、ミースの商人としての血が完全に騒ぎ出していた。
目をらんらんと輝かせ、組み上がる柱の一本一本を凝視している。
「これは……売り物じゃない」
俺は端的に答えた。
あっという間に、砂浜の傍らにもう一つの小屋が完成した。
コウの家と同じ造りだ。簡易的なかまど、水場、トイレ、シャワー、ベッド。一人で暮らすには十分な設備が揃っている。
「ここが、ミースの家だ」
俺がそう言うと、ミースは小屋の中をぐるりと一周見て回り、それからベッドに勢いよく腰を下ろした。
マットレスの弾力を確かめるように、二度三度と軽く跳ねる。
「悪くないじゃない。地下牢の石の床に比べたら、天国ね」
そう言って、ミースは満足げに足を組んだ。
無人島に、二軒目の家が建った。
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