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第九章 ぶどうの夜

1日2回更新目指します。

夜。

ローゼンベルク家の屋敷。

 

夕食を終えたエレノアは、自室で静かに本を読んでいた。

机の上には、開いた薬草学の専門書。

窓の外では虫の声が響き、夏の終わりを告げる夜風が薄いカーテンを揺らしている。

紙をめくる音だけが、小さく部屋に響いていた。

 

コンコン。

 

控えめなノックが聞こえる。

 

「エレ。」

 

「どうぞ。」

 

扉が開き、ルーカスが木箱を抱えて入ってきた。

 

「ぶどう貰ってきた。」

 

箱を開けると、粒の大きな紫色のぶどうがぎっしりと詰まっていた。

 

「騎士団でいただいたんだ。食べきれないから持ってきた。」

 

「わぁ……。」

 

エレノアは少しだけ目を丸くした。

 

「美味しそう。」

 

「だろ。」

 

ルーカスは笑いながら房を一つちぎる。

 

「はい。」

 

「ありがとうございます。」

 

一粒を口へ運ぶ。

皮を噛むと、甘い果汁が口いっぱいに広がった。

 

「……美味しい。」

 

「良かった。」

 

他愛もない時間だった。

静かな夜。

本を閉じ、二人でぶどうを食べる。

そんな穏やかな空気が流れていた。

ふと、ルーカスが思い出したように口を開く。

 

「そういえば。」

 

「?」

 

「夜だけ咲く花、見に行けたのか?」

 

エレノアは小さく頷いた。

 

「はい。」

 

その声は、自然と柔らかくなる。

 

「見つけたの。」

 

「へぇ。」

 

「綺麗でした。」

 

その瞬間だった。

脳裏に、不意にあの声が蘇る。

 

『……二人だけなら構いません。』

 

甘いぶどうの味が、ふっと遠のいた。

胸の奥が、きゅっと小さく縮む。

エレノアの表情が、ほんの少し曇った。

ルーカスはその変化を見逃さなかった。

 

「どうした?」

 

「……え?」

 

「何かあった?」

 

エレノアは一瞬だけ目を伏せる。

胸のざわつきをそのまま口にしてしまえば、何かが形になってしまいそうで怖かった。

 

「……何でもないです。」

 

そう答えた。

けれど、どこか少しだけ不機嫌そうな顔をしていた。

ルーカスはしばらく彼女を見つめる。

それ以上は聞かなかった。

代わりに、ぽん、と優しく頭へ手を乗せる。

 

「そっか。」

 

ゆっくりと撫でる。

 

「なんか困ったら、いつでも言えよ。」

 

そう笑った。

その笑顔は、昔と変わらない。

エレノアも小さく笑い返した。

 

「ありがとうございます。」

 

「それよりさ。」

 

ルーカスはぶどうをもう一粒口へ放り込む。

 

「今日、騎士団で――」

 

その続きを聞きながらも、エレノアの頭の片隅には、まだあの言葉が残っていた。

 

『二人だけなら構いません。』

 

……そうそう。

そんな状況にはならない。

昼間は人がいる。

夜は、もう行かなければいい。

それだけのことだ。

そうすれば、何も起きない。

また静かな毎日に戻れる。

 

◇◇◇

 

数日後の夕方。

王立学園。

生徒会室。

 

レオニードは窓際で、学園の夕暮れを見ていた。

部屋にはヴィンセントだけが残っていた。

書類を整理する音だけが、静かに響いている。

レオニードは窓の外を見つめたまま、ふと口を開いた。

 

「ヴィンセント。」

 

「はい。」

 

「豊かな領地があるとします。」

 

ヴィンセントは顔を上げる。

 

「その年は豊作だったとします。」

 

「はい。」

 

「税を軽くするべきでしょうか。」

 

少し間を置く。

 

「それとも、未来へ備えて蓄えるべきでしょうか。」

 

ヴィンセントは腕を組み、少しだけ考える。

 

「難しい問いですね。」

 

「そうですか。」

 

「私なら、蓄えるべきだと答えます。」

 

「理由は。」

 

「来年以降が読めない以上、豊かな年にこそ蓄えておくべきです。」

 

レオニードは静かに聞いていた。

けれど、脳裏には別の声が響いている。

 

『人を見ます。』

 

あの静かな声。

そして、一つの問いへ迷いなく答えた横顔。

二択では終わらせず。

誰が困るのか。

誰を守るのか。

そこまで考えていた。

レオニードは小さく笑う。

 

「……やはり、そうですか。」

 

「殿下?」

 

「その答えは興味深いですね。」

 

ヴィンセントが目を瞬かせる。

 

「答え、ですか?」

 

レオニードは答えない。

代わりに机へ向き直る。

 

「ヴィンセント。」

 

「はい。」

 

「鍵を用意してもらえますか。」

 

「……鍵、ですか?」

 

「ええ。」

 

短い返事だった。

ヴィンセントは理由を聞かなかった。

 

「かしこまりました。」

 

一礼する。

けれど内心では、小さく首を傾げていた。

鍵。

レオニードは再び窓の外を見つめる。

人目につかない場所。

静かに話せる場所。

もし、そこなら。

彼女も少しは安心して話してくれるだろうか。

そんなことを考えている自分に、小さく苦笑した。

 

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