はじめての未来
「シャル、先生……」
奇跡のような喜びに、涙があふれてくる。嬉しいときに出る涙がこんなにもあたたかいことも、はじめて知った。
「リル、もしかして、全部分かってしまった……?」
涙を流すリルを見て、シャル先生はおそるおそる訊いた。
「シャル先生、一応言っておくが、リルは心を読もうとしていなかったぞ。シャル先生自身が、リルに知って欲しいと思っていたんだ。だからリルは何もしなくても心が読めた」
「私が……?」
そういえばシャル先生の夢を覗いたときも、リルは心を読もうとはしていなかった。ずっと不思議だったけれど、もしかしたらあのときも、シャル先生は自分の苦しみを知ってもらいたいと思っていたから――。
「もうここまで来たんだから、ちゃんと自分の口で言いなよ。お互いの気持ちはわかったんでしょ? なんでびびってんのさ。しっかりしてよ、僕たちの先生でしょ!」
「リオ……」
リオの言葉に、シャル先生は頬を叩かれたような顔をしていた。
「――わかった。ちゃんと伝えるよ。私も腹をくくらないとね」
シャル先生がゆっくりと立ち上がる。
「リル」
手をとって、リルのことも立たせてくれた。シャル先生の瞳がうるんでいる。翡翠色の眼差しに、リルだけが映っている。
期待と不安で、息もできない。心臓の音が大きくて、このまま倒れてしまうのではないかと思った。
「君のことが好きだよ。リルは私にとって、世界で一番大切な女の子だ」
きっぱりと言い切ったシャル先生の顔を、信じられない気持ちで見つめる。なかなか言葉が出てこなかった。
「わたしも……、シャル先生のことが世界で一番大好きです……!」
勢いよく胸に飛び込んだリルを、シャル先生はしっかりと抱きしめてくれた。
「……どうしよう。リルとこうなるのはいけないことだって思っていたのに、今こうしているのがすごく嬉しい……」
シャル先生の鼓動が聞こえる。それがリルと同じくらいどきどきしていたから、また涙があふれてきた。腕の中にいる美しいこの人が、愛しくてたまらない。このまま時間が止まってしまえばいいのに。
「まったく、世話がかかる奴らだ」
「ほんとだよ。僕なんて、自分の失恋を自分で進めていたようなものなのに」
「リオ、お前はいい男になるよ」
「当然でしょ。魔法学校に行ったら、リルより可愛い女の子、絶対彼女にするから。そのときに惜しいと思ったって、遅いんだからね」
リオは強がっているような口調だったが、目の端に涙がにじんでいた。
「リオくん、アークさん、ありがとう」
「このまま放っておいても面倒になりそうだったからな。礼はいらねえよ」
アークがいたずらっぽく笑った。以前言っていた、使い魔は主の感情を共有できるという台詞を思い出す。もしかしたらアークは、シャル先生の気持ちにも、リルの気持ちにも、ずっと前から気付いていたのかもしれない。
「あとさ、言い忘れていたんだけど。魔法学校って寮に入らなくてもいいみたいなんだよね」
「えっ?」
さらりと言ったリオの言葉に、リルとシャル先生が同時に驚きの声をあげた。アークは頬杖をついてにやにやしている。まさか、知っていてさびしがる演技をしていたのだろうか。
「入らないといけないのは最初だけで、転移魔法を覚えたらどこから通ってもいいんだって。最近規則が変わったらしいよ。僕、最速で覚えてこの家に帰ってくるからさ。それまで待っていてよ」
「リオ、ご家族のほうはいいのかい?」
「だってさ、シャル先生とリルのほうが、僕がいないと何も進展しなそうじゃん。しょうがないからもう少しお世話してあげるよ」
「リオくん……嬉しい。待っているから、早く帰ってきてね」
家族が離れ離れにならなくてすむと思った瞬間、心に花が咲いた。
(――あ、もしかして)
ずっと探していたものが、突然目の前に現れたみたいだった。
「シャル先生、わたし、もうひとつだけ言いたいことがあるんです」
「うん、どうしたの?」
「わたし、ずっと考えていたんです。好きになってもずっと家族でいる方法」
シャル先生を好きになったあの日「三本の針」のマダムに言われた言葉。そんなことができるのかずっと考えていたけれど、今わかった。
(――きっと、こうすればよかったんだ)
リルはシャル先生の前にひざまずき、胸に左手を当てながら、その手をとった。童話の中で、同じことをしようとする王子様はこんなふうにしていた。
「シャル先生、わたしをお嫁さんにしてください!」
好きな人と家族になる方法。ずっと一緒にいられる方法。お父さんとお母さんだって最初は家族じゃなかった。そんなこと今まで、すっかり忘れていた。
「えっ」
シャル先生が、硬直したまま絶句している。
「えっ? あ、あの……?」
沈黙が流れたあと、アークが盛大に吹き出した。リオも苦しそうに笑いをこらえている。
「リ、リル。それは男から言う台詞だぞ……」
「しかもその恰好、どこで覚えたのさ……」
「えっ、そうなの?」
結婚の申し込みは女性からしてはいけません、なんてどこにも書いていなかった。暗黙の常識なのだろうか。でも、そんなの、どっちでもいい。
「シャル先生、返事を聞かせてください」
「えっ? えっと」
シャル先生にずいっと迫ると、困ったように後ろに下がられた。
「俺たちは席を外すからごゆっくり。シャル先生はちゃんと返事してやれよ。リルにここまで言わせたんだから」
「結婚の誓いっていったら、やっぱりあれだよね。別にシャル先生にプレッシャーかけているわけじゃないけど」
アークとリオはじゃれあったまま、居間を出ていってしまった。シャル先生と二人、ぽつんと残される。こんなことが前にもあったような気がする。
「……リル」
「は、はい」
シャル先生の呼びかけに、一瞬息が止まった。その真剣な表情は怒っているようにも見えなくはない。
「本当に君には驚かされるよ。私が思いつきもしないことを、次から次へと軽々やってのけてしまうんだから」
「……ごめんなさい」
やっぱり、やりすぎだったのだろうか。今すぐ結婚して欲しいだなんて、無謀だったのかもしれない。しゅん、と落ち込むリルの肩を、シャル先生がそっと引き寄せた。
「だからね。リルといたらこの先ずっと、退屈のない人生が送れるんだと思う。過去のことなんて忘れてしまうくらいに」
「シャル先生、それって」
「指輪を買うよ。順番が逆になってしまったけれど。……リル、私と結婚して、ずっと一緒にいて欲しい」
「――はい」
シャル先生が、甘い瞳でリルを見つめている。おずおずと顎を上に向けると、シャル先生はリルの頬に手を寄せて、顔を近づけてきた。
(――あ)
やわらかな唇の感触に、目をつぶる。はじめてのキス。
(今、シャル先生とわたしのマナが、同じ色になった)
シャル先生が口づけるたび、明度の違う翡翠色が、とけて、まざりあって、同じ輝きになる。
「好きだよ。リルのことが大好きだ」
愛の言葉と共に、雨のようなキスが、唇に、頬に、鎖骨に降ってくる。
「わたしも、です」
何度も顔を見合わせて笑いあい、こまかい口づけを重ねていく。苺タルト味のキスは、このまま永遠に続くように思えた。――が。
「遅くなってすまん! 送別会はもう終わってしまったかな?」
ばたん! と玄関の扉が開き、息をきらせたオーガストが入ってきた。抱き合った体勢のまま、シャル先生と硬直する。オーガストは、一瞬驚いたあとにやりと笑い、
「――あー、おほん。急用を思い出したから私は帰ることにするよ。ごゆっくり」
わざとらしく手を叩いてからゆっくりと扉を閉めた。
「オーガスト先生!」
あわててシャル先生とあとを追う。こんなハプニングだって、シャル先生とだったら、いつだって笑顔に変えていけるから。
(大好きです。出会ったときから、あなたのことがずっと)
きっとこの先もずっと、大好きだから。
*
これはそれから少しだけあとの話。
「シャル先生、本当にいいんですか、お店の名前を変えてしまって」
魔法道具店の入り口にかかっていた看板を、シャル先生が新しく作り直してくれた。
「いいんだ。もともと適当に決めた名前だったし。リルに喜んでもらえるなら、こっちのほうがいい」
シャル先生が看板を魔法で浮かせて取り付ける横で、リルは「あ、右がもうすこし上です。全体的にもう少し下げてください」と手伝っていた。薬指にはシャル先生とおそろいの指輪が光っている。
「それにしてもリル、いつまでシャル先生って呼ぶの? もう私は師ではないのに」
ひと仕事終えたシャル先生が、ローブをぱんぱんと叩いて埃を払う。
「そうですけど、まだ魔法は教えてもらっているわけですし」
「そう呼ぶのは、授業のときだけでいいと思うけど」
すねたようにぷいっと歩き出してしまったシャル先生の袖を、あわてて引っ張る。
「まって。シャ……シャルル」
真っ赤になったリルを見て、振り向いたシャル先生はくすりと笑う。
「よくできました」
ごほうびに、やさしいキスが降ってきた。
その日、魔法道具店シャルルには新しい看板がかかった。新しいお店の名前に気付いたお客様たちは、口々にシャル先生とリルにお祝いを言った。しばらくは「ありがとうございます」を繰り返す日々になりそうだねと、二人で笑いあった。
今日も悩みを抱えた人たちがお店を訪れる。明日もあさっても、この場所でシャル先生とたくさんの人たちの役に立てることを、リルは世界一しあわせだと思う。
この『魔法道具店 リル・シャルル』で。




