手帳1-2
弟が生まれた。
弟が生まれた。
病院へ父が私を連れて行った。
父と会話した覚えが無い。
病室に入ると衰弱した母と赤黒いものがあった。
ベッドで母が
「今日からお兄ちゃんだよ」
そう言った。
私は赤黒いそれがあることで、お兄ちゃんという立場を手に入れた。
「これからお兄ちゃんだからしっかりしないとダメだよ。」
しっかりする。
この赤黒い動くものに、父が私にしたように、母が私にしたように、私が出来るのだと自覚した。
父はずっと黙っていた。
私もだんだんと赤黒いそれが弟というものだという自覚を持った。
そうか、私は気分が良くなければ殴りつけたり、蹴ったり、罵倒したり、裸にしたり、溺れさせたり、死なせても良い存在を得たのだと自覚したのだ。
「うん。」
私は喜んで返事を母に返した。
今この場で生まれたばかりの、弟という赤黒いものを殴りつけても良かった。
それは楽しい事で、正しい事で、良い事なのだが、それだと終わってしまう。
もっと弟が大きくなってから、私は弟へ正しい事をする。
お兄ちゃんになるとはそういう事だと私は家族が居る病室で自覚したのだ。
今考えると、とてもじゃないが正常ではない、異常で、常識ではない、狂った考え方だと思う。
だが、この弟への考え方というのは私は学校を卒業するまで続いた。
とても黒く、歪んだ、いびつで、世間様が知ったら泡を噴いて卒倒しそうな私の常識は、今のように表現出来るようになるまで、私の言葉に出来ない正義だったのだ。
弟が2歳になった真冬の昼間。
「散歩に行って来い」と、弟と外へ出された。
私は手を繋いだ弟と用水路へ行き、私の正しさを実行した。
突き飛ばして押し倒し、蹴りを入れて真冬の用水路へ落としたのだ。
とても気分が良かった。
そのまま家に帰ると弟が居ない事で大騒ぎとなり、警察と救急車が用水路に居た瀕死の弟を助け出した。
母は泣き続け、私を父が立てなくなるまで殴り続け、祖父が父に止めろと怒鳴りつけるまで、父の私への暴行は続いた。
「なんであんなことをしたの!」
仰向けに転がる私に、祖母は泣きながら聞いた。
上手く言葉で言えなかった。
言葉を知らなかった。
黙っている私に再び父は蹴り掛かった。
「このクソガキが!死ね!」
再び父の暴力が襲い掛かる。
今なら表現出来る。
「自分より弱い立場の家族は殺しても良い。」
そう思っていた。
我ながら狂っている。
私が親ならば精神の病院へ通わせるレベルの考え方だ。
だが表現出来なかった。
ただ黙っている事しか出来なかった。
だからこそ、当時は事故として処理された。
弟は死にかけたが生き残った。
この事案があった事で、私は弟に近寄らせて貰えなくなった。
父の暴力は激しさを増し、母は私を疎ましく思って更に辛く当たるようになった。
私はやり過ぎたのだ。
気分が悪くなった時に、殴られた時に、腹が立った時に、心の乱れを解消する弟を遠ざけられ、私はひどく孤独で、孤独と暴力の痛みと言い表せない苛立ちで、泣いていた。
何も無い時に突然泣き出す異常な子供になった。
私は孤独だった。
同時に恐怖があった。
私に兄が居たら、父と母と兄で、私はどうなっていたのだろうかと。
私に姉が居たら、辛辣な態度と無関心で心を壊されていたのだろうかと。
幸いかな、私は親戚の中でも一番年長者で、兄や姉に相当する人はいない。
私は絶対的な立場を得ているのだと、そう考える事で自我を保っていた。
ただ、弟を真冬の用水路に蹴り落とすのは止めようと思ったのは確かな事だった。
これが私の最初の罪だ。
弟の命を奪おうとし続けた私の罪だ。
私はそれから中学三年生になるまで罪を重ねて行くことになった。
だがこの記憶は私を責めはしない。
これは私は正しい事をしていたという記憶なのだから。
「世間様が異常だと判断する事を、私は正しいと認識していた。」
こう変化して私を責めているのだ。
続けます。2017.7.8 暑いです