寒露5-1 境界
デスメタルに散るフラメンコなセミからシャンソンなスズムシに交代して、それもそろそろフィナーレに近付き、風に青臭い湿り気が消え、梢の合唱もハスキーボイスに変わる。目に訴える紅葉だけではない。全員狩人のリコピンシティの面々は、五感で季節の移ろいを読み取る。
リコピンシティから遥か遠く東へ東へ、広大な樹海に暮らすエルフも自然の変化に敏感だけど、最近は地に足がついていない。憧れの世界樹とどう関わるか、どのエルフも夢想に浸ってしまっている。
ホットコフィン・トゥエルブン・クロックロック・アーミナーシャも永く続いた物思いがフィナーレを迎えたと感じた。
薬草を煎じたお茶が入ったコップを両手に持ち、天幕の入口をぼんやり眺めながら彼女は思う。インドアとアウトドアはドア、家を境界に区別するけど、この境界は無数にある。
例えば旅に出るエルフと台地から降りたこともない私。故郷が境界になるのは何故だろう。
例えば魔法。火や風を操る者と身体強化しか使えない者、身体の内と外、境界を意識することが障害になる気がする。
例えば精霊。人の形をとるかとらないかの境界は何? かつての世界樹は精霊の形すら見せてくれなかった。でも例の報告では生まれたての世界樹の精霊、幼子の姿を見たとのこと。もしかして自分たちは……、始めから嫌われていた? 逆に考えるとリコピンシティは好かれている?
例えば悲惨な思い出に囚われた私と、栄光の思い出に脚色されている同輩。何故彼は、いや、他にもいたらしいから彼らは、あれほどの過去を無かったことに出来るのだろう。あるいは、記憶とそれに基づく思考が狂っているのは私のほうか?
アーミナーシャは昨日を振り返り、改めて全身粟立った。
昨日、トゥエルブン十二名のみで会合を開いた。集まるだけでも時間がかかるから、大まかな内容は事前に察することもある。
はたして内容は彼女が察して案じた通りだった。
「件のリコピンシティ、及び周辺地域の情報が揃った。おおよその今後の方針を立てたから忌憚のない意見をくれ」
アーミナーシャが危惧する同輩、トゥエルブンのひとり、ソートマワリ・トゥエルブン・テルルルンドゥ・カレオチタが厳かに、そして自信に満ちた態度で口を開いた。反対意見はないに決まっている、と決めつけている。
「話には聞いていたが、今の凡人族は久しく戦争をしていない、嘘みたいに平和な世を築いているらしい」
「到底信じられん。一生殺し合っているだろ」
「まったくだ。アンデッドで世界が埋め尽くされるとか冗談のつもりがありえるのが凡人族だな」
「クックック、どうもそのアンデッドが原因らしいぞ。戦争する余裕もなくなるほどアンデッドが溢れると、ほとぼりが冷めるまで平和を謳うのが凡人族の流儀だとか。大国は分裂して、ここ百年は都市国家の規模で耐えているらしい」
「たった百年……? すまんがどうも時間のスケールが……」
「あぁ違和感の正体はそれか。我々とは時間の感覚が違うから奇妙な話に聞こえるな。極端にいうとアイツらは、百年周期で戦争と平和を繰り返している、という状態か?」
「それ、平和っていうのか?」
エルフは同族殺しは重罪であって正当化はできない。だから容易く同族殺しをする人間を蔑んでいる。
そしてまだどこの社会も歴史が記録されていないから情報がはっきりしない。百年前はエルフにとっては懐かしさを感じる程度。二から五世代は隔たる人間とは大きくズレる。
「人間にとっては平和なんだろうさ。そして百年は大昔になるから喉元過ぎれば熱さを忘れる。虫も人間も同じ。寿命が短い生き物は学ぶ時間も学びを活かす時間もないから永遠に進歩しない」
鏡を見ろっ! 黙って聞いているアーミナーシャは喉まで出た言葉を飲み込んだ。呆けているとはいえとんでもないブーメランを投げやがる。つまり寿命は関係ない。
「百年経って、凡人族は自分たちが戦争をしたことを忘れている。だからそろそろ始まる」
「いやいくら単純な生き物でもそこまで断定はできんだろ」
「それがそうでもなくてな。面白い話を仕入れた。ほとんどのアンデッドは数十年から百年で消滅する。先程も言った通り、戦争してはアンデッドが溢れ、アンデッドが消えるまで戦争を控えるのが凡人族のスタイルのようだが、最近、アンデッドを消す魔法が開発されたらしい」
「は? そんなことが可能なのか」
「真偽は分からん。ただ、重要なのはそういう噂がある、ということだな。アンデッドの脅威が消えたと思えばアイツら、もう永遠に殺し合うに決まってる」
で、だ。話の主導権を握っているカレオチタはそう言うと古老たちを見回しニタリと笑った。
「その魔法を持っている国、デズモンド連合国とか言ったか、ソイツらに世界樹の素材の利用法を教えたらどうなる?」
「ソートマワリ・トゥエルブン・テルルルンドゥ・カレオチタっ! 貴様っ、堕ちるところまで堕ちたな。殺し合いを策謀するなど恥を知れっ」
アーミナーシャは堪らず怒鳴った。欲に目が眩んだデズモンド連合国にリコピンシティを攻めさせるとは、同輩の腐りきった性根に目眩と吐き気がする。コイツ本当に同輩か? アンデッドになってないか? わりと真剣に疑い始めた。
「ホットコフィン・トゥエルブン・クロックロック・アーミナーシャ。あのな、冷静に考えてみろ。遅かれ早かれ世界樹の価値に凡人族は気付く。欲深いアイツらが放置するわけがない。戦争はいつか必ず起こる。だったら我々第三者がコントロールして、取り返しのつかない事態になる前に介入して世界樹を保護するのだ。これのどこが悪い?」
「詭弁だっ。先のエルフが世界樹を寄越せと言い、現地民、リコピンシティ側は了承し、すると世界樹の精霊が現れてエルフを拒絶した。この件を受けて貴様は、別の角度から同じことをしたいだけだろうが。どのみち精霊様に拒絶される未来が何故視えない?」
「ホットコフィン・トゥエルブン・クロックロック・アーミナーシャ、声を荒げるな。同じではないだろ。困った世界樹に手を差し伸べる、そういう筋書きなのだから」
「お前たちも……? 一体どうしたんだ?」
アーミナーシャは得体の知れない恐怖に襲われた。カレオチタだけではなかった。全員おかしくなっている。それとも本当におかしくなっているのは自分のほうなのか?
冷めそうなハーブティーに似たお茶から清涼感のある匂いが鼻をつき、アーミナーシャは回想から我に返って一口すすった。
仮に狂っているとしてもこのまま迎合はできない。自分と彼らの境界は引かれた。自分は自分の道を往く。
決めてしまえば今まで他人の後ろを歩いた自分が滑稽に見えて、軽く自嘲すると毅然と立ち上がった。
アーミナーシャはトゥエルブン、十二支族のひとつ、クロックロック族を率いるトップ。まずは実務を取り仕切る数人の長を呼び寄せた。
数日後、エルフの里、ウルフレイに暮らす全てのクロックロック族約三百名が集会を開いた。一同が収まる建物はないから人々は森の開けた場所に思い思いに胡座をかいて、声が届きやすいよう、アーミナーシャは輪の中心に木の箱を置いて壇上に立った。
アーミナーシャは内心苦笑する。誰の顔にも迷惑と書かれている。自分はでしゃばらないよう気を遣っていたつもりだけど、トップはいるだけで嫌われるのはしょうがない。冬に向けて保存食の確保に忙しい時期でもあるし、数日かけて樹海各地から呼ばれた者たちにはさぞ迷惑だろう。
彼女は一度大きく息を吸い込むと、秋の梢より乾いた声で語り始めた。
「皆さん、忙しいところ呼びつけて申し訳ありません。しかし、今を逃すとあとがない。心を落ち着けて聞いて下さい。まずは我々トゥエルブンが隠してきた歴史を」
アーミナーシャはとうとう真実を若いエルフに伝えた。ずっと我慢してきた想いをぶちまけて、数万年ぶりに入浴したような爽快感を味わった。
もう信じてくれなくて構わない。というか、彼女がもう同族を信じられなくなった。永い永い時間をかけ、遠く遠く距離を置き、いつの間にか同族と思っていた全員が知らない生き物に変わっていた。
変わったのは自分かも知れないけれど、どちらがどうとかどうでもいい。理解しあえない、そこを受け入れることが重要だから。
最後にこうやって話すのはせめてもの義務感。最古を知る数少ない生き残りとして、一族のトップに立っていた者として、最後の選択肢は与えるべきと考えたから。結果誰もついて来なかったとしても構わない。
案の定、大半は戸惑っている。歴史には宗教の側面がある。自分が信じたい話を信じ、それを否定する者は敵と認識する。
アーミナーシャとて同じ。世界樹を傷付けた歴史を繰り返そうとする同輩への情は消えた。だから今まで聞かされていた歴史と違う話をされたエルフと袂を分かつ覚悟は決めた。
くどくど話すと自己正当化に流れそうで見苦しい。アーミナーシャはなるべく簡潔にまとめた歴史を語り、エルフたちが感情の整理もできていないと分かった上でこう締めた。
「精霊は人ではない。人の理屈は通じない。人の都合は知ったことではない。あの悲劇を忘れ、神と呼んでおきながらかの存在に上手く取り入ることができるなどと夢見るこの里に未来があるとは思えません。私はひとりでも世界樹のもとへ向かいます。素材なんていらない。実は世界樹の精霊様がエルフにされた仕打ちを憶えていて憎んでいたとしても自業自得と受け入れます。ただかつてのように、視界に世界樹があった日々を過ごしたい。なにも強制やお願いはしません。賛同する者だけついてきなさい」
世界樹のそばで心安らかに暮らすか、傲慢によって二度目の滅びを迎えるか。
境界は引かれた。あとは自分で決めなさい。
ずいぶん久しぶりに、アーミナーシャは未来に顔を向けた気がした。




