第三話 解答
「結局誰も、密室にプレゼントが出現したトリックを解明することができなかったわね」
テーブルに落ちたクッキーの細かい欠片を手で寄せ集めながら、毬谷が言った。
「それじゃあ、遊佐さんが戻って来たら種明かししましょうか」
西島が提案すると、テーブルに突っ伏した草加が、
「うん、そうしよう。あー、なんだか急に睡魔が襲ってきた……」
あくびを噛み殺しながら間の抜けた声で賛成した。
遊佐が中座してから五分ほどして、誰かがドアをノックした。
「お父さん?」
怪訝な面持ちでドアへと向かった西島は、ドアノブを回し、あれ? と、小さく驚いた。銀色の丸いノブを数度右に回してから、手を離してそのすぐ下を覗き込む。
「どうしたの?」
異変を察知した毬谷が声を掛ける。西島が振り返って、ノブの下に付いている施錠用のつまみ――サムターンを指差した。
「……鍵がかかってるんです」
「え、どういうこと」
草加が勢いよく顔を上げた。その時、ふたたびコツコツと遠慮がちにドアが叩かれた。西島が開錠してドアを開くと、薄暗い廊下に遊佐が立っていた。
「遊佐さんが鍵をかけたんですか」
遊佐は黙って頷いた。
「いつ? どうやって?」
草加が矢継ぎ早に問う。
「先ほど部屋を出る時に鍵をかけました。この手のドアは扉を開けた状態でサムターンを回し、扉を閉めることによって施錠されるんです。車のドアと同じです」
言って、遊佐は実演して見せた。水平の状態のサムターンを指で摘み、九十度回転させてからドアを閉めると、解説どおりドアは施錠された。
「えっ! もしかしてそれが密室トリック? さんざん頭悩ませて、その結果がこれ? 嘘でしょ……」
草加が絶句した。毬谷も口元に手をやり、あらまあ、と呆気にとられて呟いた。二人の反応に遊佐が、
「現実の密室なんてしょせんこの程度のものです。針と糸を使ってせせこましく密室を作る犯人なんてそうそういません。推理小説に登場する犯人くらいです、そんな酔狂なことしてるのは」
「いや、あんたが一番、そのせせこましい手段でこの部屋を密室にしようとしてたよね。糸の使用量かなりのものだったよ」
草加が呆れた様子で指摘した。すると遊佐は、
「酔いが回って思考回路がおかしくなっていただけです」
事もなげに言ってのけると、自分の場所に座って飲みかけの紅茶に手を伸ばした。
「ねえ、遊佐さん。今の方法で部屋を密室にできたとして、そもそもどうやって鍵のかかった部屋に入ったの? 鍵は使ってないんでしょう」
毬谷が頬に手を当てて小首を傾げた。
「鍵は必要ありません。ドアに施錠がなされる以前から、西島さんの父親がこの部屋の中にいたんですから」
「……ということは、父親は母親から連絡を受け、妻子が帰宅して娘が眠るまでの間ずっと部屋の中に隠れてたってことか。……あれ? ちょっとまって。今頃になってものすごく重大なことを思い出したんだけど、この部屋が密室になったのって偶然だったよね。屋根に煙突がないからサンタが家に入れない、とかいう話の流れでその晩だけ部屋に鍵をかけてもいいってことになったんじゃなかった? なら、その推理には無理があるんじゃない」
遊佐の言葉を反芻していた草加が、はたと気付いて言った。すると毬谷が、
「あら、そういえばそうだったわね。そのことをすっかり失念していたわ、あなたがボトルシップ作戦なんて突拍子もないこと言い出すから」
「突拍子もないって何? 私の推理なんてあんたたちのに比べたら百倍慎ましやかだったよ」
「あれのどこが慎ましいのかしら、五十歩百歩だわ。それにしても私たち皆、密室にプレゼントを出現さるためにあらかじめ部屋に細工を施しておいた、という前提で推理していたけれど、それ自体間違っていたのね」
「そうなるね。まあ、密室を作るのは遊佐の方法でいいとして、問題は密室に入る方法だね……」
二人は同時に、うーん、と唸った。
それからしばらくして草加が、あっ、と叫んだ。握った右手で左の掌をぽんと叩き、
「閃いた。トイレとか浴室の鍵ってさ、非常時に外から開けられるようになってるじゃない、硬貨とかで。この部屋の鍵もそうなんだよ」
「何言ってるの? 鍵は使ってないって何度も言ってるじゃない」
「硬貨は鍵じゃありません。お金です」
草加は得意顔で顎をくいっと上げ、にやりと笑った。
「とんだ屁理屈だわね」
小馬鹿にしたように毬谷が溜め息を吐いた。
「遊佐さんはもう全部分かってるんじゃないですか」
二人のやり取りを傍観していた遊佐に、西島が言った。
「ええ、まあ。でも……」
「ひょっとして、私のことを気遣ってくれてるんですか。心配いりませんよ、昔のことだし、第一気にしてたらこんな話題ふったりしません」
言いよどむ遊佐に、西島はそう言って微笑んだ。事情が呑み込めずにいる草加と毬谷が不思議そうな顔で、遊佐と西島とを交互に見た。遊佐は再度確認するように西島を見やり、それに対して西島が頷くと、持っていたティーカップを置き、テーブルの上のオルゴールに手を伸ばしながら、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「そもそもこのオルゴールは、西島さんへのクリスマスプレゼントではありません。西島さんの父親が、母親とは別の女性へ贈った――というか、贈ろうとした物です」
草加と毬谷が驚愕に目を見開いた。一方、当の西島は別段動揺したふうでもなく、黙って遊佐の言葉に耳を傾けていた。
「クリスマスイブの夜、西島さんの父親は、妻子が留守なのをいいことに、自宅に女性を連れ込んだんです。ところが、祖父母宅に宿泊するはずだった妻子が戻って来た。父親とその女性は慌ててクローゼットに身を隠しました。その後二人は妻子が寝静まった頃、こっそりと部屋から抜け出したのです。万一、母親に見付かった場合を想定して、プレゼントは置いて行きました。そのような物を持っていたのでは弁解の余地がありませんから。西島さんの枕元に置いて行ったのは、娘へのクリスマスプレゼントだということにすれば誤魔化せるとでも思ったのでしょう。物が貴金属や化粧品ならば無理がありますが、オルゴールならば子供へ贈ったとしても不自然ではありませんし。ドアに鍵をかける方法は先ほどお見せしたとおりです。これが、密室にプレゼントが出現した真相です」
「弁解の余地って……、妻子のいない家に女連れ込んでおいてそれをどう言い逃れしようって言うの?」
草加が非難する口調で言うと、遊佐に代わって西島が答えた。
「父は、仕事に必要な資料を忘れたから同僚と取りに来た、と言い訳したそうです」
「それはかなり苦しいな、お父さん。……ん? ということは、今の遊佐の推理で正解?」
「はい、正解です」
「はぁ、居酒屋で話を聞いた時はずいぶんとメルヘンチックなノリだったのに、真相はこんなに安っぽいメロドラマみたいな展開だったなんて……」
言いかけて、草加は慌てて言葉を飲み込んだ。気まずそうに西島の顔を盗み見る。西島は苦笑した。
「ほんと、昼下がりの安いメロドラマですよ。クリスマスの朝はそれはもう修羅場で、プレゼントを持ってリビングに行ったら、母が相手の女に掴み掛かってる真っ最中でした、物凄い形相で……。父は泣いているし、私は恐ろしくてすぐに自分の部屋に戻りましたもん。それ以来、私が子供の頃のクリスマスの話題はタブーです。だから、後になって父に真相を訊くまでずっと、プレゼントのことは本当に不思議だったんですよ」
そして、西島はすっかり冷めてしまった紅茶を一息に飲み干すと、ティーカップの縁を指で拭い、
「それなのに遊佐さんは、どうして私の話を聞いただけで真相に辿り着くことができたんですか?」
と、遊佐の顔を真っ直ぐ見据えた。遊佐がゆるゆると頭を左右に振る。
「実際に現場を見せてもらえたことで補完できた部分もあるので、話だけで真相に辿り着けたわけではありません。それに西島さんが、話の中にそれとなく手掛かりを忍ばせていたじゃありませんか」
「手掛かりなんてあったかしら」
毬谷が首を傾げる。
「はい、ありました。例えば、『暖かい布団』です。電気毛布を使用していれば別ですが、冬の布団というのは総じて冷たいものです。潜り込んでもすぐには暖かくならず、自分の体温が移るまでの間は縮こまっていなければなりません。それが暖かかった。何故か、それはその布団を使っていた人間がいたからです。この事実から私は、西島さんが部屋に戻る以前に誰かいたのではないかと疑ったのです。それは、ここへ来てから西島さんが『その晩はエアコンがついてましたよ。部屋が暖かかったのを憶えてます』と言ったことで証明されました。エアコンを何時、誰がつけた、とは明言していませんが、布団同様エアコンも、運転させたそばから部屋全体が暖まるというものではありません。部屋に戻ってすぐに眠った西島さんがそれを体感できたということは、あらかじめ誰かがエアコンを運転させておいたからにほかなりません」
遊佐は、西島の言葉を一言一句違わずにそらんじた。
「でも、そこから推理できるのって、西島の父親があらかじめ部屋の中にいたということだけだよね。浮気相手の存在はどこからでてきたの? 父親が、独りぼっちの寂しさを紛らわせるために娘のベッドで寝ていただけかもしれないじゃない」
草加が疑問を口にする。
「それは枕元に漂っていた『甘い香り』です」
「それって、枕元に置いた長靴のお菓子の匂いじゃないの?」
「長靴に詰めてあるお菓子って、キャンディーやチョコレートやスナックやどれもだいたいが袋物のやつでしょう。ぴっちり密封されているから匂いは漏れないわよ。その甘い香りって、香水の香りよね」
毬谷が口を挿んだ。
「うーん、でもそれだけじゃあ、浮気相手の存在を疑うには弱いんじゃない?」
「それだけではありません。最大のヒントはプレゼントです。鮮やかな赤い包装紙に銀色のリボン。とどめに、深紅の薔薇の造花です。これはどう好意的に見ても、子供へのプレゼントのラッピングにはそぐわないと思うんです」
「まあ、そう言われてみれば確かに、そこはかとなく下心漂うラッピングだわ。子供用のクリスマスプレゼントならやっぱり、赤や緑のクリスマスカラーにクリスマスっぽいイラストの包装紙が定番だものね」
毬谷が妙に納得して言った。逆に、草加は納得できないといった様子で、
「でも、よりによってどうして娘の部屋で逢い引きなんてしたの」
「それはこの部屋が、クリスマスイルミネーションの目玉である向かいの家のツリーが一番綺麗に見える場所だからです。父親の書斎は道路に面していませんし、先ほど外を見て分かったんですが、夫婦の寝室の前には大きな庭木が枝を広げていて、あれではツリーが見えません」
「それにしたって子供部屋はないわよねえ。……でもよくよく考えてみたら、どうして子供部屋に隠れていた時点で見付からなかったのかしら。クローゼットに潜んでいたのなら、パジャマに着替える時に鉢合わせしそうなものじゃない?」
形の良い眉をわずかに顰めて毬谷が言った。
「クローゼットを開けなかったからです。その晩は外泊する予定でしたから、パジャマは持って出掛けたのでしょう。リュックサックの中に『着替えや歯ブラシ』が入っていたと言っていたので、その中にパジャマも含まれていたはずです」
「なるほどねぇ、ちゃんとヒントがあったんだ」
草加がしきりに大きく頷いた。しかし遊佐は釈然としない面持ちで、
「ただ一つだけ分からないことがあるんです。言葉は悪いですが、そのオルゴールはいわば父親の不貞の証拠なわけです。何故そのようなものをいつまでも手元に置いているんですか? 捨ててしまえばいいのに」
すると西島は、前身頃がアーガイル柄の紺色のカーディガンのポケットに手を入れると、
「それは……、このオルゴールを鳴らすと父がお金をくれるからです」
言いながら壱万円札を取り出した。そして、顔の前で紙幣をひらひらと振ると、その日一番の笑顔を見せた。