81マス
昼休み、もしくは放課後
晶と湊は教室で課外授業の資料の整備。
プリント数枚をホチキスで留めてクラス人数分用意する。
「ー これで終わり。あとは机に並べて順に重ねていけばオッケーね」
放課後の教室では “はぁーっ” と息を吐き出し少し疲れた様子の晶が居た。
「お疲れ様です」
その傍らには湊も居て晶を労う。
二人は担任からの依頼で授業の大型資料の整備に追われていた。
「ありがとう。あとはもうプリント並び重ねるだけでOKだから和久井君は部活に行って大丈夫だよ」
「いやこれだと重ねるっつってもクラス分はかなりの数じゃないっすか。最後までやりますよ」
「ホント?助かる」
「何言ってんすか、助かったのは俺ですよ。あの担任、単純な資料整備とか言ったクセに資料内容も全部俺らに押し付けて」
湊のボヤきに晶はクスッと笑みを見せた。
「まぁね。でもなんかやっと学級委員っぽい仕事出来たなって思うよ」
机に並べた資料を順に重ねホチキスで留めて最後の作業をしながら晶は言う。
「?」
湊も晶を見習い手を止めずに耳を傾ける。
「実はちょっと楽しみだったの、学級委員。ドラマとかだと生徒会や学級委員ってなんか絶大な権利があって偉そうな役だったりするじゃない。でもいざやってみると驚く位何にもないから拍子抜けで私は役に立ってないなぁなんて。あ、もしかして和久井君が全部やってくれてたのかな?」
ホチキスを留める前にトントンとプリントを整える音、晶の出すこの音が何故か湊には心地よく聞こえた。
「いやいやいや、俺は何も。むしろ何も無いからって事だからやったようなもんで。ジャンケン負けたのもあるけど」
「そっか」
クスクス笑う晶。
その顔を見た湊は少し考えた。
「…あの」
「?」
「先輩は充分仕事してますよ」
「私が?そうかな?」
湊は一旦作業を止め、教壇の棚から学級日誌を取り出す。
「先輩が来てからは毎日日誌書いてくれて…見て下さい、俺のページ、この汚い字とか味気ないつまんない内容とか自分でも嫌になりますよ。こういうのどうも苦手で…でも先輩が付けてくれたのは…ほら、すごく読みやすい。字も綺麗だし色ペンとか使い分けて一言日記なんかもあったり、先輩が書いてくれてからはクラスの奴らみんな日誌見るようになったんですよ。俺だってすごい楽しみで好きですよ」
湊は自分のと比べては、1ページ1ページ晶のページを愛おしそうに読み返す。
「和久井君…?」
「…あっ!いや、あの、す好きっつうのはなんていうか」
「ありがと」
「いやこっちこそ感謝してます。日誌だけじゃなくて花とかも時々持ってきてくれるじゃないですか」
「あれはね…ふふっ、先生対策」
「?」
「何か時々意味なく不機嫌な先生とか居るでしょ?こっちが悪い時もあるけど、そんな時にお花ひとつあれば教壇バンッて叩いたりしないかなって」
晶の一言で湊はハッとする。
「そういや…古文の星野とか数Ⅱの槍ケ岳とか最近馬鹿みたいにキレなくなって…え、じゃそれって先輩の作戦だったと」
「なんてね。実はそこまで考えてなかった」
「え」
「親がお花好きでね。テーブルとかにもよく飾ってるからそれを少し貰って差したらいい感じで。で、後付けでこれを続けたら教室の雰囲気も良くなるかなぁ、みたいな」
「いや。それでもすごいですよ。俺にはそんな発想微塵も」
「私、迷惑かけてばっかだから。これくらいはしないと」
苦笑いを浮かべる晶。
ハハッと出た声が虚しく響く。
湊は笑わない。
睨む様に晶に言った。
「迷惑って…迷惑なんて」
「…」
「少なくても俺は…俺の前で迷惑とか言わないで下さい」
「え」
「俺は感謝しかないんですから。迷惑だなんて何ひとつ」
「和久井君」
「いいっすね、迷惑、禁止です」
「…はい」
「…」
「…」
二人の間に気まずい空気が流れる。
ただしばらく無言が続くと二人ともプッと吹き出した。
「なんか可笑しい!何、迷惑禁止って」
「先輩が言うからでしょう」
「だったら私の事先輩って呼ぶのも駄目」
「それは無理っす」
「あ!ズルイ、それ」
「無理っすよ。俺は先輩を尊敬してますし」
「またまたからかって」
「いやマジで」
「!」
「あ…いや、その、他意はないっす」
「…うん」
「でも本当に尊敬してるんですよ。何でも完璧だし、苦手な事とかあるんですか」
湊にとって晶は何から何まで完璧だった。それは思いを寄せる相手なのもあるが、実際文武両道でこれまで学年も違って接する機会が無かった湊にとって彼女は本当に雲の上の存在に近かった。
そんな湊に対し晶は少し恥ずかし気に目を逸らす。
もじもじした様子で打ち明けるか明けまいか葛藤を見せた後、意を決し鞄からゴソゴソと取り出した。
「あるよ……これ」
少しふくれっ面の晶。
「お⁉︎ それは」
「家庭科でエプロン作ったけどミシンとか全然駄目で雑巾みたいになっちゃって、これでも班のみんなにやって貰ってなんとか形になったけど」
「意外ですね」
目を丸くする湊に笑うなら笑えと更に晶は携帯のフォルダから写真を抜き出す。
「調理もこの間コロッケ作ったけど炭にして、あまりのヒドさに写真撮っちゃったよ」
「こ、これは…」
「笑っちゃうでしょ?化学の実験とかは好きなんだけど」
晶は半分やけっぱちだった。湊も最初こそ驚愕だったがすぐに、うん、と軽く頷く。
「いや、これ大丈夫っす。油の温度と時間だけ気を付ければ次は上手くいきますよ」
「え」
「形も俵じゃなくてもう少し平らにして…あ、うちの家、肉屋なんですよ。親父がしょっちゅう店でコロッケ揚げてるから」
「へえ」
「肉屋って挽肉なんかがすぐ変色して見た目が悪いからそんな時便利なのがコロッケなんですよね。肉の品質は変わらないから店頭置いて時間経ったら全部タネにするんです。よく手伝ってたんでコロッケだけなら俺分かるんす」
「…すごい。今度教えて貰いたいよ」
「え。お、お俺で良ければいつでも」
(それはひょっとして俺の家に来てくれる、とか?)
「秘密特訓してその動画を和久井君に見てもらって駄目な所を指摘してくれたら、私の家事下手も克服出来るかも」
(だよな…いや、待てよ)
淡い期待が崩れた湊だが動画と聞いて脳裏にピンと閃いた。
「先輩、だったら俺の動画も見てもらえませんか?今挑戦してる事があって」
「え?何何?」
「実は…」
今度は湊が携帯を晶に観せた。
「!」
動画の再生をした途端、晶の顔つきが変わる。
「今、レッグスルーを練習してるんです。少しは形になったかとは思うんですが、勝負所だと戸惑う時があって」
「…うん。そうだね」
「先輩にコツを教えて貰いたかったんすけど、でもただコツを聞いても俺が理解出来るか分んなくて、だから動画を撮れば悪い点を教えて貰えると思いまして」
「…」
「教えてもらえないでしょうか」
「…」
「それともやっぱこういうのも、無理ですか?」
これまで自分が部活に介入する事は全て拒否してきた晶。湊にとってはダメ元のお願いだった。
「…」
「…」
晶の表情はみるみる曇っていく。
やっぱり無理だったか…と思いかけた時だった。
「ここ」
晶は指を差す。
「え」
「戻して」
「はい」
「…ここ」
同じ場所を指した。
「!」
「最初の肩の入り方に癖があるよ。ターン決める直前でほんの少しだけど内に入り過ぎてる。だからボール扱う手首が固くなる。これだと股を通す事だけに集中してる様に見えるからスピードが殺されるかも」
「…」
淡々と感想を言う晶に言葉が出ない湊。
「あっ、ごめん。和久井君を悪く言うつもりはなくて」
「…すげぇ」
「え」
「すごいっす、先輩!たったこれだけで俺の悪い所見つけてくれるなんて」
「いや私なんて全然言えた義理じゃないし」
「何言ってんですか、やっぱ先輩の視点は別格です。教えて下さい、どうしてもマスターしたいんです」
「でも…わざわざレッグスルーしなくても和久井君なら他のターンで充分通用するよ?」
「いえ。どうしても先輩のターンが必要なんです」
「私の?え?」
「俺が練習してるのは先輩が使ってたレッグスルーなんです」
「…何かあった?」
「これこそが郷内への秘策なんです。あいつを倒す為の」
「!」
「あと少しでインハイで。インハイで勝つには悔しいけどやっぱ郷内は必要なんです。ただあの馬鹿を本気にさせるには俺があいつに分からせないとダメなんです。だからこそ先輩のターンが必要で」
「私の?」
「奴の得意はゴール下のダンクやクラッチ、ノールックパスにバックチェンジやレッグスルーも。派手な技が好きなんですが、奴のはただ無駄に使ってるに過ぎないってのを俺が分からせないといけない気がして」
「…」
「奴の意識が変わるだけでも俺たち男バスは違くなるはずなんです」
「…」
「だから今度こそ俺が勝たないと。ただ勝つだけじゃなくて奴を戦力として使う為にも」
「…」
「あっ…すんません、なんか一丁前に1人で語って。勝ってもねえくせに」
「キャプテンだね、和久井君。私とは大違い」
「先輩?」
「…私にはそうゆう考えひとつもなかった」
「…」
「私はただ私の為だけにバスケしてた。中学の時よりもレベルの高い学校でプレイしたい、当然だけど桜杏でもエースになってバスケの強い大学、そしてオリンピックが私の夢。チームがどう強くなるかじゃない、私が強くなることが一番だった。私が一番でチームは二番、私にチームが合わせてくれれば全て上手くいく。だって私がポイントガードでゲームを支配してみんなの得点は私があってのものだし。だから夏の練習試合で龍山、ううん、徳堂に負けた時は余計必死だった。もっと強く、私があのキャハハ女に勝たないとウチはダメだって…私がサイボーグって呼ばれた理由分かるでしょ?これで」
「まぁ、なんとなく。でもすごいですね。徳堂って天王大の徳堂六花ですよね?今や轟先輩と並んで若き全日本の二大エースじゃないっすか。でも “キャハハ女” ってなんすか」
「当時のあいつはすごい生意気だったのよ。龍山が全国区なのは知ってるけどあんな奴に負ける訳がないって自信もあったから、だから余計ショックで」
「それは初耳です」
「絶対本番で借りを返すつもりだったけど…結局私は病気になって」
「…」
「本当にショックだったのはその先なの。私が消えてバスケ部は大幅に戦力ダウンしたのに…何も変わってなかった。私が居なくても試合には勝つし、戦法だって特に何も。その時やっと徳堂に言われた言葉を悟ってさ…私が普通のプレイヤーだって事が。私の代わりなんていくらでも居るって」
「先輩…」
「とまぁ私こそベラベラ言っちゃった。不思議、誰にも言った事ないのに」
「え、マジっすか」
「私は和久井君の考え、好きだよ」
「先輩」
「いいよ。私で良ければ教えてあげる。今日みたいに動画があればアドバイスだけは出来るから」
「本当っすか、ありがとうございます!」
「そのかわり、絶対勝つんだよ」
「はい」
「和久井君の話しだけ聞くと郷内君って天才肌って感じがするけど…私から言わせれば天才なんてもっともっとその上がいるわ。今は天狗になってるけどその鼻を折る事出来るのは和久井君だけだよ」
「…」
「なんとなく郷内君と私って似てる様な気もするから…」
「似てる訳ないでしょ!」
「え」
「確かにバスケに対する考えはかつての先輩はエゴイストだったのかもしれません。でも気持ちそのものは純粋だと俺は思います。あいつは考えそのものがクソなんですよ。だからこそ俺は…」
「ありがと」
「先輩」
「そこまで言うからには勝つんだよ。荷が重いぞ?私を庇ったんだから、私の為にも、チームの為にも、自分自身の為にも…勝てよ」
晶は湊の胸の前に拳をスッと突き出した。
「はい!」
それに応える様に湊も晶の拳に拳を合わせた。
〜…
2.
晶のお気に入りの場所にタバコをのんびり吸ってる郷内。
その傍らにはひかるも居る。
「へぇ。和久井君が秘密特訓?しかも晶ちゃんがコーチって…こりゃどう見ても俺へのサプライズリベンジってとこかな」
「笑い事じゃないでしょ。三原先輩が和久井君に付くって事は…」
「いいじゃんいいじゃん。これで俺に完勝出来れば、リベンジどころかこの間のスクープ写真の善悪まではっきりするし、旦那は晶ちゃんへの愛の告白一直線だ」
「負ければ郷内君がどうなるのか分かってるの?」
「負けないから言ってるんだよ」
「…」
「いやいや良い事だと思うよ。それくらいのハンデないとさ…つうか、それを待ってたんだよね、俺」
「え」
「ま、晶ちゃんがあっちの味方になるのはちょっと意外だったけど…泣けるじゃん、和久井君。俺に勝つために必死こいて昔ふられた先輩にも懇願しちゃって…で勝てば一発逆転だ」
「そうなったらどうするの」
「そうならないから泣けるんだよ、ひかるちゃん」
「あっ…」
「和久井君の事だから俺のテクは技の無駄使いとか言ってんじゃないの?で、基礎がいかに大事かとかそんなオチでしょ?」
「うん、ぁ…ぁ」
「そんなこったろうと思ったよ。でもま、それなら和久井君には教えてあげないとね、晶ちゃんの見てる前でさ。熱血ドラマはテレビだけってさ。俺、好きなんだよリベンジ野郎って、女の子の次に」
「…」
「あ、勿論一番はひかるちゃんだよ。だからまた晶ちゃんの監視よろしくね」
「…え」
「この間のスクープばら撒いたの、ひかるちゃんだろ?俺が晶ちゃんに手ぇ出すとか思って俺を尾行したんだろ?」
「!」
「大丈夫。誰にも言わないから。だって俺の事こんなにも思ってくれてるんだからさ」
「う、うん」
「それよりもっとないの?晶ちゃんの情報」
「うーん、詳しくは分からないけど、なんか最近よくフィギュアの動画観てるって先輩のクラスメイトから聞いたわ」
「フィギュア?羽生君かなんか?」
「多分。三原先輩ってジヤニーズ大好きだから美形のスケーター目当てなのかなって。あと宇津野君とか」
「なるほどな、最近強いもんね。ジヤニ系やショタ系のスケーター。ああいう天才、俺は好きだね。筋肉隆々のゴリラ系がいくら頑張ってもあっさり王子様が勝っちゃうとか泣けてきてさぁ…晶ちゃんも分かってるじゃん、ふふっ。ところでひかるちゃん、今日どんなパンツ穿いてきた?」
「キャッ!ちょっと!ダメだって」
「いいじゃんいいじゃん、ちょっとめくって見せてよ」
「ダメ!…あっ」
「いいだろ。俺だけのプレゼント」
「もう…」
「だから好き。ひかるちゃん」
郷内の手がひかるのスカートの中に手が伸びてくる。
ひかるは一度拒否し、そして話題を逸らした。
「ねえ、そういえば…」
「うん?」
「三原先輩の事じゃないんだけど」
「?」
「…」
「なに」
「ナベがさ…」
「ナベ?誰?」
「誰って鍋崎珠代でしょ」
「ああ、ナベちゃん先輩ね。そんで?」
「そんでって…その…スーちゃんの事好きみたい」
「ありゃま、なんでまた」
「ほら、前に私達、助けて貰ったじゃない。その時からみたいなんだけど」
「へぇ」
「へぇって何も思わないの⁉︎」
「ひかるちゃんは?ナベちゃんに言ってない訳?俺らの事」
「言える訳ないじゃない」
「なんで?言っていいよ?俺らこうやってラブラブだってさ」
「ぁ…」
「ナベちゃん先輩ねぇ…全く興味ないわ」
「ホント?」
「俺にも選ぶ権利があるって」
「そんな事言ったらナベが可愛そう」
「俺の天使はひかるちゃんだけだから…だから…」
「や、あっ…もうスーちゃん」
二人が何やら笑いながら絡み合おうとしてる踊り場。
「…」
ただそのひとつ下の階段には息を殺して身を縮めて聞いてる影が居た。
その影はそっと気付かれぬよう階段を下に下に降りて行く。
一番下の階まで降りると全身の力が抜けて階段に腰を下ろし両手で顔を覆った。
「…鍋崎?何やってんだ、そんなとこで」
「!」
ビクっと肩が震える。
「そんなとこでサボって…⁉︎ 泣いてるのか」
「は?な、泣いてないし、体力トレーニングが鬱だっただけ。今から行くよ、はあーあ、ダルいダルい…」
「お、おい、待てって」
「ダルいダルい」
「待てって!」
「…ダルいだけだから」
「…」
ひかると郷内の様子を聞いてしまった珠代。
部活に合流する前に軽いランニングで珠代と鉢合わせた湊。
いつもと全く違う様子にただならぬものを感じた湊は階段の上を見上げる。階段の見上げる先は晶のお気に入りの場所。何があったかは知らないが嫌な予感しか湊にはしなかった。
〜…
3.
病院、丈留の病室。
丈留のベッドの傍らで気難しくカルテのコピーを読んでる晶
「なるほど。つまり安静三ヶ月で済む話しが一ヶ月で強行して結果、今になった」
「…そんなとこだよ」
「試合に出場した時ですが…痛み止めは飲みましたか」
「当然だろ」
「…」
フーッと息をつく晶。その態度に丈留は納得がいかず憮然とする。
「あのな、痛み止め飲まなきゃ、まともに滑る事も出来ねぇんだぞ?」
「確かに金メダルを獲得した羽生選手も痛み止めを服用していました」
「だったら何が不満なんだよ」
イライラし出す丈留。だがそんな丈留を一瞥した晶は冷静に問う。
「痛み止めを飲んで勝つ見込みがあったんですか?」
「なに?」
それは丈留にとって予想しない言葉だった。
「カルテだと丈留さんの足は治療経過を見ても三ヶ月安静で完治のメドが分ります。ですが、一ヶ月のこの状態で試合に臨めば更に悪化させる事くらい分かってましたよね?」
「だから痛み止めを…」
「痛み止めは魔法の薬じゃないです」
「…」
「痛み止めは文字通り、痛みを遮断するだけ。本来は今の丈留さんの様にベッドで痛む足を楽にする為の薬です。痛覚を鈍くして強行すればヒビ割れた鎧に銃弾を撃ち続けるようなものなんですよ?」
「…」
丈留は言葉に詰まった。
痛み止めの効能くらい知っている。問題はそこでは無く、試合をする為に痛み止めを服用した事。それは当たり前だと考えていた。
だが晶は勝てもしない試合にわざわざ痛み止めを飲んで出場するのに何の意味も無いと言った。
正論だった。
丈留もそこは薄々理解していた。ただ納得のいかない事もある。
心の中で呟く。
そんな事知っている、でも時には引けない時だってあったんだ、と。
女には分からんさ、この気持ちは、と。
胸の中でぼやくも言い返せない丈留はストレスが溜まる。
なので話しをズラした。
晶から預かったカルテのコピーを開き、トントントンと指を差す。
「お前だって…なんだ、これ。強行してるだろ。しかも二回も」
丈留が晶の話題にズラすと彼女は目を丸くした。
その様子を見た丈留は鼻で笑う。人に偉そうな事言ってテメエこそどうなんよ、といった態度だが晶はそこでは無かった。
「わっ。読んでくれてたんですか、嬉しい、どこまで見てくれました?」
晶は目を輝かせる。
丈留は戸惑った。
いやいや、読んだ読まないじゃなくてお前を矛盾点を炙ったのだが。と言いたかったが晶はまるで読書感想文を聞くかの様に食いついてきたので改めて理解させてやろうと指摘する。
「お、お前が読めって言っただろ。全部読んだぞ…病気になってすぐ医者の忠告無視して練習参加で倒れて!引退試合の日は高熱に紫斑が濃く表れて視界が黄色いだ?それでまた無視して試合出て?バカかお前、死にかけてんじゃねぇか」
「…はい」
「それでよく偉そうに説教出来るな」
「…」
「どうなんだよ」
「…」
晶は沈黙した。
その姿にようやく丈留も腕を組みどうだ、言わんばかりだが晶は怯まなかった。
「私は痛み止めを飲んでません。解熱剤は飲んだけど」
「そういう事じゃなくてだな」
「私には信念がありました」
「あ?信念だ?」
晶はコクリと頷く。
「確かに最初にコートに倒れた時、これは本当に私が愚かでした。でも、丈留さん。もしも今、普通にスケートをしていて明日、あなた腎臓病だから金輪際滑っちゃダメって言われたらどうします?カラダ、普通に動くんですよ。信じられます?入院しなくて良い、薬も要らない、普通の生活出来る…なのに病気だからバスケするなって、信じられます?」
「…」
「今はもう充分病気を理解してますから気持ちの整理も出来るけど、あの時の私には…無理でした。だから先生の目を盗んで紅白戦に出て…ダメでした」
「…」
丈留は一瞬胸が痛んだ。
晶から渡された日記とカルテは全て目を通していたので、その時の彼女の苦しみは手に取る様に、そしてそれは自分とも重なっただけに余計だった。
晶の声が少し霞む。
「二回目は…どうしても出たかった」
目を瞑ると唇がわなわなと震え出す。
「お、おい」
晶が泣いてしまうのではないかと戸惑う丈留。
「分かってたんです、私のした行為は絶対に許されるものではないと。あの日、沢山の方々に迷惑掛けました。両親、病院、学校、自分のチームは勿論相手のチームにも、親友にも、そして加藤先生にも。でも、抑えきれなかった…だって!」
「いや、その悪かった、追い込むつもりじゃ…」
感情が爆発しそうだった晶を宥めた丈留。彼自身もさすがに年下相手にムキになり過ぎたと反省した。
それを見た晶もハンカチを口に当て一息、数回頷いて整える。
「痛み止めを飲まなかったのは理由があります。種類にもよりますが私のは成分が強いので痛覚遮断と同時に他の感覚も鈍るんです、触覚や意識なんかも。一年離れた私がコートで1分勝負するには痛み止め飲む事の方が危険で…まぁそれ以前の問題ですが。でも私は後悔してません」
「…」
「前に観てくれた私の試合の動画。ホントにダメダメだし、恥ずかしいけど…でも私の中で人生最高のプレイをしたと思ってます。全部出し切りました、ホントですよ、私の全て。だから丈留さんにはやるからには後悔だけはして欲しくない。ってまた私同じ事言って」
晶の脳裏には去年のインターハイの昨日の事の様に蘇っていた。
自分にゴールをさせようと仲間が何度も何度もパスを繋いでくれた事、コートに立てる様に舞台を整えてくれた事、最後に精一杯走り抜く事が出来た事。
それは晶にとって輝く様な思い出であり、も同時に後悔の思い出でもあった。
仲間は自分の為に必死に良い場面を作ってくれたというのに、自分はそれに応える事が出来ずにチームを危うく負ける寸前まで追い込んでしまった自責。
出るべきでは無い試合に出ても何も結果は生まれない。
自分も壊れるしチームにも迷惑を掛ける、晶はそれを身を持って経験した。
「参った」
「え」
「俺の負けだ。悪かった、しょうもねえ事に俺がムキになった」
「丈留さん?」
「正直に話す。俺がなんで治療途中で強行したか。俺は、ただの焦りと甘えだよ」
「…」
「先に言うが甘えってのはつい最近気付いた事だよ。お前のカルテとか日記とか動画も、んでお前の気持ちもそれ汲んだら俺のは甘えでしかねえなってな。それ言った上で焦りってのは…まぁ怪我してスケート出来ない焦りだな。ライバルや下の奴らの好調を外から見てれば余計、な。うん、全治3ヶ月なのに1ヶ月でやるのは無理な話しだわな。うん」
「…」
「うん、無理なんだけども痛み止めで痛みさえ無ければひょっとしたらってな…奇跡、信じてたんだ、俺」
晶はいつの間にそっと丈留の手を添える
丈留はちょっと戸惑うが振り払う事は無かった
「お前の言う通り大惨敗。全治3ヶ月が半年に伸びた」
「あれ?中山さんって高校生の時から丈留さんの振り付け担当してたんですか?」
「ん?ああ。なんかあいつ、不思議と自分がやる分には身にならないけど他人に教える事には異常なセンスがあってな。勿論学校にもコーチはいるけど、それとは別に付き合いで見てもらってだわ」
「なるほど」
「話し戻すと、戻したくないんだけど…で全治半年になった俺は自暴自棄ってやつだ。単純に考えてまず6ヶ月動けない。そこから万全にするにはリハビリは3ヶ月ってとこか、途中でリンクにも合流するが本格的な練習出来る様になって、勘取り戻して実戦でも身体が動くには…うん、最低でも1年だな。で、この1年はランキングも駄々下がりで復帰戦もポイント獲得出来るかは保証は無い。だから荒れる、お前らにも当たったろ?で、悲劇のヒーローしてた訳よ。俺が勝手に自爆して勝手に拗ねて、甘えてんのは理解してる。だから余計お前に指摘されると腹立ってな。マジで悪かった」
「丈留さん…よく言えましたね」
「はぁ?からかうのは」
「ではなくて」
「?」
「丈留さん、今、気持ちがスッとしたのではないかと」
「あ?…おう、まぁ」
「私もです。サトちゃんとミワちゃんは私にとってかけがえのない親友で、でも友達になる前はその気持ちを伝えられなくて、ある日もうやけっぱちで全部思いを二人にぶつけました。そしたらなんかスッとして、色々自分に対して反省出来て」
「ま、まぁそんなとこだ…ん?何書いてるんだ」
「マンダラートです。んーっと “人間性”、“反省” に◎」
「曼荼羅?おいちょっと見せろ…⁉︎ 」
「曼荼羅って (笑) でもちょっと近いですね。仏教だと宇宙の中心に仏様が居てそれを守護神が囲んだり、なんかそれが宇宙の真理とかみたいたな?マンダラートもそんな感じです」
「いや待て何だこりゃ全日本だ、運だ、環境だって…」
「これは…禰宜丈留の復帰への具体的なプランです」
「⁉︎」
「前回私は丈留さんの復帰のプランでおおまかな事しか言えませんでした。この間の三つの案、憶えてますか?」
「…解剖学、正確な日程調整、8割の力」
「はい、それです。それを更に掘ったのがこれです」
「これの見方ってまさか」
晶はうなづく
「曼荼羅と同じです。中心にあるものが最終目標。その目標達成に必要なキーワードが取り囲む様に8つ、更にその8つを完成させる為に必要なワークを同じ様に8つで囲む。これが全て達成出来た時こそ丈留さんは完全復帰出来る筈です」
「…中心が全日本ってなってるぞ?」
「はい」
「全日本の前にも試合あるだろ」
「いえ。丈留さんの復帰はこの全日本選手権でこれ一本にするべきです」
「!」
「丈留さん自身が全日本に出場する気ならば試合はこの一本です。ポイントの関係にしても去年結果を出してる丈留さんは今年も一番上のランクで試技出来る筈です。そしてこれはマンダラートの “勝負” の欄、リスクの引き算に当たります」
晶はマンダラートから勝負を指し、そこから勝負を掘り下げたリスクの引き算の欄をなぞった。
「全日本選手権の予選が始まる頃は恐らく丈留さんが勝負出来るギリギリの体調です。勝負勘を養うという点では小さな大会で身体を慣らすことも必要ですが…」
「足への負担だな」
「はい!」
「確かに一理ある。小さな大会でポイント獲得よりも結局は全日本には敵わない」
「一番怖いのは怪我の再発です。小さな大会でもやるからには結果を出さなければ骨折り損だし、身体への負担が大き過ぎます。丈留さんはどう思いますか」
「…」
晶は考える丈留を静かに待った。丈留がどの答えを出しても反論はしないつもりだった。
「分かった。お前の意見に従うよ。で、俺がこれからすることは?」
「まずはスケジュールです」
「それなら手帳がある」
丈留は晶にスケジュール帳を渡す。
晶は早速メモを記し始めた。
「まず今日がここ。退院予定は」
「6/14。ちなみに全日本予選が10/25」
「ホントにギリギリですね。今は足、どうですか」
「痛みそのものは少ない。やっと松葉杖で歩くのも許してもらった。退院の時には歩いて帰れる、フラフラだと思うが」
「なるほど。でしたら中山さんと学校のコーチを呼んで下さい。今の内に全日本での演技構成を考えるべきです。それとリハビリの先生にもプログラムを作成してもらう」
「…」
「私はフィギュアの技術に関してはさっぱりだから口は挟むべきではないのですが…例えば演技の曲なんかは過去一番相性が良かったものを選ぶべきかと」
「…」
「あれ?私何かまた」
「いや」
「?」
「すげえなって」
「すごい?」
「お前本当に素人か?」
「ええ」
「バスケもこんなマンダラートとかやったのか?その、お前の引退試合にもこんな予定立てたのか」
「まさか。私の時なんてこれ以前に用意するマスはひとつだけ」
晶はノートに書き始める。
マンダラート作成と同じ様に中心に記したのが【聖エルモア戦】そしてすぐ横に【絶対安静】と。
「私はやったのはこれだけです。とにかく安静。しいて言えばストレッチだけは毎日してたくらいででもこれも遊び程度だし、ま、イメトレくらいはしたかな」
「そ、そうか」
「私の事より丈留さんの事です。だいたいマンダラートなんて最近知ったばっかだし。ほら大リーグに行った二刀流の大…」
「大嶽か」
「そう、大嶽翔平さんがこれをやってたのを見て真似したんです」
「…なぁ、今改めて眺めたんだが、なんかこれちょくちょくおかしいとこないか?」
「?」
「なんだ、このパックって。それに女性を大切にする?なんだこれ」
晶はニヤッと笑みを浮かべると自分の鞄からシートマスクの包みを取り出す。
「これ私のだけど丈留さんにあげますので1日2回毎日使って下さいね。使用する前には必ず顔を洗って下さい」
「っておい。パックってそのままじゃねぇか」
「ですよ。何か」
「いやいやいやいや、全日本に何の意味があるんだ。だいたい【人間性】と【運】の意味が理解出来ないのだが」
それを聞いた晶は途端に不機嫌になる。
「丈留さんは私の案に賛成してくれたでしょ?だったら、これ!」
晶は【人間性】の欄から否定しないのマスを強く2回指した。
「いやいや、だからな、俺はこの意味が知りたいんだよ。俺がパックして全日本で勝つメカニズムがあんのか」「あります」
晶は食い気味で答える。
「フィギュアの勝敗は美しい技を披露する。これは実に曖昧なものです。美しい技は勿論身体能力が絶対なのですが、それ以外にも言えます。例えばルックスやスタイル。化粧だってミュージカル俳優並みの非常に濃いメイクをするでしょ」
「…」
「パックをするという事は美意識を高めるのに必要です。丈留さんは肌カサカサだし無精髭だし髪も伸びてを艶が無い。ホント浪人って感じ」
「悪かったな、浪人で。仕方ないだろ入院長いんだし」
「それ!入院を理由に言い訳。そうゆう事言う人は普段からおしゃれにも疎い」
「うっ。しかしだな、俺がパックって…」
「簡単な話しです。合コンに可愛い女性が二人来て一人はとても清楚、一人はなんか小汚い。第一印象が良いのは誰がどう見ても前者です。これを競技に置き換えれば女性が丈留さん、男性が審判ならどうでしょう?同じ演技をして印象が良いのは合コンと同じだと思います。ただ必ずしもこれが点に関わるかは保証出来ません。でもこういったリンク以外での積み重ねが最終的な【運】にも直結すると私は考えてます」
「…ならこの、女性を大切にするってのは」
「女性は大切じゃないですか?」
「いやそれは分かってるよ」
「演技するには器用さや繊細さが求められますよね。演技の音楽には情熱的なものもありますし、ペアとかが良い例ですよ。女性を愛しく思う、大切にする、これは演技だけではなくて普段からも紳士になることを意識するんです…女の子に威嚇して花瓶投げたりエッチな本買わせたりといった…」
「うぉーい!その節はマジで勘弁してくれ。本当に悪かった」
「…」
「…」
「まぁ真面目な話し【人間性】はとても大事です。特に日本はひとつの軽卒な行動や言動ですぐバッシング受けるし…私だって散々」
「ん?お前がどうした」
「あ!いえ、なんでもないです。とにかくやってみる事が大事です。騙されたつもりでちゃんとパックしてくださいね」
「じゃこの【運】もそうか?靴磨きやらゴミ拾いやら」
「運の大前提はこれ、やりきる、事にあります。やりきるとはそのまま。技術、体力、知識、こういったものを全て努力した者にこそ運は与えられると私は考えてます。そしてそのチャンスを逃がさない為にもゴミ拾いとか大切ですよ。運って意外にも近くに落ちてたりするから」
「…なるほどな」
「じゃあ」
「ん?」
「早速、運を拾いに散歩でも行きますか」
「お前とか?」
「嫌なんですか?」
「嫌なんて一言も言ってないだろ」
「なら行きしょう」
「お、おう」
「あの、それと…」
「?」
「いいかげん私の事 “お前” って呼ぶのやめてくれませんか?三原晶って名前があるんですから」
「⁉︎」
ギョッとする丈留
「おい、“ミハル”って苗字か⁉︎」
「はい。三つの原っぱで “みはら” って書いて “みはる ” です」
「じゃ晶ってのが下の名か」
「はい」
「晶…」
丈留はミハルをセカンドネームと思っていたので照れ臭く彼女を名前で言えないままだった。
それが真の名前が晶と知り急に胸の中がドキドキし始める。
「晶…」
あ、晶って、晶って、なんだよ。ミハルじゃねぇのかよ…
これじゃどっちも下の名前みたいで…
「晶…」
いつも生意気なくせに可愛い名前しやがって、くそ、どう呼べば…
気付くと丈留はブツブツと晶の名を連呼していた。
「はい、なんですか?」
「!」
晶がそれに応えるとびっくりしたのもあいまって更にドキっと高鳴った。
「な、なんでもねえよ。じゃナースセンターで許可貰ってから、い行くぞあ晶」
「…はいっ」
次回は特別編
晶が作成したマンダラートの一部を公開します。
マンダラートは大リーグで活躍してる大谷翔平選手のエピソードを参考にさせていただきました。
ちなみに晶は野球に詳しいです。
好きなアイドルが野球得意な為に彼女もルールを覚えました。
(前作、【届け、私の60秒!】にて軽くエピソード載せてます)




