表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界がどうであれ、夫婦のイチャイチャが常に優先されます。転生先で口説いた美女は最強の魔女でした。  作者: 1009
第一章「絶界の骸森のめぐりあい」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/21

第二十一話「初夜」

 喧噪の去った屋敷は、しんと静まりかえっていた。


 勇者の一行は帰り、メイドたちも下がり、庭の竜たちも寝静まって、あれほど賑やかだった一日の名残は、もうどこにも残っていない。灯りを落とした寝室には、洗い立ての寝具の匂いと、窓越しに揺れる結界の淡い光だけが満ちていた。


 その広い寝台の端に、花嫁衣裳を解いた女が、背筋をぴんと伸ばして腰かけていた。薄い夜着に着替えさせられた肩が、ときおり思い出したように小さく跳ねている。


「……な、なんじゃ。ワシは、平気じゃぞ」


 問われてもいないのに、彼女はそう言い張った。


「震えてますよ」


「震えておらんわーーー!!」


 組んだ膝の上で、褐色の指先が小刻みに揺れているのを、シンは静かに見ていた。世界で最も強い魔女が、初めての夜を前にして、あからさまに怯えている。魔獣の群れにも、災いを振りまく者にも、眉ひとつ動かさなかった女が、いまは、指の先まで強張らせて縮こまっていた。長く生きてはきたが、こうした場面だけは、彼女にとって、まったくの未知だったのだ。


 もっとも、隣に腰を下ろしたシンのほうも、けっして余裕綽々というわけではなかった。


 半年である。


 半年ものあいだ、この人だけを想いつづけてきた。手のひらにはうっすらと汗がにじみ、心臓は、自分でも呆れるほど速く打っている。二十歳の身体に宿った五十四年ぶんの分別も、こういうときには、ほとんど役に立ってくれなかった。


「……エルミニアさんも、僕も緊張してますね」


「な……っ、お主も、か」


「はい。ばればれですか」


「……ふん。……まあ、ようは、おあいこじゃな」


 少しだけ、彼女の肩の力が抜けた。


  *


 シンは、彼女の左手を、そっと両手で包み込んだ。


 その薬指に嵌まった銀の指輪が、結界の光を受けて、静かに輝いている。半年前、彼が真顔で嘘をついて嵌めさせた、あの指輪だった。


 彼は、その輝きを見つめているうちに、胸の奥がじんわりと熱くなって――そして、この男は言わなくてよいことまで、つい口に出してしまうのだった。


「そういえば、その指輪。……機能的には、左手の薬指じゃなくても、ちゃんと効くんですよねー」


 言ってしまってから、しまった、という顔をしても、もう遅かった。


「…………どういうことじゃ?」


 エルミニアの瞳が、すうっと据わった。


  *


 彼女は、勢いよく身を起こした。


「――嘘、じゃったのか!?」


「あの、嘘というかー」


「ワシは、半年じゃぞ! 律儀にこの指に着けておったのじゃ!」


 彼女は、握った小さな拳で、彼の胸をぽかぽかと叩いた。痛みなど、まるでない。ただ、必死なだけの、可愛らしい抗議だった。


「お主を、信じておったのじゃぞ! 効かぬと困るからと、右手に移そうとするたび、いや左手じゃと言うたのは、お主ではないか!」


「だから、ずっと、左手の薬指に着けておったのに……っ!」


 叩きながら、彼女の頬は、みるみる赤く染まっていった。怒っているのか、恥ずかしいのか、彼女自身にも、もうよく分からなくなっていた。ただ、律儀に守りつづけた自分が、なんだか無性に面映ゆくて、その照れ隠しに、拳を動かしつづけているだけだった。


 シンは、その拳を避けもせず、ただ、困ったように苦笑いを浮かべていた。


  *


「……エルミニアさん」


 彼の声が、ふいに、静かになった。


「なぜ左手の薬指でなければならないのかは……嘘をついた…というのとは、少し違うんです」


 ぽかぽかと動いていた拳が、止まった。


「僕の前世の……地球の価値観なんですけどね」


 彼は包んだ左手を、大切そうに見つめながら、ゆっくりと言葉を継いだ。


「指輪の『◯』には、始まりも終わりもないでしょう。だから、『永遠に途切れることのない愛』の象徴なんです」


「そして、左手の薬指は――心臓に一番近い、太い血管が繋がっている、特別な場所だと、信じられていました」


 エルミニアの手から、力が抜けていった。


「前世の僕は、仕事ばかりの男でしてね。先に逝ってしまった前の妻とは、離婚寸前までいったこともあったんです。ずいぶんと寂しい思いをさせていました」


「……でもね」


 彼はそこで、ほんの少し目を伏せた。


「彼女は病で亡くなる、最後の瞬間まで。その左手の薬指の指輪を、絶対に外さなかったんです」


「不器用な僕たちの、それがたったひとつの繋がりの証明でした」


 寝室に、沈黙が落ちた。


「だから、今度こそと思ったんです」


 シンは顔を上げて、彼女をまっすぐに見た。


「僕を受け入れてくれた、あなたとは…最初からその特別な場所で、永遠を誓い合いたかった」


「機能の意味じゃなく――僕の気持ちとして」


「…だから、左手の薬指じゃなきゃ、ダメだったんです」


 ――エルミニアの表情が、崩れた。


 彼女は、半年ものあいだ、この指輪を、他愛もない笑い話だと思っていた。あの男のまた始まった悪ふざけだと。そう思っても…不思議と黙って着けつづけていた。


 それが、誓いだったのだ。


 しかも婚姻魔法は、もう済んでいる。二人の魂は、とうに結ばれてしまった。いまさら取り消すことも、なかったことにすることもできはしない。


「……ワシは……」


 声が、震えた。


「ワシは…笑い話じゃと思うておったのじゃ……っ!」


 大粒の涙が、褐色の頬を、次から次へと伝い落ちていった。


 力ずくで抗えぬものなど、この世に存在しないと思って生きてきた。降りかかる火の粉は焼き払い、立ちはだかる壁は砕き、それで大抵のことは片がついた。だが、いま胸の奥から込み上げてくるこの熱だけは、術式でも、魔力でも、どうにも抑えようがなかった。


 そして彼女は、ふいに、あのドレスのことを思い出した。術式には一片の関わりもない、ただの布きれ。無駄だと切って捨てた、あの純白の一着。


 ――機能では要らぬものを、この男は必ず用意する。


 指輪もドレスも根は同じだった。前世で伝えそびれた男の遅すぎた、けれど精一杯の償いだったのだ。


  *


 涙を拭うことも忘れて、彼女は訊いてしまった。


 訊いてはならぬと、頭のどこかで分かっていながら、それでも、訊かずにはいられなかった。


「……のう、シン」


「その女に……会いたいか」


「……いえ。妻は、もう亡くなりましたから」


 彼の答えに、迷いはなかった。


「あのとき、ちゃんとお別れは済ませてきたつもりです」


 嘘のつけぬ男の、まっすぐな返事だった。


「……ひょっとすれば」


 彼女は、上目遣いに、おそるおそる言った。


「死ねば……また、会えるかもしれんぞ?」


「どうでしょう。……でも、僕は死んで、妻じゃなくて、エルミニアさんに、こうして会えましたよ」


 その一言で彼女は、髪の生え際まで、かあっと赤くなった。


 そして赤くなったまま、彼女は本音を吐き出してしまう。


「――やっぱり…いやじゃ」


 握った彼の服を、彼女は、きゅっと引き寄せた。


「ワシはお主を、死なせぬ。誰にも渡さぬ。……前の人生の妻であったものにも、じゃ」


「ワシは、そういう女じゃ。……欲張りで我儘な、困ったヤツなのじゃ」


 シンは、笑った。


「わかってます」


 彼は、彼女の頭を、そっと撫でた。


「……前の妻は、いまも僕の中にいます。もう僕の一部になってるんです。それでもあなたは、そんな僕を好きになってくれた」


「たぶんエルミニアさんは、僕ごと――妻の思い出ごと、まるっと引き受けてくれたんだと思います。だから、僕からしたら、感謝しかないんですよ」


 そして彼は、遠くを見るような目で、静かに続けた。


「僕、あの日……車に轢かれたとき、思ったんです」


「――これで、あいつのところへ、行けるのかな、って」


 窓の外で結界の光が、ゆらりと揺れた。


「でも結果は、この通り。こうしてあなたと、向き合ってる」


「…………」


「――だから、それでいいんです」


 彼の声には、もう一片の迷いもなかった。


「僕は前世で伝えないまま、大切な人を一人失いました。……今度は、決して失いません」


「あなたと生きます。この命の続くかぎり、ずっと」


 その言葉の重さを、彼女は痛いほど分かっていた。


 この男が「永遠に」と言わず、「命の続くかぎり」と言ったこと。人の生には終わりがあり、そのことを、彼が決して誤魔化そうとしないこと。だからこそ、この誓いは、口先だけの甘い睦言などではなく、限りある己の一生を、まるごと差し出すという、覚悟そのものだった。


 ――ならば、その限りある命を、ワシがどこまでも引き延ばしてやろう。


 彼女は、濡れた瞳の奥で、密かにそう誓った。この男が老いれば刻を戻し、傷つけば癒し、何があろうと、隣で生かしつづけてやる。それが我儘だと言うのなら、喜んで我儘であろうと、彼女は思った。


  *


 彼女は、彼の胸に、こつん、と額を押し当てた。


 しばらく、そうしていた。そして、くぐもった声で、ぽつりと言った。


「……のう、シン」


「なんですか」


「まだ、ワシに……『さん』を、付けるのか?」


「…………」


 シンの動きが、止まった。


「……あ」


 エルミニアに出会ってから、彼はただの一度も、それに気づいていなかった。出会った日から律儀に「エルミニアさん」と呼びつづけてきて、そのことを、おかしいとすら思っていなかったのだ。


 彼はぎこちなく、口を開いた。


 その手が、うっすらと汗ばんでいた。妻となった女の名を、夫として呼ぶ。ただそれだけのことが、いまの彼には、求婚のときよりも、よほど勇気の要ることだった。


「――エルミニアさん」


「……」


「……いや」


 彼は一度、唇を結んでから言い直した。


「――エルミニア」


 その名を呼び捨てにした者は、これまで、ただの一人もいなかった。誰もが「様」を付け「殿」を付け、遠くから呼んだ。それをシンは、ごく当たり前のように、ひとりの妻の名として口にした。


 彼女は、顔を上げられなかった。


「…………うむ」


 消え入りそうな、けれど、たしかな返事だった。


 やがて………

 寝室の灯りが、静かに落ちた。


  *


 その晩、屋敷の防音は、まるで役に立たなかった。


 夜も更けたころ、廊下に控えていた神無月が、寝室の扉から遠く離れた場所で、深々と頭を垂れた。


「――申し訳ございません。この神無月が施した防音の術式では……どうやら、設計上の想定を、超えておるようでございます」


 それから、丸三晩。


 十六体のメイドたちは、生まれて初めて、際限のない耐久を強いられることとなった。庭では、セバスチャンが夜空を見上げながら、ひとり静かに紅茶を啜っている。


「……よい夜でございますな」


 十体の竜たちは、そそくさと森の奥へ避難していった。


 そして、シンがこの世界へ来た日から、ただの一度も出番のなかった、あるスキルが――このとき初めて、その本領を発揮したのである。


 あの自ら望んだスキル…『絶倫』である。


  *


 三晩が明けた、朝。


 結界の膜を透かして、柔らかな朝日が、寝室いっぱいに降りそそいでいた。


「……もう勘弁して…ほしいのじゃ。身体が……壊れてしまうのじゃ……」


 寝具に沈み込んだエルミニアが、弱々しい声で訴えた。


「はい、エリクサーどうぞ。これ飲めば、疲労も一発で回復しますから、まだまだ――」


「そういう…問題では、ないのじゃーーー……!」


 力尽きたように、彼女は、ぱたりと枕へ突っ伏した。


 それでも、その口元は、ほんのりと綻んでいた。


「――エルミニア、愛してる」


 彼が、そう囁くと。


 この長い物語のなかで、初めて、彼女のほうから、返事が来た。


「……ワシも、じゃ」


 照れ隠しも、憎まれ口も、そこにはなかった。


 やがて彼女は、枕に頬をつけたまま、ふと…思いついたように尋ねた。


「……のう、シン。こういう行為は……お主のいた地球では、なんと呼んでおったのじゃ?」


 男は、実に晴れやかな顔で、前世で読んだ物語の中から、その言葉を引っぱり出してきた。


「結婚したあとなので、まずは『初夜』ですね。……魂まで、ひとつになりましたし」


「――前世の言い方だと、こういうのを」


「『合体』って、言うんですよ!」


「……なんじゃ、その言い方は。締まらんわい」


 呆れたように言いながらも、エルミニアは、明るく優しく微笑んだ。


 そして、シンはその銀の髪を撫でながら、静かに告げた。


「これからずっと一緒です。山あり谷ありで、いろんなことが起こるでしょうけど……二人で助け合って、この人生を一緒に歩いていこう。エルミニア……」


「――わかったのじゃ♡」


 彼女は、この上なく幸せそうに、目を細めた。


「ワシの、愛しの旦那様。……シン♡♡♡」


 その呼びかけは、この長い歳月のなかで、彼女が誰かに向けた、いちばん柔らかな声だった。


 こうして、絶界の骸森の魔女は、ひとりの男と巡りあいその妻となった。


 世界がどうであろうと。


 この二人の睦まじさだけは、いつだって何よりも先に、優先されるのである。


 第二十一話 了



 ――第一章「絶界の骸森のめぐりあい」 完

ご愛読ありがとうございました!

この物語はここで一旦、終了致しますm(_ _)m


もし『面白いな』って思ってもらえたら、下のブックマークや評価(☆☆☆☆☆)で応援してもらえると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ