表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「割に合わないので、辞めます。」 ——元金ランクの天才魔道士、全部計算で解決したかったのに計算外の相棒ができました——  作者: わんだ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/38

消えない震えと、段ボールの味

【消えない震えと、段ボールの味】


 ダンジョンを出た。午後の光が目に痛い。

 ギルドの窓口で灰角獣の目撃を報告した。第5階東側、空白区画の最奥。体長3メートル、灰黒色、角2本。起きて活動中。


「あの——直接ご覧になったんですか?」

「50メートルの距離から。こちらには来なかった」

「戦闘は」

「していません。偵察のみです」


 偵察のみ。

 嘘ではない。結果的に、戦闘はしていない。1発も撃っていない。

 ——撃てなかった、と言うべきだ。正確には。


「……報告は受理します。灰角獣が第5階に出現していること、別途調査報告書にもまとめていただけますか」


「書きます」


 報告書は明日書こう。今は——手が震えている。

 戦闘で消耗したわけではない。魔力はほとんど使っていない。震えているのは、あのフラッシュバックの残響だ。8年前の映像が、まだ頭の裏に貼りついている。

 ギルドを出た。安宿に向かう。足が重い。


 安宿の前に着いた。

 鍵を出そうとして——気づいた。扉の横に、人影がある。


 シオンが立っていた。


 あ、と思った。今日は訓練の日だ。昼食を一緒に食べる約束だった。あたしがダンジョンに急行して、全部すっぽかした。

 シオンがこちらを見た。笑顔が浮かびかけて——消えた。


「——イグリットさん。何かあったんですか」


 あたしの顔色が悪いのだろう。リィナの血の匂いが服についているかもしれない。


「ダンジョンで、少し——消耗した」


 嘘ではない。全部ではないが。


 シオンは追及しなかった。あたしの顔を見て、何かを判断して、別のことを聞いた。


「ご飯、食べましたか」


「……段ボール味の干し肉バーを1本」


 シオンの表情が、困惑から絶句に変わった。


「それは——ご飯じゃないです」

「カロリーは摂取した」

「カロリーの問題じゃないです」


 シオンがあたしの手首を掴んだ。引っ張られる。食堂に向かって。


「ちょっと——」

「行きますよ。ちゃんとしたご飯を食べてください」


 力が強い。訓練の成果が、こんなところで発揮されている。あたしを引きずるために使うな。


 食堂に入った。夕方の閑散とした時間帯。隅の席に座らされた。

 シオンが受付で定食を2つ頼んだ。あたしの分の副菜も追加している。


「頼んでない」

「頼んでなくても必要です。イグリットさん、放っとくと干し肉だけで1週間生きるでしょ」


 否定できない。アウレクスを辞めた直後の1ヶ月は、実際にそうだった。


 定食が来た。粗挽き肉の焼き物。豆のスープ。硬いパン。副菜は青菜の炒め物と、根菜の酢漬け。

 いつもの味だ。下層の飯。安いが量がある。


 シオンが「いただきます」と手を合わせた。あたしは無言で肉にかじりついた。

 噛んで、飲み込む。2口目。3口目。

 味がする。段ボールじゃない。肉の味。油の焦げ。胡椒。


 シオンは何も聞かない。

 なぜダンジョンに行ったのか。なぜ顔色が悪いのか。なぜ手が震えているのか。

 1つも聞かない。ただ、向かいに座って、同じ速度で食べている。


 あたしが話さないと決めたことを、無理に聞こうとしない。

 リィナなら嗅ぎ回る。アウレクスの連中なら情報として利用する。

 シオンは——ただ、隣にいる。


 食事が終わる頃、震えが止まっていた。

 いつ止まったか、わからない。肉を食べている間か。スープを啜っている間か。シオンが何も聞かずにいてくれた、その沈黙の間か。


「——ありがとう」


 口から出た。計算にない言葉。2回目——いや、3回目か。数えていないが、前より自然に出た。


 シオンが驚いた顔をして——それから笑った。

 太陽。

 今日は曇り空だったはずだが。


「また明日、訓練しましょう。今日の分」

「……うん」


 安宿に戻った。ベッドに倒れた。

 天井の染み。7つ。


 灰角獣は倒せたかもしれない。五分五分でも、地形の利があった。

 なのに——あたしは1発も撃たなかった。フラッシュバックが来た瞬間、自分で魔力を消した。

 正しい判断だ。制御を失いかけた状態で撃てば、何が起きるかわからない。撤退は合理的だった。

 ——合理的だったはずなのに、悔しい。


 あたしは——いつかこの少年にも、あの日のことを話す日が来るのだろうか。

 話すべきなのか。話したら——どうなる。


 あたしを「小さな厄災」の本当の意味で見る目。

 あの太陽みたいな笑顔が、曇る目に変わったら。


 ……考えるのはやめよう。

 今日は寝る。明日、訓練の分を取り戻す。報告書も書く。

 やることがあるうちは、考えなくていい。


 目を閉じた。

 左手の指輪が、まだ少しだけ温かい。


毎日更新継続中。明日も同時刻に。


読者の皆様からの評価・ブクマという「報酬」が、執筆効率を劇的に跳ね上げます。

下にある☆☆☆☆☆のタップは、この物語への最も効率的な投資です。ぜひ支援をお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ