ぎっくり腰の痛みも引いて、彼女と別れて1ヶ月程、就職活動で大手の企業に就職が決まった。
その会社は元自衛官という私を受け入れてくれた。
私の仕事は人や物を監視する仕事だった。
建物に出入りする人たちが危険物を持っていないか、ガスや水道の元栓はきちんと閉まっているか、決まった時間にシャッターや扉をを開閉したり、不審者が居たら通報したり、怪我人が出たら救急車を呼んだり、1日の終わりにはそれらの出来事を日報にまとめて会社に提出する。
そんな仕事だった。
「テナントの女性従業員には絶対に手を出すな。」
そう入社の研修が終了した時、部長に言われて、元彼女の件で「見た目が良いだけでは女性の中身はどんなものなのか分からない」という教訓を得ていた私は、どんなに誘われても一切手を出さなかった。
「ちょっと兄さん。空いてる時間教えてよ。」
などと声を掛けてくるテナントの女性。
事務的に対応して、軽くあしらうのが面白かった。
そのうちに、部長に説教された。
「確かに絶対に手を出すなとは言ったが、お前は女性に対するサービスというものを知らんのか?」
部長の言ってる事はムチャクチャだった。
「知りません。言われた事は絶対ですので。」
私はそう答えて、仕事に専念した。
思えば私の人生の中で、一番充実したように感じた日々だった気がする。
会社からの給料は高く、私は再び家を出て、今度は1人暮らししようかと思い、家を出る準備を始めたが、母が強く引き止めた。
「大手に就職したんでしょう?1人暮らしは、お金がかかるわ。実家から通勤しなさい。全部やってあげるから。お願いよ!」
私は「また」母に騙された。
今現在1人暮らしをしているが、実家から通勤している方が、自家用車の維持費や食費として家に入れていた合計を考えると、倍のお金が掛かった。
「1人暮らしをしないで実家暮らしとか、どんだけ甘えているんだ。」
上司や先輩に、こう言われたが、母がこう言ったと伝えると、それが甘えているというのだと更に笑われた。当時意味が分からなかった。
「月間320時間の労働時間。」
通勤時間を含めると月間の半分以上、私は仕事のために行動していた。
勤務先の近くに住んでいたら、多分私は壊れる事は無かったのではないか、などと今更ながら考えている。
仕事の内容は楽ではあるものの、拘束時間が長くて身体の疲労が抜けない。
だがかなり給料は良かったのだ。
徐々に私の身体を蝕んで行った労働は、いつしか私の肺臓に穴を開けていた。
「肺に穴を空けるような奴は、長生き出来ねーよ。終わったなお前。アハハ!」
息切れがして歩けなくなって、病院で診断された後、会社に報告すると噂を聞きつけた先輩にこんな事を言われたが、長生きする事の何が楽しいのだろうか、そんな事を考えて、私は適当な相槌をついて、社会性の無い発言をする先輩も、壊れているのだろうなと、哀れに思った。
肺の治療をするために入院し、幸い切開手術をするも胸に管を差し込み、破れた肺から抜けて溜まった空気を抜くだけで私は回復した。
入院から2週間で仕事に復帰し、ずっと仕事をしていた。
私は仕事の中毒になっていた気がする。
働けば働く程、部長から褒められたのだ。
私の人生で初めて褒められた仕事だった。
それだけ私は人生で、充実した時間を過ごしていた。
あの日が来るまでは。