青春帰り道
それじゃまた明日に。
部長の言葉で今日の部活は終わった。雨音さんは白い手提げをひょいと持ち上げ、僕は黒いエナメルをよっこらしょと持ち上げた。ごつごつと角ばってしまったエナメルが腿に当たる。そろそろ学校に教材置いてかないとなあ。雨音さんはもう置いていってるのだろうか。橙色の淡い光が差し込む廊下を歩いていく。この時間帯でもまだ残っている生徒も多く、携帯をポチポチといじってる男子、和服の女子が縁側に座っている絵を前に頭を掻いている女子、静かにゆったりとそれぞれの時間が流れている。
「そういえば部室で雨音さんが何か作ってるとこ見たこと無いんだけども。かわるがわるハードカバーを読んでばっかりで…何か作ってるの?」
「作ってはないね。幽霊部員みたいなもんだし。」
「せっかく毎日部室来てるんだからなんか作るのどうですかね?」そういうと、ずずっとこちらに顔を向けて、
「そういう永倉君は何か作ってるんですかね?」と詰問した。
「え…いや…何作るか想像もつかないし…」
「そういうことなんだよ。つまるところは。」雨音さんはぱっと突き放して歩き始めた。雨音さんにそう言ったものの、自分も入部して結構時間が流れているが、読書とか課題終わらせていたり、部室にいるものの、特に何かを作っているわけではない。部長はそんな僕達に何か促すわけではないし、積極的とは言えない僕達に対して態度をかえてしまうこともなかった。その環境に甘えていた。
「何も知識が無いのにここで話していても無駄なんで、とりあえず手芸店行ってみましょうか。」
「流石、ホープは行動が早いですね。」上履きがキュッと鳴き、僕達は歩くスピードを速めた。
小学校の時、うちの学校では貯金箱を作る課題が毎年出ていた。生徒の作った作品は全国展開されている銀行が主催するコンクールに全て出品されていた。全員に参加賞も出されるし、皆作ること自体は楽しんでいた。
だけど貯金箱というのはとても難しい。というのも貯金箱というものは大体もう完成されているからだ。何と表現すればいいんだろうか。正直牛乳パックに溝切り込むだけでも貯金箱というものは出来てしまう。お金を保存する構造が元々あるからだ。実際、ラストスパートで作り上げたような作品が毎年クラスに1つ2つはいた。ラベルや商品名が画用紙などで隠されることすらなかったそれらが、後ろの棚の隅っこにあるのを見たときは正直言って、図工の時間の残骸かと思った。確かに、時間とかけて作るからには出来のいいものを作りたいけど、「貯金箱」はすぐに完成してしまう。独創性とか遊び心が入り込む隙が無い。しかも毎年全学年が作っているのでなんかしら似ているものが出来てしまう。そういうのが嫌だからといって書店の夏休みの課題コーナーの棚に置かれている貯金箱のアイデア本を見ても、手垢のついたようなアイデアしかなかった。どっちに転んでも良い未来なんてなかった。こんなトラウマがあるのに高校生となった今、工作が好きと公言しているのを知ったら昔の自分はどんな顔をするのだろうか。
手芸店に行こうとは言ったものの、手芸店なんて言ったことの無い僕は手芸店を見かけたことはあったかもしれないが、それがどこにあったか全く覚えてない。そんな役立たずの僕は、特に会話の糸口を見出すことも出来ず、雨音さんの後ろを自転車でついていく。雨音さんは、「昔、母さんと行った手芸店を一つだけ覚えてるからついてきて」と言って、ずんずんと進む。二人とも自転車通学でよかった。
僕らは駅の近くの駐輪場に自転車を置いて、駅に入った。波高の青い制服の学生が僕らのほかにもちらほら見られる。いつもより混みごみとした電車に乗り、ちょっと荒めの発進にぐらついた。もう暗くなってしまったので、窓に映る景色は、ぽつりぽつりと見える街灯が短い尾を引く以外駅と駅との空間は真っ暗で、僕の後ろのスーツ姿の男性がけだるげに携帯をいじっているのが反射して見えた。隣を見ると、吊り革につかまったまま雨音先輩がハードカバーを読みふけている。ちらりと見えたその表紙は、出した本全てがベストセラーになるというヒットメーカーの最新作だった。ニュースとかで聞くには恋愛小説らしいが、まさか雨音先輩が読んでいるとは思わなかった。話しかけるのも水を差すようでなんだか悪いし、スキャンダルまみれの中吊り広告も大体目を通してしまったし、どうしたものか。出されていた課題図書もまだ買ってないし…携帯を開いてみても走行中の車内ではなかなか電波が入らない。万事尽くして目をつむる。視覚が消えると自分で思ったより揺れが少なかった。
起きているつもりだったがいつのまにか寝ていたようで、雨音さんに起こされた。とっさに口元を拭うが、失態を晒してはいなかったようだ。「叩き起こせばよかった」と横から聞こえたががたぶんまだ寝ぼけていたのだろう。
改札をどうにか抜け、雨音さんの後ろをついていく。そろそろエナメルが肩に食い込んできて少し痛い。全国チェーン展開されているその手芸店に入ると、少しぬるめの冷風が肌をなでる。汗ばんで少し透けたワイシャツが冷たい。入ったことの無い手芸店は新鮮で、なんていうか完成品が無く、材料ばっかりだ。当たり前だけど。値札には、型番やらそういう種類を示すものなのか数字やカタカナが散りばめられていた。
「部長がこーいうのやってたよね。」雨音さんがそういって手にとったのは、毛糸の束だった。片手で掴んだその玉は100mと書かれていて、なんか意外に長いなあって思った。
雨音さんがぽつりと、
「そういえば洋服とかって縦糸と横糸と組み合わせて構成されてるじゃん?」と聞いてきた。
「そうですね。」
「でもさ、お婆ちゃんが暖炉の前で安楽椅子に揺られて気ままに編み物している姿を想像したとき、毛玉は一つだけじゃん。」
「言われてみれば。」
「どこからそのもう一本が出てくるの?」そう言われて悩んでいる時、ふっとヨコシマな考えを思いついた。
「知らないんですか?」と、ことさら知らないことに驚いたような顔を作り、雨音さんに言う。
「えっ?」
「糸は端っこが2個あるじゃないですか。その両端を使って編んでいくんです。そして次の毛玉を使う時、最後の部分を切ってつないで結んで編んでいくんですよ」流石に毛玉に目を落として言葉をつなぐ。目を合わせて表情を変えずにこんなよくわからない嘘を吐けるわけが無い。
「そうなの?じゃあ綺麗に毛玉一玉使い切らないといけないじゃん!難しいね!」
「だから初心者のうちは毛玉を二玉使って同時に編んでいき、暖炉前のお婆ちゃんともなると一玉で済むんですよ」
「そうか…」
「編み物はなかなか難しいですよね…」と悩ましげな顔をしながら横目で雨音さんを盗み見ると、とても真剣な顔で手中の毛玉を見つめていた。やばい。嘘だと伝えるタイミングを失った。
「そんな未知に満ち満ちた創造物なんてあたしごときが作れないよ。」
そう言って、残念そうに肩をすくめて毛玉をポイと元の位置に戻す。いや、それ店の商品ですからね?
「理解出来ないとダメなタイプなんですか…理系っぽいですね。」
「よく言われる。」口をへの字に曲げてさっさか歩き出す。どうやら編み物はお眼鏡に――主に僕の嘘のせいでなのだが――適わなかったようだ。雨音さんは色々な物が並ぶ棚を当てもなく歩いていく。広い店内はまるで何になるか検討のつかない物ばかりだ。
「そういえば楓は何かやってるの?手芸的なやつ。」
「…前から言ってますけど、やってたのは手芸じゃなくて工作です。」いきなり下の名前で呼ばれて驚いたが、どうにか表情を保つ。雨音さんは言動に変化が見られない。、僕を下の名前で呼んだことは特別なことではないらしい。まあ僕も苗字がわからないせいで、ずっと「雨音さん」と呼んでいるけど。
「工作の方がなんとなく幼稚な感じするけどね。」
「そうですか?僕はなんか純粋な感じがして好きですけど。あ、工作と言ってもいきなり友達に呼び出されて『ペットボトルロケット作ろうぜ!』って言われて友達の家で作って、広場で飛ばしたりですよ?まあそのロケットは加圧する段階でそいつがやり過ぎて木っ端みじんに破裂させましたけどね」努力の割りにお粗末な結果だった事、そして真っ青になりこちらを窺ってきたあいつの顔を思い出して思わず苦笑いする。
「どうしたんですか?話を振ったのは雨音さんなんですからなんか反応して下さいよ?」
「いや、いきいきしてるなあと思って。いい友達だね。」
「僕はそいつにただ巻き込まれていただけですけどね。友達や親友っていうより、信頼のおける共犯者ってとこですかね。あいつは」
あいつは残念ながら波丘高校の受験に失敗して一緒に登校する事は出来なかったが、関係はもちろん今でも続いていて、好きな本を貸し借りしている。あいつは日常の小さな出来事に喜びを感じるようなハートフルな小説を好み、僕は透き通るような青春の小説を好んでいたので、互いに違うジャンルにある程度安全に手を出すことが出来て新鮮だった。そうだ。
「雨音さん、小説書いてみるのは?」
「小説?もう手芸と関係ないじゃん。」雨音さんは僕に、ここに来た目的を忘れてしまったかと呆れるような視線を向け肩をすくめる。
「うちは手芸部と文芸部が混じってるということ忘れてません?無理に手芸をしようと視野を狭めるくらいなら一回気分転換にどうです?」
「小説ね…わたし物語なんて書いた経験無いよ?」
「書いたことある人なんて元々そんなにいませんよ。もし書いたとしても堂々と公言する人なんて少数でしょう。」
「そりゃそうだけど…そんなにプッシュする永倉はどうなの?書いたことあるの?」
「ご多分に漏れず、短編ですら書いたことありませんよ」ほんの少し胸を張る。
「でしょ?不安だなあ…私そんな面白い体験したことないし、周りの人もそんなぶっ飛んでる訳じゃないし…あ、悪口じゃないよ?」まあ、工作が好きだと自己紹介した誰かさんは別として。と最後にそう付け加えて横目遣いでこちらを見る。だからあまりそれを蒸し返さないでほしい。
「別にノンフィクションである必要はないです。妄想でも全然構いませんよ。」そう言うと雨音さんは自分の体を抱き、
「まさか永倉くん、私を使ってキャッキャウフフしてたの…?信じていたのに永倉くん…!」涙目で言われても困る。事実無根だ。もじもじと悶える雨音さんをじとりと睨み付けると、つまらなそうな顔になり、
「これだからノリの悪い子は…」とまで文句を言う。
「これで変に乗ったら行き先は変態じゃないですか…」
「ビンゴ!」元気よく顔すれすれまで勢いよく親指をつき出してくる。この人は僕の純粋で汚れなき人生をどうしたいのだろうか?
「とにかく…小説はどうなんです?」
「いいんじゃない?やったことないから着地点がどうなるかわからんけども。」眉根をひそめてうーんと唸る雨音さん。
「じゃあハートフルな物語を書いてくださいよ。小さな親切から始まる物語って感じの。さっきのペットボトルロケットボーイが好きなんですよ。そういう物語。」
「お題くれた文書くのは楽かなぁ。あ!駄目だよ?私の書いた小説を『僕が書いた』とかなんとか言ってその人に見せちゃ!」
「そこまで根性腐りきってませんよ。ちゃんと雨音さん名義で見せます。」
「それ解決してないよね…?」不安そうな顔をされてしまった。
「冗談ですって。冗談。」
そう取りなしても、その表情に一ミリの変化も表れない。そこまで信用なかったのによく勧誘したなこの人。
「でも書いたら見せてくださいよ。せっかく雨音さんが書いてくれたんだから。」
「わかったわかった。そんなに言うなら一番に見せてあげる。読者第1号!」
「それはとても嬉しいなあ。それによる様々な重圧で押し潰されそうだ。」
「そんなもんじゃ済まさないよ。私の書く文章が無いと生きていけない、私なしじゃ生きられない体にしてあげる!」そういう雨音さんの目は爛々としてとても綺麗だった。
「でもごめんね。結局ここまで一緒に来てもらったのに、結論は小説になるって…意味無くなっちゃったね。」
「別に構いませんよ。帰って特にやることも無いですし。」
「永倉くんはやること決まったの?」
「ホントは江戸切子とかに興味あるんですけどね…そんな設備備えた学校なんてあるわけないですし。」
「江戸切子?」
「硝子に切り込みを入れて作っていくんですけど、なにしろ伝統工芸品なんで個人の趣味の範囲じゃすまないんですよ。」
「なかなか綺麗なものが好きなんだね。」
「精巧なものを作ったり見たりするのが好きなんですよ。」誇らしい気分になったはいいものの、趣味とは言えないスピードで散財する江戸切子を選ぶのには抵抗がある。さんざん他人には煽っておいていざ自分の判断となると優柔不断になってしまう。
「あっちの方でなんかそれっぽいきれいなものがあった気がする。ついてきて。」そう言われてまた雨音さんのあとをついていく。
「これこれ!ねっ?透明でしょ?」
「そうですね。樹脂…ですかね?」
ヘアピンやブローチの台座に透明な樹脂の部分があり、その中にはエッフェル塔の切手のような写真や、小さな歯車が入っている。中には透明な樹脂にワンポイント、赤が滲んでるものもあり綺麗だ。
「レジンって言うんだって。コレ。」
「聞いたこと無いですね」
「なんか紫外線で固めるらしいよ。」ガラスケースに書いてある説明を雨音さんが読み上げる。その説明書きの横には「レジン初心者のススメ!」と書かれたポップな冊子が積まれている。そこには先ほど雨音さんが読み上げた説明のようなものと、作品例がプリントされている。
「あっ、これクッキーみたいじゃない?」そう指で示された作品は、有名なメーカーのクッキーに似たものとそっくりで、綺麗に樹脂で固められたそれは、ずっと先の未来の技術を彷彿とさせた。というかクッキーならコーティングしなくてもある程度長持ちしそうだが。雨音さんは、「綺麗だね!」とか「むしろ中の模造クッキーどうやって作るんだろう?」と目を光らせて見ていたが、それが本物のクッキーを使用している事を説明文を読んで知ると、「食べ物粗末にしちゃダメです!」とか「こんな悪魔のような所行、永倉くんは…しないよね…?」とかいきなり反対勢力に回った。
「いや、レジンで食べ物を包むのは少数だと思いますよ?ほら、コレ、懐中時計をかたどってますよ。」反対勢力となってしまった雨音さんは、もうこちらの意見はあまり聞き入れてくれないようで、ぐいぐいっと僕の制服を引っ張り「もう帰ろ?」と促してきた。まったく。途中まで読みかけていたその小冊子をさりげなくエナメルに滑り込ませ、帰路へとついた。
「ありがとうございました。」という店員さんの声を背に受けながら外に出ると、先ほどまでの熱気は幾分か冷静さを取り戻していたが、冷房の効いたところにいたのでやはり暑く感じる。隣では少し溶けてしまったような表情をしており、家まで溶けずにいられるか心配だ。続々とこちらに歩いてくる電車通勤だったのであろうサラリーマン達と二度すれ違ったらへんで駅についた。雨音さんは急行が止まる風見駅が最寄りなので、ここでお別れだ。僕の乗る各駅停車の電車は2,3分前に発車してしまったらしく、あと10分近く待たねばならない。
ホームにぽつんと置かれた、長年の風雨で色褪せてしまった緑色のベンチに座り、二人で電車を待った。いまだにクッキーの衝撃が覚めやらないようで、「レジンはなぇ…食べ物だからね…」と興味を持ってしまった僕に、言外に非難の言葉をぶつけてくる。それに対して効果的な反論も思い付かず、幾度も雑談に切り換えようと試みたが、「いやでもレジンはさぁ…」と形勢を立て直された。これはいわゆる巷で言うツンデレというヤツなんだろうか。
警報音が鳴り隣のホームにオレンジ色のラインが入った電車が滑り込んでくると、雨音さんは、んしょと荷物を持ち直し、ひらっと手を振り「また明日。」と言って電車に乗り込んでいった。ひとりになった途端、座っていたベンチはひどく大きく感じ、静かになってしまった。手持ちぶさただったので右手でベンチの背に触れてみたが、その温もりはとっくに夏に飲み込まれ、溶けていた。雨音さんはきちんと作りたいものを決めることが出来て満足そうだったが、結局自分はいまだに決まっていない。良い考えが思い付かず、足をぶらぶらと揺らす。長時間荷物を持ってうろちょろしていたので、足に走るしびれが気持ちいい。
そうやって少し待っていたら、勤勉な電車が予定時刻きっかりに到着したのですぐさま乗り込む。反対方向の車両と違い、この時間帯の乗客は少なく、がらんとしていた。どうしようか悩む僕を乗せて、軽快に電車は進んでいく。もう少し時間がかかるので少しまどろんでいよう。
久しぶりに時間制限などの縛り無しで書き上げました。描き始めたのは今年三月だから約半年ですね。久しぶりに(一応)主役格の永倉くんと雨音さんの話です。色々小説読んでみると表現技法って増えていきますね。




