第5話 お手伝いのおかわり
それから一週間ほど経った。
最近、直人さんは夕食の後も仕事をしていることが増えた。
食事中にスマートフォンへ通知が届くと、画面を確認しては考え込んでいる。
「忙しいの?」
「うん。ありがたいことに、新しい依頼が増えていてね」
「大変だね」
「まあ、今が頑張りどころかな」
そう言って笑う直人さんを見て、私は少し心配になった。
そんなある日の夕食後。
「美咲、またお願いしてもいいかな?」
私は嫌な予感がした。
「……また?」
「うん。顧客から届いた問い合わせ情報を整理する作業なんだけど、少し量が多くてね」
「一度だけって約束だったよね?」
「そうだったね。ごめん」
直人さんは申し訳なさそうに笑った。
「問い合わせの情報を一覧表にまとめる作業なんだ。会社名や住所、電話番号などを見やすく整理してもらえると助かるなって。既存の顧客データとの最終的な照合や登録は僕がするから、その前段階を手伝ってもらえるとありがたいんだけど」
「じゃあ、その一覧表を作るところを手伝って欲しいの?」
「そういうこと。必要な項目を整理して、確認しやすい形にしてもらえると助かるんだ」
「ふうん」
「もちろん、無理なら断ってくれていいよ」
直人さんはこういうところがずるい。
そう言われると、断りづらいのだ。
私はため息をついた。
「……どのくらい?」
「前回より件数が多いから、二時間くらいかな」
「二時間?」
「うん。今回だけでいいから」
私は少し考えた。
二時間なら、家事を済ませてから取りかかれば何とかなる。
「……今回だけだからね」
「ありがとう」
直人さんの顔がぱっと明るくなった。
私は少しだけ後悔した。
翌日、私は問い合わせ情報を一覧表にまとめる作業を始めた。
日付、会社名、担当者名、相談内容などを確認し、決められた欄に入力していく。
直人さんは、今回の作業に必要な会社名や住所、電話番号などの情報だけを抜き出して共有してくれた。私はそれを一覧表にまとめていく。
入力が終わったものから、名前や数字に間違いがないか確認していく。
最終的な照合や顧客管理ツールへの登録は直人さんが行う。私は、その前段階の情報を見やすく整理すればいい。
どうせやるなら、間違いなく終わらせて早く自由になりたい。
入力した情報を確認していると、ふと気になる二件が目に留まった。
一件目の会社名は「株式会社アオバ商事」。
もう一件は「アオバ商事」。
表記は少し違うけれど、担当者の名前も問い合わせの内容も異なっている。
別の会社だろうか。
そう思いながら住所を確認して、手が止まった。
同じだ。
念のため電話番号も見比べる。
こちらも一致している。
会社名の表記が違うだけで、同じ会社なのかもしれない。
ただ、担当者が違うので断定はできない。
私は直人さんに確認することにした。
「直人さん、ちょっといい?」
「どうしたの?」
「この二件なんだけど、同じ会社の可能性がないかな?」
直人さんが画面を覗き込む。
「どれ?」
「この二つ。会社名は少し違うけど、住所と電話番号が一致しているの」
直人さんは二つの情報を見比べた。
「なるほど。確かに確認した方がよさそうだね」
「担当者の名前は違うけど、同じ会社なのかな?」
「担当者が違うこと自体は珍しくないよ。部署が違えば窓口も変わるからね」
直人さんは少し考えてから、会社の顧客管理ツールを開いた。
「ちょっと既存の登録情報も確認してみるよ」
画面を操作し、過去の問い合わせ履歴と照合する。
しばらくして、直人さんが頷いた。
「やっぱり同じ会社だ。既存の顧客情報を確認したら、すでに登録されている会社だったよ」
「そうだったんだ」
このまま気づかずに登録していたら、同じ会社の情報が二重に登録されていたかもしれない。
「受付経路が違うから、会社名の表記も違っていたんだろうな」
直人さんは私が作った一覧表に目を向けた。
「会社名だけだと見落とす可能性があるけど、こうして住所や電話番号も並んでいると確認しやすいね。今までは問い合わせごとに個別に確認していたから、こうして一覧で比較することは少なかったんだ」
直人さんは少し考えたあと、メモを取り始めた。
「登録前に住所や電話番号も確認するようにしよう。高橋にも相談して、管理ツール側で重複している可能性のある会社を見つけやすくできないか考えてみるよ」
「難しいことはよく分からないけど、同じ情報が並んでいると見つけやすいよ」
「そうだね。システムで確認できる部分と、人が確認した方がいい部分を分けて考えてみるよ」
直人さんはそう言って、一覧表をもう一度確認した。
「美咲は、こういう情報を整理して見比べるのが得意なんだね」
「別に、見やすいように並べただけだよ」
「その並べ方が役に立ったんだよ。ありがとう」
「……どういたしまして」
自分が気づいたことをきっかけに、直人さんが会社の仕組みを見直そうとしている。
ただ頼まれた情報を並べただけなのに、思った以上に役に立ったらしい。
そう考えると、少しだけ誇らしい気分になった。
……まあ、だからといって働きたいわけではないけれど。
◇
その日の夜、直人さんは仕事を早めに切り上げて、キッチンに立った。
「美咲、今日はありがとう」
「うん」
「夕飯、僕が作るよ。美咲の好きなふわとろオムライスにしようか」
「えっ、いいの?」
オムライスは直人さんの好物だけど、私も大好きだ。特に、卵がとろとろのものには目がない。
「今日は美咲に手伝ってもらったからね。僕からのお礼」
直人さんはそう言って、料理を始めた。
しばらくして、テーブルにオムライスが並んだ。
ナイフを入れると、ふわふわの卵がとろりと広がった。
「わあ、おいしそう!」
一口食べる。
卵はふわふわで、デミグラスソースも絶妙だった。
「おいしい!」
「よかった」
直人さんはほっとしたように笑った。
「天才! お店開けるかも!」
「ありがとう。美咲が喜んでくれるなら、また作るよ」
「本当?」
「うん。その代わり、また仕事を手伝ってもらえたら嬉しいな」
「また頼むつもり?」
「うん。たまにでいいんだけど、お願いできたら助かるな。でも、無理にとは言わないよ」
「……ちゃっかりしてるね」
私は少し考えた。
二時間は少し長いけれど、毎日会社に通うわけではない。
家事の時間を削らずに済むなら、たまに手伝うくらいはいいかもしれない。
それに、直人さんが喜んでくれる。
「仕事の量によるからね」
「分かった。美咲の都合を優先するよ」
「あと、手伝うたびにごちそうを作らなくてもいいからね」
「そう? でも、たまには美咲の好きなものを作らせてよ」
私はもう一口、オムライスを食べた。
やっぱり、おいしい。
また手伝うことになってしまった。
でももちろん、専業主婦を辞めるつもりはない。
これはあくまで、夫のお手伝い。
働いているわけではない。
……たぶん。




