第38話 暗部の王国での調査
影の部隊長は部下たちに厳しく告げた。
「対象者との接触一切禁止、かつマリア様の名前も厳禁という命令が皇帝陛下から下った」
部下の一人は頭を抱えて答えた。
「それは我々暗部にとっても理不尽極まりない超絶難度の任務です」
部隊長は静かにうなずいて方針を示した。
「だから我々がたどり着いた結論は、人目を徹底的に忍び、執念の盗み聞きとゴミ漁り、そして噂の誘導による見えない情報網の構築だ」
部隊長はさらに具体的な指示を出した。
「直接口を割らせることができないなら、彼ら自身に勝手に喋らせるしかない」
影の者たちは王都の裏路地、貴族街の夜会、そして王宮の隅々にまるで本物の影のように溶け込んだ。工作員たちはカスティリャ王国中を駆け巡るあらゆる噂話や不穏な秘密を回収し始めた。
真夜中の王宮の裏手。工作員たちは月明かりすら届かぬ廃棄場で、捨てられた大量の書類屑の中から不自然に破棄された古い人事記録や予算の帳簿を、無言のまま手品のような手付きで復元していた。
王宮の回廊の暗がりで、見回りの目を盗んだ使用人二人がひそひそと声を交わしていた。
「聞いたか。最近、上の人たちの様子がすごくおかしくないか」
「結界の自然修復の件だろ。国王陛下も宰相様も、原因がさっぱり分からなくてピリピリしていらっしゃる」
「それだけじゃないよ。5年前の、侯爵家の先妻のお嬢様の件あるでしょ。無能力者だから森に捨てたと聞いてたけど、最近になって上の連中が本当にあれで合っていたのかと、やけに怯え始めてるんだってさ」
「まさか。本当は別の理由があったわけか」
影の工作員は天井裏から音もなくその会話を盗み聞きした。工作員は手元の暗号手帳にペンを走らせて心の中でつぶやく。
(王室や側近たちの間でも、無能力者追放という公式の建前が実は嘘だったのではないかと、今更になって恐怖と疑念が広がっているな)
一方、高級酒の香りが漂う貴族邸のテラス。影の部隊は窓の隙間に完全に気配を消して張り付いた。
酔った貴族たちは下世話で怯えた話し声を交わしていた。
「聞いたか。最近、我が国を襲っていた天変地異がピタリと止まったのは、我々が禁忌の森に追放した、侯爵家の娘のせいじゃないかって噂があるぞ」
「馬鹿野郎。声を低くしろ。レオン殿下の耳に入ったらどうするんだ」
「だが、考えてもみろよ。少女の魔力は当時から規格外だったって言うじゃないか。無能力なんてのは、レオン殿下の婚約者であるソフィア様を正妃にするために仕組まれた言い訳で、本当は底知れぬ魔力を恐れて追い出しただけだろ。もしそれが本当なら、今頃あっちから報復が来たらおしまいだぞ」
「やめろ。縁起でもない」
影の工作員は冷や汗を流しながら震える貴族たちの姿を冷ややかに見据えながら静かに頷いた。工作員は状況を分析した。
(ターゲットに直接接触しなくとも、市井や貴族の間で勝手に追放の本当の理由と、レオン一派の保身に関する噂がジワジワと広がり始めている。なるほど、陛下の噂話を足しながら探れという真意はこれか)
帝国側の暗部たちは接触禁止の鉄則を完璧に守りつつ、巧妙に別のそれらしい噂の断片を酒場や市場であちこちにばら撒いていった。彼らはカスティリャ王国の人々が自ら勝手に過去の悪事を暴き、恐怖でパニックを起こしていくように仕向けたのである。
街の男たちは道端でささやいた。
「侯爵家が、かつて捨てた娘の祟りで破滅しかけているらしいぞ」
「王室の連中がひた隠しにしている秘密文書があるらしい」
カスティリャ王国中が勝手に疑心暗鬼に陥り、自らの過去の罪の重さに耐え切れず勝手に崩壊していく。影の者たちが直接尋問せずとも、カスティリャ王国自らが勝手に怯え、内部から崩れて自滅していくカウントダウンは、こうして静かに、しかし確実に進んでいくのだった。
カスティリャ王国の貴族社会や王宮内は、自分たちが過去に犯した罪の影と、捨てた少女の本当の魔力を巡る不気味な噂にじわじわと蝕まれていく。そんな中、帝国の影の調査部隊はさらなる指令の通り、因縁の侯爵家と市井の動向へと情報網を広げていた。
かつて我が物顔で権勢を振るっていた侯爵家の本邸。影の調査部隊はその豪奢な建物の周囲に、まるで危険な怪物を檻の中に閉じ込めるかのように音もなく張り込んでいた。直接踏み込むことは禁じられているため、工作員たちは高い塀の外や光の届かない暗がりの樹上に身を潜めた。工作員たちは風に乗って漏れ聞こえる声や、窓明かりを横切る使用人たちの慌ただしい動きを徹底的に観察する。
裏口の暗がりで、使用人同士がすれ違いざまに青ざめた会話を交わす。
「旦那様のご機嫌はどうだ」
「最悪さ。夜な夜なうなされて、あの子が帰ってくる、化け物が来るぞって錯乱して叫んでいらっしゃる。領地からの税収も底をつきかけているのに、上の者たちからは余計な動きをするなと口止めされるばかりで、誰もまともに眠れていないんだ」
表向きこそ貴族としての矜持を保ち気丈に振る舞っているものの、内側から確実に腐り始めていた。無能力者と侮って無慈悲に捨てた少女が、実は国を滅ぼしかねないほどの底知れぬ魔力を秘めていたこと、その秘密がいつ自分たちの首を絞めるか分からないという見えない恐怖に蝕まれていたのだ。工作員は闇の中で無言のままその様子を暗号手帳に書き留め、冷ややかに鼻を鳴らす。
(直接手を下さずとも、自分たちが犯した罪の自責と身勝手な恐怖だけで、勝手に自滅していくな。これが、陛下の狙い通りというわけか)
一方、王都の賑やかな市場や薄暗い路地の酒場では、帝国の影の工作員たちが巧妙に仕掛けた噂の断片が、まるで乾いた草木に広がる野火のように人々の口から口へと伝わっていた。
エールを煽っていた男たちは身を寄せ合って声を潜める。
「お前、変な噂を聞かないか」
「変な噂って。また天変地異の話か」
「いや、そうじゃない。5年前にお取り潰し寸前だったあの侯爵家が、秘密裏にとんでもない大罪を犯したって話さ。当時の先妻の娘さんを、自分の出世といまの奥方のために生きたまま森に捨てたんだと。しかも、その娘さんはただの子どもじゃなくて、国の一つや二つ簡単に吹き飛ばせるほどの本物の奇跡の力の持ち主だったらしいぞ」
「なんだって。じゃあ、最近まで続いたあの恐ろしい異変も、その娘さんの怒りだったってことか」
「かもな。王室や侯爵家はそれを隠そうと必死らしいが、天罰はもうすぐそこまで来てるって噂だぜ」
民衆の間に広がる恐怖と好奇心に満ちた噂話は、日を追うごとに尾ひれをつけ、カスティリャ王国全域を覆う黒い雲のようになっていく。追放された少女の現在の居場所や、帝国の暗部が裏で暗躍している事実に気づいている者は誰もいない。カスティリャ王国全体が、自分たちが犯した理不尽な過去の影に怯え、勝手にパニックと疑心暗鬼の渦へと飲み込まれていくのだった。
影の調査部隊は、崩壊の兆しと十分な証拠を完璧に確認すると、誰にも気づかれることなく影から影へと身を隠し、極秘の報告を帝都へと持ち帰る準備に入った。




