注意と、はじまりと
注意
これから書かれる文章に登場する如何なる個人・団体・企業・宗教・諸々それら全ては架空のものであり、書かれる出来事は実際に存在しない。フィクションであることを同意して頂きたい。
同意頂けないのであれば、不本意ながら、ここで読むのを止めて頂きたい。
はじまり
私はたくさんの本を読んだ。
だが、私の心を揺さぶる本に出会えなかった。
たくさんの本、漫画、アニメなどを見て私は心を揺さぶられなかった。
「人の心を持っていない」
周りの人たち、親でさえ私を奇異な目で見て、蔑み、罵倒し、無視され、時には暴力まであった。
しかし、私は傷つかない訳ではない。
朴念仁のように無表情だが、寧ろ人よりも傷つきやすく、脆く、限界を超えると熱が出て、動けなくなる。
そんな私が太宰治先生の「人間失格」を読んだ。
「これを表現して許されるのか」
衝撃だった。
昭和という時代に私があったのならば、主人公三洋のように生きていたと思った。
私は三洋に自分を重ねた。
そして彼の生き方に同調し、涙が出て止まらなかった。
「私が平成の人間失格を書いてみたい」
そんな無謀な、資格もない、阿呆な考えに至ったが、秘めた欲求は止まず、方法をずっと模索していた。
ウェブ小説という存在を知った。
時代は私の幼い頃とは違い、ネットが発達し、凄い時代になったものだと驚嘆している。
私は自分の表現するものを見てもらいたい。
「現代の人間失格」を。
私がこれから表現することは全てフィクションであり、架空のものだ。
それだけは読んで頂ける人たちに理解して頂きたい。
それでは時間はかかるかもしれないが、始めたいと思う。2017.7.2
これからどれだけ長いものを書くかわかりませんが、誰かの一番になれたら幸せだと思っています。
よろしくお願いします。