手帳2-8
普通の生活
当時は過酷な生活だと思っていなかった。
「他所は他所、家は家。他所と比較するな。」
両親共に、そう私たち兄弟に、口癖のように言っていた。
風呂は1週間に1度、それを逃すと身体を清潔に保つ事はできない。
洗濯物はいつも洗われず、風呂場の前にある洗濯機の前に腐臭を放ち、山になっていた。
食事も今考えたらかなり粗末なものが出ていたが、母は料理を出す度に、ため息をついていた。
「めんどくさい。」
それが母の口癖だった。
私の、私たち兄弟の面倒を見ること、料理を作ること、洗濯をすること、息をすることすらもめんどくさそうに見えた。
私は学校で「家のお手伝いをお母さんに言って、お手伝いをしてみましょう。」と言われた事があって、それを伝えると母は「私の仕事を取るな!絶対に触るな!」と怒鳴りつけられてから、家事全般は触らなかった。
「お前たちがずっと学校に居てくれたらいいのに。」
私は、私たち兄弟は、母にとって必要ではない存在であって、母の人生の邪魔であって、必要とされていない存在なのだと思うと、私は涙が止まらなかった。
学校が休みの時は更に顕著な態度が出ていた。
300円を渡されて、指定した物を買って来いと、無責任に放任されて家から追い出されるのだ。
私はそんな日は駄菓子を買って、公園で水を飲んで痩せてしまう身体を誤魔化していた。
「いってきます。」
3日着替えていない、洗濯されていない服で小学校へ行くために家を出る。
「もう帰って来なくていいぞ。」
そういう母を、私はとても疎ましく思っていた。
ガスを止められ、カセットコンロで鍋を食べる夕飯。
電気を止められ、ゆらめくロウソクの炎の中で本を読む夜。
水道を止められ、公園の水を汲みに行った、バケツを持つあの手の痛み。
お金に対して、異常な程、無頓着で、めんどくさがりの母が、私は大嫌いになっていたのだ。
私をこの記憶が責める。
もっと良い、他人様のような生活が送れたらどんなに良かっただろうという、嫉妬の気持ちがあることで、私はなんという浅ましい人間なのだろうかと、記憶からの気持ちが私を責めて、今でも胸が痛むのだ。
2017.7.23 日曜日 平成29年




