04
『まあ、自分の命に代えても守ろうとする相手がいるのだから、一人で自由になりたいわけではないのだろうな』
命に代えても守りたい相手? 何のことだろう?
『呆れたな。部屋の中身を戻そうとした時、抵抗があって魔力が尽きかけていただろう?
あのまま無理をしていたら、命が削られて今頃生きてはいまい』
そうだ、グリフォンが魔力を補充してくれたんだ。
「あの時は、大変お世話になりました」
『うむ。一目で我を惹き付けたお前だ。魔力の相性も良かったようだ』
偉そうに首を反らしたので、喉元を撫でてやると気持ちよさそうにしている。ここは、急所ではないのか?
「ただいま、グリちゃん。
ミルテ、起きたんだ。良かった」
デッキから荷物を抱えたレクスが入って来た。
「宿泊は断ったんだけど、食事の相談をしたら、いろいろ分けてくれた」
『我の分もあるか?』
「うん、ミートパイなんかどう?」
『どれ、食ってみるから出せ』
「はいはい」
ソファの前のテーブルに食事の用意をしてくれたレクスは、今の状況を説明してくれた。
「エーヴァウト騎士団長が、僕たちを賓客に指定してくれたので、要望があれば何でも言って欲しいってさ。ミルテはゆっくり休んでていいよ。
この家は、騎士団本部の上に隠蔽したまま浮かんでる。
僕らの居所に関しては、気にするなと命令してくれた」
「気にするな、で話が通るってすごいわね」
確かに、エーヴァウト様は堂々とした雰囲気が板についていて、カリスマ性も十分に見えたが。
「エーヴァウト団長は王弟殿下でもあるからね」
なるほど、納得した。
「明日はミルテの体調次第だけど、大丈夫そうなら事情聴取だ。
内々で処理すると言ってたから、面倒なことにはならないと思う。
僕らにとっては、だけど」
事故を引き起こした訪問団長は、この後、一生面倒なことになるのだろう。
「ところで、ミルテ」
レクスは姿勢を正して、私に向き直る。
「なあに?」
「まだ、具合悪そうだな。僕のせいだ。ごめん。
そして、助けてくれてありがとう。
僕は、この恩をどう返せばいいだろう?」
「いやね、友達でしょ? 助けるのは当たり前だわ」
本当にそうかな?
「友達みんなを全力で助けてたら、ミルテの身が持たないよ」
レクスは心配そうだ。
「大丈夫、他に友達いないし」
確かに友達はいないけど……。ただの知り合いだったら? いつも親切にしてくれる農場の親子だったら? ヨゼフィン様だけだったら? そこまで出来る?
「……そうじゃないわね。
私はレクスだから、無理しても助けたかったの。
他の人なら、きっと、ここまでは出来なかった」
「ミルテ?」
「私、レクスのいない人生なんて嫌よ。
今更、独りにしないで」
レクスが驚いている。私、変なこと言っているものね。こんな我が儘、聞くことないわ。たぶん、本心だけど。
急に恥ずかしくなって、ソファの上に膝を抱え上げ、身体を丸めた。レクスと目を合わせられない。情けない顔を見られたくない。
ソファの隣が急に沈んで、そちらへ転がりそうになった。丸めたまま傾いた身体を、大きな身体が包み込む。
「ミルテ、それプロポーズ?」
「何言ってるの? 引きこもり魔女の我が儘よ。
聞き流しなさいよ!」
「無理だ。その我が儘、すごく叶えたいもの」
レクスが、私のつむじに口づけを落とす。
『フルーツパイとやらも食べていいか?』
空気を読まないグリフォンが、話しかけてくる。もしかして、空気を読んだから話しかけたのかもしれない。
「駄目だよグリちゃん。それはミルテの分!」
「フルーツパイ、あるの?」
「うん、食べられそう?」
「食べたい」
「しっかり食べて、体力を戻そう。
それから、いろいろ話そう。急がなくていいんだ」
「うん」
グリフォンの呼び名が、なぜグリちゃんなのか、今は突っ込む元気もない。レクスの言う通り今は食べて、寝て、ちゃんと冷静になってから考えよう。
翌朝、目を覚ますと寝室のベッドで眠っていた。レクスが運んでくれたのだろう。身支度を整えて居間に入ると、レクスはもう起きていて、お茶の支度をしていた。
「おはよう」
「おはよう、ミルテ。 体調はどう?」
「魔力は満タン、とはいかないけど調子は悪くないわ。
昨夜はベッドに運んでくれたのね。ありがとう」
「淑女の寝室に無断で入って申し訳なかったけどね」
『我もいたから、大丈夫だ』
猫サイズのグリフォン、いやグリちゃんは食いしん坊の猫のようにテーブルに乗っている。
「今朝はフルーツをもらってきたよ。あとミルクも」
研究で缶詰からのレクス捜索だったので、食料庫がほぼ空だった。
「重ね重ね……」
レクスはいつもの笑顔で応えてくれる。
かろうじて残っていたビスケットとミルクティー、レクスがカットしてくれたフルーツで朝食になった。
『我のフルーツボウルにビスケットを入れてくれ』
レクスがそれに応じて、ビスケットを割り入れる。
「もしかして、昨夜のフルーツパイ、まだ根に持ってる?」
『……根には持っていないが、大いに興味がある』
「私が元気になったら、美味しいフルーツパイ調達してくるわ」
『うむ。楽しみにしておく』
ビスケット入りフルーツボウルを、グリちゃんがあまりに美味しそうに食べるので、私も真似してみた。
「あ、美味しい」
そういえば、このビスケットもレクスが持ってきてくれたやつだ。
「レクスの持ってきてくれるものは、絶対美味しいよね」
レクスはなぜか苦笑い。なんだろう?
「研修生の時、ミルテは魔術に夢中になって食事なんかは後回しにしてだろ?」
「うん、そうね」
「今は、農場に出入りしてるし、時間の余裕もあってまともに食べてるとは思うんだけど。
つい、研修生の時の癖でさ」
レクスの説明によれば、私は研究に没頭して食事の心配なんてしないから、自分の分を用意するついでに、私の分も買ってきてくれていたという。そういえば研究中、あんまり空腹を感じなかったような?
「ところが、ミルテの目の届く場所に置いておけば、適当につまんでいるみたいなので安心してたら、意外にグルメで……」
なんと、美味しいと感じなかった物は、二個目に手を付けなかったそうだ。レクスは給餌と観察を繰り返し、今では、私以上に私の食の好みを把握しているとか……
「道理でレクスが持ってきてくれる食べ物は、好みにあってて美味しいわけだわね」
「そういうところ、ミルテだよね」
「そういうところ?」
「自分が観察対象になってても、単なる研究で片付けるところ」
ん?
「そんなに自分に興味があるんだ、と喜ぶか引くか、どっちもない」
「興味?」
『動物的本能ということか?』
「グリちゃんが分かりやすく訳してくれた」
「本能?」
「……やっぱり、昨日の側に居て、は結婚して、とは違うんだね?」
「あ、そうか、そうなるのか。ごめんなさい。
そこまで、よく考えてなかった」
「考える余地はあるってこと?」
「……うん」
「よかった。僕ってそんなに魅力ないのかと、落ち込みそうだった」
「レクスは素敵よ。他の人と比べたことは無いけど」
「比べれば、他にも素敵な人に思い当たるってこと?」
「それは、ないわ。だって、レクスの他の男の人なんて、私、ほぼ認識してない」
魔術について語り合う同志としてではなく、口説ける女かどうかを見極めるために近づく男になど用はない。レクスは微妙な顔をしている。
『フンッ』とグリちゃんが荒い鼻息を吐く。
『もっと簡単な話ではないのか?
この家はお前の大事な住処なんだろう?
そこに入り込んで許されるオスはコイツだけではないのか?』
確かにそうだわ。尊敬するヨゼフィン様がこの家を見たいといえば喜んで迎えるけれど、エーヴァウト様も一緒となると少し躊躇するかも。
でも、レクスなら私がいない時に家に入っても構わない。もしも、私が珍しく出かけていて、帰ってきたらレクスがいて『おかえり』って迎えてくれたら……そんなの、嬉しいだけだ。
「どうしよう、レクス!」
「ミルテ?」
「私、あなたと家族になれたら、きっと幸せだわ」
「……僕もだよ」
レクスが私を抱き締めて、ちょっと長いキスをする間に、グリちゃんは『お駄賃だ』とばかり私のフルーツボウルも空にした。
その日の午後、私たちは事情聴取を受けた。とは言っても、すでに出来上がった調書を読み上げてもらって、それに異議はありません、とサインしただけ。読み上げの最中は、ヨゼフィン様とエーヴァウト様とともに、美味しいお菓子でお茶していたのだ。
「訪問団長は、こちらの文官が付き添って王国へ連れて行くので、君たちは帰ってもらって構わない」
「もう少し、ミルテとお話ししたいけど、また今度。
いろいろ忙しくなりそうで……」
そういうお二人は、なんだか艶々している。今回のことで、エーヴァウト様が危機感を募らせ、何が何でもヨゼフィン様と婚姻式を上げることにしたそうだ。
「最後になったが」
エーヴァウト様が重々しく切り出した。
「ミルテさん、ヨゼフィンを助けてくれて、本当にありがとう。
この恩は一生忘れない。隣国の王弟……いや、ヨゼフィンと婚姻すれば彼女の実家の公爵家を継ぐので、一公爵ではあるが、何か要望や困ったことがあれば相談してくれ。出来る限り力になろう」
えー! 王弟で公爵で騎士団団長が頭下げるとか。なんと恐れ多い。
「王弟殿下から感謝のお言葉を頂けるなんて、こんなに名誉なことはございません。お心遣い、ありがとうございます」
「ミルテ、私からもあらためてお礼を言うわ。ありがとう。
婚姻式が終われば時間が出来ると思うから、また、お話したいわ」
「はい、是非」
お礼の金品を辞退すると、エーヴァウト様はレクスと私、二人分の永年入国許可証を用意してくれた。これがあれば、空から侵入してもお咎めなし、らしい。
ふと、思い出した。給仕用のワゴンに、まだフルーツパイが残っている。
「あの、大変あつかましいお願いなのですが」
「どうしたの、ミルテ。なんでも言って」
「うちのグリフォンに、フルーツパイを持って帰っても?」
「ああ、あれ、やっぱりグリフォンよねえ」
「……私も見てしまったが、危なくはないのか?」
エーヴァウト様の眉間にシワが寄る。見てしまった、ということは見ぬふりをしてくれたということだろう。
魔獣と日々闘っていたのは大昔の事。今は、生息場所も生息数も調査が進んでいるし、棲み分けも出来ている。その分、直接対峙することがないので、危険度が分かり難いとも言えるけど。
「念話で意思疎通できますし、あの後、猫サイズになって一緒に食事したりしています」
「……猫サイズ。あ、いや。
それで、フルーツパイを食べたいと?」
何やらエーヴァウト様の雰囲気が変わった。柔らかい感じに。
「ええ、興味あるんだそうです。
それと、しばらくは私を主にする、と言ってます」
「そうか、ミルテさんを主に。
あのグリフォンの魔力供給にも助けられたことだし、彼にも礼をしなければ。
彼、でいいのだろうか?」
うーん、性別までは分からない。
「あ、呼び名はグリちゃんになってます」
「そうか。グリちゃんにもよろしく伝えてくれ」
エーヴァウト様が真面目にグリちゃんというので、ヨゼフィン様が噴き出した。
「もう、エーヴァウトったら! ミルテ、彼は無類の猫好きなのよ」
「グリちゃんはグリフォンですよ?」
「だが、あの賢そうな眼差しと言い、フカっとした羽といい…
猫サイズを想像すると、たまらないものがあるな。
いや、それはともかく、二人は我々の婚姻式に出席する意思は?」
「……お祝いする気持ちはありますが、式典や宴などの人混みは苦手で」
「僕も、一介の魔道士団員ですので。身に余るかと」
ヨゼフィン様が微笑む。
「そうね、残念ながらエーヴァウトも私も身分的に体裁が大事だから。
気の置けないお友達を招待しても満足に挨拶すらできなくて、申し訳ないものね」
「落ち着いたころに、あらためてお伺いしてもいいですか?
グリちゃんも連れて」
「ああ、是非来て欲しい」
エーヴァウト様はすっかり猫好きの、険のない笑顔。グリちゃんに早々に愛想を尽かされないようにしなければ、と思った。




