廊下の残響と、レイゼルの選択
【廊下の残響と、レイゼルの選択】
公聴会の後。
ギルド本部の廊下で、レイゼルが立っていた。
壁に背を預けて。疲れた顔で。
「——イグリット」
「レイゼル部長」
「もう部長じゃない。——たぶん、すぐに」
あたしは足を止めた。
「辞任するんですか」
「冒険者2名の死亡の責任調査。——あの判を押したのは俺の手だ。責任を取る」
レイゼルの目は——澄んでいた。広場で会った時よりも。
「ヴァルディスは——逃げるでしょうね」
「盟主は政治家だ。逃げ道を持っている。俺は——持っていない。持つ必要もない」
あたしはレイゼルを見た。
この男を——嫌いだった。報告書を握り潰した男。あの日、目を逸らした男。
でも——今、目を逸らしていないこの男を、嫌いでいることが難しくなっている。
「レイゼル。——1つ聞いていいですか」
「何だ」
「報告書を受理していたら——2人は死ななかったと思いますか」
レイゼルが長い沈黙の後、答えた。
「思う。——毎日思っている」
「わたしも——考えます。辞めなかったら、と」
「おまえの責任じゃない。それは——確かだ」
「でも、考えます」
「……そうか」
2人で廊下に立っていた。ギルド本部の白い壁。窓から差し込む午後の光。
「イグリット。——1つだけ忠告する」
「もう忠告は受けました」
「最後の忠告だ。ヴァルディスは——追い詰められると、予想外のことをする男だ。今回の公聴会で——プライドが傷ついている。金ランクの冒険者を動かしてくる可能性がある」
「わたしが対処します」
「1人でか」
「1人じゃない。——パートナーがいる」
レイゼルが微かに笑った。初めて見る笑顔だった。
「あの少年か。——いい目をしていた」
「目だけは一人前です」
「おまえが守れ。おまえしかいない」
「守ります」
レイゼルが背を壁から離した。
「元気でな。——銅ランクの小さな厄災」
「小さいは余計」
レイゼルが去った。
あたしは廊下に1人で立っていた。
3ヶ月前、この男に報告書を握り潰された。あの日から始まった。脱退。下層への引っ越し。シオンとの出会い。
あの報告書が受理されていたら——あたしはまだアウレクスにいた。シオンとは出会わなかった。リィナとも。ゴルドとも。トルテばあちゃんの煮込みも知らなかった。
握り潰されたことが——「きっかけ」だった。合理では説明できない因果。
計算に組み込めない変数。損得の符号で評価できない出来事の連鎖。
それが、あたしの人生を動かしている。最初から。ずっと。
階段を降りた。下層に戻った。
冒険者街の空気。焼き肉と香辛料の匂い。喧騒。
シオンが安宿の前で待っていた。リィナと一緒に。
「イグリットさん! どうでした?」
「終わった。アウレクスのデータが開示される。ギルドが動く。——全部、うまくいった」
「やった——!」
シオンが両手を上げた。リィナがシオンの背中を叩いた。
「よくやったな、イグリット」
「あたし1人じゃない。あなたたちのデータが——」
「はいはい。素直に褒められろ」
あたしは口をつぐんだ。素直に褒められることが——まだ、苦手だ。
「——夕飯、食べよう。シオンの奢りで」
「え!? 僕の——」
「冗談。——あたしが奢る。今日くらいは」
シオンとリィナが同時に「おお」と言った。
「イグリットが奢るとか、明日雪でも降るんじゃねぇか」
「うるさい。次はない」
3人で食堂に入った。定食を3つ頼んだ。
あたしが奢った。1500レイド。安い出費だ。3ヶ月間の戦いの打ち上げとしては——割に合う。
——割に合う。
その言葉の意味が、3ヶ月前とは変わっている。
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