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英雄

 その国は弱小だった。

 目立つ特産品もなく、兵は脆弱で、数も少ない。それがこの国、レキシア王国。

 だが、その不遇な国で、運命を変えるものが発見された。


 北の隣国『ベルルラート連邦王国』と隣接する山脈『レンドジア山脈』にて、無尽蔵の鉱脈が眠っていたのだ。金銀銅の鉱山、そして大量の石炭。利益は天文学的な数字となり、誰もがそれを宝と称した。


 その発見が、十年にも及ぶ『レンドジア戦争』の幕開けとなる。


 極寒の冬と飢えの中で、レキシア王国の敗戦は濃厚だった。最早これまでかと思われたその時、希望の象徴たる一人の英雄が戦場に現れ、絶望の戦況を覆し続け、ついに戦争は幕を閉じる。


 英雄の名は、レディ・インフェルノ。

 地獄と呼ばれ恐れられた英雄は、世界各国から尊敬と畏怖を集めながら、優雅に自分の主君の前に膝をつく。


 崩御した先王に代わり、第一騎士団団長に任命された。……本来であれば、守護者として国を守るだけで終わるはずの存在だった。


 ――しかし、王の玉座には、残酷なまでに無垢で、そして我儘な少年が座っていた。


「第一騎士団団長、レディ・インフェルノに命じる。これからは軍だけではなく、この余のために『王家補佐』の任を与える」


 血紅色の髪を垂らしたインフェルノは、目の前の男を呆然と見上げた。


 レキシア王国第三十二代目新王、セルシオ・ベータ・ル・レキシア。

 金髪碧眼の、妖精のように美しい14歳の少年王。その瞳には、子供らしからぬ冷徹な野心と、周囲を平然と振り回す幼い我儘が同居している。そんな危うさを持ちながら、何処か惹かれる雰囲気を持つその少年は、インフェルノをじっと見つめていた。


「陛下! 一体何を仰るのですか! それはあまりに突拍子もございません!」

「どうもこうも、言った通りだ。インフェルノにはこれから余のためにまつりごともしてもらう。余は飽きっぽいからな、インフェルノがそばにいないと退屈で仕方がない」


 長くこの国を支えてきた宰相バンクルット・クォエル・タチタニアが、顔を真っ赤にして抗議する。しかし、セルシオは耳を塞いでふいと顔を背けた。その姿は、駄々をこねる子供そのものだ。


「しかし! いくら英雄とはいえ、貴族ですらない彼女に国政など不可能です! 戦後処理、鉱山の運用、他国からの圧力……そんな激務を、一人の将に押し付けるなど、あってはなりません!」


 そんな切れ者である男の反応は当然だ。王家補佐など名ばかり。国王と同等の権限を持つという責任の重さを、バンクルットは重々承知している。そのバンクルットに対し、セルシオは一瞬で表情を消した。先程までの子供じみた態度は嘘のように消え失せ、冷ややかな氷の仮面がそこに浮かぶ。


「インフェルノの出自など知らん。だが、今この国に必要なのは、古い慣習を打破する『英雄の象徴』だ。違うか、インフェルノ」


 そうセルシオはインフェルノに視線を向けるが、彼女は身じろぎをせず見つめ返すのみ。いつものことだと、すぐに視線を外した。


「しかしっ、インフェルノを他の貴族に認めさせるためには、陛下だけでは……」

「だからこそ、お前を呼んだのだバンクルット。お前の後ろ盾さえあれば、大抵の奴は認めざるを得ない」

「っ……しかし!」

「あ”ー、うるさいうるさい。お前はさっきからそればっかだ。もう決定だから、今更何言っても余は取り消さんぞ」


 何たる暴君。

 耳をふさいでバンクルットの言葉を無視するセルシオは、やはり子供なのだろう。

 小さく息を吐いたインフェルノに、セルシオはその目を一瞬冷たく光らせる。


「それにバンクルット。余は遊びで申しているわけではない。先程も言った通りこれからの時代、後手に回って平和を謳歌できるほど優しくはない。今この国には『英雄の象徴』を旗印とした新しい統治と力が必要だ」

「へ、陛下……」


 セルシオの意見ももっともだった。この国は今、後手に回る余裕はない。しかしそれでもこの案は周囲の貴族に良い印象を与えない。

 インフェルノは冷静な頭で考える。自分にできるのは敵を切ることと、英雄という存在で周辺国を威圧することだけだ。


「陛下、発言よろしいでしょうか」

「!……許可する」

「ありがたき幸せ。確かに後手に回っている余裕は我が国にはありません。しかしそれでは周囲の貴族から反発を受けます。分裂の危機に瀕しましょう。なればこそ、私ではなくバンクルット宰相閣下のほうが王家補佐役としてふさわしいと、陳言いたします」


 立ち上がれば、美しく装飾された隊服が重く、ついている赤い宝石が輝く。インフェルノは、たとえ自分の首がはねられようとも阻止しようと、仮面の下で目を細めた。


 しかしそうは言っても、やはりセルシオは王だった。彼女の意見に耳を貸してくれない。


「たしかにだ。バンクルットは父上の代から王家を、そしてこの国を支えてくれた。しかし! それはお前とて同じこと。インフェルノという存在は、ただ国の威圧のためだけではなく、政治にも有効活用できるはず。今は武力を持って力を示すのだ!」


 石頭。セルシオの言葉に思わず固まるインフェルノ。これは何を言っても止まらないと、バンクルットに視線を送れば、宰相は頭を抱えていた。バンクルットはもうお歳だ。ストレスで倒れられたらこの国も、そしてインフェルノも困る。


「それに……余にはお前が必要だ、インフェルノ」

「セルシオ陛下……」


 寂しそうに顔を曇らせるセルシオを見て、彼女は言葉を詰まらせた。こう言われては、これ以上の打開策は見つからない。


「とにかく! インフェルノは王家補佐に任命とする! この後のことはバンクルットに一任する!」


 そうして無理やりねじ込まれ、丸め込まれた。


 ****


「はぁぁぁ〜〜……」


 深い溜め息をつき、バンクルットは執務室の椅子に座ってうなだれた。

 ろうそくの光がバンクルットの顔を照らし出し、無駄な陰影を作る。年齢を感じさせる皺を眺めながら、インフェルノは口を開く。


「困ったことになりましたね、閣下」

「他人事な。お主の未来がこれで決まったのじゃぞ」

「死ぬ覚悟ならとうの昔に。しかしまさか陛下がこのようなことを言い出すとは」


 この話はセルシオの名の下、国中どころか周辺国にも知れ渡ることになるだろう。思ってもいない事態に、インフェルノは仮面に手を置いて考え込む。

 これから彼女は新たな王とともに、ボロボロになった国を再生しなくちゃいけない。


「閣下、私これ過労で死にませんか?」

「お主がそんな冗談を言うとは珍しいが、それどころじゃすまんぞ」


 膨大な仕事量に、いつもは言わない冗談が飛び出る。バンクルットはまたため息をついた。


「もうお主を巻き込ませるつもりはなかったのだがな……」

「それについてはなんとも思っておりませんが、私に政など」


 英雄としての戦いと、政。嫉妬や反乱の火種を、セルシオの矛先にならないよう防がなければならない。


 確信めいたことを考え込み、自身が主君を貶す存在へ殺気を走らせるが、すぐにそれも収めた。バンクルットはそんなインフェルノを見つめながら長い溜息をつく。


「だがもう陛下は決め、既に情報は回り始めた。もうお主は逃げられん」

「困りましたね。これからこの国は荒れるというのに」

「決定したことを覆すのは難しい。しかし幸いとしてこの国の貴族は少なければ国土もまぁまぁだ。儂がお主を手助けしよう」


 バンクルットはそう言って紅茶を一口飲む。彼女にとって、バンクルットは親のような存在なのだ。


「感謝いたします。しかし、これでまた閣下に返せない恩ができてしまいましたね」

「何の、お主はしっかりと儂に勝利という恩を返してくれた。コレはその分の感謝だ」


 いえ、その感謝が既に恩なんです――とは言わずにインフェルノも仮面を少しだけずらして紅茶を飲む。少し酸味の効いた温かい紅茶の味がした。


 ****


「陛下、申し訳ありません。これ以上あの娘を巻き込む気はなかったのです」


 インフェルノが去ったあとの部屋で、バンクルットはセルシオの父、前王の肖像画を見てぼやく。思い出すのは、敬愛すべき前王との誓いだった。


「やはり……血は濃い」


 外の雪景色を見てこれからのことを憂いて、バンクルットは誰にも聞こえない程度にため息を吐いた。

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