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「割に合わないので、辞めます。」 ——元金ランクの天才魔道士、全部計算で解決したかったのに計算外の相棒ができました——  作者: わんだ


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金ランクの辞表

【金ランクの辞表】


「割に合わないので、辞めます」


 静まり返った会議室に、わたしの声だけが響いた。

 ——ああ、この沈黙。たまらないね。

 長テーブルの向こう側に並んだ煌盟アウレクスの幹部たちが、揃って石像みたいに固まっている。あたしの言葉が脳に届くまでに3秒、意味を理解するのにさらに5秒。合計8秒のフリーズ。効率が悪い人たちだ。

 盟主を含めて7人。この街で最も権力のある人間たちが、10代の小娘1人の発言に絶句している光景は、客観的に見てなかなか愉快だった。


「イグリット、今なんと——」

「聞こえなかった? 辞めます。脱退届はもう出してある」


 盟主ヴァルディスが椅子の肘掛けを握りしめた。この街——ダンジョン都市エルドヴァレスで最大の盟約を束ねる男にしては、ずいぶん動揺が顔に出る。まあ無理もない。金ランクの魔道士が自分から抜けるなんて、この盟約の100年の歴史で初めてだろうから。

 ちなみに盟約というのは、この街の冒険者が組む公認の組織のことだ。ギルドに登録して、ダンジョンに潜って、魔物を倒して、素材を売って生計を立てる。それがこの街の経済であり、あたしたちの飯の種。で、煌盟アウレクスはその中で最大手。所属冒険者300名超、金ランク保持者が——あたしが抜けると11人になる。

 あたしを入れて12人だったのが、11人。たかが一人、と思うだろうか。


「待て。何が不満だ。報酬か。報酬なら——」

「報酬も不満ですけど、本質はそこじゃありません」


 あたしは腕を組んだ。左手の黒い指輪が、会議室の灯りを鈍く吸い込む。この指輪についてはまあ、おいおい話すことになるだろう。今はただの古い指輪だと思ってくれていい。


「わたしの提出した深層調査報告、3回握り潰しましたよね」


 幹部の一人——作戦部長のレイゼルが目を逸らした。図星だ。白髪交じりの壮年の男が、17の小娘から目を逸らす。滑稽で、同時に腹立たしい。


「中層の魔物配置が変わってきてる。浅層にも深層種の気配がある。報告書にも全部書きました。数値データ付きで。わたしの腕の刻印が記録した魔力反応も添付しました。で、対応は?」

「……検討中だ」

「3ヶ月、ずっと検討中。その間に冒険者が2人死んだ」


 刻印——腕に浮かぶ紋様だ。ダンジョンで魔物を倒すたびに勝手に数値が更新される。冒険者の強さの証明書であり、身分証であり、嘘をつかない記録装置。あたしの左腕にも刻まれているが、あたしの場合は——まあ、それもおいおい。


 沈黙が落ちた。今度の沈黙はさっきと種類が違う。重い。

 あたしは別に正義の味方じゃない。死んだ冒険者に個人的な感情があるわけでもない。ただ、報告を上げた問題が放置されて、その結果人が死ぬのを見ているのは——なんというか、合理的じゃない。対処できる問題を放置するのは、あたしの性分に合わないのだ。

 損失は最小限に抑えるべき。それが合理というもの。


「イグリット=アシェンド」


 ヴァルディスが立ち上がった。盟主の威圧。この街で最も重い名前の一つ。身長180を超える大柄な男が、あたしを148センチの高さから見下ろす。

 普通の冒険者なら萎縮するところだろう。あたしは普通じゃないので、あくびを噛み殺した。


「お前の実力は認めている。だからこそ——」

「だからこそ、報告を握り潰したんでしょう」


 わたしはにっこり笑った。営業スマイル。取引先に見せるやつ。


「わたしが深層に潜りすぎるのが困る。わたしが余計なことに気づくのが困る。——違いますか?」


 ヴァルディスの目が一瞬、鋭くなった。

 ほんの一瞬だ。すぐにいつもの穏やかな表情に戻る。でも、あたしは見逃さない。数字と表情を読むのは得意なのだ。この4年間、帳簿の不整合と上司の嘘を同じ精度で見抜いてきた。


「……考えすぎだ」

「かもしれませんね」


 ——かもしれないし、かもしれなくないし。どっちにしろ付き合う義理はない。

 不確実な陰謀論に時間を使うより、確実に稼げるソロ活動に切り替える方が建設的だ。あたしは合理的な人間なのだから。


「最終的な意思確認だ。本当に辞めるのか」

「本当に辞めます」

「盟約を離れた場合、ギルドランクは実績精算で再評価される。金ランクの維持は——」

「無理でしょうね。個人実績だけなら銅まで落ちる。知ってます」


 幹部たちがざわめいた。金ランクから銅。冒険者にとっては社会的な死に等しい。受けられる依頼の質が変わる。報酬の上限が変わる。宿や店での扱いが変わる。

 ランクは下から鉄、銅、銀、金、白金、そしてこの街に数人しかいない災級。あたしは金から銅。2段階の転落だ。周りからすれば、崖から身を投げるようなものに見えるだろう。

 でも、あたしは計算済みだ。

 銅ランクのソロ依頼でも、あたしの処理速度なら1日に4件は回せる。素材の売却益も合わせれば、生活水準はそこまで落ちない。金ランクの肩書きに価値があったのは、アウレクスという看板があってこそだ。組織の看板で食う飯より、自分の腕で稼ぐ飯の方が——うん、まあ、安くても美味いだろう。

 あたし個人に必要なのは肩書きじゃなくて——現金だ。


「精算金の件ですが」


 あたしは脱退届の控えをテーブルに置いた。


「在籍4年分の報酬未払い分、経費立替分、深層素材の個人取得分の精算。合計でこれくらいになるはずです」


 数字を見たヴァルディスの顔色が変わった。ああ、気持ちいい。帳簿は嘘をつかない。あたしの4年分の働きは、この数字が証明してくれる。


「……この金額は」

「正確ですよ。わたし、計算だけは間違えないので」


 レイゼルが何か言いかけたが、ヴァルディスが手で制した。争っても無駄だと悟ったのだろう。実際、無駄だ。あたしはこの日のために帳簿のコピーを手元に残してある。合理的な人間は、退路を確保してから喧嘩を売る。


「……わかった。精算はギルド経由で処理する」

「ありがとうございます。手数料はそちら持ちで」


 踵を返した。

 4年間。長かったような、短かったような。この会議室の、磨き上げられた石の床と、高い天井と、窓から見える上層の街並み。全部見納めだ。

 感傷? ないよ。割に合わないものに執着する趣味はない。


 ——ないったら、ない。


 扉に手をかけた瞬間、背後からヴァルディスの声が聞こえた。


「後悔することになるぞ」


 振り返らずに答えた。


「後悔するのはそちらだと思いますけど」


 重い扉が閉まる。背中に、幹部たちのざわめきが一瞬だけ漏れて、すぐに遮断された。

 廊下は静かだった。

 足音だけが石壁に反響する。上層らしい、品のいい回廊。磨き抜かれた床に、あたしのブーツの汚れが場違いに映る。高い窓から差し込む陽光が、あたしの短い影を長く伸ばしている。

 この廊下を歩くのも、もう最後だ。

 4年前、13の時に初めてここを歩いた日のことは覚えている。足が震えていた。今は震えていない。その代わり——少しだけ、重い。


 ——あたしの名前はイグリット=アシェンド。

 職業、魔道士。特技、割に合わないことを断ること。

 今日をもって、この街最大の盟約をクビに。

 いや違う。自分から辞めたのだ。割に合わないから。


 それだけの話。


 ……なのに。


 合理的な理由は、特にない。


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