復帰の打診と、古い文書
【復帰の打診と、古い文書】
シオンの安静3日目。
あたしはギルドの資料室にいた。シオンの紋様に関する手がかりを探して、古い文献を漁っている。
ギルドの資料室の最奥——普段は誰も触れない棚に、古代語で書かれた断片的な文書がある。翻訳の精度は低いが、いくつかの語句が引っかかった。
「漏出ニ適合セシ者」。
「根源エネルギー」。
あたしがこれまで曖昧に「深層の漏出」と呼んできたものに、古代語の正式名称があった——「根源エネルギー」。ダンジョンの最深部から放射される原初のエネルギー。フィルターはこれを濾過するために造られた装置。
そして「漏出ニ適合セシ者」——根源エネルギーに曝されて変異せず、人間の形を保った個体のこと。「適合体」。
記述は断片的だ。前後の文脈が欠損している。でも——シオンのことを指している。直感ではなく、データの一致。
資料室を出ようとした時、廊下に見知った顔があった。
レイゼル。
アウレクスの作戦部長。あたしの報告書を直接握り潰した男。白髪交じりの壮年。
ギルド本部の廊下で、あたしを待ち伏せしている。
「イグリット。——少し」
「用件を」
「復帰の打診だ。条件は変えた。金ランク復帰。専用の調査室と情報アクセス権。報酬は——」
「断ります」
「聞いてからにしろ」
「聞く必要がない。信用できない組織に戻る判断は——ありません」
レイゼルが目を伏せた。この男は——ヴァルディスとは違う。隠すのが下手だ。目を逸らすことでしか罪悪感を処理できない。
「……おまえの報告書を握り潰したのは、俺だ。それは認める」
「知ってます。3回とも」
「3回目の時——反対した。ヴァルディスに。だが、俺の声では覆せなかった」
「結果は同じです」
レイゼルが封筒を差し出した。あたしは受け取らなかった。
「3日以内に返答を。封筒はここに置いておく」
レイゼルが去った。封筒が廊下の窓枠に残った。
あたしは——3秒考えて、封筒を取った。中身を読む義理はない。でも、データは多い方がいい。アウレクスが何を提示してくるかは、向こうの焦りの度合いを測る指標になる。
安宿に戻った。シオンの部屋に寄った。
シオンが起きていた。枕元に手帳を広げて、掲示板の依頼記録を整理している。安静中でもデータ収集を止めない。
「イグリットさん、今日のギルドの掲示板——」
「後で。先に、1つ聞いていい?」
「はい」
「あなたの紋様について——話したいことがある」
シオンの手が止まった。手帳を閉じた。
「昨日——言いかけて、やめたこと」
「……はい」
「資料室で、古い文書を見つけた。『漏出ニ適合セシ者』という言葉。根源エネルギーの漏出に曝されて、変異せずに人間の形を保った存在のことを指すらしい」
シオンの表情が硬くなった。
「あなたの母親は、ダンジョンの中層で働いていた。根源エネルギーに近い環境で、長期間。——その影響があなたに及んだ可能性がある」
「影響——」
「あなたの紋様は、根源エネルギーが身体に定着したものかもしれない。だから布の蒼鉛石が遮蔽になる。だから深層種が怯える。同じ系統のエネルギーだから」
シオンが右腕の布を握った。
「母さんが——原因なんですか」
「原因じゃない。あなたの母親は何も悪くない。ダンジョンで働いていただけ。被曝も偶然の結果。あなたの紋様も——偶然」
「偶然——」
「偶然。意図されたものじゃない。——あなたの母親は、息子を守るために布を作った。それだけ」
シオンが黙った。長い沈黙。
あたしは何も言わなかった。この沈黙は、シオンのものだ。あたしが埋める場所ではない。
「……ありがとうございます。教えてくれて」
「まだ推測。確証は——」
「でも、イグリットさんが調べてくれた。僕1人じゃ——何もわからなかった」
シオンが笑った。弱い笑顔。でも——目の曇りが、昨日より少しだけ薄い。
「もう1つ、伝えておく」
「はい」
「今日、アウレクスの作戦部長が来た。ギルドの廊下で待ち伏せされた。——復帰の打診」
シオンの顔が硬くなった。
「3日以内に返答、と言われた。断るつもり。でも、あなたに関わる話だから——隠さない」
「僕に……」
「今のアウレクスは、あなたのような『適合体』を探してる。あたしが戻れば、あなたとの接点が見える。その判断は——させない」
シオンが頷いた。短く、でもはっきりと。
「続きは——回復してから話す。今は休んで」
「はい」
部屋を出た。
廊下で、レイゼルの封筒をポーチから出した。開けた。
条件は破格だった。金ランク復帰。専用調査室。情報アクセス権。報酬は月額——桁が1つ違う。
全部読んで、封筒に戻して、ポーチにしまった。
答えは——0.3秒で出ている。シオンに紋様の話をした時と同じ速度で。
あの少年が「教えてくれてありがとうございます」と言った。
あたしの計算が、誰かの役に立っている。肩書きではなく、あたし自身の力で。
それが——あたしがここにいる理由だ。アウレクスの月給では買えない理由。
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