↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
70/82

『富とは、未来を動かす力』――港を築いた男、ゴータム・アダニ

『富とは、未来を動かす力』――港を築いた男、ゴータム・アダニ


実在の実業家ゴータム・アダニをモデルにした、約3,000字の創作小説です。会話や心情、具体的な場面はフィクションであり、本人の実際の発言を再現したものではありません。資産額はご提示の約10.2兆円を設定として用いています。


インド西部、グジャラート州。


夜明け前の港に、潮風が吹き荒れていた。


巨大なコンテナ船が、暗い海の向こうからゆっくりと近づいてくる。


岸壁には鋼鉄のクレーンが林立し、赤い警告灯が星のように瞬いていた。


その光景を、一人の男が静かに見つめていた。


ゴータム・アダニ。


アダニ・グループの創業者。港湾、電力、物流など、巨大なインフラ事業を築いてきた実業家である。


「会長、こんな朝早くから現場に来られるとは」


若い社員のラヴィが、驚いた顔で声をかけた。


「眠れなかったのですか?」


アダニは笑った。


「いや。眠っている間にも、この港は動いている。それを見たくなっただけだ」


「でも、会長ほどのお金持ちなら、わざわざ寒い岸壁に立つ必要はないでしょう」


「ラヴィ、君は金持ちになるとは、どういうことだと思う?」


「そうですね……好きなものを買って、働かずに暮らせることです」


「なるほど」


アダニは遠くの船を指さした。


「あの船には何が積まれている?」


「機械部品、衣料品、食品原料……数千個のコンテナです」


「それらが届かなかったら?」


「工場が止まり、商店の商品が不足します」


「その工場で働く人たちは?」


「……困ります」


「そうだ」


アダニは低い声で言った。


「私が見ているのは、船ではない。船の向こうにいる人々の暮らしだ」


ラヴィは黙った。


海から吹きつける風が、二人の上着を激しく揺らした。


「金は、使って楽しむこともできる。だが、私は金を、もっと大きな仕事を動かすためにも使いたい」


「大きな仕事?」


「一人では決して造れないものを造る仕事だ」


その時、沖合の船が長い汽笛を鳴らした。


低い音が、まだ眠っている街へ広がっていった。


「会長、一つ聞いてもいいですか?」


「何だね?」


「資産が十兆円もあったら、もう十分じゃありませんか。どうして、まだ働くんです?」


アダニはしばらく黙っていた。


そして、遠い昔を思い出すように目を細めた。


「若い頃、私はムンバイでダイヤモンドを選別していた」


「ダイヤモンドですか?」


「ああ。小さな石に大きな値段がつく。不思議な商売だったよ」


「そこで、お金の稼ぎ方を覚えたんですね」


「それだけじゃない。値段と価値は、必ずしも同じではないと知った」


ラヴィは首を傾げた。


「どういう意味です?」


「ダイヤモンドは小さくても高価だ。だが、港や発電所はどうだ? 華やかではない。人々は毎日使っていても、その存在を意識しない」


アダニは岸壁を見渡した。


「だが、なくなれば誰もが困る」


彼の脳裏には、かつての小さな事務所が浮かんでいた。


1988年、貿易会社を立ち上げた頃のことだ。


古い机、積み上がった書類、鳴り続ける電話。


まだ、巨大な港も発電所も持っていなかった。


「ラヴィ、商売には二つの考え方があると思う」


「二つ?」


「今あるものを売って利益を得ること。そして、まだ存在しない仕組みを造り、そこから長く価値を生み出すことだ」


「会長は、後者を選んだ?」


「そうだ。だが、後者には時間がかかる。莫大な資金も必要になる。失敗すれば、多くの人を巻き込んでしまう」


ラヴィは真剣な顔になった。


「怖くなかったんですか?」


「怖くない人間など、いるものか」


意外な答えだった。


「会長でも?」


「もちろんだ。大きな決断ほど、夜中に目が覚めることもあるだろう」


アダニは微笑んだ。


「勇気とは、恐怖がないことではない。恐怖を知りながら、責任を引き受けることだと私は思う」


その時、無線機がけたたましく鳴った。


『第三岸壁、荷役作業に遅延! クレーン設備に異常を確認!』


ラヴィの顔色が変わった。


「大変だ! 今日の出荷に間に合わないかもしれません!」


彼は慌てて電話を取り出した。


「作業を急がせます!」


「待ちなさい」


アダニの声が鋭くなった。


「まず安全確認だ」


「でも、遅延すれば大きな損失が……!」


「人が怪我をしたら、その損失を金で取り戻せるのか?」


ラヴィは言葉を失った。


「設備を止め、安全を確保し、原因を調べる。その後で、どう遅れを取り戻すか考えよう」


「……はい!」


ラヴィは走り出した。


朝日が昇り始めた。


海面が金色に染まり、巨大な船の影がゆっくりと動く。


しばらくして、ラヴィが戻ってきた。


「会長、作業員は全員無事です。設備の点検を始めました」


「それはよかった」


「ただ……相当な損失になります」


アダニは静かに頷いた。


「損失は痛い。だが、だからこそ次に同じことが起きない仕組みを造るんだ」


「会長……」


「金を増やすことだけを考えれば、目先の数字に心を奪われる。だが、長く事業を続けるには、人と設備と信用を守らなければならない」


ラヴィは海を見つめた。


「金持ちになるって、楽になることだと思っていました」


「楽になるために金を使うことも、悪くはないさ」


アダニは笑った。


「ただ、事業が大きくなるほど、自由だけでなく責任も大きくなる」


「十兆円の資産があっても、ですか?」


「資産の数字が、そのまま銀行に眠っている現金というわけではない。企業の価値は市場で変わるし、投資には借入れもリスクもある」


「……なるほど」


「大切なのは、数字の大きさに酔わないことだ」


アダニは遠くに目を向けた。


そこには、まだ建設途中の施設があった。


「ラヴィ。君には夢があるか?」


「あります。いつか自分の会社を持ちたいんです」


「いい夢だ」


「でも、資金も人脈もありません。会長のような人とは違います」


「最初から大きなものを持っている必要はない」


「では、何が必要なんでしょう?」


「自分が何を解決したいのか、考え続けることだ」


「何を解決したいのか……」


「誰が困っているのか。何が足りないのか。自分の仕事で何を変えられるのか。その問いを忘れないことだ」


ラヴィは拳を握った。


「僕は、故郷の村に仕事を増やしたいんです。若者が都会へ出なくても、家族と暮らせるように」


アダニは、初めてラヴィの顔をじっと見つめた。


「それなら、君にはもう出発点がある」


「え?」


「金持ちになりたい、だけでは行き先が見えない。だが、故郷に仕事を造りたいなら、何を学び、誰と協力するべきか考え始められる」


ラヴィの目が潤んだ。


「……僕にも、できるでしょうか」


「必ず成功するとは言えない」


アダニはきっぱり答えた。


「失敗もするだろう。信用を失いかける日もあるかもしれない。その時、間違いを認めて立て直せるかどうかだ」


「会長にも、そんな時が?」


「大きな事業を営む以上、批判も疑問も向けられる。成長したからといって、すべてが正しかったことにはならない」


海風が二人の間を吹き抜けた。


「だから、成功を語るだけでは足りない。説明する責任も、改善する責任もある」


ラヴィは深く頷いた。


「……お金持ちというのは、何でも手に入れた人だと思っていました」


「そうかもしれないな」


「でも、今は少し違って見えます」


「どう違う?」


「たくさんのお金を動かせる人ほど、その使い道を問われるんですね」


アダニは何も言わず、微笑んだ。


港には朝の活気が戻っていた。


作業員たちが声を掛け合い、トラックが列をなし、巨大な船が次の航海へ向けて準備を進めている。


「会長!」


ラヴィが呼び止めた。


「最後に、もう一つだけ!」


「何だね?」


「もし、すべての資産を失ったら……どうしますか?」


アダニは振り返った。


少し考えてから答えた。


「まず、何が起きたのかを確かめる。そして、守るべき人たちへの責任を果たす方法を探す」


「それから?」


「まだ働けるなら、また仕事を始めるだろう」


「怖くないんですか?」


「怖いさ」


アダニは笑った。


「だが、金を失うことと、考える力を失うことは同じではない」


ラヴィは、その言葉を胸の中で繰り返した。


朝日はすっかり昇っていた。


海の向こうへ進む貨物船が、白い航跡を長く引いている。


ラヴィは、十兆円という途方もない数字を思い浮かべた。


昨日まで、その数字は豪邸や高級車、贅沢な食事を意味していた。


けれど今、目の前にあるのは、油の匂いが染みついた岸壁と、働く人々の声だった。


彼は手帳を取り出した。


そして、一行だけ書いた。


『金を手に入れたら何を買うかではなく、何を実現するかを考える。』


顔を上げると、アダニはもう次の現場へ歩き始めていた。


「会長! 僕も行きます!」


「急がなくていい。足元に気をつけなさい」


「はい!」


ラヴィは笑いながら駆け出した。


巨大なクレーンの下で、二人の影が朝日に長く伸びていく。


富とは、人生の終着点なのだろうか。


それとも、まだ見ぬ未来へ向かうための道具なのだろうか。


ラヴィには、まだ答えはわからなかった。


ただ一つ、昨日とは違うことがあった。


いつか金持ちになりたいと願っていた青年は、その朝初めて、**金持ちになって何をしたいのか**を考え始めたのである。


――完――


史実の参考:アダニ・グループ公式の創業者紹介および沿革。1978年のダイヤモンド選別業、1988年の貿易会社創業、ムンドラ港への進出などを背景にしています。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。