目撃報告と、ギルドの重い腰
【目撃報告と、ギルドの重い腰】
翌日。
報告書を書いてギルドに提出した。灰角獣の目撃報告と、第5階の状況報告。窓口ではなく、2階の調査報告窓口に出した。前回と同じ初老の職員。
「——銅ランクで中層種を至近距離で目撃。50メートル以内に接近して確認、ですか」
「はい。体長3メートル。灰黒色の体表、角2本。起きて活動中でした。爪痕の位置と深さから推定される個体サイズ、魔力残滓の分析結果も添付しています」
「戦闘は」
「していません。偵察のため接近し、データを取って撤退しました」
偵察して、撤退した。事実だ。事実だが——。
「もう1体については」
「生存を推定しています。加えて、第5階最奥にさらに大型の存在がいる可能性があります。灰角獣がそれに追い立てられて第4階に移動している」
職員がペンを止めた。あたしの顔を見た。
「……これだけの精度の報告は、正直なところ銀ランクの調査隊でも出せないものです。銅ランクのソロでここまで——」
「データは正確です。報告の価値は、ランクではなく中身で判断してください」
職員が頷いた。
「至急、上に回します」
討伐報酬はない。倒していないのだから当然だ。
倒せたかもしれないのに——。その思考を打ち切った。後悔は非合理だ。制御を失いかけた状態で戦闘するリスクは、撤退のリスクより高かった。正しい判断だ。
正しかったことと、悔しいことは——両立する。
職員が書類を1枚出した。
「薄暮の針、というパーティから、第4階での灰角獣遭遇と負傷の報告が出ています。あなたの目撃報告と合わせて、ギルドとして対応を検討する段階に入ります」
リィナの報告が効いた。パーティの負傷報告と、個人の精密な目撃データが同時に出たことで、ギルドも無視できなくなった。
遅い。でも、動いた。
1階に降りると、掲示板に新しい告知が出ていた。
「第5階東側区域——進入制限。銀ランク以上の冒険者のみ許可。期間未定」
進入制限。前回の「注意警告」から1段階上がった。
隣に、もう1枚。
「第5階巡回強化依頼——銀ランク以上。報酬5000レイド。期間:1週間」
リィナが包帯を巻いた腕で、掲示板の前に立っていた。
「おっ。動いたな。アタシの血が役に立ったか」
「あなたの血というより、あたしの報告書との合わせ技」
「あんたの報告、すげえ詳しかったらしいな。窓口のやつが驚いてた」
「データを出しただけ」
リィナがあたしの顔をじっと見た。斥候の目。
「それだけか?」
「何が」
「昨日、兄ちゃん——シオンがアタシのとこに来たよ。『イグリットさんの様子がおかしかった。何があったか知ってますか』って」
「……あの子は」
「あんたのことが心配なんだよ。アタシの怪我より先にあんたのこと聞いてきたぞ。すげえな」
あたしは何も言わなかった。
「ま、あんたが話したくないことは聞かない。アタシは斥候だからな。嗅ぎ回りたいけど——嗅いじゃいけない線もある」
リィナが包帯の腕をひらひら振って、去っていった。
あたしは掲示板の前に立っていた。
銀ランクへの昇格試験。2ヶ月後。それまでに——できることをやる。データを積む。報告を積む。
そして——次に灰角獣と出会った時は、逃げない。制御する。撃つ。
ギルドを動かすには、個人の力では足りない。でも、積み重ねれば——。
シオンが1階の受付から出てきた。荷運び依頼を終えたらしい。背負い袋が空になっている。あたしを見つけて、ぱっと顔が明るくなった。
「イグリットさん! 今日は大丈夫ですか?」
「大丈夫。——昨日は悪かった。すっぽかして」
「いえ。それより——お昼、行きませんか」
あたしは一瞬、断ろうとした。報告書の続きを書きたい。データの整理もある。
でも——昨日のことを思い出した。震えが止まった食堂の時間。
「……行く」
シオンが笑った。太陽。今日は晴れだから、本物の太陽と同じ角度で目に入る。眩しい。
食堂に向かいながら、シオンが言った。
「あの——リィナさん、怪我大丈夫でしたか?」
「大丈夫。斥候は丈夫にできてる」
「よかった。——イグリットさんも、無理しないでくださいね」
「あたしは無理してない」
「してます。昨日の顔、すごく疲れてました。戦闘の疲れだけじゃない顔でした」
あたしは黙った。
この少年は——見ている。あたしが隠そうとするものを、正面から見ている。聞かないだけで。
「……ご飯食べたら元気になる。あなたが昨日証明した」
「僕は何もしてないです。一緒に食べただけです」
「それが——」
言いかけて、やめた。
「それが良かった」と言おうとした。言ったら、計算から外れる。もう外れているが。
食堂のドアを開けた。いつもの隅の席。いつもの定食。
いつもと同じ。でも、同じであることが——今は、少しだけ安心する。
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