祖父の手記と、変異種の結晶
【祖父の手記と、変異種の結晶】
安宿に着いた。
安宿のおやじが、ミクトの部屋を確保していた。あたしたちの部屋から、廊下を1つ挟んだ向かい。
「狭いな。でも、十分だ」
ミクトが、部屋の中を見回して、頷いた。
持ってきた荷物——大きな革袋と、背中の鍛冶道具——を、ベッドの脇に置いた。
「装備、後で見せて」
あたしが言った。
「ああ、それな。ちょっと話があるんだが——4人で集まれるか?」
「うちの部屋、来る?」
ニーヴが提案した。
あたしの部屋は狭い。ニーヴの部屋は——薬瓶整理のスペースを除いても、4人座れる広さがある。
4人で、ニーヴの部屋に移動した。
ミクトが、革袋から、古い革装丁の手帳を取り出した。
黒く変色した表紙。角が擦り切れている。
「これ、俺の祖父——ヴィルヘルムの手記だ。10年前に祖父が深層に行ったきり戻ってこなくて、これだけが残された」
ミクトの声が、少し低くなった。
「祖父は『深層鍛冶』って異名で呼ばれてた、深層鉱物を扱える数少ない鍛冶師だ。この手記には、その技術の断片が書かれてる」
あたしは、その手帳を、近づいて見た。
古い紙。インクが薄くなっている部分もある。表紙には何も書かれていない。
「読める?」
「半分くらいは、俺も解読できてる。残りは——暗号混じりだ。祖父が、誰にも読まれないように仕掛けてる」
「なぜ、それを今、見せた」
「あんたの指輪を見たいから」
ミクトが、まっすぐ言った。
あたしは、左手の薬指を見た。
黒い指輪。
「俺の祖父の手記の中に、こういう一節がある——『師匠が最後に作った作品は、ある少女のための圧縮装置。指輪型』」
あたしの心臓が、一拍、強く打った。
「師匠?」
「祖父の師匠だ。名前は不明。手記の中では『師』としか書かれてない。祖父も詳しいことは書き残してない」
ミクトが、あたしの指輪を、見ていた。
まっすぐに。だが、まだ触ろうとはしない。
「あんたの指輪を、見せてもらえるか? 外す必要はない。じっくり観察したいだけだ」
あたしは、考えた。
計算上、リスクは低い。ミクトは技術顧問として正式登録された。ニーヴが知り合いと保証している。
そして——指輪の謎が解ければ、計算外の変数が、1つ減る。
「いい」
あたしは、左手をミクトの方に差し出した。
ミクトが、慎重に、指輪を観察した。指で触れる前に、目で。
ルーペを取り出して、何分か、見ていた。
その間、シオンとニーヴと、あたしは、黙って待った。
ようやく、ミクトが顔を上げた。
「——間違いない。祖父の師匠の作品だ」
「根拠は」
「合金の組成。表面の刻印の彫り方。深層鉱物の精製度。——祖父の手記に書かれた『師の技法』と一致する。それも、こんなレベルで作れる人間は、たぶん、もう、この世にいない」
あたしは、自分の指輪を、見た。
8年間ずっと、薬指にあったもの。
それが、ヘルムガルドの鍛冶師ヴィルヘルムの、そのまた師匠の作品だった。
「師匠の名前——本当に、わからない?」
「わからない。けど、手がかりは、ある。手記の暗号部分が解ければ、出てくる可能性は高い」
「解ける見込みは」
「俺の知識だけでは、難しい。でも、エルドヴァレスのダンジョンで、もしかしたら手記の他の部分が解ける可能性がある。古代の刻印を直接見られるなら」
あたしの中で、計算が組み立てられていく。
ミクトの祖父——ヴィルヘルム=マルヴェルン。
その師——名前不明、深層鉱物の鍛冶師、あたしの指輪の作者。
ミクトの加入は、偶然じゃない。少なくとも、半分は。
ニーヴが、横で言った。
「ミクト。あんた、それ知ってて、こっち来たんか?」
「いや。来てから、確証を得た。最初は『あの合金を扱える人間と接触したい』程度の動機だった」
ミクトの目が、誠実だった。
計算で嘘をついている目じゃない。
「分かった。手記の解読、協力できる範囲で協力する」
「助かる」
ミクトが、頷いた。
会話が落ち着いたところで、あたしは、ポーチから小さな袋を出した。
「ミクト。これを見てほしい」
「何だ?」
「昨日、第5階で倒した変異種の素材」
袋の中身を、ニーヴの机に出した。
爪の一部、皮膚の一部、内臓の一部。
ミクトが、ルーペで観察した。
「これ——古代鉱物に似てる」
「古代鉱物?」
「祖父の手記に出てくる、深層鉱物の前段階の物質。根源エネルギーが、地下の鉱物層に作用して生じる、結晶化現象の一種だ」
「変異種の組成と、それが似てる?」
「似てる。完全に同じじゃないが、構造の一部が共通している。——興味深い」
ニーヴが、横で頷いた。
「うちが解剖学的に出した結論と、ミクトが鉱物学的に出した結論——両方が、同じ方向を指しとる。変異種は、根源エネルギーが地下水脈や鉱物層と反応して生まれた、新しい生命体や」
あたしの中で、計算が、もう一段、進んだ。
変異種、古代鉱物、指輪の合金、祖父の手記、根源エネルギー。
全部が——たぶん、同じ系統に繋がる。
「ミクト。装備調整、どれくらいかかる」
「シオンの剣を打ち直すのと、俺自身の道具のメンテナンス——2、3日くらいだな」
「分かった。その間、あたしたちは別のことを進める。明後日、村への定期便がある」
「俺は留守番。それでいい」
計画が、組み上がった。
ミクトの本格合流は——3日後あたりから。
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