解雇された。よし、冒険者として復帰するか!
「解雇……っスか」
グランマリア王国国王の執務室にて、王国の嘱託剣士であった〝シド・ツルギ〟はその宣告に呆けた声を口にした。
その向かい側に座り現在進行形で書類仕事を行っているグランマリア国王は頷いてからその理由について述べた。
「娘の……アルテシアの直轄騎士団から苦情が相次いでいてな。彼女らの士気降下の恐れを鑑みて申し訳ないが君には嘱託剣士を辞めて貰うことにした」
シドにも心当たりが無かった訳では無い。
グランマリア王国第一王女である〝アルテシア・エーデル・グランマリア〟の直轄騎士団である〝白百合騎士団〟は女性騎士のみで編成された騎士団である。
シドはグランマリア国王から直々にアルテシアの護衛として雇われた為、男子禁制であった白百合騎士団に特別に立ち入りする事が許されている。
しかし今の白百合騎士団はもっぱら、この国に現れた勇者である少年、〝クライス・リーガス〟に夢中であり、シドの存在を毛嫌いしていた。
故にグランマリア国王が述べる彼女達の苦情とやらが事実無根であったとしても、シドの弁明が通ることは無い。
それをよく理解していたシドは諦め、解雇を受け入れたのだった。
「ちなみに王女様は何と?」
「〝身を引いてくれると助かる〟だそうだ。すまないな……こちらからお願いして城へと来てくれたのに」
「いえ……元より根無し草だったんで、また元の生活に戻るだけっスよ」
「また冒険者として活動するのか?」
「この国に残るにしろ、出ていくにしろ、先立つものは必要なんで」
「そうか……健闘を祈る」
シドは祖国である〝ヤマト〟から遠路はるばるこの地へと訪れた。
冒険者としての実力は確かで、その実績に惚れたグランマリア国王がわざわざ頼み込んで城に迎え入れたのである。
しかしこうなってしまってはシドが国に残る必要は無い……グランマリア国王は手放した魚がどれ程大きなものなのかを痛感しつつも、シドを引き止める事はしなかった。
変に気を回して城に残し文句を言われながら勤めさせるよりも、いっそ解放してあげた方がシドの為にも良いと判断したからである。
「まぁ、ここでの生活は貴重な体験でしたんで。なにせ城に仕えるのは初めてだったもので」
「意外だな。お前程の腕の持ち主ならば引く手数多だと思っていたのだが」
「故郷にいた頃は城仕えには興味無かったんスよ。のらりくらりと、吹き抜ける風のように、流れる雲のように自由に生きていく方がしょうに合ってたんでね」
「そうか……〝セイラ〟と〝ユウリ〟は悲しむだろうな」
「どうしてです?」
「は?」
「え?」
グランマリア国王の言葉に疑問符を浮かべたシドであったが、逆に疑問符で返され二人の間に妙な空気が流れ始める。
グランマリア国王が口にした二つの名前は、白百合騎士団の中でもトップの実力を誇るとして有名な〝クリストハイト姉妹〟の名であり、姉妹は現在、王国騎士団の遠征に同行していた。
シドにとってそのクリストハイト姉妹……姉のセイラと妹のユウリは騎士団の中でも最も自身のことを嫌っている人物だと認識していた。
自分が城を去ることでその二人が悲しむなどと、シドは考えにも及ばなかったのである。
「お前……本気で聞いているのか?」
「え?あの二人は俺の事嫌ってますよね?ユウリには会う度に逃げられるし、セイラに関しては毎回睨んできますしね。喜ばれこそすれ、悲しまれるとは思えんのですが……」
「なるほど……それならばそう思うのも致し方のないことか……」
シドの言葉にグランマリア国王は嘆息しながらそう口にするが、シドの耳には入っていなかった。
「まぁ、生きてりゃ何処かで会えるんでしょうが、そういった機会はそうないでしょうね。まぁ俺が去ったと聞いて諸手を上げて喜ばれるのかと思うと、ちと癪ですが」
その光景を思い浮かべたのだろう、シドの表情は苦虫を噛み潰したような顔になる。
それを見ていたグランマリア国王は途端に複雑そうな苦笑いを浮かべるが、あえて真相を伝える事は無かった。
「まぁともかくだ……退職金として幾らかは出すつもりでいる。お前には長らく世話になった」
「こちらこそ、暫くの間でしたがお世話になりました」
深く頭を下げ、執務室から退室してゆくシド。
それを見送り、グランマリア国王は書類仕事を再開する。しかしその数分後、ドカドカと廊下を走る音が聞こえ、その音が段々と執務室に近づいてきたかと思えば、そのドアが勢いよく開かれた。
「「「陛下!!」」」
入ってきたのは三人の男女────髭面の屈強な男性、モノクルをかけた身なりの良い男性、そして杖を持ちローブに身を包んだ女性。
彼らはグランマリア国王に仕える将軍、騎士団長、そして魔法師団長の三人であった。
そんな彼らが勢いよく執務室へと入り、勢いそのままに国王へと詰め寄った。
「なんだ騒々しい……ノックも無しに部屋に入ってくるなど、礼儀知らずにも程があるぞ?」
「そんな事は今はどうでも良いのです!それよりもシドが城を去るとは本当ですか!」
「陛下!これは由々しき事態でありますぞ?!」
「彼が城を去るなど、王城……いえ、この国にとって大いなる損失ですよ?!」
「随分と大袈裟だな?いや、確かに彼奴の腕は目を見張るものはあるが……」
国王もシドの実力はこの三人にも引けを取らない程のものであるとは理解していた。しかし、それでもどうしてこの三人がここまで焦燥を浮かべているのかは、どう考えても理解が出来ない。
すると魔法師団長である女性、アンネ・フローレン・フォン・ウェールズが青ざめた表情でこんな事を国王へと訊ねる。
「陛下、そもそも〝あの二人〟にはどう説明なさるおつもりですか?」
アンネが口にした〝あの二人〟とは、もちろんクリストハイト姉妹のセイラとユウリの事である。
それを問われた国王は嘆息しながらこう返した。
「それはもちろん、〝事情により城を去った〟と言うしかあるまい」
「何を呑気なことを!城を去ったと聞いたらあの二人……特にユウリは怒り出しますよ、きっと!」
「そんなわけ……いや、ありえるか……」
アンネの言葉に最初、否定しようとした国王であったが、直ぐに訂正して額に汗を浮かべ考え込む。だが直ぐに顔を上げてアンネにユウリに対するシドの意見を述べた。
「しかし、シドめはユウリに嫌われておると話しておったぞ?」
「はい?今なんと?」
国王の言葉に我が耳を疑った様子で聞き直すアンネ。
彼女はその表情から〝とても信じられない〟といった様子であった。
「いや、だから……シド自身が、ユウリに嫌われておると申しておったのだ」
「そんなわけないでしょう?!ユウリのシドに対する態度は、誰が見たって恋する乙女そのものだったと、陛下もよくご存知でしょう!」
「ワシもそう思っておったのだが、顔を合わせる度に逃げられるのだと言っておってのう……」
「ユウリったら……」
アンネにとってユウリは他人であるものの、実の妹のような存在であった。
それ故にセイラ共々、ユウリを非常に猫可愛がりしており、そんなユウリがシドに想いを寄せている事を誰よりもよく知っていた。
そして日頃のシドに対する態度がそんな想いの裏返しである事もよく知っていたのである。
そしてアンネは〝どうしましょう〟と呟きながら何やらブツブツと独り言を言い始めた。
「どうしたというのだ?」
「陛下……ユウリに口止めをされていたので今の今までお話しませんでしたが、彼女は今回の遠征を見事遂行した暁に陛下に彼との婚約を許して貰えるよう進言すると申しておりました」
「なんだと?!」
アンネの言葉に国王は思わずその場から勢いよく立ち上がった。
その振動により羽根ペンが台座ごと倒れ、蓋が空いていたインク瓶から数滴インクが溢れ落ちる。
「それはいつ言っていた?!」
「遠征に出立する前です……」
「何故言わなかった?!」
「先程も申した通り、ユウリから〝言わないで欲しい〟と頼まれておりましたので……」
「くっ……こっそりとでも言ってくれれば、理由をつけて城に残していたものを……。しかし困った……シドめは既に城を出ている頃だろう……」
悩む国王にそれまで沈黙していた騎士団長のアキレウス・リヒター・フォン・ローゼクロイツと、将軍のガイゼル・グラディウス・フォン・バーゼラルドが口々にこう話した。
「不味いですよ陛下……ユウリもさることながら、彼女を溺愛しているセイラの耳にもこの事が入ったら……」
「彼奴ならば大暴れするであろうな」
「陛下、この度シドが城を去ることになった理由についてお聞かせ願いますか?」
「それはだな……」
シドが城を去ることになった経緯について包み隠さず話す国王に静かに耳を傾けていた三人は、事の顛末に冷静を忘れて白百合騎士団の非難の言葉を放ち始める。
いや、この執務室に入ってくる前辺りから冷静では無かったが……。
「何を考えているのですかあの小娘達は!」
「シド一人でいったいどれ程の戦力であったか分からぬとはな!やはり貴族の令嬢達のみで編成された部隊など児戯の何ものでもなかったわ!」
「彼の実力も分からぬ者達が騎士を名乗るなど……それに王女殿下もいったい何を考えておられるのか!」
「落ち着け三人共!まぁまだ遠征隊が帰還するまで日はある!そのうちに急いでシドを探し出し、城へと戻って────」
国王がそう話していた最中であった。
一人の兵士が入室し、ある報告を国王へと報せる。その〝報せ〟はこの場にいる三人を絶望へと叩き落とす、正に〝死刑宣告〟にも等しいものであった。
「国王陛下!たった今、遠征隊が帰還したとの報せが入りました!」
「なん……だと……」
報告を受けた国王は力なく崩れ落ちるように椅子へと座る。
そして呆然とした表情で目の前に立つ三人にこう告げた。
「三人共……今日がワシの命日となるやもしれん……」
「「「その時はお供致します、陛下……」」」
今にも泣き出してしまいそうな国王に三人は哀れみと同情の念を持ってそう返した。
クリストハイト姉妹がシドが城を去ったと聞き絶望し、そして誰しもが見たことの無い怒りを爆発させるまで残り数分……。
◆
その頃、城ではとんだ騒ぎになっているとは露知らず、シドは王都にある冒険者ギルドへと足を運んでいた。
理由はもちろん、再び冒険者として活動するための手続きをする為である。
城に仕える前、最後に拠点にしていたのがこの王都冒険者ギルド〝黄金の太陽〟であり、それ故にギルドの者達はシドの事をよく知っていた。
そのシドがギルドへと姿を現すと、それまで賑やかであったギルド内が一瞬にして静まり返る。
受付嬢である〝シンシア・フェルマン〟に至っては手にしていたバインダーを落としていた。
「もしかして……シドさん?」
「もしかしなくてもシド・ツルギはこの世に俺しかいねぇよ」
シンシアが目を見開いてその名を呼び、シドがそれに返事をすると、いっせいにギルド内がざわめき出す。
「おいおいマジかよ……本当にあのシドが帰ってきたのか?」
「もしかして冒険者に復帰するのか?」
「馬鹿言え、シドは今王城勤めだろうが。多分、依頼をしに来たか何かだろ?」
ギルド所属の冒険者達がヒソヒソと話す中、シドはシンシアの前へと立つ。
シンシアは未だ信じられないといった様子でシドに話しかけた。
「シドさん、いきなりこんな所へどうしたのですか?もしかして依頼をしに?」
「いいや、今日から冒険者に復帰するんで、その手続きをしに来たんだよ」
シドがそう言った瞬間、ギルド内に歓声が沸き起こった。
「マジかよ!!あの伝説のシドが帰ってきた!!」
「これで滞っていたS級依頼が消化出来るんじゃねぇのか?!」
「さっそくうちのパーティーに……」
「ふざけんな!シドは俺らのパーティーが貰うんだよ!!」
「何言ってやがる?俺のところに決まってんだろ!!」
今度はどのパーティーがシドを迎え入れるかで冒険者同士の喧嘩が始まる。
それを見ていたシドは可笑しそうに笑いながらシンシアとの会話に戻った。
「相変わらず、ここは変わんねぇなぁ。それよりも早く手続きを始めたいんだが?」
「あっ、はい!ちょっと待ってて下さいね?ギルドマスターにも知らせないと……」
「手短に頼むな。今すぐにでも依頼を受けたいからさ」
「もちろんですよ!」
嬉しそうに笑顔を浮かべながら軽い足取りで奥へと駆け出すシンシア。その嬉しさを表すように、彼女は無意識のうちに僅かにスキップをしていた。
するとそのタイミングを狙ってか、先程の冒険者達が一気にシドへと駆け寄り、そして口々にシドへと捲し立て始める。
「おいシド、久しぶりだな!冒険者復帰って本当かよ!」
「久しぶりだなガイエン。相も変わらず昼間っから酒かっくらってなんかいねぇでさっさと依頼に行けよ」
「シド!もちろん俺のパーティーに入るよな?」
「よォ、バルドル。嬉しい誘いだが、先ずは感覚を取り戻す為にソロで活動しようと思ってんだ」
「お前ならあっという間に取り戻すだろ」
「いやいやライアン。俺だって数年のブランクがあるのはキツいってもんだぜ」
「シド。是非とも私の稽古に付き合って欲しいのだが……」
「お前も相変わらずだなぁメリッサ。鍛錬ばかりじゃ婚期逃すぞ?」
質問攻めに対し軽口を叩きながら返すシド。
しかし誰もその軽口に気を悪くすることは無く、その反対に久しぶりのシドにそこにいる全員が嬉しそうに笑顔を浮かべるのであった。
だが────
「おいおいおい……伝説だか何だか知らねーが、このギルドのトップ冒険者はこの俺様だぜ?その俺様に挨拶無しってのはねぇだろ」
そう言って群衆をかき分け現れたのは一人の男。
その男は随分と酔っているらしく、数人の女性を侍らせながらシドの前へと立った。
「おいアーノルド……悪ぃことは言わねぇ、シドにだけは喧嘩を売らねぇ方が身のためだぜ?」
「うるせぇB級冒険者の雑魚ども!この中で唯一のS級冒険者であるこのアーノルド様に説教なんて垂れてんじゃねぇよ!」
アーノルドという冒険者はそう怒鳴ると、忠告をしてきたバルドルを殴り飛ばした。
その光景を見てシドは静かに眉を顰める。
「随分と威勢のいいやつがいるな?」
「あいつは最近になってこのギルドに来たアーノルド・ペテンスキーってやつだ。なんでも父親が金持ちの商人らしくてな……S級になれたのも親父さんの力によるもんだってもっぱらの噂だ」
ヒソヒソとアーノルドの話をするガイエン。
それを聞いたシドは〝おもしれぇ〟と呟くと、アーノルドに向かって一歩前へと出た。
「S級冒険者だったか?是非ともその実力を見せてもらいてぇもんだな?」
「あぁいいぜ?なにせテメェみてぇな生意気な奴を、俺様は何人も殴り飛ばして来たんだからな!」
アーノルドはそう言うと、手にしていた酒瓶を勢いよくシドの頭へと叩きつけた。
酒瓶は割れ、僅かに残っていた酒で濡れはしたものの、シドの体には傷一つついてはいない。
「なんだ……殴り飛ばして来たって割には物を使うのか?大口叩いた割には底が知れるな」
「うるせぇ!」
挑発を受けたアーノルドは激昂し、今度こそその拳をシドへと叩き込む。
乾いた音が鳴り響き、誰もがシドの身を案じた。しかし当のシドは平然と立っており、顔面を殴られたのにも関わらず鼻血すら流していない。
それに驚いたのは他でもないアーノルドであり、彼は平然としているシドにある種の戦慄を抱いた。
そんなアーノルドに対しシドは拳を握り締めながらこう話す。
「軽い拳だな?腰が入ってねぇ。拳ってのはだな……こう撃つんだよ」
「────!!?」
そうして放たれたシドの拳はアーノルドの鳩尾に突き刺さり、アーノルドの体はくの字に折り曲がりその巨体が意図も容易く吹き飛んでゆく。
殴り飛ばされたアーノルドは、並べられていたテーブルやら椅子やらを薙ぎ倒しながら壁すらも突き破り、道端で大の字という情けない姿で気絶していた。
彼が侍らせていた女性達は悲鳴をあげながら、倒れているアーノルドへと駆け寄ってゆく。
そんな彼らを他所に、シドは嘆息しながらこう言った。
「あの程度でS級とはな……合格基準が甘ぇんじゃねぇの、〝アトラス〟?」
そう話し、シドが振り返る先にはシンシアと共に立つ一人の男がいた。
スキンヘッドの強面のその男の名は〝アトラス・ドウェイン〟といい、このギルドのギルドマスターである男だった。
シドに話しかけられたアトラスは苦笑いを浮かべながら言葉を返す。
「アーノルドの実力は確かだ。変な噂が立ってはいるが、れっきとした実力であいつはS級に昇格したんだよ。お前さんが強すぎるだけだ」
「別に、俺も大して強かねぇよ」
「いやいや、S級昇格試験である飛竜討伐をたった一人で……しかも最速で達成した奴が何を言ってやがんだ。そんな奴が強くねぇんなら、他の奴らはいったい何だって話だよ」
「俺よりも強い奴はいるだろうよ」
アトラスの言葉に対し素なのか冗談なのか分からない返答をするシド。
そのシドの言葉にアトラスは苦い顔をすると、一枚の紙をシドに手渡した。
「これは?」
「お前さんが冒険者に復帰してくれるのはありがたいんだが、復帰早々S級ってのは難しい。だがA級やB級に据えるのも阻かれるんでな……S級昇格試験依頼〝飛竜討伐〟の成功をもってS級冒険者として復帰させることに決めたってわけだ」
「なるほどな」
シドはそう納得しながら、手渡された飛竜討伐の依頼書を確認する。
「丁度、近くの洞窟に居座っている飛竜に悩まされている村があってだな。本当はアーノルドの奴に受けさせようと思ってたところだったんだが、今はあぁなっているし丁度いい」
「ふ〜ん……まぁ、感覚を取り戻す為に丁度いい感じか」
「飛竜に対してそう言えんのはお前さんくらいなんだがな……」
呆れながらもアトラスは信頼の目をシドへと向けていた。
そしてシドは準備を整え、いざ飛竜討伐へと出発したのであった。