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魔の神殺しの勇者は今日も魔法を否定する  作者: 緋島礼桜
穿つ氷刃を否定する

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2/11

   

 


 奥の部屋へと消えたシシロウさんは、しばらく戻って来なかった。

 逃げた可能性もあったけど、それはそれで私は掃除をするだけだ。


 こうなったら家事で私の良さを見せつけてやる。

 “こんなの”とか色々言ったことを、後悔させてやる。


 そんな執念に突き動かされ、私は自前のはたきを取り出し、埃と格闘していた。


「……それにしても、本の柱、柱、柱……一体なんの本なの?」


 この家の掃除で一番の難敵は、天井にぴったりくっつくほど積み上げられた本の柱だ。

 テーブルに置いてあった一冊を手に取ってみたが、分厚い古書で、目が回るような専門用語がびっしり並んでいる。

 私は頭を押さえながら、すぐに元の場所に戻した。


 ……それにしても、これってどう見ても高価な本だよね。

 だとしたらぞんざいに扱うわけにはいかない。

 とはいえ、部屋の半分以上を占領しているとなると、さすがに邪魔ではあるのだが……。


「——山積みの本はもう読まねえから、適当に処理してくれ」


 すると、ようやくシシロウさんが戻ってきた。

 どうやら逃げたわけではなかったらしい。


 ……が、私は思わず目を白黒させた。


 言われた通り、身なりを整えてきたシシロウさんは――ぼさぼさだった髪を一つにまとめ、ヒゲも剃ったその姿は、先ほどとはまるで別人だったからだ。

 聞いていた年齢よりも、ずっと若く見える。


 さっきはわからなかったが、アメジストのような紫の澄んだ瞳に、思わず吸い込まれそうになる。


 ――そして悔しいが、生きていた頃の父さんよりもかっこいい。


「……本当にさっきの方ですか?」


 思わずそう疑ってしまう。


「あのな、俺を何だと思ってんだ?」


 シシロウさんはしかめっ面でドカリとソファに腰を下ろす。

 そんな彼を見つめながら、私は小首を傾げて答えた。


「かつて世界を滅亡させようとした魔の神を討伐した、勇者様……ですよね?」


 そう、彼こそが伝説の英雄――勇者シシロウ・アルダ、その人なのだ。




 ――魔の神。

 30年前、突如として現れ、人々を襲い、世界を滅亡へと追い込もうとした存在。

 その危機を救うべく、私の両親を含む4人の仲間と共に旅立ち、わずか4年でそれを討ち果たした英雄。それが彼だ。


 私は母さんからいつも、シシロウさんの英雄譚を聞かされて育った。

 だからこそ、目の前の男性がその勇者様だという事実に、少しガッカリしている。


 すると、シシロウさんは深いため息を吐いた。


「……それはもう20年も昔の話だ。今はどこにでもいる、ただのオッサンだよ」


 軽い言い草とは裏腹に、その表情は険しいものへと変わる。


 ……母さんの忠告通りだ。

 シシロウさんは、20年前の話になると途端に辛そうな顔をして、口を閉ざしてしまうらしい。


 なぜ彼がそうなるのか、そこまでは母さんも教えてはくれなかった。

 だがきっと、思い出したくないほどの苛烈な戦いがあったのだろう。

 誰だって、喋りたくない過去の1つや2つはあるものだ。



「あの……処分と言っても高そうな本ですし、勿体ないんじゃないですか?」


 空気の変化を察した私は、素早く話題を変えた。

 と、シシロウさんはめんどくさそうに頭を掻きながら言った。


「まあ確かに、どれも国立図書館に並んでてもおかしくねえ代物だからな。専門家が見りゃあ、喉から手が出るほど欲しがるだろうよ」

「こ、国立って……じゃあこれ、国宝級の財産ってことじゃないですか!?」


 一気に全身から冷や汗が噴き出す。


 国宝級ということは、一冊一冊が金銀財宝以上の価値があるということだ。

 それだけの価値があるとは……一体どんな内容が書かれた本なのか。


 不意に、本の柱の一つがぐらりと傾いた気がして、私は慌てて支えた。


「財産って言っても、人によるがな。しかもこの国にはそういう施設もないから、寄贈もできそうにねえんだよな」


 そうぼやいて、少ししてからシシロウさんはソファーから立ち上がった。


「しょうがねえな……」


 彼はなにやら紙にしたためると、その書簡を手に私の横を通り過ぎる。


「え? あの、どこに行くんですか?」


 ドアノブに手をかけたシシロウさんに、慌てて尋ねると――。


「腹減ってんだろ? 昼だし、飯でも食いに行こうぜ」


 彼は口角を吊り上げて、そう言った。

 その笑みは、年相応よりもずっと子供っぽく見えた。


「ほら、掃除は中断だ。さっさと行くぞ」

「あ、でも私、そんなにお金持ってませんけど……」


「俺が奢るに決まってるだろ」


 デリカシーがない人ではあるけど、そういう配慮はできるらしい。


 と、シシロウさんは私を待たずに扉を開け、外へ出ていく。


「あ、待ってください!」


 はたきを放り出し、慌ててその後を追いかけた。




 私はシシロウさんと共に、オラターンの町を歩く。

 改めてこの町の人の多さに圧倒され、少し酔ってしまいそうになる。


 するとシシロウさんが不意に、私の腕を引いた。


「辛いんだろ? 無理に隣を歩かずに、俺の後ろを付いてろ」


 そう言われて彼の背後に回ると、人波の圧迫感がいくらか和らいだ。


「ありがとうございます」

「ったく……この程度の人混みで気持ち悪くなるとは、呑気な田舎のままなんだな、そっちは」


 私の故郷――ケンノク島を知っている口振りだった。

 そういえば、シシロウさんも同じ島の出身だと、前に母さんから聞いたことがある。


「……田舎がそんなにいけませんか?」


 口を尖らせて言い返すと、彼は軽く笑った。


「悪くはねえよ。それだけ穏やかな暮らしができてるってことなんだからな」


 その言葉に先ほどまでの嫌味はない。


 ――この人のことが、私にはいまいちよくわからない。

 だらしなくて、デリカシーもない。

 かと思えば、こうしてまともなことも言う。


 良い人なのか、不真面目なのか。

 いずれにせよ、こんな人が元勇者だったなんて、本当に信じられない。


 母さんから聞いていた勇者様のイメージとは、あまりにもかけ離れている。


 勇者シシロウは勇猛果敢で、誰にでも手を差し伸べる熱い男。

 そして、誰よりも“勇者らしい”勇者だった。

 だからこそ、魔の神を討ち倒せたのだと――そう聞いていたのに。


 ……けれど、旅立つ前に母さんは、こんなことを言っていた。




『……シシロウくんはね、今でも囚われていることが2つだけあるの。そのせいで人が変わってしまったと言ってもいいかもね』


 小さな頃から勇者の冒険譚は毎度毎度聞かされていたが、そんな話は初耳だった。


『2つっていうのは、何?』

『1つは、マルルにもよく話していた20年前の冒険のこと……シシロウくんはあの旅を、辛い記憶として抱えているの。だから、その話になると、とても辛そうなのよ』


 そして、もう1つはね――。




 ――そのとき。


 シシロウさんが足を止めた。

 考えごとをしていた私は、その背中にぶつかってしまう。


「っだあ……どうしたんですか?」


 彼の横からこっそり覗き込むと、前方で騒ぎが起きていた。


「なにこんなとこで馬車止めてんだ! 邪魔だろうが!!」

「人混みで進めねえんだよ! 文句あるならそっち行け!!」

「整備係は何やってんだあ!!?」


 どうやら馬車同士が道の譲り合いで揉めているらしい。

 御者同士が殴り合い寸前となり、駆けつけた衛兵が慌てて止めに入っていた。


 その様子を見ながら、周囲の人々がひそひそと囁く。


「ホント、未だに交通信号も整備されてないなんて」

「魔法があれば、こんなことにはならなかったのに……」

「ええ……魔法がなくなったのは不便よねぇ」


 魔法。

 その言葉が出た瞬間だった。


 シシロウさんは、何も言わずに歩き出した。

 それも、少し足早に。


「あ、ちょっと待ってください!」


 私は慌てて彼の後ろに続く。


「……驚いたろ。この国じゃあ馬車の通り方だけであれだ。しかも厄介なことに日常茶飯事でな」


 歩きながらシシロウさんがポツリと言う。

 私は彼の言葉を聞き逃さないよう必死に歩きながら、返答する。


「はい。私の故郷では、あんな揉め事は聞いたこともありません」


 人通りのせいで馬車が立ち往生してしまったなら、人がいなくなるまで一緒に待つか、人の方に道を開けて貰えばいいだけのことだ。

 そんなこと、田舎出身の私だってわかるような常識だ。


「この国はな、20年前までは世界で1、2を争うほどの魔法主義大国だった。なんでも“魔法”に頼りっぱなしだったんだよ」


 彼の説明を聞いて、私は「あっ」と声を漏らす。

 これも母さんから聞いていた話だった。




 ――魔法。


 かつてこの世界に存在していた、魔の力。

 自然の理を捻じ曲げ、“なんでも”を叶える摩訶不思議な力。


 それは、魔の神からの恩恵だった。 

 だから――その神が倒されたとき。


 魔法もまた、この世界から消えた。


 魔法を動力源として依存していた国々は、大きな打撃を受けた。

 家屋の照明、交通信号、飲み水までも。

 魔法の消滅と共に、ほとんどの機能を失った。


 そのせいで壊滅した都市や、多くの犠牲も出たのだという。

 ケンノク島は自給自足の文化だったから、消滅の影響はほとんどなかったらしい。


 ……なんて。

 魔法を知らずに育った世代の私には、それこそ摩訶不思議な話だ。




「魔法は確かに必要な力だった。だが――勇者(おれ)が、それを消した」


 低く、抑えた声で彼は言う。


「その結果がこれだ。この国は代替のライフラインもまともに整備できず……20年経ってもこのザマだってわけだ」


 自嘲するように、シシロウさんは笑う。


 その笑みが、皮肉なのか、それとも――後悔なのか。

 私には、まだわからない。


 ――ただ。

 母さんが言っていた、彼が未だに囚われていると言う“もう1つ”。

 それが、この“魔法”なのだと。


 私は、ふと思い出していた。



   

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