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侯爵令嬢、それが私の立ち位置だ。少し年の離れた兄が二人と姉が一人。
後妻がどうとかという話ではなく、同じ両親から生まれた第4子なわけだけど。
でも私だけがおかしかった。
赤ちゃんの時はどうだったかわからないけど、成長するにつれ、私自身違和感が拭えず、しょっちゅうヒステリーを起こしていたのを覚えてる。
手が小さくて動かしにくい、とか。夜は灯りが暗すぎる、とか。
だって、もっと違う……指はもっと器用に動かせていた気がするし、腕力もあったはずだし、夜はもっと明るくて、本の他にも楽しいことがたくさんあったはずなのに。何もかもが不便だと思っていた。
私としてはそういった生活の中の不便さにイライラしていることが多かったように覚えているのだけど、周囲はそれ以上に奇異の目で私を見ていた。
言葉を覚えはじめると、ベラベラと歳に不相応なことを話し出し、突如誰も知らない言葉を使って喋りだしたり、わけのわからないことをやり始めたり、絶対にできないだろうということを頑としてゆずらなかったりとおかしな子供だった。
もしかしたら年の離れた兄姉のマネをして大人ぶっているのではないかとも言われていた。
けど、ただの我儘の頂点に立つような子供のようにも見えるし、何か悪い物でも憑いているようにも見えたようだ。
とにかく扱いづらい、面倒な子供だったようだ。
決定的だったのは3歳の冬、珍しく王都にたくさんの雪が積もったのを見て、雪だるまを作ろうと言ったら周りの大人たちは随分驚いていた。
その後、次は「かまくら」を作ろうって言ったら、その場にいた全員が首を傾げた。
「『かまくら』とはなんですか?」
なんで「かまくら」がわからないの!? と憤慨し、前に雪が積もったとき作ったじゃない! と叫んでから気がついた。王都にこんなに雪が積もるのは10年ぶりくらいだと言われていたことに。
そこから記憶や感覚の違和感は際限なく押し寄せてきて、私は自分を自分として認識することが難しくなった。そして、記憶や感覚、意識の違うもう一人の自分を認識するようになった。
でもそれを受け止めるのは心身共に激しく消耗した。
熱を出して寝込むのはデフォルトで、突然の嘔吐、失神も十八番だった。
夜中に突然泣き叫ぶというのも特技になった。
程なく、私は主治医のすすめで療養のため王都を離れた。
平たくいえば、厄介払いだ。
それから5年、領地南端の避寒用の別邸にひきこもり、記憶と感覚と思考のブレを一人分として整合しながら今に至る。
レスティア・アイリーア、8歳。
夢は普通の令嬢になること。
別に大層な目的があるわけではない。
見捨てた両親にどうとかそういうことはこの際どうでもいい。そんなつまんないことにエネルギー注いでないで、楽しく生きていきたい。
と思っていたところに生贄よろしく放り込まれたのが隣領のご令息メルヴィル君だった。
うちの親に無理やり「哀れな娘のお友達」役にさせられたのだと思っていたら、まさかの婚約者になるとは。
家格からすると彼の方から断れないのかもしれないから、気の毒としか言いようがない。
私の方からお断りすることはまずない。そもそもそこに私の意思など関係ないし、奇病に侵されていることを隠して、ただの「ちょっと病弱な娘」として売り払ってしまおうってハラなのは明白だ。
婚約が決まってからもメルヴィル君は時折遊びに来ていたが、ある年からぱったりと訪れなくなった。
なんでも多くの貴族の子女が通うルトナーク王立学院に入学したと聞いた。
ルトナーク学院は幼年部、初等部、中等部、高等部とゆりかごから墓場まで併設された国に仕える使い勝手の良い駒を作り出すための教育機関だ。……たぶんね。
貴族の子女ならお金さえ払えばほぼ無条件で、平民でもある程度の学力と金銭を支払えば入学できる。あとは、ずば抜けて高い学力があれば推薦枠で入学できる。らしい。
メルヴィル君は幼年部にも通っていたらしいのだが、お気の毒なことに私とのお見合い(?)の為にまともに通えなかったらしい。
幼年部に行かなかったからといって、どうということもないらしいのだが、駆け回るのが大好きな彼のことだ。おかしな子供に無理やり付き合わされて学院に通えなかったのは不本意だっただろう。
さぞや恨まれていることだろう。
初等部からは本格的に王都に移り住み、きちんと学院に通っているようだ。
私は、といえば。
絶賛引き続きひきこもり生活を満喫中。奇病を患った娘という家の恥を外に出せるはずもなく、私の世界はこの別邸内だけだ。
……実は、あまり悪くはない。
お勉強やらお作法やら婦女子の教養とやらは先生がいらして教えてくださるし、ワンルームに監禁されているわけでもないから、それなりに広い敷地を自由にできるしね。あほみたいに広い庭付き一戸建てだ。そこで掃除や洗濯や炊事の心配をすることもなければ、お茶会やら面倒な人付き合いやらもなく、のほほんと生活しているのだから、むしろ天国ではないかと思っている。
ただ、この生活を一生続けていいのか、と言われれば確かにそれは首をひねるところだ。
だから、少なくとも、普通の貴族の娘としてつつましやかに生きていけるように、と思っている。
そのために、「普通」っぽく見えるようにそれなりに努力しているつもり。
勉強は結構好き。……算術は得意。語学はまぁまぁ。基本的には問題はないんだけど、時々「知らない言葉」が出てしまって、先生を混乱させる。
歴史や地理は難しかったけど、でも知らないことを知るのは面白かったし、何よりも学べるときに学んでおかないと、後悔するはめになるのは感覚的に分かっている。
興味をもったことは何でも聞いてたり自分で調べたりもした。
父は意外と質の良い先生を付けてくれていたみたいで、たくさんのことを教えてくれて、いろいろなことを一緒に考えてくれた。
幅広い知識を得ることは、自分の中の知識や感覚をすり合わせていくのにも役立って、充実した日々だった。
私の奇病にも根気よく付き合ってくれた先生には、本当に感謝しかない。
礼儀作法は最悪だった。令嬢とはこんなに不自由な生き物なのかと辟易した。
あれはダメ、これはダメ。そんなことはとんでもない。と、私の感覚と価値観は全て否定される勢いだ。歩く姿、立つ姿勢、座る時の足の位置、相手と対面した時の視線の位置。言葉づかいはもちろん、表情、声の高さまで指定された。
あほか! やってられっか! 一生就活か! と心の中で何度発狂したことか。
ソファでゴロゴロ横になって本を読むのがダメなんて、幸せの半分を否定された気分だった。……頑張って人前ではやらないことにする。
だって、ここが令嬢に擬態するにあたって一番重要じゃない? 立ち居振る舞い。
貴婦人の嗜みといえば、紅茶を飲みながらバラの花を愛で扇を手にオホホと笑う……ような気がしてたけど、違うらしい。
たとえば「詩」を作ったり、「歌」「楽器」「刺繍」「レース編み」……。
詩はあっさりセンスがないのであきらめましょうと言われ、歌と楽器は難航したけど及第点。
だけど、刺繍とレース編みはとても懐かしくて、涙と記憶が溢れてかぎ針を握ったままぶっ倒れた。
刺繍の運針方法はほぼ頭の中にあるので、後は手を使って、指を慣らしていく感じだ。
レース編みは編み図を見ればすんなり編める事に自分でも驚いた。針と糸を持てば、感覚で指が動いて編み目ができていくのだから。
もう一人の私はよっぽどレース編みが好きだったのだろうか。
そうして世捨て人生活を続けて、花も恥らう13歳になりました。
そんなある日に届いた王都からの帰還命令に驚愕した。
後5年、この生活が続くと思ってたのに。