右腕の熱と、薬師の到着予告
【右腕の熱と、薬師の到着予告】
夕方。安宿に戻った。
シオンが台所で夕食の準備をしている。今夜は——彼が言うには——「肉と豆の煮込み」。香草とトマトのスープ仕立て。新メニュー。
あたしは部屋で、3冊のノートを並べていた。
1冊目:データ集計用。エルドヴァレスのフィルター指標。
2冊目:素材リスト。恒久封印の必要物資。
3冊目:個人観察ノート。
3冊目を開いた。
今日、新しく書き込んだ項目。
「シオン、ふらつき。リィナも気づく。本人否認。紋様後遺症の可能性、高い」
ペンを置いた。
夕食を食べた。シオンの肉と豆の煮込みは——うまかった。トマトの酸味と肉の旨味。香草の香りが立っている。
でも、シオンの食べる量が——いつもより少なかった。
「シオン。食欲ない?」
「いえ、普通です。——ちょっと今日は」
「ちょっと、何」
「ちょっと——疲れたみたいで。早く寝ます」
シオンが立ち上がって、片付けを始めた。あたしも手伝った。
いつもより、洗い物の手の動きが——わずかに遅い。
部屋に戻る前、廊下でシオンが言った。
「イグリットさん」
「何」
「ありがとうございます。——今日も、いっぱい」
「いっぱい、何」
「いろいろ。話してくれて。一緒にいてくれて」
「——あたしも、ありがとう。あなたの料理」
「えへへ」
シオンの太陽みたいな笑顔。今日は——少し疲れた色が混じっている。
部屋に戻った。あたしのベッドに座って、ノートをまた開いた。
書こうとして、書けない。
シオンは何を抱えているのか。
あたしの計算には、まだ全部の変数が入っていない。
薄壁の向こうで、シオンが寝る準備をしている音。布団がめくれる音。ろうそくを消す音。
しばらくして——静かになった。寝息が聞こえてくるはずだった。
でも、寝息より先に——別の音が聞こえた。
布が擦れる音。シオンが、何かを——確認している音。
しばらく耳を澄ました。
シオンが、右腕の布をめくっている。
あたしは、自分の右の耳を壁に近づけた。
シオンの呼吸が、ほんの少し、不規則だった。
しばらくして——シオンが小さく、誰にも聞こえないように、呟いた。
「……また、熱が」
あたしの胸の奥が、冷たくなった。
——最近、たまに。シオンが今日リィナに言った言葉。それは——ふらつきのことだけじゃない。
壁の向こうで、シオンが寝息を立てるまで、しばらく時間がかかった。
あたしは——指輪をはめた左手で、壁にそっと触れた。
壁の向こうにいる相手に、何も言わない。今は何も言わない。
でも、知った。
明日、ギルドからの追加連絡があった。
派遣される薬師の名前と到着予定。
「ニーヴ=ナハトローゼ。銀ランク。戦場薬師。明後日到着予定」
戦場薬師。
その単語が、あたしの中で響いた。
変数が、また増える。
今度は——計算外じゃない方の。
そう願いたい。
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