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契約締結

 感覚としては、一瞬のことだったと思う。

 部活で疲れきった後に布団に入り、夢を見ることもなく翌日に目覚めてしまった感覚と似ている。ただただ真っ暗闇が一瞬目の前にあり、目を開けると眩しい朝日によって意識を強引に引き起こされる。


 それと同じく、次に俺が目覚めたのは、上下左右が全て白色の一室。何かの研究施設にも思えるような、病人を隔離する病棟のような何もない空間に、俺はいた。


 部屋の中にあるのは、簡素な造りである机と椅子が二脚だけだ。それもまた白色に染め上げられ、部屋と同一化してしまっている。

 

「ここ、どこだよ……」


 誰かに向かって吐いた言葉ではなかったのだが、それに反応があったことで俺は思わず身構えてしまった。


「ここは契約のために作らせてもらった仮想空間、といったところだよ。諫早(いさはや) (まこと)君」

 

 虚無の空間に立ち尽くしていた俺が声の方向へと首を向ける。そこには、先程まで誰も座っていなかったはずの椅子の上に、一人の男が座っているのが見えた。


「誰だ!? っていうか、ここどこだよ? なんで俺の名前を知っている? 俺をどうする気だ?」


 矢継ぎ早に質問を繰り出す俺に、その男は片手を上げて制する。


「落ちついてくれないか? 私は、別に君に危害を加えようという者ではないつもりだ」


 大手ゲームメーカー『エイジ・アドヴァンス』取締役《(さく)() 一輝(かずき)》と名乗った。その名前は知っている。社名、人物ともにだ。RSD対応ゲームの作製において他社よりも抜きん出ている会社である。俺も雑誌で注目している……というか期待させてもらっている。確かそのCEOが咲眞一輝であったはずだ。


 頭髪には白色が混じっているように見えるが、決して年齢を重ね過ぎているというわけではない。四十代といったところか。こちらへ向ける眼差しには精悍な輝きが灯っており、学者然とした眼鏡を通してこちらへ向けてくる視線に些か気押されてしまうほどだ。身体には研究者といったように白衣が着こまれているのだが、それが驚くほどに似合っているのが印象的だった。


「順に、答えさせてもらおうか。まず、さっきも言ったようにここは君と契約を交わすつもりで用意させてもらった仮想空間だ。RSDというのは知っているね?」


 RSD……擬似的な五感を体感することができる、最新のデバイス。最先端科学の産物。ここは……現実ではないのか……? 試しに、手の甲の皮膚を軽めにツネッテやる。


「痛……くない」


 今の俺には触覚ともいえる感覚が存在していない。痛覚や圧覚といった皮膚をつねった痛み、触れた感触が、存在しないのだ。俺が知っているゲームの仮想空間においても視覚と聴覚のみの再現しかできていなかったため、触覚がないことはこの部屋が仮想空間であるということを証明しているのかもしれない。


「現在市販されているゲームにも触覚、嗅覚、味覚といった感覚は再現されていない。なにぶん色々と難しくてね」


 こちらが言いたいことを視線だけで感じ取ってしまった咲眞は、そう口にした。


「は、はあ……」

「さて、話を元に戻そうか。何故君の名前を知っているか? だったね。それにはまず君の身の上に起こった出来事から話さなくてはならない」

 身の上に起こった事……? 俺はゆっくりと自分の記憶を再生していく。確か……朝に通学の電車に乗り込み、いつも通りにあの子を眺めていて……


「あ……ぅ」


 仮想空間であるというのに頭に微かだが、痛みが走った。空いている一脚の椅子に座り込み、対面の咲眞に視線を向ける。


「事故……?」

「そう。電車の追突事故だ。一両目の最前列に乗っていた乗客は絶望的だったようだね。多数の死傷者が出た……」

「そんな、馬鹿な……今の時代、電車の管制なんてのは全て自動管制に切り替わっていて、人が関わることなんて稀でしょう。そもそも電車で事故なんてここ十年間で一度だって起こってないじゃないですか!?」


 この人に詰め寄ってもしょうがないのは分かっている。実際に事故が起こったのは覚えているいるし、本当のことなのだろう。だけど、どうしてもすぐには実感が湧いてこない。信じたくないという気持ちから声を荒げてしまった。


「システムによって管理していたなら、そこに不具合があれば事故は起こる。プログラマーの端くれである自分から言わせてもらえれば、申し訳ないが完璧なプログラムというのは存在しないと思うよ、諫早君」


 落ち着けと言わんばかりに、名前を改めてもう一度呼ばれた。


「俺の身体は……どうなって……?」

「意識不明の重体だよ。それがもう半年になる」

「……は?」


 一瞬、咲眞が口走った言葉を理解できなかった。半……年?


「そう、あの事故から、もう半年が経過しているのだよ。意識が戻らないまま、君はずっと病院の一室で眠り続けているんだ」

 

 そんな、馬鹿な。じゃあどうやってこの仮想空間で話すことができているのだ。


「人間の脳は複雑でね。少し前の君の状態なら、こうやって話すこともできなかった。今はRSDを使用して私と君はこの空間に存在しているが、完全に機能を失った脳にはRSDの電気信号は意味を為さないからね。深層意識が発生するまでは回復したが、目を覚まさない……それが今の君の状態だ」


 やや苦い表情をした後、咲眞は話を続ける。


「私が君の名前を知っているのは、君の御両親から、この契約について本人と交渉する許可を得たからなんだよ」


 そういえば、この男は最初から《契約》という言葉を用いていた。一体何の契約なのだろうか?


「君の身体はずっと寝たきりだ。かといって、そんな君をずっと病院に入れておくには、多大なる医療費がかかってしまうんだよ。毎日のように点滴される栄養剤、生命を維持する装置代、病室代……かなりの金額になるだろう。在宅医療に切り替えようにも、君の命を留めるためには病院に備えつけている機器が不可欠らしく、それもままならないらしい」

「そ、そんなの! 事故を起こした鉄道会社が当然支払うものなんじゃっ?」

「それがね、事故を起こした鉄道会社は、自分達は悪くないと裁判を起こしたんだ。悪足掻きにしか見えないのだが、それは鉄道会社の勝訴に終わった」

 

 そん、な……。


「勝訴、というのは少し違うかな。責任を他に擦りつけたというべきだろうか。自動管制システムの導入により、徹底的に人員を削減し、メンテナンスも全てそのシステムを開発した会社に委託していたのだから、責任は全てそのシステム会社にあると主張してね。そして、それは認められてしまった」


 やや憐れむような目で、咲眞が俺を一瞥する。


「そして、全責任を負うことになったシステム会社にもちろん賠償責任が発生し、賠償額はとんでもない額になった。死傷者の数は、朝の時間帯ということもあってかなりの数だったからね。当然、支払うことなどできはしない。保険会社に加入はしていたが、保険会社ともにすぐに倒産した」


 ここまで、大体事情は飲み込めたかな? と咲眞が前屈みになって机の上に肘をつけてこちらを見やる。


「つまり、高額な医療費を半年間は君の家族が自費で支払っていたことになる……立派な御両親だね。しかし、それにも限界はある」

「……それが、あなたの言う契約に繋がるんですね?」

「物分かりのいい子は好きだな。そう、君は私と契約をすることで、自分の命を手に入れる機会が生まれるのだと考えてほしい」


 命を、手に入れる機会……? にわかに物騒な話だ。俺は怪訝な顔で咲眞の表情を窺う。


「考えてみてくれ。君の御両親は金銭的にはもう限界なんだ。そうなると、病院側としてもこれ以上君を置いておくわけにはいかない。例えそれが、病院を出れば生命を維持できる身体ではないと知っていたとしてもね。そうなれば……君は間違いなく死ぬことになるだろう」


 全身が、少しずつ、だが確実に震え出す。一度恐怖を体感できてしまえば、先程まで麻痺していたような身体にその感覚がジワリと染み渡ってくる。


「俺……死ぬんですか?」

「正確に言えば、今月中で病院を追い出さ……退院するわけだから、後三日というところだろうか」


 咲眞はそこにはあまり感情を込めずに、淡淡とそんな短すぎる日数を口にした。


「ここからが、言わば本題というところなんだがね」


 改めて、咲眞の眼鏡の奥の瞳が経営者たる圧迫感に満ちたような輝きを取り戻す。


「……何をすればいいんです?」

「ふむ、素直な子も私は好きだよ。だけど、少しは疑う気持ちも持った方がいいんじゃないかな?」

「……今ここであなたを疑って、そもそも事故のことから全て嘘だと言ったところで、今の僕には確かめる術はありませんし、あなたの言うことがもし本当なら、後三日がタイムリミットなんでしょう? 素直に頷くしかないですよ」


 咲眞は満足そうな顔を浮かべて話を再開する。

「最後の質問、君に何をやらせるつもりだ? ということについてだけどね。至って簡単だ。ゲームの被験者――モニターをやってほしいんだよ」

「モニター?」

「そう、君がRSD対応のゲームをやっていたことは御両親から聞いている。君にはこちらが用意した試作ゲームをやってもらいたい。そうすれば医療費を肩代わりすることを約束する。おまけに、このままだと目覚める可能性が絶望的だが、ゲーム内で五感を活用・刺激することで君の脳を機能回復させる手助けにもなるだろう。適度な刺激が脳を活性化させることは医学的にも証明されている」


 さて、どうにも話がうますぎる。いくら素直に話を信じるにしても、気になることは潰しておかなければ気持ちが悪い。


「……どんなゲームなんですか?」

「それが……分からない」

 

 なん……だと?


「ゲーム作製はRSDが汎用化されてから非常に困難になっていてね。どう頑張っても君も知っているような粗雑な作り物の世界になってしまう。これらを人の手で完璧にさせようものなら、後何十年とかかるだろう。そこで少し手法を変えたんだ。コアシステムであるマザーブレインを開発し、それを主軸に自動的に世界を構築する方式を採用した。いわゆる《自立進化型RSDRPG》といえるものだ」

「……全てを、そのマザーブレインが勝手に作っていくというものですか?」

「まあ、そう捉えてもらって構わない。マザーブレインの中には膨大な情報が詰め込まれており、それらを人間の思考に適合させるように世界を構築している……はずだ」


 咲眞は苦笑する。


「はず……というのはね、せっかく構築した世界に外部から干渉できないようにロックされてしまっているんだ。原因は完全に解明されていないが……おそらくはマザーブレインのせいだろう。プレイしなければ内部を窺えないブラックボックスとなってしまった」

「そんなよく分からないゲーム、消せばいいじゃないですか」

「はは、なかなか気前良く言ってくれるね。そんなことをすれば私の首が消えて別の者へとすげ変わることになる。あれにはかなりの予算をつぎ込んでしまってね」


 笑ってはいるが、咲眞の顔はどことなく憂いを帯びている。

 つぎ込んだ予算は俺の生命維持費用の何百倍、何千倍……きっとそれ以上だろう。


「それで、俺にモニターを?」

「どんな世界か分からないところへ社員を送り込むことはできないからね。もし何かあれば大変だ」


 寝たきりの高校生を送り込むことは問題ではないのだろうか? まあ、そのための医療費肩代わりということか。結構この人黒いな。


「人の弱みを突くようなやり口は法律違反になるんだが、そうも言ってられなくてね。だけど医療費を肩代わりすること、脳の機能回復が見込めること……三日後に治療が打ち切られることは本当だと言っておくよ」


 分かってはいるが、最後の一言は半分脅しに近い。こちらとしては拒否権などあってないようなものだ。三日経って確実に死ぬか、それとも未知のゲームをプレイするか。基本的に俺は死にたくない。当たり前だ。それならば曖昧ではあるが三日という期限がない選択肢を選ぶに決まっている。


「契約書ってやつを、見せてもらえますか?」

 俺の言葉に笑顔で頷いた咲眞は、手元で何かを操作するような仕草の後、

「はい、君のアイテムウインドウを開いてごらん。そこに契約書を入れさせてもらったよ」

 と言った。

 

 俺が知っている旧型RSDRPGでも、ウインドウなるものが存在し、それは意識するだけで目の前に立体投影されるウインドウだった。同じようなものかと感じて俺は頭の中でウインドウを呼び出してみる。

 すぐさま、立体投影されたウインドウが出現し、俺は恐る恐る『ITEM』と記載されたボタンをクリックしてみる。

 その中に一つだけ、アイテムが存在していた。

『契約書』

 内容を一読する俺を、咲眞は静かに見守っていた。

 なるほど。さっき言われた内容が明記されている。そしてこの契約書に同意してサインすることで署名者はゲーム内で発生するあらゆる事象の責任を追及しないとなっている。


「咲眞さん、いくつか質問があるんですが、いいですか?」

「もちろん、構わないよ」

「契約書にあるプレイデータってなんです?」

「文字通り君のゲームプレイデータのことだね。外から干渉できないなら、中に入ってもらって得たデータから内部環境の調査及びプログラム解析結果によりロックを解除できれば最善なんだが」

「これってどういうかたちで?」

「君が使用しているRSDにログが蓄積されていくことになるが、こちらに戻ってきたときに提供してもらう」


 なるほど、それがモニターとしての役割になるわけか。


「プレイする時に、なんていうかコレをしろっていう制限とかはあるんですか? 目的というか……」

「いや、特にはないよ。欲をいえばより多く世界を見てほしいといったところか。プレイデータにずっと引き篭もってるデータしかないと少しばかり困る。基本的には君が好きに判断してくれて構わない」


 それを聞いて安心した。どんな世界か知らないが、魔物が跳梁跋扈する世界に身一つで丸投げされても特攻しろというわけではないらしい。


「あの……両親は何か言ってましたか?」

「ああ、ビデオレターを預かってきているよ。こういった空間で良いのなら、息子さんと会話ができることは伝えたんだが、申し訳ない、会わせる顔がないと仰っていた」

 

 咲眞が映し出す映像には、俺の両親が映っていた。半年しか面倒を見ることができなくてすまない、と。このようなかたちで医療費の援助を求めることになり申し訳ないと、謝る姿が映し出される。

「咲眞さん……」

 

 俺はすぐさま契約書に署名し、OKボタンを押す。


「両親に会ったら、半年はやりすぎだから、今度からはその分貯金しとけって言っておいてください……後、きっと無事に目を覚ますってことも」

「……分かった。必ず伝えておこう」


 そういって契約書を確認した咲眞は、椅子から立ち上がった。


「それでは、もう行くかい? 後三日ギリギリまで待ってもよいけど、植物状態でも色々考えたりできるものなのかい? ああ、それと契約書にも書いてあったが、もし脳機能が回復して君が現実で目を覚ますことがあれば、その時点で契約は終了だ。もちろんプレイデータは最後にもらうがね」


 少なくともこうやって咲眞が来るまでは自我意識などはなかった。

 虚無な空白。今が事故から数分後だと言われても信じてしまえる。

 だとすれば、わざわざ三日なんて待つ必要もない。


「いえ、すぐにでも行きます……最後の質問ですけど」 

「なんだい?」


「このゲームの名前って何にするつもりですか?」


「そうだな……まだ未完成だから決まってないけど、……《Self Make・World》なんてのはどうだい? 略してSMWかな」


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