吸血鬼と罪悪感
イルザーク視点です。
新しい魔王はどうにも奇妙である、とイルザークは思った。
あの時、突如膨れ上がった黒ずんだ闇の魔力を追えば、そこにいたのはまだ幼い、子供といえる年の人間だった。
驚きこそしたが、人間が魔王になった例が無いわけでもなかった。
それに、最初その瞳を見たとき、大河もまた人間に強い恨みを持っているのだろうと確信した。それほどに荒んだ瞳だったのだ。
……だが、実際に話してみれば、その言動には、戦を知らぬ子供のような無邪気さと純粋さが見え隠れしていた。
これまでの魔王とはまるで違う、のである。
真名のことも知らぬ、そしてそれを隠そうとしないあたり、弱さを見せることにも抵抗が無いようだった。
それでいて、
「よくぞいらっしゃいました、我らが王よ」
「ああ、今来た。我が部下よ」
彼は確かに、王なのである。
どう接していいか分からない、というのが、イルザークの本音だった。
その彼を魔王のための部屋へと案内すべく、イルザークと大河は、魔王城の長い廊下を歩いていた。
「あまり、驚かれないのですね」
「何がだ?」
「いえ、魔王陛下は別の世界にいらっしゃったということですので、てっきり、我らのような魔族の姿には驚かれるのではと、そう思ったのですが……」
「ああ」
そう言われると不思議だな、と大河は呟く様に言った。
「まぁ、心が今はかなり麻痺しているようだから、それもあるんだろうな」
「心が、麻痺、ですか」
神経を麻痺させる魔法というのは聞いたことがあるが心をとは……とイルザークが真剣に考え始めたので、大河は思わず苦笑した。
「別に、魔法のせいじゃない。ただ……裏切られて、心の針みたいなのがどっかにぶっ飛んだんだろうな」
「裏切られて」
「ああ。人間に——この言い方は随分奇妙な気がするが——裏切られたんだよ、俺は。
特に、同じ世界から来た唯一の人間にな」
「なっ」
「あんまり怒ったことはなかったが……というか、怒ったことがなかったせいか。多分怒りの神経を焼き切ってしまったに違いない」
「……」
イルザークは言葉に詰まった。
それは、自分たちが召喚に失敗したことが原因でもあるのだ。
責める言葉も覚悟したが、大河の口から出たのは、むしろ真逆の言葉だった。
「だからこそ、お前の言った、魔族は王を裏切らないというのは何より嬉しかった。怯えなかったのだって、大きな理由はそちらかもしれないな」
「あ、有り難きお言葉!」
イルザークが勢い良く頭を下げれば、大河は大袈裟だと笑った。
これだ、とイルザークは思う。
この無邪気な笑いこそが、最も自分がやりづらいと思うものだと。
「いいから、頭をあげろよ」
「はい」
言われるままに、ゆっくりと頭を上げれば、そこがほぼちょうど、魔王の部屋の前だった。
「あの、魔王陛下」
「ん?」
「こちらの部屋でございます」
「ああ、ここか」
イルザークが扉をあければ、少し薄暗いものの、いい家具を集め綺麗に整えた部屋だった。
大河の表情を伺うイルザークだったが、彼はどこかボンヤリと部屋を見回していた。
挙句に、
「なぁ、魔族と人間って、かなり生活レベル……生活水準が違うのか?」
なんて質問をしてくるのだった。イルザークの、
「いえ、そんなことはございませんが」
という答えにも、そうか、とただ返すばかりだった。
それから、しばらく部屋の様子を眺めていた大河だが、ふと、
「……休みたい。一人にしてくれないか」
と言った。
先ほどの質問の意味を尋ねたい気持ちはあったが、無理やりに聞くわけにもいかず、イルザークは失礼します、と一礼して部屋を出たのだった。
深夜。
吸血鬼らしく庭を歩いていたイルザークだが、突然、上から声をかけられた。
「何眉寄せてんのさ」
「猫又」
「そ、可愛い子猫ちゃんこと、ネルンちゃんだにゃ」
ストンと、猫の耳と尻尾を揺らした勝気そうな少女が木の上から降りてきた。
猫というだけあって、その身のこなしはずいぶんと軽やかである。
「で、どうだったの、新しい魔王サマ」
「……何とも形容しがたいですね」
「へぇ?」
尻尾の影がユラユラと動く。
「あの方は、何というか、今までの魔王とは違いすぎるのですよ」
「それはいい意味? 悪い意味?」
「……恐らく、良い意味かと思います」
「それは何で?」
何故と聞かれると、どうも困るのだが、とイルザークは内心で呟く。
「人間でありながら、幼き王でありながら、あの王は魔族をきっと導く王になるような、そんな予感がするのです。そう、先々代のような——」
「ふぅん」
ネルンは愉快そうに笑った。
「先々代どころか、先代の様にならないって言う保証も無いけどにゃ?」
「その話は……」
「蒸し返すなって言いたいのかにゃ? でも、魔王サマには話さない方がいいかもしれないがにゃ」
「……ええ」
裏切らない、とは言った。
しかし、嘘を付かないとも隠し事をしないとも言っていないのだ。
そう自分を正当化して、仄暗く揺れる罪悪感を、イルザークは無視した。