第二十一話 戦い終わってびしょ濡れで
ドローン対巨大ウツボ……見たままをタイトルにするならばB級臭の凄まじい事この上ないが、それが今まさに目の前で繰り広げられているとなると受ける迫力も段違いなものがある。
「このぉ、ちょこまかと!」
イサナの操るドローンから繰り出される削岩用ドリルの突きを体をくねらせて器用に避けるウツボ、そしてお返しとばかりに繰り出される嚙みつきや尾での薙ぎ払いをこれまた見事な操縦で躱すドローン……俺も戦闘に参加してイサナを手伝いたいが吹き飛ばされた衝撃で海鉄は多少落としたようだが、今度はスラスターに異常が発生したのか大した速度が出ない。
それでも敵が一人増えるだけでも効果はある筈と信じて接近し攻撃するが易々と躱されてしまった、しかし一瞬俺に気を取られた隙を突いてイサナがウツボの胴体を貫いた!
「よっしゃあ! やった!」
「まだ油断しないで! ウツボは生命力がすごく強いからまだ止まらない筈!」
その言葉通りウツボは激しく体をくねらせてドリルから逃れると再び俺達に向けて突進を繰り出してきた、おびただしい出血をしているにもかかわらず最初の一撃と変わらない鋭い突進を紙一重で躱す。
「っち、体に穴が開いてるってのになんて体力だ……どうする、逃げ続けて失血死するのを待つか?」
「それだと時間がかかりすぎる……血の臭いで他の小型深海魚が集まって来る前には離脱したいから、もう一撃入れよう」
「了解、ところで一つ聞きたいんだけど……まさかあのウツボも小型深海魚の枠に入るってんじゃないよな?」
「ふふ、エイトとあのウツボのサイズを比べてごらんよ」
「マジかよ……」
ドローンの体制を立て直しうんざりとしながらカメラをウツボに向ける……あのサイズの深海魚が何匹も群がってくるだって?……さすがに冗談だと思いたい。
「……となれば、速攻だ!」
両アームのドリルを起動させ、不調のスラスターを全力で吹かしながらウツボに接近する……生命力の高さには驚かされたがやはりイサナの一撃は致命傷だったのか動きが鈍い、これなら俺でも仕留められる!
「っ……待ってシューゴ、下がって!」
「!?」
一瞬何が起こったのか分からなかった、イサナの叫び声と同時にウツボがこちらに振り向き……何かを飛ばしてきた? とにかく今分かるのは俺の操縦するマリンドローンは吹き飛ばされ、岩キノコの笠の上に叩きつけられて機能を停止したという事だけだ。
「ごめん、反応遅れた!……あのウツボは顎の骨が特殊な構造になってて、両脇にある棘状の骨を皮膚の下から勢いよく突き出して攻撃してくるんだよ。先に言うべきだった……本当にごめん!」
「ぱ、パイルバンカー装備のウツボなんてアリかよ……駄目だ、完全に動かない」
カメラは起動しているので完全に停止している訳ではないがアームもスラスターも操作命令を受け付けない、これではただの鉄屑同然だ。
「待ってて! 今すぐこいつを……うわっ!」
よろよろとイサナの一撃を躱したウツボが闇雲に振り回した尾の一撃がドローンを完全に捉えた、すぐに体制を立て直しているところからも機体へのダメージは少なそうだが、完全に時間稼ぎをされてしまっている……野生動物の死に際の抵抗を完全に甘く見ていた、このままでは晩御飯どころか海鉄の回収すら難しくなってしまう。
このまま見ている事しか出来ないのかと唇を噛み締めた時、脳裏に一つの存在がよぎった……この岩キノコの森までの距離は体感で約百メートル弱、仮にその二倍の距離があってもアレならば十秒もかからず辿り着く事が出来る。
「イサナ、ちょっとこれ借りるぞ!」
「え、シューゴ!? 待ってどうしたの!?」
「すぐに戻る!」
ゴーグルとコントローラーを外し、隣に座っていたイサナのズボンのポケットから黒いデバイスを取ると背後からの制止を無視して昇降機に飛び乗った……目的地は最上層、俺の乗ったカプセルが置いてある階層だ。
「ええと……これか?」
目的に着いた昇降機から飛び出し、借りたはいいが操作方法の分からないデバイスのボタンを勘で押すと天井が開き、オレンジ色の光が差し込み始めた……まだ俺の体はここの薄い空気に慣れていない、以前のように異常をきたす前に急いであれを装着しなくては。
カプセルに辿り着き側面に設置してあるパネルに暗証番号を打ち込むと白い煙と共にゆっくりと引き出しが開き……中に収められていたトリトンスーツが姿を現した。
パネル自体分かりづらいところにあるのでイサナも見落としたようだ……安堵のため息をもらしながらスーツを手早く装着し、最後にヘルメットを被る。
「イサナ? イサナ聞こえるか?……くそ、やっぱダメか」
素早くデバイスを操作してスーツを起動し通信を試みるが思った通り返事は無い、本来はここについた時点で真っ先にやっておくべき通信機器との同期をすっかり忘れていた……だが今となっては悔やんでいる暇は無い。
「誰かに状況を知らせる事の出来ない状況での単独潜行は絶対に禁止って何度もラブに言われたっけ……バレたら滅茶苦茶怒られるなぁ」
天井が完全に開くと堤防のような短い一本道が姿を現した、その先頭まで移動すると視界に映るのは一面のオレンジ色の海……見ているだけなら綺麗だが、この海には俺の理解の外にいる巨大な深海魚がうようよ存在しているし、その全てがエイトのように友好的という訳ではないだろう。
「ビビるな俺……サクッと潜ってウツボを倒してドローンを回収して上がって来るだけ、スムーズにやりゃ三分もかからない筈だ……行くぞ!」
このままここに立っていては臆病風に吹かれると感じた俺は何かを考える前に腕のデバイスを操作してリングを起動させて海に飛び込んだ……全身がひんやりとした水に包まれるのを感じるやいなや頭を下にして体を翻すと周りに目もくれず一気に潜行を開始した。
「……いた!」
最大速度で潜行開始から数秒でイサナの操るドローンとウツボが見えてきた、あれから更に一撃を加えたのかウツボの傷が増えているように見える。
少し離れた位置に俺が操縦していたドローンの位置も確認する事が出来た、アームの片方が吹き飛ばされておりあれでは修理も難しいだろう。
「何よりまずはウツボを仕留めなくちゃな……さっきのお返しだ、こんにゃろ!」
両手のトライデントを起動してウツボに向けて乱射する。少し離れているせいか距離の感覚がズレておりかなり外したが、それでも数発はウツボの胴体に命中した……あのサイズなら一発でも当たればこっちのものだ。
針に仕込まれた麻痺毒が全身を回り始めたのだろう、激しく痙攣しまともに動けなくなったウツボを担ぎ上げると機能停止した自分のドローンを回収し、イサナのドローンに向けて上へ向かうようハンドサインを送る……何か言いたいのかもう言っているのかアームを激しく動かしているがこちらに通じていないのが分かったのかやがて上昇を開始し、その後ろについていった……。
「単身潜行なんて何考えてるのさ! 小型とはいえ生身で立ち向かうなんて危険だってシューゴなら分かるでしょ!?」
「わ、悪い……エイトの縄張りだって聞いてたし、ほんの数分なら平気かなって……あ、いやごめんなさい」
両手を挙げて言い訳を並べていると更にイサナの表情が険しくなったので素直に謝る事にした、いくら訓練を積んだとはいえこの海に潜る事を最初あれほど抵抗していた俺があっさり潜ってしまうとは……自分で自分に驚きだ、環境とはこれほど人を変えるものなのか。
「っ……はぁ、まぁ正直僕が手こずったせいでもあるから強くは言えないんだけどさ……でも今度からはちゃんと一言言ってからにしてよね、通信の同期もしてなかったでしょ?」
「ああ、俺もすっかり忘れてたよ。後はこれ、勝手にデバイス持って行って悪かった」
「そんなのはいいよ、予備もあるし……あ、ていうかシューゴの分も後であげるね?」
イサナのポケットから拝借したデバイスを返すと何でもない事とばかりに首を振って受け取ってポケットに戻した、気持ちは嬉しいが何だか合鍵を渡されるみたいで妙な気分だ。
「分かった、それじゃあスーツをどこかに置いておきたいんだけど……どこか空いてるところある? 無ければ最悪クローゼットとかでもいいけど」
「そんなびしょ濡れのスーツをクローゼットに入れたら他の服がカビだらけになっちゃうよ、良ければ僕に任せてくれる? いい場所がある」
それもそうかと思わず納得してしまった。今いる最上層は床が金属だし排水溝も点在しているからある程度濡れる事は想定してあるのだろうからいいが、近辺に服屋の無い現状で服をカビさせてはそれこそ死活問題になりかねない。
「重ね重ね悪い、ならコイツの保管場所はイサナに任せるよ」
「あ……うん、ホントにいいんだ」
「ん? どういう意味だ?」
スーツを手早く脱いでいるとイサナがぼそりと呟いた、意図が分からず俺が首を傾げていると苦笑したイサナが先に脱いで置いていたヘルメットを掲げて色々な角度で見始めた。
「これ……凄い速度だったでしょ? だから秘密兵器というか、機密事項というか……てっきりそういうのだと思ってたんだけど、違うの?」
「いやまぁ実際秘密兵器だし替えの利かない一張羅だけど……イサナの事は信用してるし、任せるよ」
「ふぅ、ん……これ、名前とかあるの?」
「ああ、トリトンスーツって言うんだ。両腕の金属チューブは酸素パイプとかじゃなくて、ウツボを撃ったトライデントっていう麻痺毒入りニードルガンのマガジンだから安全装置はあるけど不用意に触らないように気を付けてな」
「うへぇ、結構えげつない武器搭載してるんだね……分かったよ」
ぐしょぐしょに濡れたスーツを手渡すのは少々気が引けたがイサナは気にならないのか軽く畳みながら受け取ると一緒に昇降機に乗り込んだ。
いつもの部屋でいいのかとイサナに問い掛けると更に下の階層のボタンも押してくれと言われたので二つのボタンを押し込んだ。まだ行った事の無いその部屋はイサナ曰く作業部屋のような場所らしい、海鉄の加工などもその部屋でやっているらしく今度見せてあげるよと嬉しそうに笑っていた。
「俺は何をしたらいい? ウツボの下ごしらえとか、何か手伝える事あるか?」
「三メートル弱のウツボの? ふふ、それも僕がやっておくからシューゴはシャワーでも浴びて来なよ。短い時間だったとはいえ体は疲弊してる筈だよ」
「ん……分かった」
何か力になれる事があれば良かったが……無理に手伝ってもむしろ手間や時間を食うだけだろう、今の無力感をバネにここで出来る事を学んでいこうと昇降機を降りながら頭を切り替えると、背後からイサナに声を掛けられた。
「シューゴが来てから分かったんだけど、僕……結構世話を焼くのが好きみたいなんだ。だから変に気にしないでね? それと、スーツを着て助けに来た時は……ちょっと格好良かったよ」
完全に扉が閉まるまで目を見開いて昇降機の方を見つめ続け……脳がのぼせ上がる前に両頬を叩いてようやく正気を取り戻した、そうだまずはシャワーを浴びて……温まる前から熱を持った顔を誰にも見られない事だけがせめてもの救いか。
「……ああくそ、可愛いな」
最早隠しようの無い心からの好意が小さな音となって口から漏れだし、誰もいない部屋の中へと溶けていった。




