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004 物流の問題

 グレンデルの南、大河港ミラードへと続く主要街道。

 普段なら多くの隊商が行き交う動脈だが、今日は完全に血流が止まっていた。


 原因は、前日の雨によって生じた広大な泥濘(ぬかるみ)だ。


 その泥の海に、一台の大型馬車が車軸まで沈み込んでいる。

 六頭立ての牽引馬がいななき、御者が鞭を振るうものの、車輪は空しく泥を掻き回すばかりで微動だにしない。

 後続には、立ち往生した馬車の列が伸び始めていた。


「くそっ、これじゃ日が暮れちまう! 積み荷は生鮮品だぞ! 納期に遅れたら違約金で破産だ!」


 頭を抱えてわめき散らしているのは、運送ギルドの顔役、ドーグ・マルテスだ。

 丸太のような腕を持つ豪快な男だが、今はその顔から血の気が引いていた。


 運送ギルドの価値は、こういう環境でも確実に物を運べることにある。

 それが「できませんでした」となるのは、信用失墜どころでは済まない。


「無理だ、ドーグ。これ以上暴れさせると馬が潰れる」


 渋い顔で制止したのは、警備にあたっていた衛兵隊長のヴァイスだ。

 彼は泥だらけになりながら、馬車の周りを確認している。


「衛兵隊の手にも余る。馬を増やそうにも、足場が悪すぎて力が伝わらん。積み荷を降ろして軽くするしかないが、それには半日はかかるぞ」


「半日だと!? そんな時間があるなら叫んでねえよ!」


 ドーグが絶望に吠えた。

 物流のプロたちが、自然の猛威と物理法則の前に敗北を認めかけている。

 そこに、一人の女が現れた。


「お困りのようですね。私たちの筋肉で解決してさしあげましょう」


 そう、その女とは私のことだ。

 カイも同行している。


「あ? あんたは! 〈筋肉応援団〉の聖女団長じゃないか!」


 ヴァイスが興奮する。

 先日のワイバーンの一件を覚えていたようだ。


「話は聞いてるが、ここは魔法使いの出る幕じゃねえ! 魔法で泥を乾かすとか、馬車を浮かせるなんて芸当ができるなら別だが、あんたは『筋肉』しかねえんだろ!?」


 ドーグが苛立ちをあらわにする。


「私は魔法使いではなく聖女です。たしかに勇者パーティーから追放されたことで、聖務庁からも事実上の解雇宣告を受けましたが、現行法に基づけば肩書きは聖女のままです」


「ごちゃごちゃうるせぇ!」


「まあまあ、落ち着いてください。そういう感情を抱くのも、筋肉が不足している証拠です。今、それを証明してみせましょう」


 私は背後に控えていたカイを手招きした。

 彼は先日のワイバーン戦を経て、少しだけ顔つきが精悍になっている。

 今日は基礎体力向上のための荷運び訓練中だったが、絶好の実践機会だ。


「カイ、行きますよ。私とあなた、互いの筋肉をコラボレーションさせましょう」


「は、はい! 任せてください、団長!」


 私はカイと並んで泥濘の中へ足を踏み入れた。

 ブーツがずぶりと沈む。

 普通の人間なら、この足場の悪さだけで力の伝達効率が半減するところだ。

 だが、私には策があった。


「カイ、あなたには出力と保持力を与えます。筋肉魔法〈マッスル・ワーク〉! さらに〈マッスル・グリップ〉!」


 私の手から放たれた魔力が、カイの全身を包む。

 〈マッスル・ワーク〉は、労働効率の向上に必要な筋肉をバランスよく強化する魔法だ。

 もう一つの〈マッスル・グリップ〉は、その名のとおり握力や補助力を極大化させる。


「うおお……! 相変わらず凄い! 体が岩みたいにガッシリした気がします!」


「私は〈マッスル・バランス〉で自身の体幹を強化し、生きた足場となります。ドーグさん、馬への合図をお願いします」


 私は馬車の後部に回り込み、泥の中で仁王立ちした。

 太い車軸の下に肩を入れる。

 隣ではカイが車体のフレームを掴み、低い姿勢を取った。


「お、おい! マジでやる気か!? 総重量は四トン以上あるんだぞ!?」


 目を剥くドーグへ、私は不敵に笑って見せた。


「四トン? ふふ、思ったより軽いのですね。さあ、合図を!」


「ちっ、知らねえぞ! ……行けぇッ!」


 ドーグの号令とともに御者が鞭を入れる。

 馬たちが一斉に前へ出ようとし、泥が跳ねる。

 その瞬間、私とカイは同時に爆発的な力を地面へ叩きつけた。


「「せーの……マッスル!!」」


 ズズズズズッ!


 地響きのような音が鳴った。

 私の〈マッスル・バランス〉は、泥濘の上であっても重心を完璧に制御し、力のベクトルを一切逃さない。

 本来なら滑るはずの足が、まるで大地に杭を打ったかのように固定される。

 そしてカイの〈マッスル・ワーク〉が生み出すトルクが、泥の粘着力をねじ伏せた。


「うおおおおおッ! あ、上がれぇぇぇッ!」


 カイの首に青筋が浮き、腕の筋肉が鋼のように隆起する。

 メリメリという音とともに、沈んでいた車輪が泥から引き剥がされていく。


 馬車が、浮いた――。


「「な、なんだとぉ!?」」


 ドーグとヴァイスが驚愕する。

 そんな中、私たちは馬車を後押しし、強引に泥の海を突破させた。

 馬の牽引力に私たちの「筋肉エンジン」が加われば、もはや泥など障害ではない。

 十メートルほど押し進み、乾いた路面へと馬車を押し上げる。


 だが、私の仕事はそこで終わらない。


「カイ、荷台のバランスが右に偏っています! ついでに整えますよ!」


「は、はい!」


 馬車を止めることなく、私たちは走行しながら荷台に飛び乗った。

 箱詰めされた重い木箱をカイが軽々と放り投げ、私が空中でキャッチして配置を整える。


 重心の偏りは車軸への負担となる。

 それは新たな事故を招く原因にもなりかねない。

 圧倒的な筋肉で心に余裕があれば、そういうところまで配慮できる。


「よし、完了です!」


 私たちが地面に降り立ったとき、馬車は完全に水平を取り戻していた。

 心地よい音を立てて、軽快に街道を走り去っていく。


 後に残されたのは、呆然と立ち尽くすドーグとヴァイスだけだ。


「馬車を泥から出しただけじゃなく、走りながら積み替えまで終わらせやがった……」


 ドーグが口をパクパクさせている。

 ヴァイスも腕組みをしたまま、感嘆の息を漏らした。


「信じられん。だが、これで街道の渋滞は解消だ。治安維持の観点からも助かる。……見事だ、ミレイユ団長」


 私は泥だらけの手袋を払い、ドーグに向き直った。


「物流も筋肉で回ります。馬や車輪の限界を、筋肉が補うのです。今後、困ったことがあれば〈筋肉応援団〉へ。今ならお安く優先契約を締結できますよ」


 私が営業スマイルを浮かべ、懐から優先契約書を取り出した。

 先日、セルマに渡したものとまったく同じものだ。


「ああっ、頼む! いや、頼みます! うちのギルドにも優先窓口を開けてくれ! あんたらの筋肉がありゃ、どんな悪路でも納期を守れる!」


 ドーグは光の速さでペンを取り出し、その場でサインした。

 さらに私の手をガシッと握りしめる。

 その手は感謝と興奮で震えていた。


「契約成立ですね。有料の筋肉相談も受け付けていますので、ギルドメンバーの筋肉にお悩みの際は、いつでも当ギルドへお越しください」


 私は「それでは」と一礼し、カイを連れて颯爽と去っていく。

 こうしてまた一つ、この街に「筋肉信者」が増えたのだった。


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